( ※ これを読んで怒り狂いそうな人は、あらかじめ前項を読んでおいてください。) ──
血液型と性格は、関係があるか? これについてはネットでもさんざん論議されている。(主にトンデモマニア系の人々。)そこで私なりに、見解をまとめよう。
(1) 科学的な見解
科学的な見解はどうか?
「血液型と性格とが関係あることは、科学的に証明されていない」 ……(*)
という理由で、否定的に述べる批判者が多い。このようなことを語った時点で、その人は非科学的であることを暴露しているのも同然だ。(朝日・朝刊 2011-08-14 の記事など。)
何かが科学的に証明されていないということは、それが事実でないということを意味しない。例。火星に生物がいると証明されていないことは、火星に生物が存在しないということを意味しない。単に不明であるだけだ。
関係を否定するためには、次のことが必要だ。
「血液型と性格とが関係ないことが、科学的に証明されている」
しかしながら、このような証明は、なされていない。ゆえに、正しくは、
「血液型と性格との関係は、科学的には不明である」
となる。これが正しい。
にもかかわらず、(*)のように述べる批判者が多い。このこと一つを取っても、批判者がいかに非科学的なことを主張しているか、よくわかる。
このような批判者は、それ自体、「トンデモ」と呼ばれても仕方ない。(そう語る人々には、トンデモマニアが多いが。ま、それは不思議ではない。トンデモマニアというのは、たいていが、自分自身がトンデモ的であるのだ。近親憎悪ですね。)
(2) 性格と科学
では、性格について、科学はどう述べているか? 批判者はろくに知らないだろうから、私が正解を教えてあげよう。こうだ。
「人間の性格については、科学は何も語っていない」
つまり、科学はほとんど無力である。このことは、岸田秀
「心理学とは、人間の心理を理解するというつもりでいたが、実際には、ネズミが迷路でどっちに進むかを実験的に調べるような学問でしかない」
つまり、心理学(科学)は、人間心理については、ほとんど無力である。何も語れない。それが真実だ。
なのに、「科学的に何もわかっていないから、そのようなものは存在しない」なんて批判するのは、「科学は万能の神である」と語るのも同然である。そのようなことを語っている人は、科学者ではなく、科学教の信者であるにすぎない。
朝日の記者(上記記事)であれ、トンデモマニア系の批判者であれ、科学というものを信仰している科学教の信者であるにすぎない。彼らは「科学」という神を信じているだけであって、科学者ではない。
科学者ならば、「科学は万能ではない」というふうに限界を理解しなくてはならない。( → 前項 )
その上で、「科学は性格については何も語れない」と語るだけでいい。「科学では判明していないから、科学と性格には関係がない」というのは、真実ではなくて、一種の宗教的な告白であるにすぎない。(自分の馬鹿さを示しているだけ。だから、このような批判を聞いたら、その批判者をただちに敬遠した方がいい。)
(3) 性格とは
では、科学はなぜ、性格については無力なのか? それは、二つの理由がある。
第1に、性格というものは、科学の対象とはならない。なぜか? そのための「規則性」「法則性」をもたないのだ。あまりにもバラバラなのである。しかも、それは、完全な無秩序(気体分子ふう)でもない。それは一種の「カオス」である。そんなものは科学の対象とはなりにくい。
人間の心理というものは、もともと科学の対象とはならない。まずはその真実を理解することが大切だ。(「人間の性格は科学で分析できる」と思うのは、「反陽子爆弾で宇宙を消滅させることができる」と思うよりももっと非科学的な発想だ。科学の名を借りたエセ科学にすぎない。要するに、デマ。)
第2に、血液型と性格との関連で大事なのは、客観的に独立した「性格」ではなくて、「場における関係」であるからだ。簡単に言えば、「相性」である。
誰か一人を取って、その人の「性格」というものが単独で存在しているのではない。他の人間との関係としてのみ「性格」が現れる。それは、他の人(相手)しだいで、変化する。そのような「性格」は、「相性」と呼ばれる。
なのに、「相性」ではなく「性格」という物を単独で認識しようとしている時点で、批判者は物事を根本的に間違えている。
(4) 相性とは
では、相性というのは、どういうものか?
相性というものが大切になるのは、人間が孤立しておらず、相手と折り合おうとするからだ。たとえば、PとQという二人が、勝手に行動している限りは、相性は関係ない。しかし、PとQが共同作業をしようとしているときには、相性が関係する。そして、その相性は、PとQの組み合わせしだいで、いろいろと変化する。「Pの性格」というものが単独で存在しているのではない。Pに対してQが誰であるかによって、「Pの性格」というものが異なって見える。
たとえば、Bさんの性格は、Aさんが見ると「わがままで自己中心的」と見えるが、Oさんが見ると、「個性的で自由奔放」と見える。このように、見る人しだいで(相手しだいで)、性格というものが変わって見える。それが「相性」だ。
性格と相性との違いを理解できないという点で、たいていの批判者は勘違いしている。
(5) 理解する心
では、相性において、大切なのは何か? それは「相手を理解しよう」という心だ。換言すれば、「思いやり」とか「優しさ」とか言ってもいい。
たとえば、PとQが共同作業をしようとする。このとき、自分がどうしたいかと考えるだけでなく、相手がどうしたいかを考える。それが「相手を理解しよう」という心であり、「思いやり」や「優しさ」でもある。
こういうふうに「相手を理解しよう」と思うときには、「相手が自分とは違ったか考え方をする」ということを前提とする必要がある。その上で、相手に自分を合わせようとする。……優しい人(思いやりのある人)ならば、そうするだろう。
(6) ガイドブック(簡単な指針)
では、相手を理解するには、どうすればいいか? 「相手が自分とはどう違っているか」を理解するときに、ガイドブックとなるものがあるといい。そのガイドブックに相当するのが、血液型性格判断の本だ。
それがあると、物事のすべてがわかるわけではないが、一応の判断のよすがとなる。
それは、比喩的に言えば、「簡易地図」である。簡易地図があることで、現地で迷わないで済む。だから、簡易地図があれば、それなりに役立つことも多い。
一方、非科学的な人々(科学教の人々)は、次のように批判する。
「簡易地図は、現地とは違う! 簡易地図だけで現地のすべてがわかると思ったら、とんでもない間違いだ。ゆえに、簡易地図は、まったく無益であり、有害そのものだ」
これは頭のネジが(論理が)狂っているとしか言いようがない。簡易地図が現地と違うのは当り前だ。そう理解した上で、ちょっとは役立てようとしているだけだ。なのに、「現地と 100%同じではないから」といって、簡易地図を否定するのは、あまりにも馬鹿げている。
それと同様のことが、主張される。次のように。
「血液型だけで、人間の性格がすべてわかるはずがない。人間の性格がたったの4種類だけで分類されるはずがない」
朝日の記事には、このような批判があるが、いかに非科学的な主張であるか、よくわかるというものだ。たぶん朝日の記者は、次のようにも主張するのだろう。
「天気は、晴れ・曇り・雨・雪という4種類だけじゃない! 天気の種類がたったの4種類だけで分類されるはずがない。ゆえに、天気予報は、非科学的だ。天気予報なんて、トンデモだ!」
馬鹿げていますね。たしかに天気は、4種類だけじゃない。きちんと分類できるわけでもない。「晴れときどき曇り」や「晴れのち曇り」や「曇り一時晴れ」など、中間状態がたくさんある。しかし、4種類におおざっぱに分けることには、それなりに意味があるのだ。
このような「おおざっぱな分類」は、それなりに有益である。血液型性格判断もまた、同様だ。血液型ですべてがわかるわけではないが、部分的には、いくらか役立つこともある。簡易地図と同様に。
(7) 人間関係への関心
では、ガイドブックを利用すれば、それで済むか? いや、そんなことはない。ガイドブックなんてものは、ただの手助けにすぎない。科学ならば、教科書がすべてだが、血液型判断では、ガイドブックは助力となる道具の一つにすぎない。その重みはとても小さい。(科学ではない。)
大切なのは、何か? (5) でも述べたように、「相手を理解しよう」という心だ。つまり「思いやり」や「優しさ」だ。これがある場合に限って、ガイドブックが役に立つ。一方、これがない場合には、ガイドブックがあっても役には立たない。「ガイドブックは真実を示す強力な科学だ」なんて思うようでは、とんでもない誤解をしているというしかない。
人間関係を構築するに当たって、何よりも大切なのは、「相手を理解しよう」という心だ。「思いやり」や「優しさ」だ。そして、それを何よりも知っているのが、若い女性たちだ。
若い女性たちは、異性との良好な関係を築きたいと思う。愛し愛される関係を構築したいと思う。その関係は、相互的な関係だ。だからこそ、相手を知り、自分を知りたいと思う。そのとき、少しでも役立つのが、ガイドブックだ。そのガイドブックは、決してすべてを語るわけでもないが、ガイドブックが何もないのに比べれば、少しは役立つ。(過信してはならないが。)
だから、「血液型に興味があります」という女性と語りあうと、その女性は「相手を理解しよう」という心をもっているとわかる。つまり、「思いやり」や「優しさ」があるとわかる。そして男性が、そういう女性と血液型について話しあうと、血液型について語りながら、その女性との間で相互理解の関係が構築されつつあるのがわかる。
一方、「血液型性格判断なんて科学的でない」という男性もいる。女性がそういう男性と語りあうと、その男性は「相手を理解しよう」という心をもっていないとわかる。つまり、「思いやり」や「優しさ」がないとわかる。そして、そういう男性と血液型について話しあうと、血液型について語りながら、その男性との間で相互理解の関係が構築されないのがわかる。なぜなら、その男性は、もともと相互理解の関係を構築しようという気持ちがないからだ。というのも、もともと相互理解になんか関心がないからだ。彼にとって大事なのは「科学教を信じるかどうか」だけであって、相互理解や人間関係なんて、どうでもいいのだ。
(8) 非モテ
上のことから、次のような傾向があるとわかる。
「血液型と性格について否定的な人々(科学ではないとか何とか否定する人々)は、人間関係に関心がない傾向が強い」
要するに、「非モテ」とか「オタク」だ。「リア充」とは正反対だ。
リア充ならば、現実に優しい美人といっぱい付き合っているから、相互理解や人間関係の大切さを理解しているし、相手を理解する優しさが大切だということも理解している。その上で、自他の違いを理解するためのガイドブックとして、血液型性格判断の本を少しだけ利用する。簡易地図として。
一方、「非モテ」とか「オタク」ならば、現実に優しい美人と付き合うことはないので、相互理解や人間関係の大切さを理解していないし、相手を理解する優しさもろくに理解していない。したがって、自他の違いを理解するためのガイドブックとして、血液型性格判断の本を利用する機会すらない。使う機会がないのだから、その便利さも知らない。その上で、「簡易地図なんか現地とは全然違うんだよ。だから役立たずだよ」というふうに否定する。
逆に言えば、血液型性格判断をどう認識するかで、その男性を判断できる。血液型性格判断への見解は、「人間判断」のリトマス試験紙となる。次のように。
・ 血液型性格判断を部分肯定する …… リア充でモテ男
・ 血液型性格判断を全面否定する …… オタクふうの非モテ
女性の立場からすれば、このようにリトマス試験紙を使うといい。世間には、血液型性格判断を全面否定する科学者が多い。こういう科学者は、「相手を理解しよう」という気持ちなんかほとんどないか、あるいは、女性心理(微妙な女心)にはまったく鈍感であるか、どちらかだ。いずれにせよ、女心を理解しよう気持ちもないし、その能力もない。まともな男女関係が構築されるとは、期待しない方がいい。
ま、そういう男性も、家庭では良き夫にはなるかもしれない。「女には関心がなくて、浮気なんかちっともしないで、家庭と職場を往来するだけ。女性への興味は、2次元の萌えキャラへの興味だけ」というふうな。だから、それなりに、夫としては「良き夫」になるかもしれない。
しかし、そういう男性と、激しく燃えるような恋を期待しても、期待薄である。彼らにとって大事なのは、女心ではなくて、冷たい数字だけなのだ、と理解しておこう。彼らには、「A型とB型の違い」というような微妙なものを感知する能力はなくて、「機械で測定できる数字」だけが大切なのだ。そして、機械で測定できないような微妙な女心なんてものには、まるきり無関心なのである。
(9) 結論
以上のことから、男性たちがどうすればいいかもわかる。
「血液型性格判断は非科学的だ」
という他人の言葉を聞いたら、それを放置すればいい。それは、非モテの連中が、非モテの蟻地獄から抜け出せないさまを語っているだけだ。世の中には、ハンサムで頭のいい男性もいるが、性格が非モテであるだけで女性にはもてない、という例が多くある。そういう非モテの連中は、蟻地獄にとっぷりと使ってもらおう。ライバルは少なければ少ないほどいいからだ。
彼らのような非モテの連中に美人を渡してはならない。非モテの連中を自縄自縛にしておくのがベストだ。ゆえに、「血液型性格判断は非科学的だ」と語る男性たちがいたら、「なるほど」と相槌を打って、無言で賛意を示しておくといい。蟻地獄から出ようとする気が起こらないように。(むしろ、「そうですね、そうですね、あなたは正しい、さすがですね」と褒めて、蟻地獄に突き落としてやるといい。)
一方、きれいな女性たちと出会ったら、彼女たちの語る相互理解の方針に賛意を示して、相互理解に努めればいい。「きみはそう思うのかあ。僕はこう思うんだ。血液型が違うと、感じ方も違うんだね。でも、きみの感じ方は、すてきだね。僕たち、相性がいいね」というふうに、どんどん仲良くなればいい。( ※ 一般に、血液型は異なる方が、異性的に惹かれあう度合いは強い。だからこそ、違いを認め合うことで、恋が起こる。)
そして、そういうふうに仲良くするためには、ガイドブックを使えばいい。ガイドブックを使うと、相手の性格を知るのに役立つ。すると相手は、「自分を理解された」と信じて、こちらに好意を示してくれるようになる。血液型性格判断は、もてるためには必須のガイドブックなのだ。
ただし、注意。このガイドブックは、相手がかわいいモテ女性ほど有効だ。かわいいモテ女性は、すでにモテているので、男性が血液型ごとに違っていることを、かなりよく知っている。そのガイドブックの信頼度は 100%ではないが、それなりに役立つことをよく知っている。だからこそ、話が噛み合う。
一方、ブスの非モテ女性には、無効だ。ブスの非モテ女性は、モテたことがないので、男性が血液型ごとに違っていることを、ちっとも知っていない。そのガイドブックの話を語ると、「そんなガイドブック、科学的でないから、当てにならない」と言い出しかねない。だから、あなたが血液型の話を持ち出しても、話が噛み合わない。かえって非難されるだろう。「血液型性格判断を信じるなんて、あなたってトンデモだわ!」と。
非モテの男性も、非モテの女性も、「血液型性格判断は科学的でない!」と批判する。だからこそ、非モテの連中は、その領域に閉じ込めておけばいい。彼らのような非モテには「血液型性格判断は科学的でない」という認識だけを与えておけばいい。
そして、その間に、モテ男とモテ女は、血液型の話を語りながら、相互理解の度を深めればいい。おたがいの欠点を理解し、その欠点を容認すればいい。つまり、いっそう優しくなればいい。
血液型性格判断を利用する目的は、相手の欠点を批判することではなく、相手の欠点を理解・容認することだ。つまり、優しくなることだ。
「自分が欠点だと思っていた相手の性格は、実は血液型による特性にすぎない。それは、自分の視点から見れば欠点だったが、他の視点から見れば長所に見える」
こう理解することができる。つまり、「相手の欠点」と見えたことは、実は、自分の視野の狭さを意味するにすぎない、と反省できる。
それが血液型性格判断の最終目的だ。そしてそれは「優しくなりたい」「思いやりをもちたい」と思う人だけに役立つ。相手を「トンデモだ! 非科学的だ!」と非難したがるような人には、何の役にも立たない。思いやりのない人には、何の役にも立たない。
血液型性格判断は、「優しくなりたい」「思いやりをもちたい」と思う人だけが役立てればいい。また、「異性といい仲になりたい」と思う人だけが役立てればいい。
一方、「女性よりも科学が大事だ」とか、「女性よりも萌えキャラが大事だ」と思っている人には、血液型性格判断は何の役にも立たない。「機械で測定される数字こそが大切だ」「2次元のかわいらしさが大事だ」と思うような非モテには、血液型性格判断は無用の長物となる。猫に小判。豚に真珠。
だから、そういう科学主義のオタクは、そのままに放っておけばいい。特に、その人が一見モテそうな人であれば、なおさらだ。
世の中の男性は、自分だけがこっそり、血液型性格判断というガイドブックを利用すればいい。そのためには、「血液型性格判断は非科学的だ」という批判を、そのまま放っておくのがいい。一見モテそうな非モテは、ライバルである。ライバルは少ないほどいい。
──
結局、私としての公式見解は、こうなる。
「血液型性格判断は非科学的だ」という意見には、暗黙の同意をします。誰かがそう唱えれば、黙って頷きます。その意見を信じたい人は、どうぞ信じてください。血液型性格判断をいくらでも否定してください。ご自由に。
( ※ そして、そう口に出している裏では、こっそりとガイドブックを利用しながら、かわいい美人ちゃんたちと仲良く語りあうのである。)
( ※ これは妄想ではないので、念のため。かわいい美人ちゃんと血液型で仲良く語りあうというのは、実体験です。)
[ 付記1 ]
「血液型の話をすれば、美人と仲良く付き合えるんだな」
と思ったら、それは間違いなので、勘違いしないように。たとえば、もともと本質的に非モテの人ならば、美人の方が嫌がるので、美人の方が関係を深めたがらない。
血液型の話が有効なのは、仲良くなる可能性がある場合だけだ。たとえば、コンビニのバイトをして、仲間の女店員と少しだけ知り合っている。好きでも嫌いでもない。その状況で、血液型の話をすると、相手の女性は、「自分を理解された」と感じて、あなたに好意を持つようになるかもしれない。……そのくらいのことは、あるだろう。しかし、もともと嫌われているようなら、最初から可能性はない。
美人に話しかけて、美人が血液型の話をしたがらないとしたら、それは、美人が「あなたとの関係を深めたくない」と思っていることを意味する。
逆に言えば、あなたが「血液型なんか非科学的だよ」と語れば、あなたの交際相手はあなたから遠ざかりがちになる。「きみとの関係を深めたくないんだよ」というサインだと受け取るからだ。……というか、その前に、「そういう対人関係不能症の男はお断り」と相手が感じるだろう。
あなたが非モテになりたければ(一生独身でいたければ)、「血液型なんか非科学的だよ」と語ればいい。それは、リア充の道ではなく、オタクの道である。(実際、オタクには、血液型性格判断に批判の傾向が強い。)
[ 付記2 ]
血液型性格判断が科学であるかどうかについては、「これは科学的だぞ」と能見俊賢が述べている、という指摘がある。
しかし、能見俊賢というのは、始祖を受け継いだ、馬鹿息子である。馬鹿息子の言葉を聞く方がおかしい。
また、血液型性格判断を語る人々には、間違ったことを語る人が多いのも事実だ。しかし、馬鹿がいるからといって、すべてが間違いだということにはならない。ヤブ医者やニセ医者がいるからといって、医者や医学がすべて否定されるわけではない。それと同じ。
上のような批判的な指摘は、意味がない。
[ 付記3 ]
「血液型と性格とは何の関係もない」
と主張している人がいるが、そういう人々は、オカルトを信じている非科学主義者だと断定していい。なぜか? 私の場合、女性の血液型の的中率が、ものすごく高いからだ。
私の場合、写真で女性の顔を見た場合だけで、60%〜70%ぐらい血液型があたる。話しをいろいろと聞くと、さらに高くなる。判定しにくい場合には、ポイントとなる点について詳しく問い質すと、さらに的中率は上がる。だいたい、90%以上の的中率だ。(ハズレることはほとんどない。ごく例外があるだけ。)
そして、このようなことが科学的事実(統計からの推断)によるのではないとしたら、私は超能力をもっていることになる。千里眼や念力のような超自然現象を起こす超能力を私は持っていることになる。
( ※ ただし、男性の性格については、そうではない。私は男性であるから、私との相性が関係する女性についてのみ、相手の血液型を性格から推定できる。)
さらには、私のまわりにいる女性たちも、この手の能力がすごく高い人がいる。(人間観察力の高い美人がそうだ。不美人はそうではない。男にもてないので。)で、こういう女性たちも、超能力を持っていることになる。エスパー集団ですね。
で、そういう超能力なんかを信じている連中は、ただのオカルト主義にすぎない、というのが私の判定だ。
ちなみに、私は、サイコロの目の確率を「それぞれ6分の1」と予測できる。こういう統計的な予測も、彼らにとっては「超能力」なのだろう。
はっきり言えば、「血液型と性格との関係」というのは、ただの統計現象であるにすぎない。なのに、そこにある規則性を見抜けない人が、規則性を見抜いた人に対して、「超能力だ」と騒ぐだけのことだ。
愚かな未開人にとっては、西洋医学が神の業のように見えるだろう。それと同じことだ。科学的事実というものは、それを理解できる人には当り前の事実であるにすぎないが、それを理解できない人には「神の業」とか「超能力」とかに見えてしまうのである。
たとえれば、次のようなものか。
→ スプーン曲げの方法
私は科学的な方法で、いくらでもスプーンを曲げられる。しかしその方法がわからない人には、それが「超能力だ」と見える。
私は血液型と性格との関係に、規則性を見出すことができる。しかしその規則性を見出せない人は、「そこには規則性がない」と主張し、そのあげく、そこに規則性を見出した私を「超能力者だ」と評する。
( ※ いやね。私は別に、超能力者じゃないんですけどね。単に、女心をよくわかっているだけです。オタクには無理だろうけど。)
( ※ 私が血液型をうまく判定できるのは、医者が問診するのと同じである。医者は患者の話をよく聞いて、適切に質問して、回答を得る。そのことで、高い確度で病気を判定できる。名医ならばたいていがうまく判定できる。……一方、医学を理解できない原始人は、「話を聞いただけで病気を当てるなんて、すごい」と感嘆する。「検査もしないで病気を当てるなんて、きっと超能力を使っているに違いない」と。……ま、「血液型性格判断なんてアテにならない」と主張する人々は、現代医学を理解できない原始人と同じようなものかも。)
[ 余談1 ]
自動車に「赤ちゃんが乗っています」というステッカーを貼っていたら、信号で止まったときに、後続車の運転手から怒鳴られた妊婦がいる。
「お前、何のつもりなの? 何? あのマーク。お前が妊娠してるのなんて、こっちは知ったこっちゃねーんだよ。」
と罵られたそうだ。
→ 出典
→ 解説
何事も、怒り狂いたがる人々はいる。「トンデモだ!」とか「非科学的だ!」とか。……そんなに怒り狂うことはないんですけどね。誰かに迷惑をかけているわけでもないのに。
こういうふうに怒り狂う人には近づかないのが無難。黙ってやり過ごしましょう。「血液型性格判断なんか非科学的だ!」と怒鳴り散らしている人には、「はいはい」と頷いていればそれでOK。こういう狂信者と関わりあいになると、ろくなことはない。
( ※ 朝日の記者みたいな狂信者は、放置しておくのが無難。)
[ 余談2 ]
思いやりのある人々の人情話。涙がぽろり。
→ 温かいスープ
相手のつらさや苦しみを我がことのように理解するという心は、「他人を批判することで真実を語ったつもりになる」という心とは正反対である。
あなたに思いやりがどのくらいあるかは、次の話を読んだときの感想でわかる。
→ 戦後の話
[ 余談3 ]
本項の話がまとまりが付かなくなってしまったように感じられるかもしれない。そこで、ポイントを一つ言えば、こうだ。
「思いやりや優しさこそ、大切なものだ」
そして、その助けになるのが、血液型性格判断だ。
一方、血液型性格判断への批判者の悪口を言うことは、本項の目的ではない。私はむしろ、彼らを褒めてあげたい。「あなたは頭がいい、すごい、立派だ、科学的だ」というふうに。……そう言われて喜んでりゃ、世話ないよ。 (^^);
【 関連書籍 】
岸田秀
【 関連項目 】
→ 科学の限界(その認識) (前項)
→ 恋と愛の違いは? (次項)
→ 爪が割れたら……
この項目の最後に、次の一文がある。
若い女の子と何を話せばいいか? 血液型の話でもすれば、相手は乗ってきます。たいていは。![]()
( ※ で、相手が何型であっても、「×型と△型は相性がいいんだよ」というふうに強引に言いくるめて、仲良くなってしまえばいい。これが「血液型性格判断」の正しい使い方だ。悪口を言うためでなく、仲良くなるために使う、というのが。)
【 関連商品 】
→ ラブプラスと血液型
ゲームのラブプラスを使うと、血液型のお勉強ができる、という話。
A型またはB型の彼女を攻略するときに、特に有益です……???

目頭が熱くなりました。・・・しかしですよ、最後の部分は同意できませんね。
当時の憲法では国民は天皇の臣下だったのですよ。私の主人は天皇なのですよ。私の命は天皇の為にあるのですよ。滅私奉公が美徳なのですよ。天皇の為に命を捧げたのですから本望で喜ぶべきことなのです(^^)
それに戦争を天災の様に考えるのもいただけません。
私の主人は私、でありたいと望むなら現憲法を守るべきなのです。もし一度でも改正されると、なし崩し的に主権を取り上げられることは容易に想像できますからね。
性格を科学的に扱える、という前提のミス。
わからなければ、それでもいいです。それなら、私が超能力を持っていることになります。オカルトを現実のことだと思っているといいでしょう。
ついでですが、「血液型性格判断を統計学的に扱う」という形で「否定する」という例は、すべてものすごく非科学的です。
つまり、「血液型性格判断は統計学的に否定されてる」ということは、非科学的な方法でなされています。一種のトンデモですね。
例。「優しい」とか「気が強い」とかいう性格を想定して、それを血液型と結びつけている。……その無意味さに気がつかないような人は、そもそも心理学を語る資格がない。
> 所謂「釣り」ですよね?(笑)
違います。そのうち、私の「超能力」を示す予定。 (^^)
管理人さんは思い込みが激しい方だと感じます。
血液型の話ですが、人間には「人が望む自分像になろう」「社会に同化しよう」と無意識に行動してしまう所があります。血液型を信じる人は意識せずに「AっぽいA型の人」を演じているのを目にします。
日本は小学生の頃から「血液型の性格」が話題になる環境です。私のクラスでも何人か血液型ガイドブックを教室に持ってきていて、「A型は整頓好き」とか色々言っていました。
私は現在ヨーロッパに赴任しているのですが、こちらの人は自分の血液型すら知らない人が多く居ます。私の同僚(日本人)は血液型当てるのが好きで、ヨーロッパ人に嫌な顔されてるのに、「血液型教えて」とか良く訪ねています(本人は嫌がられているのに全然気づいていない・・・)。
ヨーロッパ人の血液型は当たらないそうです。
そりゃそうですよね。血液型なんて意識してない人は血液型に沿った行動しませんもん。
日本人だから道路に唾を吐かない(中国行ったときに驚きました)、家族では父親が稼ぎ頭になる、とか無意識に自分の「常識」が形作られていくだけなのに。
世界の性格が血液型の4種類だけだったら笑っちゃいます。まぁ、血液型も「なんとなく自分に当たってる気がする」ものが羅列されていますが。
私は科学的・非科学的の論争に加わるつもりは無いので念のため。こんなくだらないネタでこれだけ熱心に書けるあなたに感服します。
当り前ですよ。ヨーロッパはほとんどがO型とA型で、B型もAB型もほとんどいないんだから。
誰もヨーロッパの話なんかしていない。「血液型だけで性格が決まる」というのを否定するあなたの読解は、「体重だけで性格が決まる」とか「人種だけで性格が決まる」というのを否定するのと同じで、ただの勝手読み。誤読。
> 世界の性格が血液型の4種類だけだったら笑っちゃいます。
まあ、そう思うのはいいですが、少なくとも私の文章が読めるぐらいは、日本語読解力を付けてください。どうやら日本語を読めなくなってしまったようですね。
> 血液型を信じる人は意識せずに「AっぽいA型の人」を演じているのを目にします。
それならそれで、結果的に、あなたは血液型性格判断を信じていることになります。演じていようが演じていまいが、そんなことはどうでもいいので。
──
ついでですが、私は「血液型で性格が決まる」と述べているわけじゃないですよ。「血液型性格判断は正しい」と擁護しているわけでもないですよ。では何を述べているか? 日本語をきちんと読む努力をしましょう。
なお、私があなたの性格を判断すると、「自分がこうだと思い込んだ方向に、勝手に相手の言い分を誤読・曲解して、批判する」という傾向があります。トンデモマニアに似ていますね。「思い込みが強い」という性格です。A型の人に比較的多い性質です。(だからといってA型だと断定するわけではないが。)
> 管理人さんは思い込みが激しい方だと感じます。
私は自説を極端に信じて他人を間違いだと批判しているわけではありません。(そういうのはトンデモマニアであって、私はそうじゃない。)
私がやっているのは、「物事の本質・核心を捉えよう」ということであり、そのために「問題をなるべくクリアに鮮明に表現する」という、表現の工夫です。普通ならば「白っぽい灰色」というふうに、当たり障りのない書き方をするところを、「雪のごとく白い」というふうに極端に表現します。
こういうふうに表現を極端にする(鮮明にする)からといって、認識が極端だということにはなりません。そこをきちんと理解してください。
血液型性格判断の話というのは、A と B の違いが主な話であって、O型の話はあまりないですからね。癪に障るのかも。
話題が豊富なので、女性にもてるんでしょう。
そう思った私はO型。
一番手っ取り早いのは「聞き上手」。
これはプレイボーイで名高い石田純一も語っている方法だ。間違いなし。
血液型については否定的でしたし、まあ確かにオタクですね。
自分が感じた事を文章化するのは難しいですが、管理人さんは血液型になぞらえて、人間関係のコツを説いているのかな、と若干ユーモアを交えつつ、経験談を交えてきちっとした理論を説いているのだと解釈しました。経験も無しに色々と主張するのもなかなか難しいですから。
ブログを読み始める際は疑問も浮かびますが、最後は納得してしまうので、自分の思考が他者に染められているようで、逆に自分どうなんだろう?と思ってしまいます。
やはり勉強するしかありませんね。
今後も面白い記事楽しみにしております。
ありがとうございました。
そして、異性と仲良くなるためには、ライバルはなるべく排除する必要がある。
とすれば、血液型性格判断を世間にPRすることは、目的に反する。血液型性格判断を利用する人は、血液型性格判断を他人が利用しないように、なるべく邪魔する方がいい。(それは競馬の情報と同じである。有力な情報を知っていれば、それを自分だけが利用するべきだ。他人に教えてはかえって損をする。)
したがって、あなた(男性)が血液型性格判断を利用しているのであれば、他の男性に向かっては「血液型性格判断は間違いだ、トンデモだ!」と批判した方がいい。そうすればライバルを邪魔することができる。
世の中にはたくさんの人が「血液型はトンデモだ!」と批判している。あなたも自分がライバルよりも有利になりたければ、そういうふうに批判した方がいいだろう。(そして、実際に女性と話すときには、ちゃっかり血液型性格判断を利用して、女性と仲良くすればいいのだ。)……これが最も賢明な生き方である。
というわけで、私も本文の話を、否定しておこう。「血液型性格判断は役立つ」というふうに書いたのは、嘘です。血液型性格判断を、皆さん、利用しないでくださいね。お願いします。
※ ただしその結果については、私は責任もてません。あくまで自己責任で。(あとで「もてなくなったぞ」と文句を言わないように。)
と書いてあったから読んだけど。↑に対する持論が出てない。なのに、偉そうな口調だからちょっと嫌い。
んでも、科学的な証明に関する考え方。
科学と言いつつ科学的じゃないものが多い世の中で、管理人さんの考え方をする人少ないからそこは超好感w
そうなると、釣りのネタと思いたい♪
あとさ、ホントにモテるの?
血液型の話なんて使わなくても普通に。。。ゴメン(笑)
仲間内では話題になっています。
ちょっとだけ気になったのでコメントを。
1)統計的に否定されているのか?(linuさん)
考えるまでもなく、日本人の7割が「血液型性格判断」を信じているのですから、少なくとも日本なら統計的に肯定されています。韓国、台湾でも同じです。
ちなみに、日本と韓国では、心理学の論文でもちゃんと差が出ています。
2)ヨーロッパでは自分の血液型を知らないのか?(外国駐在員さん)
確か、フランスでは全員血液型検査をしているはずです。ドイツのような徴兵制の国では、徴兵の際に全員血液型検査をします。ですので、少なくともドイツやフランスでは当てはまりません。
3)血液型の話題で女性にモテるのか?
これは本当です。ただし、私はモテませんので、例外もあると思います。(^^;;
>血液型を信じる人は意識せずに
>「AっぽいA型の人」を演じている
2.Posted by ABO FAN at 2011年09月19日 06:24
>「血液型性格判断」を信じているのですから、
>少なくとも日本なら統計的に肯定されています。
3.「1.」=「2.」
血液型と性格のポイントは信じる人?
彼が自負してる進化論の正当性と矛盾してる現状にいつ気づくんでしょうか?
創造論を否定し進化論を肯定するには進化の道筋である血液型がいかに生体に影響を与えるかが重大課題なのに、
本末転倒ですよね。
確かにオカルトものは科学では扱えないだけであり、「〇〇は非科学的でオカルトだ」と全否定するのも非科学的でしょう。
それは血液型性格然り、有神論や宗教然りと。
ただ一つ言いたいことですが、血液型性格診断の批判意見も色々とあり、穏健的なものとして、オカルトとして信じたり楽しんだり語ったりする分には良いですが、それを純粋に科学的に正当なものだと信じ込むべきではないと考える人も多いです。
つまり、一部に血液型性格診断は科学的だと思い込んでる人がいるなので、それは疑似科学でオカルトにすぎないと批判されるわけです。
正しいかどうかが問題でなく、科学とオカルトの区別をすべきだということですね。
あと、いくつか気になる点として、
>・ 血液型性格判断を部分肯定する …… リア充でモテ男
>・ 血液型性格判断を全面否定する …… オタクふうの非モテ
こんなに単純に決めつけるのは非モテにとってもリア充にとっても失礼かと。
実際、知的で相手の為を思って「血液型と性格は関係ない」と諭すリア充もいれば、血液型性格判断を信じる人を尊重する非モテも少なくないでしょう。
>[ 付記3 ] より
ある意味オカルトも半ば肯定する自分としては、血液型性格判断を肯定するのなら、相手の血液型を当てる超能力も仮説として信じるのもありですね。
もし相手の血液型の的中率が高い人がいるとすれば、個人的には赤血球の抗原の違いだけのABO血液型と性格との関係よりも、超心理学的なESPによる血液型の的中能力を支持するほうが合理的だと思っています。
(もちろんそれが科学的だという意味ではない)
最後に科学とオカルトについての参考になるサイトです。
「アンチ・オカルト」
→ http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/anti1.htm
批判するときには相手の言い分を理解してから、というのが原則なんですが。
すでに記されているように、上記の主張は典型的な間違いです。(批判者による誤解。)
血液型とは、血液だけの違いではありません。体の細胞の全体にわたるものです。影響は全細胞に渡ります。
これは私の仮説ですが、B型は、神経細胞を活発にさせ、A型は神経細胞を抑制的にさせる傾向がある。それが性格に影響する。……こう考えると、血液型による性格のすべてが科学的に合理的に説明可能です。
A型やB型やAB型の性格のひとつひとつを、上記の原理で説明してみると、あら不思議。すべての個別性格(例:気まぐれ/我慢強い など)が上記の原理できちんと説明できてしまう。
> こんなに単純に決めつけるのは
これもよくある誤解なんだけど、血液型性格学で示しているのは、「そういう傾向がいくらかある。違いは5%程度で、大きくはないが、統計的に有意な差ははっきりとある」という程度です。白黒がはっきり付くような差があるわけではなく、「やや濃い灰色と、やや薄い灰色」がある、という程度。その程度の小さな違いが、統計的には見出される、という程度です。個別の人間では、例外も多数ある、と初めから明示されています。
私が上記で示した違いも、また同様。白黒で示しているわけではありません。
一般的に、血液型性格学の批判者は、勝手に批判対象を妄想でつくりあげて、その妄想した対象を攻撃しているだけです。藁人形論法。ドンキホーテの風車。
もうお亡くなりになりましたが、筋金入りの人格者だったからでしょうかね
もともと5%ぐらいの違いしかないし、統計的に見て集団の差がわかるという程度のことなんだから、ひとりの個人を見れば、違いがほとんどわからないのは当然です。
「骨髄移植で血液型が変われば、性格も変わる」と思っている人は、血液型性格学のことを根本的に誤解していますね。藁人形論法。自分で勝手に妄想しているだけ。
「血液型が性格のすべてを決めるという説だ」と勝手に妄想している。
こういう頑固な思い込みをする人の血液型は……という話は、やめておこう。
何で逆ギレされているのかは不明ですが、血液型性格判断にはあまり重要性を感じません。
クラスの笑いの種と言われたわたくしですが、女性にもその手の会話はした記憶がありません。
どこにでも転がってる話を何回も聞かされても、つまらないでしょうからね。
確かに最近の研究ではそれが判明されているそうですね。
ただ、血液型にも数多くの種類があり、体細胞の表面抗原も250種類以上あり、ABO式血液型の抗原はその一つにすぎないことを考えると、
ABO血液型が性格を大きく決定されるという仮説はまだまだ合理的に説明できていないような気がします。
そもそも性格自体が様々な環境や体質が複雑に絡み合って決まるものでもありますしね。
いずれにしても、血液型性格診断はまだオカルトレベルの域から出ていなくて、肯定も否定も合理的にできていないのが現状なようですね。
そんなこと、誰も言っていないでしょう。これもまた、批判論者の勝手な思い込み。
私の感じたところでは、性格全体のうち、2〜3割ぐらいですね。その部分で、5%ぐらいの違いが生じる。掛け算すると、影響度は1%ぐらいにすぎない。
なのに、「血液型が性格の 100%を決める」という説だと勝手に妄想して、妄想対象を批判する人が多い。
批判論者のほとんどは、非科学的という以前に、読解力に相当の問題が生じている。知性以前の問題だな。コミュ障に近い。話が通じていない。相手の話をまったく理解できていない。
要するに、相手を「馬鹿だ」と批判するために、勝手に馬鹿な姿を捏造して、批判している。藁人形論法。
そもそも、こういう話題に理屈っぽく、くどくどと話をする時点で非モテだと思うのですが(笑)
あと、誤読を相手の読解力だけを理由として、自身の文書力にも目を向けないのも、決めつけだと思いますが。
血液型性格学については、私は何も主張していません。主張しているのは、その当人たちであって、私は何も書いていません。
彼らの主張・学説について、誰かが誤読したとして、それが私の文章力のせいだということはありません。私は何も書いていないんだから。
私が書いているのは、批判者への批判(誤読批判)であって、元の当人たちの主張内容ではありません。
だったら、血液型のせいで全体の1%ぐらいの変動があったとしても、何も不思議ではない。そう見なすのが、科学的態度というものだ。
なのに、「科学的に存在が証明されていないから、存在しないと科学的に証明された」と主張したり、「100%の存在はあり得ないから、1%の存在もあり得ない」と主張するのが、批判論者だ。
これはもう、科学的かどうかという以前に、論理が破綻している。狂人的だ。そういう馬鹿馬鹿しさを、私は指摘している。つまり、論理の破綻の指摘。(本サイトでよくある、詐欺の指摘と同様。)
一方、血液型性格学の内容自体については、私は何もコメントしていない。お間違えなく。
比喩的に言えば、詐欺師を指弾することはあっても、(詐欺の)被害者や警察の味方をしているわけじゃない。単に詐欺師を指弾しているだけだ。
似た例で言えば、巨人が嫌いだからといって、阪神やカープやホークスのファンだということにはならない。
ここを勘違いする人が多いんだよね。そういう非論理が、血液型性格学の批判者に共通する点。
逆に言えば、そういう非論理的思考の持主が、感情に駆られて、血液型性格学を(誤読して)批判する。
※ 私の想像で言えば、彼らは「心身二元論」という馬鹿げた哲学を信じているのだろう。「精神と肉体は無関係だ、と見なすのが科学的だ」と信じている。ほとんど非科学的な宗教的信念だな。
ところで、血液型性格学なる学問の存在を知らないのですが、そんなものありましたっけ?
影響する分野が全然違うでしょう。
砂糖と酢はどちらが味が強いか、という比較をするようなもので、ナンセンス。比較にならない。
無意味な批判ばっかり。
タイトルや本文の結構な部分を「血液型と性格」に関する所で費やしていて、いかに結論が違うとは言っても、誤読しがちかな、とは思うんですけどね。
あと個人的な意見を述べたり、それに関して本質を突き詰めるためのブログだったら、本論とずれた話題で議論が起こるのもそれはそれでそこにのっかるのもありかなと思うし、ばっさり誤読で切り捨てるのもどうかとも思いますがね(確かに、1文で”バカ”とかしか言わないコメントにまともに返答する必要はないとは思いますが)これも個人の好みですね。
将棋から入って、少しの間いくつか文章を読ませていただきましたが、もう来ることはないと思いますので、お騒がせしました。