脳の活動を fMRI によってスキャンして、コンピュータ上で画像化する、というシステムが開発された。これによって、夢を画像化することもできるか? ──
人間の体内を探るのは、CT スキャン などで知られている。
これとは別の技術で同様のことをするものに、MRI というのがある。
それを発達させた fMRI は、脳の活動(血流活動)を高解像度で検知することができる。
これによって人間の脳の視覚野を探査して、人間が何を見ているかを探ろう、という研究は、以前からなされてきた。
このたび、それをかなり高解像度で実現して、実際に人間が見ている状況を知ることができるようになったという。
→ ロケットニュース (概説)
→ カラパイア (静止画・動画あり)
→ ギガジン
今回の報道の解説記事では、「ものすごい成果だ」と大はしゃぎしたあげく、「そのうち、人間の夢を覗く(映像化する)こともできそうだ」という期待もある。本当にそうか?
──
私の見解を言おう。
第1に、今回の研究成果は、たいしたことはない。いつかできると昔から予想されていたし、原理的にも簡単なことだ。
生物学的に言えば、人の見た映像は、網膜に映る。それは資格の神経の束を通って、そっくりそのまま、人間の後頭部に送られる。そこが視覚野だ。この関係は、ほとんど1対1の関係である。網膜に映った内容が、そのまま人間の視覚野に送られるのだ。だから、脳の活動がわかったからと言って、不思議でも何でもない。それは網膜にある信号と大差ないからだ。
→ 解説図 (3秒ぐらいで切り替わる)
要するに、今回の成果は、当り前のことなのだ。不思議でも何でもない。
第2に、「人間の思い浮かべたた画像(夢や想像画像)を画像化する」としたら、それはものすごいことだ。それができるとしたら、当り前のことではない。画期的なことだ。
しかしながら、それは、今回の方法ではできない。なぜか? 視覚を担当する脳の領域は、次の二つに分かれているからだ。
・ 視覚野 (第一次視覚野)
・ 視覚連合野 (第二次視覚野)
この二つの領域は、脳では別々の領域をなしている。視覚野は、脳の最も広報にあるが、視覚連合野は、その隣の領域にある。
網膜の信号は、神経の束を通って、視覚野に送られる。そこで映像内容は直接的に感知される。
その後、視覚野で感知した内容を、視覚連合野が分析する。これは「認識」とか「判断」とかを担当する領域だ。ここに置いてこそ、人間の脳の役割が果たされる。(後述する。)
では、この領域を fMRI でスキャンすることは可能か? 可能だ。ただし、そこで得られた画像は、もはや視覚野で見つかったような単純な画像ではない。たとえば、Aという文字を見せたとき、視覚野には A に似た画像が浮かぶが、視覚連合野にはかなり異なった画像が浮かぶ。それは A という文字が分析された結果だが、 A という文字とはかなりズレているのだ。だから、その画像をコンピュータ上で画像化しても、「この人は A という文字を見ているのだな」とはわからない。逆に、その人が何も見ないで A という文字を想像していたとしても、視覚連合野の細胞情報からは想像内容を再現できない。
同様に、人が夢を見ているとしても、その夢の内容は、視覚連合野にはそっくりの形では現れないのだ。たとえば、人がまっすぐな直線を思い浮かべていても、視覚連合野の細胞情報はまっすぐに並ぶわけではない。曲線や点々になったりする。とうてい想像内容を推定することはできない。
簡単に言えば、視覚連合野のなすことは、思考そのものなのである。人が思考をなしているときに、その細胞の興奮パターンを理解しても、それによって思考そのものを理解することはできない。
もっと単純化して言えば、人が言葉を音声で理解しているとき、そのときの細胞の興奮パターンは、画像にはならない。(音声が画像になるわけがない。)同様に、文字を視覚的に想像したときに、そのときの細胞の興奮パターンは、文字そっくりの画像にはならない。(細胞の配置はもっと単純化された整理されたものとなる。)
昔、「おばあさん細胞」というものが見つかったことがある。「おばあさんを見たときだけに興奮する細胞」というものだ。この場合は、おばあさんを認識したときの情報が、最終的には、たった一つの細胞に整理されることになる。それまでの家庭では、何段階かの、情報整理の過程がある。
脳の認識とは、このようなものだ。生の情報(網膜)を、視覚野に集約してから、さらに視覚連合野のいくつかの箇所で整理される。そうして整理されたものがさらに高度に整理されて認識される。
これはほとんど「思考」に近い「認識」である。そういう「認識」を、ただのコンピュータ画像で再現できると思ったら、とんでもない勘違いだ。
そもそも、人間の「認識」を再現することさえ、コンピュータはできていない。どうせやるなら、「錯覚するコンピュータ」を開発することの方が、ずっと大切だろう。
[ 付記1 ]
視覚連合野について説明しよう。
立体視とか、錯覚とか、文字認識とかは、視覚連合野において起こると見なされる。
なぜ錯覚が起こるか不思議に思う人もいるだろうが、錯覚とは「情報整理」のことなのだ。複雑な情報をわかりやすい形に単純化して整理して、以後の情報を処理しやすくする。
具体的な例としては、次のことがある。
「頭を動かしても、外の世界は静止して見える」
考えれば、これはたいしたことだ。たとえば、人が歩いているとき、目に見える世界はぶるぶる震えている。そのことは、(素人が)歩きながらカメラで撮影した動画を見るとわかる。歩くごとにカメラで撮影された画像はぶるぶる震えているはずだ。実際、人間の目には、そう見えているのだ。しかるに、脳がうまく処理しているおかげで、目に見える世界はぶるぶる震えて見えることはない。(自動車に乗っているときも、自転車に乗っているときも、同様だ。体は震えるし、視野も震えているが、脳はその震えを解消する方向に錯覚させる。)
[ 付記2 ]
このような情報整理は、通常は便利なものだが、場合によっては、人に間違いをもたらすことがある。(情報整理が行き過ぎて、間違った方向に整理してしまう。)
それが錯覚だ。錯覚の例は、次のようなものだ。
→ http://news.2chblog.jp/archives/51643494.html
→ http://chaosch.blog106.fc2.com/blog-entry-114.html
→ http://rocketnews24.com/2011/08/19/123176/
このような錯覚をする機械ができたら、その機械は、人間に近づきつつあると言える。つまり、不正確であるがゆえに、高度化しつつあると言える。(現状は、まだまだ単純な処理だけで、低レベルだ。)
【 関連サイト 】
(1) 以前の研究
同様の研究は、以前からなされてきた。下記に原理などが記されている。
→ 以前の研究 1
→ 以前の研究 2 (解像度は低い)
→ 以前の研究 3
(2) 人工眼
話は変わるが、目の見えない人のための人工眼というものもある。人工網膜から、視覚野に信号を送りつけるものだ。興味深い。
→ 最新式「人工眼」が成功
2011年09月30日
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