自然エネルギーを推進するべきだ、という声は大きいが、その目的は何か? あれこれとあり、混同されているようなので、整理してみると、次の三点だろう。
・ 原発をなくす(脱原発)
・ 温暖化ガスの抑制
・ 電力供給の安定(供給増)
それぞれについて考察してみる。
原発をなくす(脱原発)
今のところ声が強いのは、「脱原発」だ。菅直人も(個人的に)これを主張した。
しかし現実的には、即時の「脱原発」は不可能だ。そのことは誰もがわかっている。 となると、次の二者択一となる。
・ 自然減により 40年後の脱原発
・ 減少を加速して 20年後の脱原発
前者は、放置すると自然にそうなるので、問題ない。
後者は、朝日の提案で示されたものだが、性急に過ぎるだろう。たいていの人々は反対だろう。また、たとえ賛成するにしても、20年後の方針を今すぐ決める必要はない。それまでに何が起こっているかわからないからだ。あまりにも愚直すぎる。(ほとんどイデオロギーであり、実用性とか現実性とかを無視している。)
というわけで、「脱原発」は、当面は議論の対象とならない。原発は長期的には少しずつ減少していくだろうが、それは、ここ数年における問題とは別のことだ。当然ながら、それが現時点における「自然エネルギーの推進」に影響することはない。
つまり、長期的な「脱原発」と、当面の「自然エネルギーの推進」とは、別個の問題だ。当面の「自然エネルギーの推進」については、「脱原発」は関係しない。
温暖化ガスの抑制
太陽光発電が唯一効果があるのは、温暖化ガスの抑制だ。原発でもいいが、原発という選択肢をなくすと、あとは火力しかない。つまり、「温暖化ガス抑制」と「脱原発」をともに実行しようとすると、「自然エネルギーの推進」しかなくなる。
ところが、自然エネルギーは現段階では(コスト高のせいで)規模が小さすぎる。いくら努力しても、電力の多くをまかなうことはできない。「温暖化ガスの抑制」という効果は、あるにはあるが、現実には規模が小さすぎて、ほとんど無視できる。
なるほど、長期的には、自然エネルギー発電が拡大することで、温暖化ガスの抑制ができるだろう。しかし、できるとしても、ずっと先のことだ。今すぐ自然エネルギー発電を促進することの理由にはならない。
電力供給の安定(供給増)
「脱原発」を推進すると、電力不足になる。そこで、それを代替するために自然エネルギーを使おう、という主張がある。
しかし、「脱原発」そのものが当面、必要ないのだから、その穴を何かで埋めよう、という方針も必要ない。
また、福島のような停止した分や、古い原発を廃止した分は、その穴を火力で埋めるのが妥当だろう。自然エネルギーは、その穴を埋めるだけの力を持たない。孫正義の推進する太陽光エネルギーのメガソーラーをいくつか作っても、原発の1機分にはるかに満たない。とうてい穴を埋めることはできない。(焼け石に水でしかない。)
要するに、自然エネルギーは、あまりにも量が少なすぎる(現在も将来も)。なので、電力供給の安定のためには役立たない。役立つとしたら、今から5〜10年ぐらいあとのことだ。そのころ、太陽光発電のコストが劇的に下がっていれば、太陽光発電で何とかなるかもしれない。しかしそれは、「もし……」という仮定の上の話だ。現段階では、政策推進の理由とならない。
( ※ 「補助金で大量生産をすればコストが劇的に下がる」という主張もあるが、それが嘘だということは、すでに証明済み。)
もう一つ、別の問題がある。日本における特有の事情だが、自然エネルギーの安定性が不足しているのだ。
欧州なら、アフリカや東欧やロシアまで、電力でつながっている。風力や太陽光の発電が不足したなら、外部からもらうことができる。また、急増したら、外部に流すことができる。こういう形で、電力の安定性を得られる。同様のことは、北米でも成立するだろう。
しかし日本は違う。そもそも国土が狭いせいで、風力も太陽光も変動が大きい。また、モンスーン地帯であるせいで、天候の変化も大きい。それでいて、外部からは孤立しているせいで、外国と電力のやりとりをすることもできない。この意味で、安定性が非常に不足している。
つまり、日本固有の理由により、安定性の不足が起こる。自然エネルギーは、安定性の不足を解消するどころか、かえって拡大してしまうのだ。
まとめ
以上をまとめると、次のいずれも、意味がない。
・ 原発から脱する(脱原発)
・ 温暖化ガスの抑制
・ 電力供給の安定(供給増)
これらは、長期的には推進されるだろが、今すぐあわてて推進するべき理由は何もない。つまり、再生エネ法案の理由は何もない。
やるべきことがあるとしたら、「長期的に自然エネルギーを促進すること」だろう。その意味は「技術開発を促進する」ということだ。それは「今すぐ補助金で大量生産を促進する」ということとは別である。
[ 余談 ]
比喩。
昔々。日本からアメリカに行こうと思った人々がいた。それにはどうすればいいか?
賢明な人は考えた。「長期的にアメリカに到達すればいい。そのためには、今すぐには、船を作ればいい。まずは造船場を作ろう」。こうして「急がば回れ」で造船場を作ることによって、アメリカに到達することが可能になった。
愚鈍な人は考えた。「アメリカに到達するには、まっすぐアメリカに向かえばいい」。そう思って、さっそく、太平洋に飛び込んだ。1キロぐらい泳いで、「1キロ近づいたぞ。このまま進めば、必ず目的地にたどり着くぞ」と思った。ところが 10キロ泳いだところで、力尽きて、溺れて死んでしまった。
さて。「自然エネルギーを促進するために補助金で普及させばいい」という立場は、上のどちらに当てはまるでしょう?
同法案が不幸にも成立すると、電力会社はメガソーラーなどで発電した電力の買取を義務付けられる。
自社で発電している電力の原価に比べて高い料金で買い取らなければならない。
しかし、電気料金を上げることによって対処するから、電力会社は損をしない。
負担を強いられるのは一般の国民である。貧しい人は益々貧しくなる。
中小企業は赤字になるか又は倒産に追い込まれる。
大企業も電気料金の安い韓国企業と競争できなくなる。
孫正義は太陽光パネルを韓国企業から買うから、日本企業には恩恵がない。
孫正義が社長を務めるソフトバンクは、電力を食う多数のサーバーのあるデーターセンターを電気料金の安い韓国に既に移している。
自治体はメガソーラーに貴重な税金を一円たりとも使ってはならない。高い電気料金と税金という二重の負担を市民にかけてはならない。