比喩的に言おう。右手から左手へ、百円移した。右手で百円減って、左手で百円増えた。全体では何も変化はない。
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しかし、右手だけを見た人は「百円減った」と思うし、左手だけを見た人は「百円増えた」と思う。
そして、そういう錯覚を意図的に起こそうとするのが、ペテン師だ。「右手を見ろ、百円減った」と思わせたり、「左手を見ろ、百円増えた」と思わせたりする。
こういうペテンは、至るところに見出される。
原発の補助金も、同様だ。(「右手で百円減った」とだけ言う。)
──
「原発の補助金は、太陽光発電の補助金よりも、高額だ」
という主張がある。たとえば、朝日社説は、こう述べる。
新制度による買い取り金額は電力代に上乗せされる。この上乗せ分を1キロワット時あたり 0.5円を超えさせないとする案が有力になっている。標準家庭だと月額150円にあたる。……これだと総発電量に占める自然エネルギーの割合は2020年までに4〜5%しか増えそうにない。こういうふうに、原発の補助金と、太陽光発電への補助金を、同列に並べている。
明細書に記されていないが、電気代には原発の電源立地交付金などの消費者負担が、1世帯あたり月額300円ほど含まれているとの試算がある。つまり原発のためには、自然エネルギー買い取りに制限を求める人たちがいう負担増上限の、2倍の額がすでに課されている。
( → 朝日・社説 2011-08-04 )
「どっちも同じようにかかるコストですよ。原発では 500円減るのに、太陽光では 150円しか減りませんよ。つまり、原発の方がいっぱい減るんです。だから、太陽光でも 500円減ってもいいでしょう? ね? あなたの財布から 500円いただきますが、そのくらい減っても、ちっとも問題じゃないんですよ。では 500円いただきます」
と。(あるいは「 1000円いただきます」かな。)
こういうふうにだまして、朝日という詐欺師は、金を奪おうとする。
──
しかし、この両者は、まったく違うのだ。次のように。
・ 太陽光の補助金 …… 純然たるコスト。費用は無駄を埋めるために消える。
・ 原発 の補助金 …… 所得の移転。電力消費者から、原発の地元へ。
太陽光の補助金は、純然たるコストだ。太陽光発電は、コストがかさむ。つまり、コストあたりの効率が低い。そのせいで赤字が発生する。その赤字を埋めるために、金は消えてしまう。ここでは、無駄が発生するので、その無駄を埋めるために金がかかるだけだ。仮に、火力を使えば、無駄が発生しないので、このコストは不要である。
原発の補助金は、コストではない。所得の移転だ。電力消費者から、原発の地元へと、所得が移転する。右手で金が失われた分、左手で金が増える。右手だけを見れば金がなくなったように見えるが、その分、左手では金が増えている。全体を見れば、何ら損失は発生していない。
この両者は、まったく性質が異なる。
だから、この両者の補助金を比べて、単に比較しても、何の意味も持たない。なぜか? 単なる比較は、原発の補助金について、その利益(左手の得)が見失っているからだ。右手の損ばかりを見て、左手の得を見失っているからだ。認識の欠陥。
──
要するに、朝日のような主張は、論理のペテンだ。右手の損ばかりを見て、左手の得を見失っているからだ。
ただし、注意。だからといって、私は原発を無条件で容認しているわけではない。私は前から、次のように述べてきた。
(1) 原発の補助金の分は、生産コストとはならない。( → 原発とエコ )
(2) 原発は、人家のない地に建設する。( → 原発の立地 )
このうち、(1) は、本項(前述)と同趣旨だ。(2) は、何度も述べたことだ。
特にお勧めは、(2) のことだ。しかるに現実には、自民党政府は、原発のそばの村を振興した。わざわざ原発の近くの危険な場所を振興して、そこに多大な人々を集めた。ダイナマイトの保管所のそばに人を集めるようなものだ。気違いじみている。(原発のそばに人家を建てるな、という私の方針 (2) とは正反対だ。)
──
まとめ。
要するに、私の主張は、こうだ。
原発の補助金は、コストではない。それは、都会から原発のある地方への所得移転だ。(原発の振興費でもあるが、地元への迷惑料のようなものでもある。)
その金を、原発の地元に落とせば、何も問題はない。迷惑料を払う人がいて、迷惑料を受け取る人がいる、というだけのことだ。
しかし、その金を、原発のそばから人家を遠ざけるために使うのならともかく、原発のそばに人家を密集させるために使うのは、本末転倒だ。気違いじみている。
こういう気違いじみた方針を取ったことが、原発被害を莫大に巨大化した。
仮に、私が述べたように、「人家のない地に建設する」という方針を取っていたならば、原発から半径 20km の領域には人家がなかったはずだから、被害は最小限で済んだはずだ。
( ※ 私の案では、平野部なら半径 50km だった。 → 原発の立地 )
原発の補助金の性質を、原発賛成派も、反対派も、ともに誤解している。次のように。
・ 原発賛成派 …… 安全な原発で金儲けをする手段
・ 原発反対派 …… 余分にかかるコスト
しかし、いずれも間違いだ。正しくは、次のことだ。
「危険な原発のリスクを負担するための迷惑料(所得移転)」
こう認識するべきだ。
( ※ なお、この金は、ただの心理的な迷惑料だけだ。実際に生じた被害に対しては、別途、損害賠償がなされる。)
[ 付記1 ]
前項の「東北地方の電力不足」を読んだあとで、次の疑問が生じたかもしれない。
「新潟が原発を止めるせいで、計画停電を受け入れる必要があるとしたら、東京だって、原発を受け入れていないのだから、計画停電を受け入れる必要があるだろう」
と。しかし、その理屈は成立しない。なぜなら、東京は、原発の補助金を受け取る側ではなく、原発の補助金を支払う側であるからだ。
新潟は、原発の補助金を受け取っていた。それだからこそ、発電をする義務を負う。東京は、その義務を負わない。それだからこそ、原発の補助金を支払う義務がある。
[ 付記2 ]
新潟は、原発の補助金を受け取っていた。迷惑料として。
この迷惑料だけを受け取って、いざとなったら「原発を止める」というのは、とんでもない契約違反だ。契約不履行。金だけ取って食い逃げする詐欺ですね。
そういう詐欺をやっているのが、新潟県知事だ。
→ 東北地方の電力不足
とんだ詐欺師がいるものだ。金だけ取ってトンヅラする 結婚詐欺 みたいなものか。
[ 付記3 ]
この「迷惑料」という概念を理解すると、次のことにも結論を下すことができる。
「どうせ原発を作るなら、東京のど真ん中に作れ」
それはそれでもいい。ただしその場合には、東京が迷惑料を受け取る側になり、地方が迷惑料を支払う側になる。この迷惑料は、土地にたいして与えられるのではなく、人にたいして与えられる。人口が百倍ならば、補助金の額も百倍になる。
仮に人口の比率が百倍だとしよう。受け取る人数は、百倍に増える。払う人数は、百分の1に減る。(ちょっとおおざっぱすぎるが。) で、 双方を見ると、百倍の額を百分の1の人口で支えるわけだから、支払額は1万倍になる。現状が月 300円ならば、今後は 300万円になる。ただ、話はおおざっぱだから、ちょっとはしょって、100万円ということにしておこう。
結局、東京のどまんなかに原発を作ると、東京の人々は迷惑料を受けるが、田舎の人々は月 100万円ぐらいの迷惑料を払うことになる。……これは、ちょっと無理だろう。
このことから、「大都会に原発を置く」ということの非合理性が、論理的に説明される。
その原資の殆どは電力使用量が多い東京の住民や企業からではないでしょうか
太陽光発電のコストも製造者、施工者や原材料提供者への所得の移転ではないのでしょうか?
太陽光システム製造業者がお金を受け取りモノをつくるのも、自治体が補助金を受け取ってそれで何かを作るのも同じに見えるのですが。
p.s.
右手と左手の話を思い出してください。総和がゼロだから、所得の移転なんです。
一方、あなたの給料からコストを引かれれば、あなたの給料は減ってしまいます。総和はゼロではありません。それは所得の移転ではなくて、所得を奪うことです。
金が移転することと、所得が移転することは、違います。コストになった金は、消えてしまいます。
雇用が無限の社会ならば 右手と左手の話の詭弁が
通じるかもしれませんが
近年の日本で考えるなら
太陽光の補助金は雇用を生む
と言えますよね。
雇用は無限では無いのです。
そうですよ、もちろん。そして、雇用における所得は、労働の対価として得られます。政府が与えるのは労働の機会だけです。金を稼ぐのはあくまで労働者です。政府が労働者に金をプレゼントするわけじゃない。政府が「与えてやった」と威張る資格はない。
原発補助金の場合は、地元民は、何もしないでその金をもらえます。寝ているだけで大金を得る。この場合、政府が地元民に金をプレゼントするわけです。政府が「与えてやった」と威張る資格はある。
労働によってもらえる金と、遊んでもらえる金を、きちんと区別するべし、というのが本項の趣旨です。もらった金の額だけを比較しては駄目です。
ちゃんと本項を読みましょう。
あなたはたぶん、「何かをもらうときに払う代償」という概念がないのでしょう。そういう人は、「悪魔との取引」というテーマの小説を読むといいですよ。たいてい、素晴らしい大金を得られるかわりに、とんでもない犠牲を払うハメになる。「代償」という概念を忘れたせいで。
これはある意味では不正確です。というのは、そこでなされるのは「労働」とは言いがたいからです。むしろ「無駄働き」「ごくつぶし」と言うべき。
普通の労働は、価値ある生産物を生み出します。たとえば、100の価値を生み出したあと、80の価値の賃金を得て、20の価値の会社利益を資本家に渡します。
太陽光発電の場合、価値を生み出せません。同じ労働をしても、30ぐらいの価値しか生み出せません。差額の 70の価値は、無駄として消えてしまいます。穴を掘って埋めるのと同様の無駄。
そのあと、70の赤字が生じます。そこで、その赤字の 70を、補助金の形で埋めてもらいます。補助金は、誰かの利益のために使われるのではなく、無駄を埋めるために消えてしまうだけです。つまり、太陽光発電の補助金は、無駄を生み出すために使われるだけです。その結果、国全体の富は減少します。
一方、原発の補助金ならば、それを受け取る人がいますから、誰かが払って、誰かが受け取るだけであり、国民全体では増減はありません。配分が変わるだけです。
遊んでもらえる金を、きちんと区別するべし
↑これが無意味だと思うのですが。
金の流動が経済です。
金は消える物ではなく、移動する物です。
雇用は無限ではないのです。
無駄な労働でお金を流しても経済は回ります。
使い道の決まってない小遣いなら
お金が流動せず、
経済の悪影響になることすら考えられます。
雇用は無限ではないのです。
繰り返します。
雇用は無限ではないのです。
回るけれど、空回りします。金のやりとりだけがあって、価値ある生産物を受け取ることができません。要するに、子供銀行のお札を回しているのと同じ。
あなたの考え方は、子供銀行の経済ごっこと同じです。
「経済とは何か」を根本的に理解していないようなので、nando ブログの方を基礎から読むといいでしょう。たとえば、
http://nando.seesaa.net/article/112610398.html
http://nando.seesaa.net/article/112512035.html
それでもわからなければ仕方ないです。私は親切ではないので、初心者向けにいちいち解説しません。