超球理論において数式はどんな意味があるか、というような話題を扱う。
※ かなり専門的な話になるので、普通の人は読まなくてもいい。 ──
「数式が大事だ」と主張するならば、「数式とは何か」を根本的に考えるといいだろう。
量子力学の数式には、主に、二通りがある。(ファインマンの経路積分を除く。)
・ シュレーディンガー方程式
・ ハイゼンベルクの行列式
この二つは等価である。ではなぜ等価なのか? また、なぜ量子力学に限ってはそのような等価な表現がなされるのか? (普通の物理学公式では、これほど極端に別々の表現をとることはない。)
そこまで理解して初めて、「数式が大事だ」という言葉が意味を持つ。
実は、この二つの数式が等価であることには、次の共通点がひそむ。
「量子力学の数式は、調和振動子の形で解かれることが多い」
ここで、調和振動子とは何か? 実は、それこそが、超球の本質である。
調和振動子 = 超球
ということが、おおむね成立する。
──
超球は調和振動子と等価である。
では、それは、どういうことか?
これを理解するには、量子力学の本質を考えるといい。
量子力学の本質とは、「量子は 正準交換関係 にある」ということだ。そのことは、行列力学 を見てもわかるが、下記にも初歩的な説明がある。
→ 正準交換関係の物理的な意味 ( OKwave )
では、正準交換関係とは何か? たいていの人は、数式だけで認識して、天下り的に数式を受け入れるだけだ。しかしそれでは物事の本質を理解しがたい。
そこでまずは、これを量子力学でなく古典力学で認識すると、正準交換関係のかわりに ハミルトニアン で理解される。ハミルトニアンは、ラグランジアン で理解される。
では、これらの古典力学の意味は何か? 「運動エネルギーと位置エネルギーの和は一定である」ことを数式化したことだ。つまり、「エネルギー保存則」である。これを数式で示している。
特に調和振動子の場合には、ある基準点を中心として、位置をその周辺へと少し変えることができる。そういう形で振動できる。その際、エネルギー保存則が保たれるとすると、調和振動子になる。
なお、振動して、元の位置に戻ると、元の状態に戻る。たとえば、
「中央の振り子が、右に振れてから、右端に達して、そこで反転して、また中央に戻る」
という例では、最初は右向きで、途中では右端に達して、最後は左向きとなる。
( ※ その間、最初と最後は位置エネルギーが最小値で、運動エネルギーが最大値だ。途中の限界では、位置エネルギーが最大値で、運動エネルギーが最小値だ。また、行って戻ってきたときには、運動方向が反対となる。ただし符合が反対でも、二乗すれば運動エネルギーは同じになる。)
以上は、古典力学の場合だ。このあと、量子力学に転じよう。
量子力学では、同様のことをするが、そこでは、正準交換関係が成立する。その場合、
[ XP ] = XP − PX
の値は、 0 でなく i ħ I となる。( ħ は、換算プランク定数。)
( → Wikipedia )
これは何を意味するか? それこそが実は、量子力学の本質だ。たいていは、その意味を与えないが、私はその意味を与えようとした。そのために提出したモデルが、超球理論のモデルだ。
超球理論のモデルでは、粒子は次の運動をする。
「虚数次元への調和振動子。ただしその振動は、位置振動ではなくて、存在振動である」
ここで用語を説明すると、次の通り。
・ 位置振動 …… (振り子のように)位置を往復させる振動
・ 存在振動 …… 粒子と反粒子の間で形を変える振動
存在振動は、別名で、「粒子反粒子振動」とも呼ばれる。この振動では、
粒子 → 反粒子 → 粒子 → 反粒子 → ……
という振動が高速で周期的に起こる。しかも、エネルギー保存則が成立する。このような存在振動を、
「振動の途中では、エネルギーが虚数次元に一時的に逃げる」
という形でモデル化したのが、超球理論だ。
具体的には、次の図を見るといい。

玉突きモデルの説明
この図において、超球は振動している。では、どの方向に振動しているか?
・ その位置で(平面上の)上下や左右に振動している。
・ 平面(パソコン画面)に垂直な方向に振動している
・ 宇宙の3次元のいずれにも直交する虚数次元の方向に振動している
このうちの3番目が正しい。そして、振動は、位置振動ではなくて、存在振動である。つまり、粒子反粒子振動である。
そして、このようなモデルによって、正準交換関係を幾何学的に示すことができる、というのが、私の立場だ。それがつまりは、超球理論だ。(一種の仮説である。)
この意味において、超球理論は量子力学のモデルである。つまり、次のことだ。
・ シュレーディンガー方程式をモデル化する
・ 正準交換関係を幾何学的に示す
結局、「超球理論の数式とは何か?」という質問への回答は、「この二つの数式だ」と言える。(本質的には、二つというより一つの数式だとも言えるが。)
《 補足 》
もう少し説明しよう。
[ XP ] = XP − PX
というのは、両者の積の差分だ。
振り子で言えば、位置エネルギーも運動エネルギーも実数値なので、両者の積の差分はゼロとなる。
量子で言えば、位置エネルギーも運動エネルギーも実数値ではないので、両者の積の差分はゼロとなるとは言えない。この差分が i ħ I となる。邪魔っけな単位量をなくして単純に表示すれば i I である。
では、 i とは何か? 虚数単位だ。つまり「2乗すると -1 になる」ということだ。では、その意味は? 「2回続けて実行すると、存在性が反転する(粒子が反粒子になる)」ということだ。
このことは、複素平面における回転運動 cos θ+i sin θ で理解するといい。つまり、
「その過程を2度続けて実施すると、粒子の符合が逆になる(= 反粒子になる)」
ということだ。(このことは、位置振動とは大きく異なる。)
古典力学の振動(位置振動)と、量子力学の振動(存在振動)とは、このような違いが出る。
・ ハミルトニアン からのモデル …… 実数の波 (位置振動)
・ 正準交換関係 からのモデル …… 複素数の波(存在振動)
こうして、数式の違いを、モデル的に説明できる。
【 関連項目 】
次項に続きます。(未完)
次項に重要な話題があります。
【 関連サイト 】
複素数と行列の関係については、下記サイトに記述がある。
→ 行列と複素数(同値)
続きを楽しみにしています。
超ヒモは、綴じたヒモ(ループ)・開いたヒモなので、全然違います。性質も違う。
また、超球理論の原理は、「超球であること」ではなくて、「粒子の波」もしくは「波と粒子の相互変換」です。これは、超ヒモ理論にはありません。
> 4次元時空と直交する余剰次元が、電磁場、強い力、弱い力に対応して3つの複素平面(による次元)になるとなぜ言えるのか。
見当を付けて、モデル化しただけです。違うかもしれません。次元数はどうでもいい。今のところは、適当につじつまを合わせているだけ。
> 時空と直交する次元における回転が、時空における粒子の存在・非存在にどうして結びつくのか、ご教示願いたい。
仮説なんだから、「どうして」を問うのは無意味です。相対論に対して、「どうして光速度は一定なのか」と問うようなもの。数学の公理に対して、「どうしてその公理は成立するのか?」と問うようなもの。基本原理は、演繹的には出されません。
確かに、粒子と波の相互変換のモデルは、コペンハーゲン解釈の難点をうまく解決しているのではないかと思います。ただし、量子のもつれと言われる現象については、どう説明されるのでしょうか? 一般的には、もつれ状態にある一方の量子の量子状態が観測により収束すると、もう一方の量子状態も収束すると説明されますが、この非局所性について新たな解釈が可能でしょうか。
また、仮説に対して理由を問うのは無意味とされますが、どこかで書かれているように、納得できるモデルのイメージは必要かと思います。
特に、ご指摘の光速度普遍の事実によりエーテル仮説は一般的に否定されたと考えられていますが、複素エーテルということで問題点を克服できるのでしょうか? 単に超球の密度ということでは、静止系と観測系でなぜ密度に差が生ずるのかなど、説明に無理があるように思います。
→ http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/quantum.htm
> 量子のもつれと言われる現象については、どう説明されるのでしょうか? 一般的には、もつれ状態にある一方の量子の量子状態が観測により収束すると、もう一方の量子状態も収束すると説明されますが、この非局所性について新たな解釈が可能でしょうか。
「もつれ」で検索すると、次の箇所が見つかります。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/trivial.htm#70
さらにリンクなどをたどれば、次の箇所も参照できます。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/2slits2.htm#21
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/trivial.htm#epr
> また、仮説に対して理由を問うのは無意味とされますが、どこかで書かれているように、納得できるモデルのイメージは必要かと思います。
基本はそうですけど、次元数という問題はそうではありません。そもそもこの宇宙の次元数がどれだけであるかは、まったく不明です。誰もがわかっていないのに、私だけが特別に完璧な理論を出せるわけがありません。(超ヒモ理論では10とか11とかが出ますが、それだって仮説の一つであり、あやふやです。)
> 特に、ご指摘の光速度普遍の事実によりエーテル仮説は一般的に否定されたと考えられていますが、複素エーテルということで問題点を克服できるのでしょうか?
「複素エーテル」だけでは解決できませんが、解決するためには「複素エーテル」の概念が不可欠です。それが超球理論の立場。
> 単に超球の密度ということでは、静止系と観測系でなぜ密度に差が生ずるのかなど、説明に無理があるように思います。
超球というのは実在するものではなくて、思考のためのモデルです。実在するのは「複素エーテル」であり、それは「(調和振動子の)波長を自由に変更できる 複素数の媒体」という性質を帯びています。こちらが本体である旨は、下記のコメント欄の最後で述べたとおり。
→ http://openblog.meblog.biz/article/5916074.html
その光速度の定義はないですよね?