福島県の除染について、米紙は次のように述べた。
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は6日、東京電力福島第1原発事故後取り組まれている除染とそれに対する日本での論議を紹介し、「日本再生を示す」との積極論の一方で「最大の浪費事業になるかもしれない」との悲観論もあることを指摘した。コネティカット州というのは、調べてみると、米国では小さな州だが、広さは福島県を少し上回る程度だ。つまり、「福島県全域で除染が必要だ」と見ていることになる。しかし、そうか?
同紙は除染を「巨大な規模」とし、専門家は「数千の建物を洗浄し、コネティカット州並みの広さの地域で多くの表土を交換して初めて住民は戻れる」とみていると説明した。
( → 共同通信 )
私の前に示した図を見るといい。
→ 放射線の分布地図(群馬・栃木の土壌)
この図を見ればわかるように、「福島県全域で除染」は必要ない。必要なのは、次の3箇所だ。
・ 半径20キロの円内。
・ 北西に延びた飯舘村のあたり。
・ 福島市・郡山市 (放射線はちょっと高いだけ)
全部合わせても、福島県全体の1割程度の面積でしかない。また、飯舘村のあたりは、住居以外のほとんどは森林だから、特に除染の必要はない。
除染の範囲が広くなるとしたら、それは、農地を除染した場合だ。この場合には、ものすごく多額の費用がかかる。それでいて、得られるものは、ゼロどころか、マイナスだ。(農地はプラスの生産価値を持たない。保護貿易で守られているだけであり、日本にとっては存在自体が負担となる。むしろ、なくなってしまった方が得をする。)
つまり、マイナスの価値を持つもの(赤字を生産するもの)を得るために、莫大な費用がかかるだけだ。だったら、そんなものは、回復しなければいい。単に放置すればいい。そして一定の賠償金を払うだけでいい。……永久に放棄するわけではなく、百年ぐらいたてば、放射線も微量になるだろうから、そのころに農地にでも何でも好きなようにすればいい。
ともあれ、農地の除染という馬鹿げたことをやらなければ、たいして問題はない。いちいち騒ぐ必要はないのだ。人の住んでいるところだけ、きちんと除染すればいい。
[ 付記 ]
ついでに、「避難者の帰宅の是非」について考える。(除染とは関係ないが。)
半径 20キロの領域について、政府は「長期間の帰還困難」の領域を定めるらしい。
→ 長期帰還困難区域を設定へ
帰還許容の基準は、年 20mSv が達成されるか否か、であるようだ。
しかしこれは、一律に決めるべきものではない、と私は考える。
というのは、70歳以上の老人もたくさんいるからだ。これらの老人は、住み慣れた家に暮らす方が、死亡率が下がるはずだ。
放射線による発癌の率なんて、ごく小さい。年 100mSv だって、わずかであるにすぎない。
一方、高齢者が自宅から離れると、死亡率は極端に高くなる。そっちの方がずっと問題だ。実際、飯舘村にいた老人が、避難先でかなり死んでしまった。
また、老人の自殺者も続出している。
→ 計画的避難区域で自殺者相次ぐ
要するに、「自宅から離れる」ということは、放射線をはるかに上回る死亡要因となる。とすれば、高齢者については、帰宅するかどうかは、自分の判断に任せていいと思う。行政が否応なしに「禁止」処分にするのは、年 20mSv ではなく、年 100mSv だろう。