( ※ 他人の見解への批判のみです。)
生き残る種は?
先の項目で紹介したページ(エルピーダ倒産の解説ページ)に、次の文句が出てくる。進化論で有名なチャールズ・ダーウィンは、『種の起源』の中で、「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである」と述べた。これは「激変するビジネスに適応せよ」という私の主張(前項)に、似ている。だから、その意味では、趣旨は間違っていない。ただし、
エルピーダは、激変するDRAMビジネスに適応できなかった。だから淘汰されたのだ。
( → 湯之上 隆 )
「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである」
という言葉は、ダーウィン自身は述べていない。この引用は、間違った引用である。この件は、下記ページに詳しい。
→ ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?
では、正しくは?
「生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである」
ということは、一般的には成立しない。なぜなら、変わりゆく環境に適応する種というものは、普通は存在しないからだ。たいていの種は、ある環境に特化して適応している。環境が変化すれば、その種は絶滅するのが普通だ。そして空白化した環境に、新たに別の種が進出する。
一例を挙げると、恐竜の絶滅のときには、環境の変化に耐えられる恐竜が生き残ったわけではない。恐竜はすべて絶滅した。そこには空白領域ができた。その空白領域に進出したのが、夜行性の哺乳類である。
ただ、正確に言えば、当初は哺乳類が発達していなかったので、当初は恐鳥類が地上の王者だった。その後、有袋類が大型化して繁栄して、遅れて有胎盤類が大型化して繁栄するようになった。恐鳥類は、一時的には繁栄したが、陸上という環境に特化して適しているわけでもないので、哺乳類に滅ぼされてしまった。
ここでは、恐鳥類については、(一時的には)上記の引用の説が成立するように見える。(恐鳥類は変化する環境に適応できたので生き延びた、と見える。)ただし、たとえ一時的であれ、そのことが成立するのは、(恐竜の絶滅のような)大絶滅があるときに限られる。
一般的には、種の絶滅が起こるのは、環境の変化とは関係ない。どちらかと言えば、次の原則による。
「長い歴史のなかでは、種は次々と誕生する。そうして新たにできた種がすべて生き残るとしたら、ものすごく莫大な数の種が生き残ることになる。だが、そういうことは、ありえない。一種の飽和状態になると、同一環境のなかで生存率の劣るものから、逐次的に次々と絶滅していく。こうして『優勝劣敗』の形で、なだらかに種の交替が起こる」
ただし、これが起こらない例外的な場合もある。次の場合だ。
「新たな種が誕生しない」
その例は、マダガスカルや、オーストラリアに見られる。いずれも新たな種の誕生がほとんどなかったので、太古の種(有袋類や原猿類など)がいまだに生存している。( or つい近年まで生存していた。)
──
今回の場合はどうか?
エルピーダの倒産のような例は、ダーウィン説で説明するのは、あまり適切でない。
「これこれの環境のなかで優勝劣敗が起こった」
というだけなら、普通の市場原理で説明できる。特に「変化」という概念は必要ない。
一般に、ダーウィンの説が成立するのは、「一つの種が生き残れること」の理由だ。一方、冒頭の引用文で説明したことは、「種が次々と新たな種に変化していく進化の過程」のことであるから、そこでは種の同一性が保てない。とすれば、そこでは、ダーウィン説は当てはまらない。
例示しよう。
ヒト科の動物には、アウストラロピテクスやピテカントロプスなどを経て、ホモサピエンスに至る進化の過程があった。この過程で、「ヒトは次々と進化したから生き延びた」と言えるか? いや、言えない。そこには「ヒト」という同一種はないからだ。進化の過程で生き延びるか否かを考えるのは、あくまでアウストラロピテクスやピテカントロプスやホモサピエンスなどの個別種だけである。これらの全体を一つのものと見なして「ヒト科生物はうまく変動する変化に適応したから生き延びた」なんて思うのは、ダーウィン説とは関係がない。実際、アウストラロピテクスもピテカントロプスも、とっくに滅びたのだ。そしてホモサピエンスは20万年ほど前に誕生したにすぎない。
ダーウィン説で言えるのは、次のことだ。
「同一の環境で生き延びるのは、その環境に適応したものである。その環境が別の環境に変化したら、新たな環境に適応したものが新たに進出する。たまたま両方に共通するものがあれば、その種は『生き延びた』と言える。だが、両方に共通するものは、どちらにも最適化していないので、たいていは時間の経過とともに競争で負けて絶滅する」
比喩的に言おう。陸上が海になったら、自動車は絶滅して、水陸両用車だけが生き残る。だが、水陸両用車は海には最適化されないので、やがては船に負けてしまう。
要するに、環境が変化すれば、新たな種が進出して、王者交替となるだけだ。その途中過程では、うまく環境の変化に適応したものが生き延びるが、そのことにたいして意味はない。
結局、冒頭の台詞のようなことは、たいして意味がないのである。「変化に対応できることは大切だ」という言葉自体は、経営的な真実であるが、そのことを示そうとして、ダーウィンを持ち出すのはお門違いだ。
市場原理は有効か?
激動する経営環境のなかで、うまく企業が生き延びるようにするには、どうすればいいか?これに対して、「市場原理で」と答える主義がある。(古典派経済学者。)……具体的には、小泉純一郎や池田信夫などだ。
「市場原理に任せれば、優勝劣敗の原理で、優れたもののみが生き残る。だから、規制緩和をして、劣悪な企業をどんどん退場させればいい。そうすれば、劣悪な企業が退場したあとで、優れた企業だけが生き残る。かくて、すべての企業が優れた企業になる」
しかし、これは成立しない。「劣悪な企業をどんどん退場させる」としたら、「すべての企業が劣悪である」という状況(たとえば不況や円高)では、「すべての企業が劣悪である」となって、「すべての企業が退場する」というふうになりがちだからだ。
簡単に言えば、シャープや NEC やソニーをいくら退場させたとしても、日本にアップルが出現するわけではない。「シャープや NEC やソニーを退場させれば、日本にもアップルが出現する」というような理屈は、成立しない。
──
実は、「優勝劣敗による進化」というダーウィン説には、致命的な欠陥がある。こうだ。
「劣者が滅びる原理は示せるが、優者が誕生する原理は示せない」
簡単に言えば、シャープや NEC や エルピーダなどが赤字を出して倒産することの原理は示せるが、これらの企業に代わる新企業が誕生することの原理は示せない。
一般に、新種が誕生することについては、ダーウィン説は単に「偶然で」と示すだけだ。つまり、「突然変異で」と。
しかし、偶然を待つばかりでは、経済は成立しないのである。偶然を待つだけで、あとは市場原理で、と考えているような国では、経済がすべて滅びてしまうだけだ。国そのものが淘汰されてしまうだけだ。
──
経済を進歩させるためには、どうするべきか? それにはもちろん、まともな経営が必要だ。つまり、経済の王道だ。それは、前項で述べたとおりだ。
( ※ 比喩的に言えば、学力を向上させるには、真面目に勉強するしかない。自然淘汰説で、劣等生をいくら排除しても、劣等生が優等生に進化することはありえない。……当り前ですね。経済も同様。経済学者には理解しづらいようだが。)
結局、経済を改善するために、進化論を持ち出しても、まったく無意味なのである。経済のことは、経済の理論で説明すればいい。経済のことを、進化論で説明しようとしても、あまり意味はない。その方法では、「劣悪な企業が滅びること」は説明できても、「優れた企業が誕生して成長すること」は説明できない。
経済状況を改善するには、進化論や市場原理は、てんで役立たずなのだ。つまり、見当違い。
( ※ それをやっているのが古典派だ。具体的には、上記の人々。)
[ 付記1 ]
古典派の具体的な失敗例としては、次の例がある。
GMとクライスラーが倒産したとき、池田信夫は「つぶしてしまえ。公的資金を投入するな」と言った。しかし、仮に池田信夫の方針を取っていたら、国は税収を失い、莫大な失業手当を払わされて、大損だったはずだ。
現実には、オバマは公的資金を投入して、GM を救済した。結果的に、GMは立ち直り、公的資金はすべて回収された。政府は黒字化したGMや労働者から、多額の税収を得た。大成功。……ここでは市場原理とは逆の方針を取ることで、大成功を収めたのだ。
古典派の方針は、駄目なものをつぶすためには役立つが、良いものを生み出すためには役立たずなのだ。
[ 付記2 ]
経済において、良いものを生み出すためには、「駄目なものをつぶす」という方針では無効である。むしろ、「良い経営」が必要となる。
具体的に言うと、アップルがある。ジョブズ復帰以前のアップルは駄目だったが、ジョブズ復帰後のアップルは急激に改善した。ジョブズが良い経営をしたからだ。これが正しい方針だ。
一方、アップルが池田信夫の意見を受け入れていたら、「ジョブズ復帰」という道を取らず、「駄目なアップルを倒産させる」という策を取っただろう。「GMを倒産させる」というのと同様に。で、そうしていたら、今ごろはアップルは残っていなかったはずだ。
[ 付記3 ]
冒頭付近で、次のページを紹介した。
→ ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?
このページでは、批判のついでに、次の見解が示されている。
「子をたくさんつくるものがこの世に生き残る」
これは成立するか? 実は、成立しない。どちらかと言えば、次のことが成立する。
「子をたくさんつくる種は、生存率が低い種である」 i.e. 「子をたくさん作る種は、子をたくさん死なせてしまう種である」
子をたくさん生むかどうかではなく、子をたくさん残すかどうかが問題なのだ。では、どのような種が子をたくさん残すか?
実は一般的に言って、種の個体数を大幅に増やしている種は、ほとんど存在しない。たいていの種は、初期に急増したあと、安定期に入ると、個体数は一定である。たとえば、たいていの細菌は、子をたくさん残すが、子がたくさん死亡して、差し引きして、長期的にはほぼ一定数を保つ。たいていの生物がそうだ。
ついでに言うと、池にボウフラがたくさんふえると、指数関数的に増えたあとで、池がボウフラでいっぱいになって、ボウフラは全滅してしまう。これでは生き延びることができない。
生物にとって大切なのは、「子をたくさん作ること」(数を増やすこと)ではなくて、「子孫を絶やさないこと」(種が存続すること)だけである。
種の存続。これが大切だ。これができた種は今日まで存在し、これができなかった種は絶滅した。
この件は、前に言及した。
「数を増やす」ということは、まったく目的になっていない。「数を増やす」ということは、「自己複製」や「交配」においては、どうでもいいことなのだ。生物の原理は「系統の存続」つまり「種の継続」だけだ。それが可能だった種だけが生き延びてきた。
何より大切なのは、「世代の交替」である。つまり、「過去から未来へ」「先祖から子孫へ」という形で、その生物を存続させることだ。つまり、系統の存続だ。── これこそが、個体の死という宿命に縛られた生物において、唯一の絶対的な原理だ。
( → 生命の本質(総集編) )
一方、経済の原理は「利益を増やすこと」だ。それは生物の原理とはまったく異なる。経済の現象を、進化論のような生物の原理で説明しようとすることは、一般的に言って、とんだ見当違いだ。
「経済に進化論を持ち込むな」
これを結論としたい。
※ 以下は特に読まなくてもよい。
[ 余談 ]
ただし、進化論もうまく使えば、経済に適用可能だ。
前項では、赤の女王について言及した。Wikipedia では、「有性生殖における赤の女王」の話がある。この説はいかにも珍説である。「理屈のための理屈」つまり「屁理屈」と感じられる。では、なぜか?
実は、ダーウィン説というのは、「数の増加」を進化の原理とする。しかしそれが成立するのは、無性生殖の生物だけだ。(「突然変異と自然淘汰」だけで進化が起こるのは、無性生殖だけだ。)
ダーウィン説は、「無性生物の進化」の原理で、「有性生殖の理由」を説明した。それは方法論としては矛盾の極みだ。そんな方法論を採る限り、珍説とならざるを得ない。
では、有性生殖では、ダーウィン説と違って、どんな原理があるか? そこでは、進化の原理は、「量の増加」ではなくて、「質の向上」である。そして、「質の向上」は、「遺伝子の多様性」からもたらされる。
有性生殖では、多様な遺伝子から、多様な組み合わせが生じる。(交配があるので組み合わせが変更される。)……こうして、多様な遺伝子の組み合わせという試行錯誤のすえに、新たな種が誕生する。
たとえば、「首が長い」と「足が長い」という二つの形質は、有性生殖ならば、二つの遺伝子の交配によって、両者の遺伝子をともにもつ個体が誕生する。一方、無性生殖ならば、そのようなことはない。次のいずれかだ。
・ 「首が長い」遺伝子が生じたあとで「足が長い」遺伝子が生じる。
・ 「足が長い」遺伝子が生じたあとで「首が長い」遺伝子が生じる。
しかしながら、「首が長い」も「足が長い」も、それ単独では不利なので、かなり短期間でその遺伝子は絶滅してしまう。ゆえに、交配がない状況(無性生物の状況)では、二つの不利な遺伝子をともに備える個体が出現する可能性はほとんどない。
一方、有性生殖ならば、交配があるので、「二つの不利な遺伝子をともに備えると有利になった」という個体が出現する可能性がある。
位女は、私が前に述べたことだ。
→ 有性生殖の意義
cf. 進化論(ダーウィン説)の問題点 ,数の増加(生命の本質)
ダーウィン説を取るならば、経済において次の主張が妥当となるだろう。
「環境で生き残るためには、環境で最適化せよ。コスト低下のために、リストラや賃下げをせよ。ほんのわずかの有利さを少しずつ着実に積み重ねよ。いわばバントを積み重ねるように」
一方、私の説を採るならば、経済において次の主張が妥当となるだろう。
「環境で生き残るためには、どんどん進化せよ。進化するためには、多様な試行錯誤をせよ。そのためにはコストがかかっても技術開発をせよ。たくさんの試行錯誤のすえに、画期的な新製品が少しはできるだろう。いわばホームランを打つように」
歴史的な過程では、バントを積み重ねるような小進化もあるが、ときどきホームランのような大進化が起こる。そして、停滞の時代には小進化だけがあるが、激動の時代には大進化が次々と起こる。
日本企業が何をめざすべきかは、「小進化か」「大進化か」という区別からもわかるだろう。小進化ばかりをいくら重ねても、そこでは大進化は決して生まれない。そして古い種は、いくら小進化を重ねても、やがては滅亡するしかないのである。

劣等生をはいじょしても優等生が産まれるわけではありませんからね。勉強になりますありがとうございます。
ダーウィン自身は「進化(evolution)」という用語は使いませんでした。彼自身の思想としては万物はあくまで環境に合わせて変化したに過ぎず、元は同じものである。白人も黒人も同じ人間であるという思想が「種の起源」のベースになっています。もっともこの項はそれを踏まえた上で「ダーウィニズム」を経済に安易に応用することへの批判であると思いますので、これはあくまで補足です。
(進化論はシンプルな原理と思われているせいか、いろんなところで手軽に使われすぎですね。)