人類の進化について、「猿が草原に出たから、猿が直立した」という仮説がある。(草原説)
それがおかしいことは、論理力があればわかる。 ──
草原説(猿が草原に進出したから、直立歩行して、脳が発達した。かくで猿が人間になった)という仮説はおかしい。
それがおかしいことは、いちいち化石を見なくても、論理力があればわかる。
(1) 脳が発達するか?
猿が草原に出たら、猿は直立して、脳が発達するか?
少なくとも、一瞬にして脳が発達することはない。仮に、一瞬にして脳が発達するのなら、直立したレッサーパンダはとっくに脳が発達していたはずだ。
→ 直立レッサーパンダ
では、何世代もかければ、脳が発達するか? いや、そうなる前に、肉食獣に食い殺されてしまうだろう。ぐずぐずしていれば、格好の餌食になるからだ。
一般に、猿が草原に出たらどうなるかは、次の二通りだ。
monkey (小型猿)ならば、地上を四つ足ですばやく駆け回る。四つ足の猿は、直立二足歩行の人間よりも、はるかに速く地上を駆けることができる。(犬みたいな速さ。)
ape (類人猿)ならば、速く地上を駆けることはできない。オランウータンでもチンパンジーでも、地上に出れば、緩慢だ。だから彼らは、森林にいる。森林から出れば、ライオンなどの餌食になる。これらは、草原に出たら、肉食獣に食い殺されるだけだ。(草原に出たからといって、急に脳が発達するわけじゃない。)
──
(2) 草原進出の目的
そもそも、猿が草原に進出するとしたら、何を目的とするのか?
通常、生物が新たな領域に進出するとしたら、そこには「豊富な食糧」というメリットがあるものだ。しかし、猿の場合には、それは成立しない。
・ 森林ならば、果物が豊富にある。草原には、果物はない。(野苺ぐらいか?)
・ 草食獣や肉食獣はいるが、猿は肉食動物ではない。
・ 草ならばたくさんあるが、猿は草食動物でもない。
というわけで、猿が草原に進出するメリットは、皆無だ。「果物がある」という森林のメリットが消えて、「肉食獣に殺される」というデメリットがあるだけだ。そんな新たな領域に入ることはありえない。(もしあれば死ぬだけだ。)
つまり、「猿が草原に出れば、猿の脳が発達する」というのは、あまりにも御都合主義でありすぎる。それは、「人間が水中に入れば、人間が人魚になる」というのと同様の、荒唐無稽な非論理な理屈である。ほとんどトンデモ説だ。
──
(3) 正解は逆
では正解は? 論理を逆にすればいい。こうだ。
「脳が発達したから、草原に進出することが可能になった」
いったん脳が発達すれば、手を自由に使える。そうすれば、直立歩行も有利になる。つまり、次の順だ。
脳の発達 → 手が自由に → 直立歩行が有利
こうして、脳が発達した種は、手が自由になって、直立歩行をするようになった。すると、道具を使えるようになった。特に、棍棒を使えるようになった。そのおかげで、肉食獣から身を守れた。また、石器を使って、草食獣を倒すこともできるようになった。倒した草食獣を、石器によって解体することもできるようになった。
結局、最初に会ったのは、脳の発達なのだ。ここでは「環境が脳の発達を決める」という説は、成立しない。
[ 付記 ]
一般に、「環境が進化の方向を決める」ということは、成立するとは言えない。それが成立するのは、「手足の形状」といった、外形的・形態的なものだけだ。
一方、両生類・爬虫類・単孔類・有袋類・有胎盤類というような、発生方法に関する進化(内部的な進化)は、環境とはあまり関係なく起こったと考えていい。
たとえば、爬虫類は、新たな環境に進出したから固い卵殻を備えたのではなく、たまたま固い卵殻を備えた種が、新たな種となって、水辺から陸地へと進出した、と考えていいだろう。
内部的な発生方法を変更したのは、環境ではないのだ。そのことは、脳についても当てはまるはずだ。
人間の脳が発達したのは、新たな環境に進出したからではない。逆に、脳が発達したから、多様な領域に進出できただけだ。
クジラやゾウやカラスの脳が発達したのは、新たな環境に進出したからではない。それらは同じ環境にいながら、脳だけを発達させていったのだ。
環境が進化をもたらす、という俗説は、成立しない。成立するのは、「環境は進化の方向を決める」ということだけだ。進化の系統樹で言うならば、系統樹の左右方向は環境によって決まるが、進化の上下方法は環境によっては決まらない。自動車で言えば、ハンドルを操作するのは環境だが、アクセルを操作するのは別のものだ。(内発的なものだ。)
【 関連項目 】
→ 直立歩行と脳の発達
→ 最古の人類(ラミダス猿人)
→ サイト内検索 「二足歩行」
2011年10月20日
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