「放射線はわずかであっても有害だ。ゆえに放射線ゼロをめざすべきだ」と主張する人がいる。これはホメオパシーと同様だ。(似たり寄ったり。そっくり。) ──
「放射線はわずかであっても有害だ。ゆえに放射線ゼロをめざすべきだ」
と主張する人がいる。武田邦彦や早川由紀夫などが典型的だが、これらの人々を批判する合理主義者でさえ、同じように主張して、早川由紀夫のような狂人を擁護することがある。
→ http://togetter.com/li/227633 (コメント欄)
しかし、反対論者が指摘しているように、放射線は「たとえ少量でも有害である」という毒物(青酸カリやカビ毒)などとは違う。むしろ、塩や醤油のように、「少量であればまったく無害である」と言える。なぜなら、塩や醤油は、少量ならばそれを体外に排出するシステムが生体に備わっているからだ。(塩や醤油が有害になるのは、処理能力の上限を超えた場合だけである。)
この意味で、少量ならば悪影響が皆無である塩や醤油と、たとえ少量でも確実に有害である毒物とは、事情がまったく異なる。毒物ならば「できる限りゼロにするべきだ」と言えるが、塩や醤油は「できる限りゼロにするべきだ」とは言えない。むしろ、「塩をゼロにすると人間は死んでしまうので、少量の塩は絶対に必要である」と語るべきだ。
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放射線の場合はどうか? 明らかに、青酸カリのような毒物ではない。では何に近いかと言えば、塩素に近いだろう。
・ 生体に対する生理的な有害機構が存在しない。(神経毒とは異なる。)
・ 物理的に生体を刺激する効果(善悪とも)は存在する。
ここで、「善悪とも」と述べたが、この善悪は、次のように評価される。
・ 衛生効果 (有害な細菌類を滅菌する)
・ 弊害 (生体自体にも何らかの悪影響を及ぼす)
これはちょうど、薬の場合と同様である。
・ 薬効 (病気を改善・治療する)
・ 副作用 (他の点で何らかの有害な点がある)
ここで、副作用ばかりに着目して、薬効を無視するのが、ホメオパシーだ。
「現代の薬剤は副作用があるから有害だ。ゆえに副作用ゼロをめざすべきだ。そのためには、薬効も副作用も何もない砂糖玉( or 水 )がベストだ」
という発想である。例としては、「スズメバチに刺されたときにも、ただの砂糖玉で済ませよう」という人がいる。
→ アナフィラキシーショックをホメオパシーで治した!
ホメオパシーは、副作用ばかりに着目して、副作用ゼロをめざす。これはちょうど、(塩素の)弊害ばかりに着目して、衛生効果を無視するのと、同様である。
現実には、人々はそんな馬鹿げたことをしない。塩素による弊害よりは、塩素による衛生効果を優先する。だからこそ人々は、塩素入りの水道水を飲む。(やたらと塩素が多すぎると、不味いので、不評となる。だが微量ならば、塩素があっても、不味いというほどのことはない。……もっとも、ミネラルウォーターにこだわる人もいるが。これはまあ、ホメオパシーの信者と、ちょっとは似ているかもしれない。)
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ともあれ、塩素には、善と悪の面がある。薬物にも、善と悪の面がある。そして一般的には、善が大きくて悪が微量であれば、その物質(塩素や薬物)を「有益」と見なす。
ところが、ホメオパシーの信者は、そういう「善悪の比較」という発想ができない。単に微量の「悪」の面だけに着目して、「悪をゼロにせよ」と言い張る。そのあげく、微量の「悪」を捨てると同時に、巨大な「善」を捨ててしまうことになる。
これがホメオパシーの発想だ。
そして、ホメオパシーの発想と同様のことが、放射線についても広く見られる。
・ 放射線はたとえ微量であっても有害である
・ 微量の有害性をゼロにするためには、プラスの面を捨てても構わない
ここでは「善悪の比較」という発想が欠けているのだ。……ホメオパシーの場合と同様に。つまり、「放射線をなるべくゼロにせよ」と主張している人々は、ホメオパシーの信者と似たり寄ったりなのである。
[ 付記 ]
放射線には、ある程度の有益性がある。このことは、次の二点で示される。
・ ホルミシス効果 (特に活性酸素の悪影響をなくすこと、など。)
・ 衛生効果 (塩素と同様で、滅菌効果がある。)
放射線と聞くと、毒物のように見なす人が多い。(医者ですら毒物と混同している人が結構いる。)しかし、放射線は、毒物ではない。生体に対して毒となる機構が働かないからだ。どちらかと言えば、塩素と同様で、物理的な影響だけがある。
そして、このような物理的な影響は、致命的なものではない。「広く浅く」というタイプの悪影響にしかならない。最悪の場合ですら、DNA の塩基の異常とか、免疫系の細胞損傷による機能低下などである。生体に対して息の根を止めるような機構は、働かない。
そして、「広く浅く」というタイプの悪影響に対しては、生体における防御機構が存在する。
・ 遺伝子エラーの自己修復
・ 動的平衡による細胞の交替(新陳代謝)
要するに、生体は、金属のように不変の物質ではなく、絶えず少しずつ自己再生して自己修復しているものなのだ。そのおかげで、微小な損傷は、常に修復されていく。
例示的に言うと、金属に傷を付けると、その傷はいつまでもそのままだが、人間の皮膚や筋肉や骨に小さな傷が付いても、その小さな傷は自動的に修復されて、痕跡を残さない。ただし、あまりにも大きな傷になると、修復不可能となる。死に至ることすらある。だが、「大きな傷があると修復不可能だから、小さな傷だって必ず少しは傷が残る」という認識は、誤りである。小さな傷ならば、完全に修復されてしまうのだ。それが生物というものの特性である。
この点は、下記で図示した。
→ 微量放射線の影響
ともあれ、放射線は、毒物ではない。「なるべくゼロであるべきだ」ということはない。むしろ、塩素のように、物理的に作用するものだ、と理解するべきだ。そうすれば、「ゼロにするべきということはなく、善悪を比較するべきだ」とわかるはずだ。そして、そうわかれば、「副作用が少しでもあるものは決して許せない」という、ホメオパシーみたいな発想から離れることができるだろう。
そしてまた、「生体は金属のような物質とは異なり、ホメオスタシスや動的平衡のうちにあるダイナミックな存在だ」ということにも、気づくだろう。
[ 蛇足 ]
誤解されると困るが、「微量放射線はあった方がいい」と断言しているわけではない。「マイナス面があるだけでなく、プラス面とマイナス面の双方がある」と述べているだけだ。そして、プラスとマイナスの合計値がプラスになるかというと、「イエス」とは言わない。「今のところは詳細が不明である」としか言いようがない。
ただ、どちらかに賭けるしたら、私個人としては「イエス」の方に賭けたい。とはいえ、かける金額は、ごく小額だ。昼飯代ぐらいしか、賭ける気はしない。
というわけで、「詳しいことはよくわかっていない」というのが、妥当な評価だろう。本項ではとりあえず、「マイナスばかりだ」という見解を否定することを主眼にした。「プラスの方が多い」とまでは断定していない。
2011年12月17日
過去ログ
「今のところは詳細が不明である」にもかかわらず、「全く問題ない」と言い切る方がおられるので、面倒な事になるようにも思います。
「不明だけど、そんなに大したことないよ」ということを、いろんな実例で逐一示すしかないのではないでしょうか。
おまけに塩素などと違い、微量でも漏れることはないと喧伝されていたものが広域に大量に拡散されてしまったことが、不信感を募らせてしまっています。
VOCや電磁波や低周波騒音などのように、個人的な感受性の差についても今のところ良くわからない気がしますので、大抵大丈夫でも中には重大な悪影響を被る人が出る可能性もあるわけで。
現時点では正確な観測データを逐次公表することと、メリット・デメリットを含めて多方面の分野からの見解を提示して「あとは自分で判断してね」と言うよりないのではないでしょうか。
何を重視するかという価値観は人それぞれですし(健康のためなら死んでもいい、など……)。
それでもって何十年か後に、微量放射線のメリットがデメリットを凌駕することがデータ的にはっきりすれば、原発廃棄物の有効利用として地域放射線放出センターなるものが出来るなんていう可能性が出てくるのかもしれませんが。