2011年08月18日

◆ 恋と愛の違いは?

 前項の続き。
 恋と愛の違いは何か? 哲学的な問題に思えるが、私なりに答えるなら、それは「関係性の有無」だ。 ──
 
 恋と愛の違いは何か? これは哲学的にな問題に思える。英語ではどちらも love だから、哲学というよりは、言語的な問題かもしれない。

 ──

 ネットを調べてみたところでは、気の利いた回答があった。
恋は下心
愛は真心
 …… 二つの文字の心の位置を見て下さい
( → 教えて goo
 まるでとんちみたいな回答だ。 (^^);

 これを援用して、哲学的に考えている人もいる。
 「恋」は心という字が下にありますね。これはそのまま、「下心」。あの人を自分の思い通りにしたい……
 逆に、「愛」はどうでしょう? 心という字が真ん中にありますよね? これは「包み込む事」を表しています。相手の事を助けてあげたい……
( → 恋愛専科
 これは、昔からある分類で、「エゴイスティックな欲望」と「奉仕的な自己犠牲」というふうに区別される。
 
 そう言えば、私が若いころには、こういう恋愛哲学みたいな本を読んだこともあった。すると、「エロス/アガペー」なんて区別もあった。……でもまあ、恋愛哲学なんて、一文の価値にもならない、というのが結論だな。 (^^);
 
 ──

 さて。今は、オタクの時代だ。リアルな人間に恋をしないで、2次元の萌えキャラに恋をする男が多い。「リアルな女よりも、2次元の女の方がいい。かわいいし、面倒がないし」なんていう評価もある。

 こういうのを「恋」とすれば、「愛」とはどんなものか? 
 それは、「あぁ 結婚してよかったなぁと思った瞬間」という2ちゃんねるのスレを読むと、よくわかる。(次の三つ。)

 → http://umashika-news.jp/archives/51910738.html
 → http://nikuch.blog42.fc2.com/blog-entry-512.html
 → http://nikuch.blog42.fc2.com/blog-entry-514.html

 なかなか感動的な夫婦愛の物語がある。そのいずれにも、夫婦の親密な愛情が感じられる。そして、それは、異性への「恋」とはかなり違ったものだ。2次元の萌えキャラへの恋と比べれば、月とスッポンぐらい違う。
 では、それは、「恋」とはどう違うのか? 

 ──

 ここで、私なりに結論すれば、こうだ。
 「関係性の有無」


 これによって、次のように区別される。
  ・ 恋 …… 関係性は不要。一方的に思い詰める。片恋が典型的。
  ・ 愛 …… 関係性が必要。相互的な心の交流がある。夫婦愛が典型的。


 オタクは2次元キャラに、「恋」することができる。ただしその思いは、一方的なものだ。オタクがどれほど2次元キャラに「恋」しても、2次元キャラはオタクに対して何の心情も抱いていない。なぜなら、2次元キャラはもともと心を持たないからだ。単に鑑賞されるだけの存在にすぎない。(原則的に)

 現実の妻または恋人は、あなたの心に応じた反応をする。あなたが愛すれば、相手も愛してくれる。あなたが喧嘩をふっかければ、相手は怒ったり泣いたり逃げ出したりする。通常は、ゆるやかに愛しあう関係が生じる。そこには心の交流がある。だからこそ、その関係性がとても大切に思える。(会社での人間関係とは全然違う。会社の人間関係には、心の交流なんかない。ドライなビジネス関係があるだけだ。)

 ──

 このような関係性は、ケースバイケースである。本人の人柄しだいでも異なるが、相手の人柄しだいでも異なる。ある女性に対しては「かわいいな」と思いながら、ほんわかとした関係を持つ。ある女性に対しては「エロチックだな」と思いながら、エッチっぽい関係を持つ。ある女性に対しては、全身全霊を上げて、火のように燃える恋をする。(ロミオとジュリエット型)。
 
 このように、さまざまな関係性が生じる。そして、それは、2次元キャラに「恋」するときには決して得られないものだ。また、ファンがスターに憧れる形で「恋」するときにも決して得られないものだ。2次元キャラも、スターも、あなたに対して何の関係性ももたないからだ。

 ──
 
 こうして、「関係性」という概念を通じて、「恋と愛の違い」を認識できる。と同時に、「関係性をもたない恋心」というものがいかに歪んだものであるかもわかる。
 「関係性をもたない恋心」というのは、比喩的に言えば、「精神的な自慰」なのである。自分は独りよがりで勝手にいい気になっているが、それはあくまで本物に対する偽物にすぎない。本物のビールを味わったあとで飲む、気の抜けたぬるいビールみたいなものだ。(喉が渇いて仕方ないときには、それでもおいしいと感じるが、本物のビールに比べれば、月とスッポンだ。)

 というわけで、「関係性のない恋愛」というものを喜んでいるオタクが、いかに人間的に歪んでいるか(というより未熟であるか)が、よくわかる。彼らは萌えキャラを見て、「かわいい、かわいい」と喜んでいるが、それというのも、本当に「愛し愛される」という喜びを知らないからだ。
 結婚している夫婦ならば、それを味わう。そこでは、顔がかわいいかどうかとか、オッパイが大きいかどうかとか、そういったことはどうでもいい。心の交流があるかどうかだけが、何よりも大切だ。だからこそ、年を食った妻や夫が、とても愛おしく感じられる。

 ──

 現代という時代は、引きこもりのオタクが多くて、人間的な関係性が希薄になりつつある時代だ。いい年をした大人が「まど☆マギ」なんて言いながら、ロリキャラの萌えアニメなんかに夢中になる時代だ。あまりも精神が退行した時代。
 そういう時代には、人間の関係性を構築しようとする意思が必要となる。そして、そこに踏み込めば、萌えキャラなんかに感じるよりも、はるかに深い充実感を感じることができる。

 恋は誰でもできる。アニメのキャラにさえ、恋はできる。しかし、愛は誰にもできるものではない。なぜなら、愛は「相手」を必要とするからだ。その「相手」を大切にする心ができたとき、人を深く愛することができるようになる。そして、そのとき、愛される充実を理解することができる。
 その充実がどれほど豊かなものであるかは、先の2ちゃんねるのスレを読むだけでも、わかるだろう。そこにある充実は、あまりにも平凡なものだ。逆に言えば、どれほど平凡な人でさえ、ここに書かれているような豊かな充実を得ることができる。
 まして、ものすごい美女とであれば……(という話は、普通の人には夢物語なので、省略。知りたければ、美女の出る小説でも読んでください。本項末にあります。)
  


 [ 付記 ]
 萌えゲームでも、「関係性」を疑似的に作り出しているものがある。それが「ラブプラス」だ。どういうふうにしているかは、ここでは述べない。
 ともあれ、こうして疑似的な「関係性」がつくられるので、ゲームをしている人は、本当に恋をしているように錯覚してしまう。
 これはまあ、「バーチャルな愛」と言えるかもしれない。その意味では、「愛」に分類できそうだ。だからこそ、ラブプラスは「恋」ではなくて「愛」を感じるゲームとして大人気を得たのかもしれない。……そしてそこに嵌まって、「ゲーム廃人」になる人も増えていく。  (^^);
  
( ※ 私はラブプラスをやったことはないのだが、一つだけ役立ちそうなことがあるとすれば、キャラのわがままと付き合うことだ。現実の女性はみんなわがままだ。ラブプラスでそれへの耐性を付けておけば、現実の女性への免疫を付けておくことができる。……なお、次のサイトを参照。 → 男女の会話の裏の意味 )
  



 【 関連する書籍・映画 】

 お薦めの小説など。

 (1) はつ恋 (ツルゲーネフ)
 …… 未熟な恋物語。愛されることはないまま、恋に目覚める。

 (2) 若きウェルテルの悩み (ゲーテ)

 …… 恋と愛の中間形態。心は通うし、関係性もあるが、不完全。爆発的情熱。
   ( ※ できれば「手塚富雄訳」で読みたい。中古しかないが。)

 (3) 夜明けの街で (東野圭吾)
 …… 不倫をしたあとで、「そのときは、いい気でいたけれど、ああ、おれはなんて馬鹿なことをしたのか」と事後で反省するようになる ── という不倫の本質を、とても良く描いている。

 (4) ラストコンサート [DVD] (映画)
 …… 恥ずかしくなるほどの純情な恋愛。十代の人向け。大人には純粋すぎる。
 
 (5) 幸福とエルザについての散文 (アラゴン)
 …… 素晴らしい詩集だが、絶版。アラゴンが妻「エルザ」について語った詩集には素晴らしいものがいくつかあるが、たいていは入手難で、すごく古い。図書館に行けばあるかも(たいてい、ない)。エルザの死後の追憶の悲しみには、胸を打つものがある。
posted by 管理人 at 16:46| Comment(0) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
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