2012年02月21日

◆ 怠け蟻と経済学

 働き蟻のなかには、ちっとも働かない蟻がいる。その理由は、「いざというときのための予備軍」という解釈がある。
 だが、経済学的には別の解釈ができる。「生産量が十分だから働く必要がない」と。 ──
 
 働き蟻のなかには、ちっとも働かない蟻がいる。いわば「怠け蟻」だ。その理由については、前に言及したことがある。
  → 怠け蟻 … 無用の用
 つまり、「いざというときのための予備軍」という解釈だ。「全員が働きずくめだと、いざというときに必要な労働力が得られないから、その集団は滅びてしまう」というわけだ。いかにもダーウィニズムふうの発想だ。
 私も「ごもっとも」と思ったので、上記の項目では肯定的に評価していた。
( ※ 詳しい話は、上記項目を読んでほしい。)

 ──

 さて。福岡伸一が読売新聞・夕刊 2012-02-21 で、この件について別の見方を示している。引用しよう。
 長谷川英祐さんの著書「働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)」によると、アリのコロニーを観察すると、ある瞬間、何もしていないアリは7割近くもいる。1カ月以上、観察を続けても、だいたい2割くらいのアリはサボり続けている。サボっているアリを排除しても、残りの集団のなかからまたサボるあるアリが出てくる。働き蟻と不届きものはあらかじめ遺伝的に決定されているのではなく、社会的な関係性のなかで必然的に生じている。
 これは、コロニーのなかに一定数の「遊軍」を常に温存しておいた方が、いざというときに有利だから、と説明される。しかし、いざというときは、永遠に来ないかもしれない。未来のどこかで役立つことが、あらかじめ準備され、それが自然選択を受けると考えることは、なかなか難しい。
 なるほど。「いざというときに有利」ということが実現するためには、実際に「いざというとき」がかなり高頻度で起こる必要があるわけだ。だから「いざというときに有利」という発想だけでは、十分に説明しきれていないわけだ。
 比喩的に言うと、「いざというときに有利」という理屈で、飢餓対策のために皮下脂肪のデブが有利かというと、そんなことはない。「いざというときに有利」という理屈は、あまり当てにならないのである。つまり、先に述べた「怠け蟻 … 無用の用」という箇所の説明は、ダーウィニズムふうでもっともらしいが、あまり信頼性がないわけだ。

 ──

 さて。ここで、次の発想が浮かぶ。
 「怠け蟻というのは、怠けているんじゃなくて、単に休憩を取っているだけでは? 人間だって、一年中働いているわけじゃない」

 そこで、ネットを調べると、次のような情報が見つかった。
> 働かないアリを取り出して、別コロニー状態にしても働かないままだった。
> 働くアリを取り出して、別コロニー状態にしたら働いたままだった。
( → 教えて!goo
 これは、冒頭の項目で引用した読売新聞の記事には反するようだ。

 どうも、いろいろな情報があって、ちょっと混乱してしまう。

 ──

 そこで、そういうことを離れて、私なりにゼロから考え直してみた。すると、経済学的な認識をすることで、次のように解釈できる。

 そもそも、働き蟻は全員が働かなくても、ちゃんと巣作りやコロニー維持ができる。とすれば、もともと生産量は十分なのである。生産量が十分であれば、あえて働く必要ない。
 仮に、全員が必死に働いたら、もう一つの巣を作ることができて、もう一つのコロニーを維持できるかもしれない。しかし、コロニーの個体数は決まっているのだから、意味がない。もう一つの巣を作っても空き家になるだけだし、また、もう一つの集団を維持できるとしてもその集団が存在しない。
 これを人間で比喩的に言うなら、無人島の農家が生産する量は、自分たちが食べる量だけでいい。10人の集団がいて、6人が働けば 10人が食えるとしたら、6人が働くだけでよく、残りの4人は働く必要がない。4人が働いても、余分な農産物ができるだけであり、腐らせるだけだ。住居にしても同様で、10人が住める住居があれば十分であり、誰も住む予定のない住居をもう一つ作っても、空き家になるだけだ。どっちにしろ、余分なものがあっても無駄になるだけだ。というわけで、6人が働けば済む状況では、6人が働くだけでいい。残りの4人は、「いざというときのための予備軍」という認識もできるが、「もともと働く必要がないから働かないだけだ」と見なす方がいい。

 簡単に言えば、怠け蟻がいること(全員が働くわけではないこと)の理由は、働き蟻の生産性が高いからだ。生産性こそが理由なのだ。
 そして、生産性が高いことの理由は、「何らかの過酷な環境があった場合の余力」だろう。たとえば、気温低下とか、気象異常とか、何らかの過酷な理由があって、巣作りやコロニー維持が困難になった年もあるかもしれない。そういうとき、生産性の低い種はすべて絶滅しただろう。一方、生産性の高い種は、過酷な環境を生き延びただろう。だからこそ、生産性の高い種が今日まで生き延びた。
 このように、「生産性」という経済学的な概念を導入することで、新たに説明をすることができる。
 
 [ 付記 ]
 この説明は、前の項目の「いざというとき」を具体的に説明しているだけだ、とも言える。その意味で、前の項目と矛盾しているわけではないし、むしろ、補足していることになる。
 福岡伸一の話では、「いざというときに有利だから、というのは、ちょっと変だ」というものだった。
 私の話では、「いざというときに有利だから」というよりは、「もともと余力があるものだけが生き延びる」というふうになる。そのことを経済学的な概念(生産性)で説明しているわけだ。



 [ 余談 ]
 福岡伸一は、怠け蟻の生き方を人間に敷衍(ふえん)して、「怠けることは素晴らしい」というふうに述べている。同じ記事から引用しよう。
 勤勉は美徳で、怠惰は悪徳だ。あるいは仕事を見つけることが最大の自己実現の方法だ。おそらくこれは誰かがつくりだした物語なのだ。あるいは、為政者が思いついた徴税の論理かもしれない。
 働きアリは実はサボりアリだった。怠けることは生物の本来的な生き方のマナーなのである。
 これは、私が前の項目で述べたことと、同趣旨だ。前の項目から引用しよう。
 怠けてダラダラしていることにも、立派に名分が立つのである。会社でグータラしているのも、立派な仕事なのだ。家でゴロ寝をしているのも、立派な仕事なのだ。文句を言われたら、「無用の用」と答えることにしよう。
 だからこそ、私は疲れたときには、酒を飲んで寝てしまうのだ。これこそ最も賢明な方法である。
 言っていることは、どちらも同じだ。私も福岡伸一も、よく似た発想をしている、と言える。
 だが、決定的な違いがある。それは、「私は冗談半分で言っているのに、福岡伸一は真顔で言っている」ということだ。私の冗談を彼は真顔で言うんだから、呆れてしまうね。 (^^);

 では、正しくは?
 蟻の生き方を人間に敷衍できるわけがないでしょう。当り前。ま、人間を「働き蟻」とたとえることはあるが、まともに字義通りで受け取るような阿呆はいないだろう。(冗談と真面目の区別ができないような、どこかの誰かは別だが。)

 それでも強いて敷衍すれば……
 蟻の生き方をそのまま人間に当てはめることはできないのだが、次のような認識はできそうだ。
 「IT化にともなって、生産性が向上したので、世の中の人々は昔ほど働かなくても、十分に生きていけるようになった。ところが、そのことを、『労働時間の短縮』という形で享受するかわりに、『失業者の発生』という形で一部の人々にしわ寄せが来ることになった。そのせいで、『賃下げ』などの問題が発生した。その結果、大多数の人々はどんどん貧しくなり、一方、『賃下げ』による効果で金持ちはますます豊かになっていった。かくて、貧富の差が拡大した。少数のIT長者が発生する一方で、大多数の人々は貧困化していった。IT化の時代には、『貧富の格差の拡大』という形で、少数の金持ちと、大多数の貧者という形に分離した」


 蟻の世界では、怠け蟻もまた同等の配分を受けて、十分に生きることができる。しかも、怠け蟻も働き蟻も遺伝子的にはほぼ同一だ。とすれば、自分の分身がサボっているようなものであり、ことさら誰かが得をするとか損をするとかいうことはない。全体としてはコロニーの維持ができており、絶滅することもない。
 人間の世界では、失業者や派遣労働者は、ごくわずかな配分しか受けられず、まともに生きることができない。結婚することもできず、子孫を残すこともできない人が結構いる。その一方で、少数の金持ちはわが世の春を謳歌するが、別に彼らがたくさんの子供を残すわけではない。結果的に、社会全体としては、少子化が進行して、社会全体は衰退していく。最終的には絶滅に至る。

 福岡伸一は「蟻の生き方を人間に敷衍できる」と思ったようだが、とんでもない。逆だ。敷衍できるどころではない。……その意味は、「人間は蟻よりもはるかに利口だ」ということではなく、むしろ、「人間は蟻よりもずっと愚かだ」ということだ。少子化で絶滅に向かっている日本社会を見れば、そのことがわかる。
 で、このような「少子化」や、それをもたらす「貧富の格差の拡大」という問題に目を向けずに、「IT化の時代はすばらしいなあ、ニートって素晴らしいなあ」なんて思って、ラブプラスなんかで喜んでいるのが、現代人だ。だからますます少子化が進行するんですけどね。




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 [ 補足 ]
 (アリでなく)ハチについては、数学的な発想で考えることもできる。
 ハチもまた、アリと同様に、働き蜂のほかに、怠け蜂というものがいる。( → 前述の、長谷川英祐の本 )
 さて。ハチの場合は、アリと違って、巣は一定の堆積をもつ。すると、次のように言える。
 「働くことのできるハチの数は、巣の表面積によって上限がある。上限を上回る分のハチは、分担する場所がないので、働けない」

 
 比喩的に言うと、生産ラインに着ける労働者の数が 100人だとしたら、130人がいても、30人は必然的に遊ばざるを得ない。働くための場所がないからだ。
 コロニーでも同様だ。巣を作るにしても、巣の表面積は一定だから、たくさんのハチがいても、全員が巣作りに参加できるわけでもない。幼虫にエサをやる仕事にしても、幼虫の数は限られているし、食べられる量も限られているから、やたらとエサをやればいいというものでもない。
 仕事の量の上限は、空間的に決められているのである。それ以上の仕事は、したくても、しようがないのだ。(物理的に不可能。)
 つまり、「怠けたいから怠けている」のではなく、「働きたくても働く場がない」から働かないだけだ。
 人間は「誰もが働かないと不平等だ。怠けているなんてけしからん」と思って、精神主義を取るのだろう。だが、ハチはもっと賢明なので、「働けないときには働けません」という合理主義を取るのだ。ああ、何と合理主義!
posted by 管理人 at 20:07| Comment(1) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この例で人間が愚かで、蟻が賢いとすると、単に共産主義を讃えているようにも見えましたが、そうではないですね。

ヒトはアリと違い労働と対価、待遇について他者と比較してしまうところがあるので、成果を出した人が厚遇される社会であるほうが望ましい。けれども南堂さんのおっしゃるように、働きたくても働けない人がいる状況があるのにその人たちが冷遇されるのもおかしいですね。
このバランスの解決が政治でできるのか、ですね。

いつも考えさせられるブログをたくさん書いていただき、いつも楽しみにみさせてもらっています。今後も拝読させていただきます。
Posted by ジョン ヘンリー at 2012年02月23日 08:48
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