アルチュール・ランボーは、文学史における詩の天才として知られる。ただし、シェークスピアやゲーテのような大天才とは違って、「精神的に風変わりな天才」として知られる。つまり、「凡人よりもずっと上」というよりは、「凡人にはまったく理解できな風変わりな思想を持つ」という点があるからだ。
その典型的な例が、「母音」という詩だ。その冒頭の冒頭の2行は、次の通り。
A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青。これをもって「こんな奇妙なことを語るのは、ランボーが天才である証しだ」という文学的評価がある。
母音よ、 いつかおまえたちの誕生の秘密を語ろう。
しかし、このような認識は、天才性とは関係ない。「凡人には到達できない高み」ではなく、「子供でも到達できる低さ」だからだ。ただ、あまりにも奇妙なのである。その意味で、彼が普通の天才とはまったく異質な人間であるとわかる。
しかし、その異質さが、どこから来るのかが、不明だった。天才ならば、「理解されること」を前提として書くが、ランボーの「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青」は、「理解されること」を前提としていない。普通の人にはただのデタラメとしか思えないからだ。次のように。
「 A は味噌汁、E は寿司、I はチョコパイ、U はバジル、O はコショウ」
「 カローラは甘い、クラウンは酸っぱい、フェアレディは しょっぱい」
こんな文章を読んでも、気違いのたわごととしか思えない。「すばらしい詩だ」なんて思うはずがない。
ところが、そういう気違いじみたことを書いたのが、ランボーだ。まったく理解しがたいことだ。
──
ところが、ここで、次の面白い話が見つかった。
「サヴァン症候群の人には、数字が色つきで見える。1は白、3は緑、4は青、5は黄色、6は黒。しかもそれぞれ、独自の図形(ブーメラン型など)をもつ」
サヴァン症候群の人(ダニエル・タメット)がそう語っている。
→ ダニエル・タメットの動画(プレゼン)
サヴァン症候群というのは、高度自閉症のひとつで、一種の奇形的な脳をもつものだ。そして、その彼がランボーの詩とそっくりなことを言っている。
とすれば、ランボーもまた、サヴァン症候群だったのかもしれない。そう推定すると、腑に落ちる。つまり、
「ランボーは、普通の意味の天才だったというより、サヴァン症候群だったのだ」
と。
ただ、そのことをもって、ランボーが天才であったことを否定するものではない。風変わりであると同時に、彼は素晴らしい高みに達していた。そのことは、次の詩を読んでもわかる。
→ 書評ブログ: ランボーの詩「天才」
ここで長々と紹介されている詩には、まさしく、彼の天才性が現れている。ただ、このような天才性は、理解しがたいし、どうしたらここに到達できるかが謎に思えた。
しかし、その謎は解明されたと言える。ランボーはサヴァン症候群だったのだ。とすれば、その天才性は、普通の人には真似できないのである。頭のいい詩人がどれほど努力して技巧を磨こうと、ランボーの真似はできない。なぜなら、ランボーの脳の構造は、普通の常人とはまったく異なる構造をしているからだ。
われわれがランボーの詩を見てわかるのは、「とうてい理解できないということが理解できる」ということだ。ただ、理解できないながらも、彼の詩の美しさを味わうことはできる。
【 関連サイト 】
(1)
上記の動画(プレゼン)は、次のサイトから得られたもの。ここには他にも優れた動画がある。
→ TEDのプレゼン10選
(2)
ランボーの詩「母音」の全文を読みたければ、各種の翻訳が見つかる。
→ 検索
(3)
文字に色が付いて見えるという不思議な形質は、「共感覚」という言葉で示される。これについては、Wikipedia に詳しい説明がある。
→ Wikipedia 「共感覚 」
※ ランボーの記述もある。ただし、「サヴァン」(サバン)という語は見つからない。
( 2011-11-27 現在 )
※ 英語版の Wikipedia には、Daniel Tammet についての短い記述が見つかる。
(4)
サヴァン症候群については、Wikipedia や ネット検索 を参照。
Wikipedia の アスペルガー症候群 や 自閉症 も参照。