科学者はおのれへの過信がある。それが本項のテーマだ。
今回の大地震では、地震学者の予測は大ハズレだった。以下では、朝日新聞 2011-08-17 (紙の新聞のみ)から引用しよう。
政府の地震調査委員会は、30年以内に宮城県沖で M7.5程度の地震が99%の確率で発生すると予測していた。M9の地震発生は、想定外だった。さらに、日本地震学会の平原和朗・会長へのインタビューから引用しよう。
近年、地震の研究は「短期予知」から「長期予測」へと重点が移され、「いつ」かはわからなくても、「どこで」「どんな」地震が起こるかについては、わかってきたと考えられていた。特に宮城県沖は、研究が進んでいる場所とされてきた。
それだけに、「想定外の巨大地震」は研究者に大きな衝撃を与えた。
「今の地震学であらゆる地震の起こり方を想定することは難しい。何が起こるかわからないということを今回、学んだ」ここには、重要な点がある。
「言い訳はたくさんあるが、想定外としか言えなかったことは、敗北だ。喪失感にとらわれた」
「なぜ間違ったのか、問題点を洗い直す委員会を日本地震学会は立ち上げて、検討している」
「これまでは、解析データの範囲でわかった確実なことだけを、社会に対して発信してきた。今後は、データの解釈によっては、もっと大きな地震が起こる可能性があるから、防災対応を考えてください、ということになる。情報の伝え方も重要。科学者はわかったことだけ発表すればいいと考え、伝え方の訓練もしてこなかった」
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地震学者の問題は、何だったか? そこには、科学への過信があった。「科学は真実を解明できる」と考えて、「解明されていないものは真実ではない」と思い込んだ。そのせいで、「解明されたことだけを伝えればいい。解明されていないこと(≒ あやふやなこと)は、伝えるべきではない」と考えた。
しかしそれはおのれへの自惚れだったのだ。「科学は真実を解明できる」ということはない。むしろ、「解明されていない真実」がたくさんある。だから、「解明されたことだけを伝えれば、解明されていない真実が取りこぼされてしまう」……こういう形で、地震学では捉えきれなかった巨大地震を、まんまと見過ごしてしまった。
そこにはおのれへの過信があった。「地震学は科学であり、地震学は真理を解明できる」という過信が。もしその過信がなかったなら、おのれの無知を理解できていただろう。そして、おのれの無知を補うために、他の分野(地震学以外)の学者の教えを請うただろう。そうすれば、次の事実を知ったはずだ。
(1) 統計学
マグニチュード 8.4程度の地震は、ほぼ百年おきに何度も起こってきた。今回の地震も、そのうちの一つにすぎない。(今回の地震は、モーメントマグニチュードでは M9 だが、従来と同じ尺度の気象庁マグニチュードでは、M8.4 だから、今回の地震は、百年に1回という普通の地震である。津波が大きかったのは、特別な理由があるだろうが、地震そのものは、十分に予想された規模であった。)
(2) 地質学
地質学者は、今回の大地震を前もって警告していた。
日本の太平洋岸を襲った巨大津波はほとんどすべての人々を驚かせた。しかし宍倉正展氏(41)はそれを予測していた。巨大津波到来を知って「やっぱり」と思った、と宍倉氏は言う。この記事は、WSJ の英文記事の翻訳だ。こういう情報を日本のマスコミが流すことは少ない。日本のマスコミは体制派べったりだからだ。
宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県や宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。
大昔の津波の一つは歴史にも登場している。ある史実によれば、西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。
そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所・活断層・地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。
宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。
宍倉氏の上司で活断層・地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。
3月11日の大地震の際、宍倉博士の勤務する8階のオフィスでは書棚が倒れテレビが床に落ちた。同博士は一階下の臨時のスペースに移動しており、そこでインタビューに応じてくれた。
同博士は 「間にあわなかったのが残念だ」と述べた。しかし以前、研究のため地層を掘ろうとする同博士に手を貸すどころか、「迷惑」だと言っていた地元当局者もいたことを思い出し、自らの正しさが立証され報われたとも感じていると述べた。
宍倉博士の研究は、古地震学という比較的新しい学問分野だ。パイオニアであるカリフォルニア工科大学教授を経て現在シンガポール地震研究所の所長を務めているケリー・シー博士は、こうした研究に携わっている少数の研究者は通常無視される運命にあると語る。同博士によれば、人は自分自身が目撃した、あるいは自分の知っている人が目撃したものを信じるようにできている。彼らは「500年に一度の出来事に対処する」ようにはできていないのだという。
( → WSJ )
しかし、日本地震学会が無視したところに、物事の真実はあった。それを理解していれば福島原発の問題も起こらなかっただろう。たとえば、「福島原発は津波によって水没する危険がある」という予想を日本地震学会が声明していたら、日本は原発事故から免れていただろう。
しかし現実にあったのは、そうではなかった。「マイナーな地質学者の見解なんか無視してしまえ」ということであった。それというのも、「自分たち地震学会こそが専門家の集団なのであり、自分たちこそが真実をつかんでいるのだ。それに反する見解を出すやつは、トンデモだ」とでも思っていたのだろう。
そして、そういう驕(おご)りのあとで、津波がすべてをひっくり返した。
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科学というものは、決して万能ではない。科学が語れるのは、規則的な現象だけである。地震のように「百年か数百年に一度」という現象は、規則性が弱い。また、気象のような現象は、規則性が弱い。さらに言えば、人間心理というものは、規則性が非常に弱い。
だから、これらの現象を科学で扱うにしても、科学には限界がある。とすれば、われわれがなすべきことは、「科学には限界がある」と認識することだ。それこそが大切なことだ。
しかるに、現実には、そういう態度は取られにくい。逆に、「科学はすべてを解明する」と自惚れたあげく、「科学で解明されていないことを語るやつはトンデモだ!」と語る傾向が強い。
そして、そういう傾向から、今回のような「巨大地震の無視」が起こった。そのせいで、福島の原発事故が起こってしまった。
今回の福島の原発事故は、人間の(というより科学者の)驕りが根本原因にある。「地震のことはすべて科学で解明されている。解明されていないことを語るやつはトンデモだ」とか、「原発は 科学で十分に制御できる。制御できないと言うやつはトンデモだ」とか、そういうふうに他人を非難した。
そういう「科学への過信」ないし「自己への驕り」が、巨大な事故を招いて、科学者の頭に津波という冷や水を浴びせたのである。
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じゃ、どうすればいいか?
わからないことについては、「わからない」と語ればいい。「この世には科学では解明できないことがたくさんあります」というふうに、科学の限界を理解すればいい。
現在の科学水準に比べれば、50年前の科学水準はずっと低い。そこではコンピュータさえもろくにない。
逆に言えば、50年後の科学水準に比べれば、現在の科学水準はずっと低い。未来の科学者から見れば、「ろくにになにもわかっていないくせに」と馬鹿にされる水準だ。
にもかかわらず、自分の知ったことばかりを見て、自分の知らないことを見ようとしないのが、たいていの科学者だ。
「無知の知」
という賢さがないという点では、ソクラテスの時代と比べても、今の科学者はほとんど進歩していない。2000年前の哲学者の水準にすら達していない、と言える。
だから、せめて、「科学では理解できないことがある」ということがぐらいは、わきまえるべきだ。
悲劇ハムレットの言葉に、次の台詞がある。
「おお、ホレーショ。天と地の間には、哲学には思いも及ばぬほど多くのものがあるのだよ」
この「哲学」を「科学」に置き換えるといい。
[ 余談 ]
それでも現実には、たいていの科学者は愚かだ。「科学では何でも解明できる」という驕りが強い。その驕りの具体的な例は、次項で示す予定。
( ※ トンデモマニアが大好きな話題。蜜に群がるアリのように群がりそうだ。)
【 関連サイト 】
→ 西暦869年の貞観地震・津波について (PDF)
