「スマートグリッドやスマートメーターで節電を推進する」という発想は無効だ。この件は、前にも述べたとおり。
→ スマートグリッドという幻想
なぜか? 単純に言えば、家庭用の電力は、生活のために必須だからだ。電力が高くなったからといって、メチャクチャな猛暑のなかでエアコンを切って死ぬわけには行かないし、冷蔵庫を止めて食品を腐らせるわけにも行かない。その意味は、こうだ。
「家庭用の電力は、価格弾性値(価格変動による需要の変化)が小さい」
一般に、必需品というものは、価格を上げようが下げようが、需要の変動は小さい。たとえば、水の消費量とか、塩の消費量とかはそうだ。一方、あってもなくてもいい嗜好品では、価格弾性値が大きい。
家庭用の電力は、その意味では必需品であり、価格弾性値が小さい。ゆえに、下記に電力料金を上げたからといって、電力消費が大幅に減るということはない。
これが経済学的な原理だ。
──
にもかかわらず、
「節電を推進するにはスマートメーターが必要だ」
という発想が次々と出てくる。たとえば、朝日の社説だ。
節電がメリットになる仕組みが必要だ。ピーク時を避けて電気を使えば得をするような料金体系の導入に向けて、メーター類の開発や規制緩和を急がなければならない。これで節電が進むと思っているのだから、おめでたい。
( → 朝日・社説 2011-09-04 )
それが駄目だということは、すでに上記で理論的に説明したとおりだ。ただ、本項では新たに、実証的に説明しよう。
スマートメーターというものは、すでに制度的に用意されている。それは「深夜電力」というものだ。( → 東京電力のページ )
・ おトクなナイト8 …… [ 夜間8時間割安 ]
・ おトクなナイト10 …… [ 夜間10時間割安 ]
・ 電化上手 ……………… [ 夏季の昼間に割高 ]
このうち、「電化上手」というのは、「夜間蓄熱機器の利用者」という条件があるが、他の二つはそういう条件もない。つまり、昼間のピーク時を避けることで、電力料金が下がる。
つまり、朝日が提案している意味での「スマートメーター」は、すでに実現しているのだ。「メーター類の開発や規制緩和を」と朝日は提案しているが、そんなものはとっくに実現済みなのだ。
ではなぜ、普及しないか? 先に述べたとおりだ。電力の価格弾性値は低いからだ。必要なときには電力を止めるわけには行かないし、不要なときに電力を大量消費するわけにも行かない。
例1。昼間にクーラーを止めるわけにも行かないし、昼間人冷凍庫のアイスクリームを解かしてしまうわけにも行かない。
例2。夜間の電力が安いからといって、涼しいときにクーラーをがんがん効かせることもないし、涼しいときに冷蔵庫が庫内をがんがん冷凍させるわけでもない。
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家庭では、電力の価格弾性値は低い。ここでは「価格の変動で需給を調整させよう」という市場原理は、うまく働かないのだ。何でもかんでも市場原理(および規制緩和)で物事を進めようというのは、あまりにも単純すぎる発想なのだ。朝日はそういう「バカの一つ覚え」に嵌まっている。そのせいで、現実を理解できない。
( ※ 理屈ばかりを信じて、現実をまったく認識できない。「市場原理」という協議を信じている「市場原理教」の教徒にすぎない。朝日だけではない。小泉改革の信者はみんなそうだ。野口悠紀雄も、池田信夫も、そういう教徒だ。現実をまるきり認識できない。)
正しくは? 電力の価格弾性値は、家庭では低いが、産業では低くない。なぜなら、産業では「操業ストップ」ということが可能だからだ。人間は生きることを止められないが、工場は操業を止めることができるからだ。
ここまで理解すれば、「スマートメーターを」という発想のどこがおかしいか、よくわかるだろう。
「スマートメーターを」という発想は、原理的には、間違いとは言えない。しかし、それが適用できるのは、産業用の電力だけだ。一方、家庭用の電力には、ほとんど適用できない。それが適用できる家庭は、すでに夜間割引制度を利用しているはずだ。しかし、そのような家庭は、あまりにも特殊であり、世間のごく一部に過ぎない。
「スマートメーターで節電を」という発想は、小さな技術に過大な期待をいだきすぎている。たかがメーターが一つで、人間の行動を大幅に左右できると思ったら、大きな勘違いだ。そのような発想をするのは、「市場原理」というものを過大に評価しすぎているからだ。
人間の生活というものは、金で左右されるものではない。「少額の金さえやれば、人間は生活を大きく変動させるはずだ」という思い上がった成金根性を否定するべきだ。朝日であれ、小泉の信者であれ、「金で人の頬をビンタして、おれの言うことを聞かせる」という発想に染まりすぎている。
もうちょっと人間精神の尊厳というものを理解してもらいたいものだ。そうすれば、人が金で動くものではない、と理解できるはずだ。そしてまた、「電力機器の際には、人々は1円の金をもらわなくても、自発的に節電する」という高尚な精神があることも理解できるはずだ。
「金で人間を動かそう」という朝日流の発想(市場原理至上主義)は、あまりにも浅薄なのである。その一例が、「スマートメーターで節電を」という発想だ。
[ 付記 ]
「少額の金さえやれば、人間は生活を大きく変動させるはずだ」
と述べたが、野口悠紀雄の場合は、もうちょっと利口だ。「小額の金では人は動かせない」と理解している。そこで「多額の金を徴収することで、人を動かそう」と考える。つまり、
「1万円上げるから、節電しなさい」
というふうに発想するのではなく、
「節電しないと3万円を奪い取るぞ」
という発想を取る。あげく、強制的に節電させて、人が死んでもへっちゃらだ。
これはもう、サディストの発想ですね。悪魔的。これに比べれば、空想的な市場原理主義の方が、まだマシかも。朝日のように勝手に夢見ている限りは、実害がないですからね。
「スマートメーターで節電を」
という発想は、実効性がないうちは、問題がない。しかし、実効性が出たら、「人が死ぬ」という多大な被害が発生する。無理な節電ゆえに。
§ 参考記事
→ 今夏の熱中症、4万人超す
→ 熱中症、今世紀末には3倍?
[ 余談 ]
ついでに、橋下府知事の話。特に読まなくてもいい。
朝日とは違う勘違いをしているのが、橋下府知事だ。彼は市場原理至上主義ではない。かわりに、「独裁主義」を信じている。「独裁者であるおれ様が命令すれば、府民はこぞっておれの言うことを聞く。おれ様がエアコンを止めろと命じれば、府民はエアコンを止める」と。しかし、そんなことは無理だ。
そもそも、橋下府知事は、なぜ家庭用のエアコンを止めようとしているのか? 次のように思い込んでいるからだ。
「工場用の電力を止めることは無理だ。工場の電力を数日間で求めることは不可能だ」と。
実際には、工場は自発的に休むことは可能だ。なのに、「工場に自発的に休めと要請すると、工場が海外に逃げてしまう」と勝手に思い込んでいる。
つまり、工場において、「停電による(強制的な)工場停止」と、「要請を受けての(自発的な)操業停止」とを区別できない。「あるとき突然停止すると工場には損害が発生する」ということと、「あらかじめ決めておいて操業停止しても損害は発生しない」ということとを、区別できない。
橋下府知事は、そういうふうの勘違いした上で、「人間用の電力を止めてもいいが、工場用の電力は止められない」と思い込んでいる。
橋下府知事は、電力の価格弾性値を、家庭と工場とで、現実とは逆に理解している。
ここには、経済の現場を理解しない、という無知がある。その無知を、人々が教えてあげればいいのだが、彼は裸の王様だ。自分が勘違いしても、それを指摘してくれる部下がいない。かくていつまでも勝手な妄想を信じている。