放射線よりも危険なものとして、自動車による交通事故がある。 時速 30キロ では危険だ。
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ちょっと古い記事だが、朝日新聞・朝刊 2011-12-30 では、危険なものの順位として、次の順が示されていた。
1. 喫煙 2. 飲酒 3.自動車
より詳しい話は、下記にある。
→ 朝日新聞
→ その転載
このうち、自分でコントロールすることで危険度を下げることができるのは、喫煙と飲酒だ。自分が「やめよう」と思えば、これらのリスクをゼロにできる。
一方、自動車は自分ではコントロールできない。道を歩いているところへ、自動車が勝手に突っ込んでくることがある。
実を言うと、私自身、これまで「もうちょっとで自動車に轢かれそうになった」という体験は、何十ぺんもある。私が今現在、自動車に轢かれず生きているのは、偶然の結果にすぎない。ちょっと運命がズレていたら、交通事故で死んでいたはずだ。
自動車というのは、これほどにも危険なものなのだ。
では、その危険度を下げることは、可能か? 私には不可能だが、社会には可能だ。次のようにすればいい。
「歩道と車道が分離していない道路(生活道路)では、自動車の速度を時速 10キロ以下にする」
このようにしていれば、私が自動車に轢かれそうになったという事例は激減する。というのも、私が危険な目に遭ったのは、ほとんどが上記の場合だからだ。
自動車が車道を通っている限り、車道に出た歩行者の交通事故は、自動車の責任ではないだろう。(横断歩道を除けば。)
しかし、車道と歩道の分離していない生活道路で、自動車が高速で突っ走れば、その危険度(歩行者にとって)は非常に大きくなる。
どうせなら、自動車が速度を落としてくれればいいのだが、ときどき「時速 30キロ」という標識が立っている場合がある。すると、その道路だけは、生活道路で幅が狭くても、自動車が 時速 30キロで(住宅街の)狭い道を突っ走る。ここでは、交通標識は、「生活道路で速度アップして危険度を高めよ」という、逆効果の意味しか持たない。
なぜか? その道以外では自動車は 時速 10キロぐらいでのろのろ走っているのに、その標識がある道路に限って時速 30キロで突っ走るからだ。
実際、このような道路の交差点では、しばしば交通事故が起こり、歩行者が自動車に轢かれる。頭から血を流して倒れている若者を見たこともある。(生死不明。)こういう事故が起こっても、警察は「時速 30キロ」の標識を捨てないから、相も変わらず自動車が時速 30キロで突っ走る。(実は、大半の自動車は時速 10キロぐらいでのろのろ走るのだが、ときどき時速 30キロで轟音を立てて突っ走る自動車が出現する。そのとき、非常に危険度が増す。)
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というわけで、自分の命を守りたければ、放射線が微量に含まれているのかどうかを考えるより、交通事故の速度制限をするべきだ。「歩車道が非分離の生活道路では時速 10キロ」というふうな。(実際には 時速 15キロぐらいまではお目こぼしになるが、15キロを超えたら断固 検挙するべきだ。)
測定限度ギリギリの放射線の有無なんかを心配するくらいなら、交通事故による死を心配しよう。特に、東京を離れて沖縄なんかに移住すると、交通事故の死亡率は大幅に上昇しそうだ。(沖縄は坂が多いせいで、電車がほとんどなくて、自転車も少なくて、自動車ばかりだから、交通事故の危険度はとても高い。福島の放射線よりもはるかに危険だ。福島の放射線で死ぬ人は一人もいないが、沖縄で交通事故で死ぬ人はたくさんいる。……ただ、ニュースにならないだけだ。)
[ 付記 ]
どのくらいの危険度か、という話は、朝日の記事を参照。
自動車の危険度は3位で、原子力の危険度は 20位。自動車の危険度は、飲酒以下で、肥満以上だから、1.3倍ぐらいか。これは放射線換算で、ざっと 50ミリシーベルトぐらいに相当するだろう。
なお、これは、「短時間に 50ミリシーベルトを浴びた」という極端な場合に相当する。年間で 50ミリシーベルトを浴びた場合は、それよりも大幅に危険度は下がる。
年間 10ミリシーベルトの福島市では、放射線の危険度は、交通事故の危険度に比べて、ほぼゼロに近い危険度だと言えるだろう。福島市民が注意するべきことは、放射線じゃなくて、自動車だ。放射線で死ぬ可能性はゼロだが、自動車で死ぬ可能性はかなりある。死ななくても、ケガをする可能性なら、結構ある。
母親だったら、子供の命を心配するなら、福島から逃げるよりは、近づく自動車から子供を守る方がいい。実際、子供をほったらかしにしている母親は、すごく多い。子供が危険な目に遭っている(とんでもない方向にヨチヨチと歩いていく)情景を見ることは、結構あるからだ。
【 関連項目 】
→ 放射線よりも危険なもの(いろいろ)
交通事故のほかにも、あれやこれやと、危険なものはたくさんある、という話。
2012年01月22日
過去ログ
正しい認識でしょう。
問題の本質は、本当に危険か?や、何がより危険か?、などといったことではなく、
(線量を規制した)法の規定が守られてないという事実。
問題の本質を突くことを得意とする管理人殿らしからぬ論旨の展開です。
国家存亡の危機において、平時ののんべんだらりとした規定を適用するべきか?
比喩で言うと、大火事のさなかで、消防署員の「ディズニーランドで遊びたい」という遊休休暇願を認めるべきか?
規則重視で現実への対応ができないことを「杓子定規」といいます。公務員の特徴。
あなたのような人は、「ジェネラル・ルージュの凱旋」という小説を読むことを、強くお勧めします。
ちなみに、国際的な組織の勧告では、「平常時の規定を緊急時に当てはめる必要はない」とはっきり勧告されています。これが科学的な標準です。
換言すれば、「緊急時において守るべき基準よりも、はるかに厳しい規定を、平常時には取る。念のために」という予防安全の発想があります。
平常時には必要以上に厳しい放射線基準を取るべきだ、というのが国際的な常識です。それを否定して、「平常時も緊急時も、同じく最低限の基準だけでいい」というあなたの発想は、あまりにも甘すぎます。そんなことを言う人は、放射線に対して甘すぎるので、原発業界の味方だと思われかねない。
>正しい認識でしょう。
そうではなく、「低線量被爆の危険性は
あっても他の生活上の
健康被害に隠れて見えない。」というのが
正しい認識ですよ。
あの(笑)武田教授ですら
「個人的には5mSv/年くらいは問題ない」
って明言してますw
分からない=危険と取る人が
放射能ノイローゼに陥りやすいです。
そんなことでストレスを溜めていたほうが
よっぽど目に見える健康被害が出ます。
ストレスによる免疫力低下も立派な発ガン作用です。
人の文章はちゃんと読みまししょうと、常々管理人殿も指摘されていますよね。
私がなぜ原発業界の味方?
>「平時の」法の規定を、「緊急時に」当てはめるべきか、という問題。
とする認識は、
緊急避難や正当防衛、あるいは非常時の超法規的措置、などには当てはまりますが、
現状はいずれでもありませんからね。
政府が非常事態を宣するなどの相応の措置をとっているのなら、そのような主張も
妥当性を持つかもしれませんが。
政府はいつ「緊急事態だから法規制に従わないで良い」と宣したのですか?
現実は、「平時」にもかかわらず、なし崩し的に違法状態を容認しているということ。
これが、法治国家としての問題の本質。
私は低線量被曝の危険性をどうこう言ってはいませんよ。
個人的な「勘」でしかありませんが、危険性の認識は管理人殿と変わらないと思います。
ただ、法に従わないことを良しとするには、相応のハードルがあるということです。
そういう意味ではありません。すでに説明してある文章を理解できなければ、もう仕方ないので、これ以上は説明しません。わからない人は理解できないままでいい。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024053000438&g=soc
一歩前進のように見えるが、時速 30キロ では速すぎる。20キロか 10キロにするべきだ。