2011年09月05日

◆ 超球理論の数式 1

 「超球理論に数式はないのか?」という疑問に答える。 ──

 超球理論は、モデル理論である。そこには特に数式は示されていない。このことから、
 「超球理論は数式では示せない」
 と解釈する人がいるようだ。
 しかしそれは誤解である。その誤解を解くために、説明しておこう。

 ──

 (1) モデル理論

 超球理論は、モデル理論である。これを比喩的に言えば、「代数に対する幾何学」である。たとえば、円というものを、代数で示すこともできるが、幾何学的な図形で示すこともできる。双方は等価である。
 これに対して、「幾何学は代数で示せない」と批判するのは、数学というものを理解できない人の発想だ。数学というものでは一般に、遠く離れたものがまったく同じことを意味する、といことがある。換言すれば、同じことがまったく別々の表現で示される、ということがある。たとえば、かの有名な「フェルマーの大定理」にしても、「谷山・志村予想」において、まったく別々の分野の概念が等価であることが示された。(初めは予想され、後に証明された。これこそが「フェルマーの大定理」の核心だった。)
 
 超球理論も同様だ。超球理論は、モデル理論である。これは、「数式では示せない」ということではない。「数式で示されることを、モデル的に示す」ということだ。比喩的に言えば、「代数的に示されることを、幾何学的に示す」ということだ。
 従って、そこで用いられる数式は、従来の量子力学の数式そのものである。

 この点を根本的に誤解している人が多いようだ。通常の理論は、「新たな数式モデル」(一種の公理的空間)を導入して、そのなかで体系を構築する。これは代数的なモデルだ。
 一方、超球理論は、それとは異なるモデルだ。数式そのものは、従来の数式そのものを用いる。その上で、「新たな幾何学モデル」を導入する。
 だから、「超球理論は数式では示せない」というのは、あまりにもトンチンカンなのである。それは「幾何学的な円は、代数ではない」と批判しているのと同様だ。つまり、「幾何学は代数ではないから間違っている」という批判と同様だ。学問というものを根源的に理解できていないのである。
 
 繰り返す。「超球理論は数式では示せない」ということはない。超球理論は、代数的な内容を、幾何学的に表現しているだけだ。それを代数的に表現したければ、代数的に表現することもできる。その数式は? 以下で示そう。

 (2) 超球理論の基本数式

 超球理論は、モデル理論であり、幾何学的な表現である。では、その代数的な表現は、何か?
 このことは、頭のいい人ならば、とっくに気がついているはずだ。それは、量子力学の基本数式である。ここまで言えば、もはや明らかだろう。それは、シュレーディンガー方程式そのものである。
  → Wikibooks 「量子力学」

 「超球理論は数式では示せない」というふうに批判している人は、超球理論とは何かをまったく理解できていないことになる。それどころか、量子力学の基本すら理解できていないことになる。
 「超球理論は、モデル理論である」ということは、そのモデルの数式があることを意味する。その数式が何であるかは、言わずもがなのことなのだ。シュレーディンガー方程式だからだ。いちいち言わなくてもわかるのが、専門家というものだ。
 いちいち言わなかったのは、専門家ならば誰でもわかることだからだ。ここにおいて、「超球理論は数式では示せない」というふうに批判している人は、「超球理論の数式はシュレーディンガー方程式である」ということを理解できていないわけだ。最低限の初歩的な知識さえないわけだ。(おそらくはシュレーディンガー方程式というものをまったく理解できていないからだろう。)

 (3) 超球理論の背景

 超球理論は、モデル理論である。では、そのモデルは、どこから生じたのか? いきなりヒラメキによって生じたのか? 違う。
 ここで背景を打ち明けよう。超球理論が誕生した背景は、こうだった。
 「シュレーディンガー方程式というものを、徹底的に見つめる。その数式が何を意味するかを、代数的でなく幾何学的に、モデルの形で表示する」

 これは実は、ファインマンの方法と同じだ。ファインマンは他人から全然未知の分野の説明を受けるとき、頭のなかで適当にモデルを思い浮かべながら、理解する。そうすると、その説明を本質的に理解できる。
 また、これは、私が高校時代に数学でやった方法と同じだ。代数の問題を解くときに、代数でなくて幾何学に問題を変形して、幾何学の形で問題を解く。
 一般に、数学的なセンスがある人は、同じ問題をさまざまな視点から見ようとする。それと同じことだ。
 量子力学においても、「シュレーディンガー方程式は何を意味するか」を、代数的に理解するのではなく、幾何学的に理解しようとする。そうして誕生したモデル理論が、超球理論だ。
 その意味は、「数式では表示できないモデル」ではない。「シュレーディンガー方程式という数式を幾何学的に表示したモデル」である。
 ここを勘違いしてはならない。そして、超球理論が基本とする数式がシュレーディンガー方程式であることは、あまりにも初歩的で自明であるから、いちいち説明しなかっただけのことだ。
 それほどの初歩的なことが理解できない人は、しょせんは専門的なセンスがまるきり欠落しているのだから、量子力学については口を挟まない方がいい、と思う。それよりはまずは、シュレーディンガー方程式を勉強した方がいいだろう。
 そして、シュレーディンガー方程式を勉強すれば、「ああ、これは超球理論が(幾何的な)モデルとなる(代数的な)数式だな」と、すぐに理解できるはずだ。

 「超球理論は数式では表現できない」と思い込むような初心者は、シュレーディンガー方程式を勉強するべし。
 


 [ 付記1 ]
 「超球理論の数式はシュレーディンガー方程式だ」と述べた。
 ただ、シュレーディンガー方程式は、ハイゼンベルクの行列式と等価だと証明されているから、「超球理論の数式はハイゼンベルクの行列式だ」と述べてもいい。
 一方、「超球理論の数式はファインマンの経路積分だ」と述べてもいい。実は、超球理論と最も相性がいいのは、ファインマンの経路積分である。というのは、ファインマンの経路積分は、「量子の波の経路は空間の全域にわたる」ということを前提としているが、超球理論はまさしく同じことをモデルとして示すからだ。
 この件については、「ファインマンの経路積分」という用語で検索するといいだろう。
  → Openブログ内で検索「ファインマンの経路積分」
  → 物理学サイトで検索「ファインマンの経路積分」
 
 [ 付記2 ]
 超球理論を使うと、何か新しいことがわかるか? この点を誤解している人が多いようなので、解説しておこう。

 通常の物理理論(新しい理論)は、次の形を取る。
 「独自の仮定(数式など)を導入する。その仮定の下で、独自の空間(数学的空間)を構築する。そこから演繹された結果を、現実の実験と照合する。照合の結果、理論と実験とが一致すれば、『最初の仮定から導き出された空間は正しい』と見なされる」
 これは、「新たな数学空間を導入する」とか、「新たな数学理論を導入する」とかいうのと、同様の仮定である。

 超球理論はどうか? そういう方針とはまったく異なる。そこでは新たな数学空間が導入されることはない。もちろん、新たな物理学的な結論が得られることもない。(その意味では、物理学的な豊かさは、まったく欠落している。「超球理論は物理理論ではない」とすら言える。)
 では、超球理論は何をなすか? それは、超球理論の狙いそのものを理解すればわかる。超球理論の狙いとは、こうだ。
 「量子とは何かという根源を突き詰める」
 これは通常の物理理論とはまったく異なる。なぜなら、通常の物理理論は、次の態度を取るからだ。
 「量子とは何かという根源については関知せず、単に数式だけをいじって結論を得る。数式の結果が何を意味するかという本質的なことは考えず、数式の結果を物理的に測定した実験値と照合するだけにする」
 これは要するに、「思考停止になる」ということだ。自分では何も考えず、コンピュータを使って計算した結果と、測定器を使って測定した実測値とを照合するだけだ。機械にもできるようなことだ。そこでは本質なんてものはどうでもいいのである。
 
 では、そういう「本質無視」「思考停止」という状況で、万事片付くか? いや、片付かない。その典型が、次のような二つの事例だ。
  ・ 二重スリット実験
  ・ シュレーディンガーの猫

 このような問題にぶつかると、現代物理学はとたんにあたふたとしてしまう。そして科学的な回答を与えることができなくなってしまう。実際、次のような非科学的な解答を出すことが多い。
 「二重スリット実験では、一つの粒子が同時に二つのスリットを通る。また、一つずつ粒子を発射した場合には、別々の時点の粒子が時間を超えて干渉する」
 「シュレーディンガーの猫では、観測が量子の状態に影響する。ここでは観測とは、心理的な現象だとも解釈され、生理的な神経過程だとも認識され、物理学的な光子の勝者だとも認識される。その現象は科学的には一義的に決まらない」
 こんな主張をするのは、ただのトンデモであって、科学ではない。
 つまり、現代物理学は、「二重スリット実験」や「シュレーディンガーの猫」という問題にぶつかると、たちまち馬脚を現して、「科学」から「非科学」に転じてしまうのである。(ほとんど呪術みたいになる。呪術師の祈りが世界を変える、というのと似た発想。)

 そこで、このような非科学的な状況を脱するために、「量子とは何か」という本質を示すのが、超球理論のモデルだ。このモデルを使うことで、「二重スリット実験」や「シュレーディンガーの猫」という問題に対して、「科学的なモデルによる説明」が可能となる。
 つまり、超球理論の目的は、「量子力学を科学にすること」である。「量子力学の一部分を拡張する」という通常の物理理論とは異なり、「量子理論の全体を非科学から科学に転じる」ということである。……それがつまり、「量子とは何か」という本質を示すことであって、超球理論がめざしていることだ。「幾何学的なモデル」という方法を取ることで。
  
 [ 付記3 ]
 比喩的に言えば、超球理論は、宇宙論の「地動説」に似ている。このモデルを取ることで、天体の動きがモデル的に説明される。「地動説」もまたモデル理論である、という点に注意。
 また、原子のモデルもそうだ。初期には、原子のモデルとして、さまざまなモデルがあった。原子核のまわりを電子が回る、というのは、そのうちの一つのモデルだ。どのモデルが正しいかはわからなかった。そこでラザフォードの実験(ラザフォード散乱)がなされ、「中央に小さな原子核がある」というモデルが正しいと支持された。
 宇宙論のモデルであれ、原子のモデルであれ、そこには数式は現れない。図によるモデルがあるだけだ。しかしそれは、どんな数式モデルよりも、はるかに重要な真実を提示している。「数式がなければ駄目だ」というような発想は、「地動説なんか駄目だ」「原子モデルなんか駄目だ」と述べているのに等しい。そういう発想は、科学とは何かという一番大切なことを見失っているのだ。

 [ 付記4 ]
 数式とは何か? それは、漠然たるモデル概念を数字で示したものだ、とも言える。ここで、数式が新たなモデル概念を含意していればいいのだが、そうであるとは限らない。
 従来のモデル概念を前提としたまま、単に数式だけを出すと、数式の意味するモデルと、従来のモデルとが、食い違ってしまう。その典型が、コペンハーゲン解釈だろう。そこでは「量子は粒子だ」というモデルを取った上で、数式を解釈しようとする。そのせいで、「観測による決定」(人間意識による決定)という、超能力理論みたいなオカルトに陥ってしまう。

 たとえて言うと、現代の量子論は、「天動説」という枠組みのなかで、「天動説を少しでも拡張しよう」として、あれやこれやと数式をひねり出している状態だ。たとえば火星の軌道変動を示す数式を出す、というふうな。旧来のモデルのなかで、数式によるつじつま合わせをしている。
 似た例に、ローレンツ収縮がある。「古典力学」という枠組みのなかで、「古典力学を少しでも拡張しよう」として、あれやこれやと数式をひねり出す。
 そのいずれも、「天動説に対して地動説を出す」とか、「古典力学に対して相対論を出す」とかいう、新たなモデルを出すことができていない。それと同様なのが、現代の量子力学だ。
 19世紀の物理学者は、量子論も相対論も理解しないまま、「おれたちの古典力学は正しい」と思い込んでいた。それと同じ状態にあるのが、現代の量子力学だ。そこでは根本的な枠組みが狂っているということを理解できないまま、量子力学の内部で数式だけをいじることで、問題を解決しようとしているのである。
 


 【 関連項目 】

  → 量子論の二つの立場
    …… 本項と似た話題で、以前の話。簡単な説明。
 
  → 超球理論の数式 2
    …… 本項の続編
posted by 管理人 at 20:54| Comment(6) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一つたずねたいのですが,超球理論をこの先どうしたいのですか?
若造の僕なら「他人が理解しようがしまいがどうでもいい.夢のためなら利用できそうなものは何でも利用する.」という想いで日々行動しています.
Posted by のりボン at 2011年09月05日 23:10
> 超球理論をこの先どうしたい

 どうしたいというのが世俗的な意味ならば、どうしたいとも考えたことはありません。私が考えているのは「量子とは何か?」という真実を探りたい、ということだけです。

 真実を探ること以外は、別に何も考えていません。今はエネルギー保存則のあたりを突き詰めようとしているだけです。
Posted by 管理人 at 2011年09月05日 23:27
本項は、順序の都合で、タイムスタンプを少し後にずらしました。
 また、内容の後半部分を、次項に移転しました。
Posted by 管理人 at 2011年09月05日 23:56
[ 付記2 ] [ 付記3 ] を加筆しました。
Posted by 管理人 at 2011年09月06日 00:23
色々読ませてもらいましたが、大変面白く、直感的で分かりやすかったです。
でも一点だけ書かせてもらいたいと思います。

新しい理論が定説になるためには、これまでの
実験結果をより簡潔に分かりやすく説明するだけでは不十分で、その理論から導き出される新たな予測が、後の実験結果と一致することが不可欠であると思います。様々な独自理論がトンデモ扱いされてきたのは、その理論の正否よりは生産性の無さにあると思います。つまり、今までの理論の解釈を変えるだけで十分対応できるので、正しいかどうか不明な理論を議論する余地はないって事だと思います。僕自身は賛成できない態度ですが。

追試も満足に行えないミクロな世界の話ですし、これまでは高名な学者様の「言ったもん勝ち」になってしまった面が強いと感じているので、新しいモデルから生み出されるこれまでに無い予測を、超球理論に付け加えれば良いのになあ・・・と感じました。

勝手な意見でごめんなさい。
楽しく読ませて頂き、ありがとうございました。
Posted by おじゃる at 2011年09月25日 03:53
すばらしいのひとこと。同じような考えを持つ人を見つけるとうれしいですね。自分の思考を代弁して文章にまとめてもらったようで、感謝です。
・波動関数  …… 理論の世界のこと
・状態の決定 …… 現実の世界のこと
なぜこのことに気づかないのか不思議です。
SuperBall かっちょいいネーミング。いまのところ真実に一番近い印象ですね。円や球は美しいですから。今後もお互いに真理を探究していきましょう。
Posted by あかちゃん at 2015年09月08日 10:19
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