福島の原発事故では、死者は一人も生じなかった。ゆえに放射線は危険ではない……という説がある。
しかし、これが論理的には成立しないということは、簡単にわかる。健康被害は、死だけとは限らないからだ。たとえば、次の例がある。
・ 手足の切断(壊疽)
・ 失明
・ 各種の機能障害(視覚・聴覚・痛覚など)
これらの例では、死亡率は上昇しない。しかし、健康被害がある。そのような健康被害は、看過できるか? もちろん、できない。
ゆえに、死亡率だけで、問題の是非を論じることはできない。なのに、「死者が出ていないから危険ではない」と断じるのは、詭弁である。
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同様のことを、池田信夫が語っている。
今回の事故でわかったのは、むしろOECD諸国の原発事故は、最悪の場合でも死傷者は出ないというpleasant surpriseである。この見解は二重の意味で間違っている。
( → 池田信夫ブログ )
(1) 今回の例は、「最悪の場合」ではなく、「幸運な場合」だったにすぎない。たとえば、次の幸運があった。
・ 首相が菅直人だったので、東電の措置をひっくり返した。( → 別項 )
・ 原発の爆発事故(14日)の直前(12日)に、菅直人が周辺住民に退避を命じた。
・ 4号機の暴走回避はただの偶然だったらしい。( → 別項 )
このような幸運がなければ、莫大な死傷者が出ていた可能性もある。たとえば当時の首相が鳩山か野田だったら……と考えると、身の毛がよだつ。その場合、住民が大量の放射線を浴びた可能性は、非常に高い。具体的には、次の量だ。
→ 福島の放射線の経日変化
(2) 本項冒頭でも述べたように、原発の被害は死者だけではない。また、普通の意味での「死傷者」とも違う。なぜか? 放射線の被害は、目に見えるような、はっきりとした「死」や「病気」とは限らないからだ。
放射線障害の典型的な症状は、「原発ブラブラ病」である。その意味は、「特定の一家章が損傷して致命的になるのではなく、全身の健康がまんべんなく少しずつ損傷して寿命が少し縮まること」である。
図形的に示すと、白い正方形のなかで、特定の一箇所に黒いシミができるのではなく、白い正方形全体が少しだけ灰色になることだ。このような形で、生命が全般的に少しずつ損傷する。
その結果が、原発ブラブラ病だ。決して死ぬわけではないのだが、生命活動全般が低下する。何をやるのも疲れるし、仕事もろくにできなくなるし、「生きている」ということ自体が少しずつ傷つけられる。
池田信夫の例に当てはめるなら、彼は殺されることはないが、疲れやすくなり、起きている時間が短くなり(眠る時間が多くなり)、何をやっても楽しくないし、仕事の能率もいくらか低下するし、所得もいくらか低下する。子供を産む能力も損傷する。
こういう形で「殺さずに生命を痛めつける」というふうにするのが、放射線だ。だから、「放射線は死傷者を出さなかったから問題ない」ということは、ありえないのだ。
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この件については、前に「放射線被害と原爆症」という項目で詳しく論じた。そこから一部抜粋すると、次の通り。
- ここでは、「死なないから大丈夫」ということは成立しない。たとえ死ななくても、その生命は部分的に損なわれているのだ。 とすれば、「癌になっていないから大丈夫だ」「死んでいないから大丈夫だ」ということは成立しない。 というわけで、放射線の危険性は、「発癌率」や「死亡率」で測れるものではない。
- DNAは、生物において、生命を維持するものだ。それが損傷すれば、生命の維持活動が損なわれる。 たとえば、血液を作るにせよ、細胞膜を作るにせよ、何らかの代謝をするにせよ、そこでは常にDNAが働いている。DNAは生命の分子活動全般で作用している。そのDNAが損なわれたら、生命活動がおかしくなるのは当然のことだ。
- 放射線の危険性は、「死亡率」や「発癌率」では測定されない。放射線を浴びることは、いわば、「砒素や農薬を飲むこと」に近い。砒素や農薬を飲むと、どうなるか? 大量に飲めば死ぬ。だが、少量飲んだだけでは死なない。内臓の機能が損なわれて、だるくなって、健康がそこなわれるだけだ。それはいわば「半分死んだ」というような状況だ。ここにおいて、「死亡率」や「発癌率」を調べて、さして違いがないという結果を得て、「砒素や農薬は煙草よりも危険でない」と述べても、何の意味もない。
- 「原爆症」というものについて学んだ方がいい。その被害は決して死亡率では測れないのだ。 原爆症の人々が、生きていてもどれほど悲惨な目に遭ったか、理解した方がいい。人の苦しみや悲しみについて、もうちょっと共感できるだけの優しさを持った方がいい。
- われわれがなすべきことは、「微量の放射線でもすごく怖いぞ」と言って、危険性を過大評価することではない。「放射線を浴びても死なないから大丈夫だぞ」と言って、危険性を過小評価することでもない。「放射線は、人を死に至らしめなくても、人の生命を部分的に損なうことがある」と正確に認識した上で、「まさしく放射線で健康を害した人々がたくさんいる」という現実を直視することだ。
視点を変えて論じよう。
放射線による健康被害は、死や病気(特定の病気)とは異なり、全般的な健康低下だ。このことは、比喩的には、どう言えるか?
上記では、「砒素や農薬を飲むことに近い」と述べた。ただ、どちらかと言うと、「酒や塩素」を飲むようなものだ、とも言えそうだ。
「酒や塩素」は、大量に飲んだ場合には、致死的になる。実際にそれで死んだ人もいる。また、肝臓などの内臓をやられてしまって、ひどい健康障害になった人もいる。(飲んべえには多い。)
一方、少量のアルコールは、健康を増進する。養命酒が有名だが、似た効果は、結構見られる。特に、緊張した神経をリラックスさせて、副交感神経の支配下に置くことで、免疫系を改善する効果が大きい。
また、塩素は、少量であれば、雑菌を滅菌するので、健康に有益だ。
ここでは、「有毒なものは有害だ」ということは成立しない。次のことが成立するからだ。
・ 酒 …… 過度に興奮した神経を鎮静することで、健康状態に戻す。
・ 塩素 …… 有害な菌類を滅菌することで、健康への有害さを減らす。
これは「毒を以て毒を制す」という発想に似ている。毒は確かに有害だが、小さな毒が他の大きな毒を殺す効果があれば、その毒はかえって有益なのだ。
その発想で使われる例が、漢方薬だ。漢方薬は、たいていは毒物成分を含む薬草なのだが、健康な人にとっては有害なだけだとしても、不健康な人には有害性を上回る有益性(病気の改善)をもたらすことがある。ここでは、有益性でない部分は「副作用」と呼ばれる。このような「副作用」は西洋医学の薬にもある。
だから、「有毒な物は危険だから使うな」という発想を取ると、その発想からは「副作用のある薬物を使うな」という発想が生まれる。そして、これは、ホメオパシーなどの自然崇拝思想と同じだ。「人工的な物は有毒だから危険だ。自然の物は有毒成分を含まないから安全だ」という発想を取ると、正常な医学を拒み、健康をそこなうことになる。
以上からわかるだろう。
「放射線はどんなに少量であっても有害だ」という発想は、ホメオパシーの発想と同じなのだ。それはいわば、「塩素は有害だから危険だ」という理由で、水道への塩素含有を拒否して、雑菌によって下痢になるようなものだ。(下手をすると死ぬ。)
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結局、放射線について、人々の理解は両極端の形で、不正確になりやすい。
・ 「放射線は、死をもたらさないから安全だ」(池田信夫など)
・ 「放射線は、どんなに微量であっても危険だ」(武田邦彦など)
これらの発想は、いずれも物事を正確に認識できない発想だ。簡単に言えば、「目が偏見に曇っている」状況だ。
真実を見るには、偏見を除くしかないのだが、そういう公正な思考を取ることは、容易ではない。特にマスコミは、偏見だらけのデマをまき散らすのが好きだから、偏見をまき散らす学者が好まれる。それゆえ、上記のような極端なデマゴークばかりがテレビをにぎわす。
まともなことを言う人間は、視聴率を取ることができないから、マスコミからははじき出される。
危険なのは、放射線ではなくて、人々の発想なのである。
[ 付記 ]
池田信夫は「致死量」という概念を理解していないようだ。
致死量とは、急性毒性試験などで示される量だ。その量を取ると、致死的になる。ただし、その量未満が「安全だ」ということを意味しない。「慢性中毒」という形で非致死的な健康障害が発生することもある。
「 100mSv/y 以下ならば致死的でないから安全だ」なんて言っている池田信夫に、「致死量とは何か」という医学的知識を講釈してあげる人がいるといいのだが。……私が言っても聞かないようだから、どこかのお医者さんが講義してあげるといいだろう。
というか、池田信夫に「自分で読め」と言ってやってもいいのだが。……とはいえ、人の指摘を受け入れる人だとも思えないしね。 (^^);
【 追記 】
放射線のメリットは、塩素と同様で、殺菌(殺ウイルス)の効果だ。前に論じた通り。
→ 微量放射線と乳幼児
他にも、微量放射線の有益性は、「ホルミシス効果」として知られている。この意味で、微量放射線に何らかの有益性があることは、すでに知られている。
簡単に言えば、微量放射線は人体にとって少しは有害だが、人体への有害性よりも、細菌やウィルスなど(人体に有害なもの)への有害性の方が上回れば、「毒を以て毒を制す」となるので、総合的には人間にとっては有益となる。
なお、まき散らすだけなら、塩素をまき散らす方がずっと有害だ。死者が出る。(塩素ガスは人を殺すための毒ガスとして戦争で使われた。 → 出典 )
《 注記 》
実を言うと、「毒を以て毒を制す」という発想は、近代医学(薬学)の発想そのものである。どんな薬にも副作用があるが、副作用を上回る有益性があれば、その毒物は薬と呼ばれて有益になるのだ。(あらゆる薬はすべて弱い毒物だと言える。)
一方、これを否定する立場が、近代薬学を否定するホメオパシーなどだ。
「微量放射線は、どんなに有益性であっても、少しは有害性があるのだから、駄目だ。放射線はゼロにするべきだ」
という主張もあるが、それは、
「近代医学の薬物は、どんなに有益性であっても、少しは有害性(副作用)があるのだから、駄目だ。薬物はゼロにするべきだ」
という近代医学否定論者と同様なのである。(このような近代医学否定論者は、ホメオパシー信者に多い。ホメオパシー信者は、近代医学を否定するのが普通だ。)
その意味で、「微量放射線は有害性があるから許せない」と息巻く人は、ホメオパシー信者と、親和性が高い。
[ 余談 ]
危険なものは、放射線以外にもいっぱいある。その例として、ただの肉がある。肉をたくさん食べると、癌で死ぬ確率が上がる。
→ 肉類を食べる量が多いと、結腸がんになるリスクが約 1.5倍高い
【 関連サイト 】
「福島の放射線量の現状」について。
福島の放射線量は、現状ではどうなっているか? 下記にデータがある。
→ http://twitpic.com/7e4op1/full
時間につれてどんどん減っているようだ。福島市と郡山市では、1μSv/h (≒ 9mSv/年)以下になっているようだ。このくらいなら、除染も特に必要ないかもしれない。(このくらいの放射線は、あった方が有益だ、とすら言える。塩素の場合と同様だ。私が思うに、これらの地域では、風邪の発生率が少し下がるだろうし、風邪による死者も少し下がるだろう。これらの都市以外では、放射線被害がないかわりに、風邪による死者が多めになるだろう。ちなみに 2009-2010 シーズンの風邪の死者数は 198人。)
それと同等に一部の反原発派のように
「福島の住民は全員疎開させろ」という極論も
「被曝での健康被害は受けないが
故郷や家、仕事を失ったことによる
鬱病や精神的健康被害や
根拠の無い差別を受ける」
というのもありますよね。
チェルノブイリでも同じようなことがあり
福一の事故直後も警鐘が鳴らされましたが
現状の日本もまったく教訓を学んでませんね。
<避難 差別に苦しむ日々>朝日新聞11月25日
キエフで校長を務める方の証言
「最もショックだったのは、避難先の海岸で
泳うとしたら、地元の人たちに、放射能がうつる
からと、海岸に隔離用の壁をつくるように言われたこと」
キエフ在住の作家の証言
「専門家でない人がうわさを流し、政府の
言うことを信用できない人がそれを信る・・・」
避難や移住を強いられた人々
「・・・故郷を失ったことだけでなく、移住先の
住民とのあつれきなどによって強い精神的ダメージを受けた」
避難者ニコライさんの父
「うつ状態になり、奇行が始まった。
食事のあとにいきなり皿をゴミ箱に捨てたり、ずっと大声で泣いたり」
・ 放射線による癌の増加は見られない。
・ 免疫力の低下(病気のしやすさ)は見られる。
この二点は、本項の趣旨と同様だ。参考になる。