前に述べた記事は、こちら。
→ 4号機、危機一髪
その続報として、いっそう詳細となる情報が、新たに得られた。朝日新聞朝刊・1面 2012-03-08 による。一部抜粋しよう。
震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていたことが分かった。 シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。詳細は、記事を見てほしい。図があるので、図を見るといい。
水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。
しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。
( → 朝日新聞デジタル )
※ ただ、原発関係者でもなければ、詳しい事情を理解する必要はない。
偶然のおかげで助かった、ということだけ、理解しておけばいい。
※ 1号機は、菅直人のおかげで、運良く助かった。4号機は、もっとラッキー。
※ ただ、一番ラッキーだったのは、放射性物質の大部分が太平洋に流れたこと。
(浜岡原発の場合には、その幸運はありません。首都圏直撃です。)