橋下府知事への公開質問状……を書こうかと思ったが、やめた。私なんかが書くのは失礼なので。かわりに、「公開質問状」の体裁のある記事にしておく。 ──
拝啓 大阪府知事 橋下徹 様
府知事の「エアコンで節電」という見解を拝読しました。下記にまとめさせていただきました。
→ http://togetter.com/li/153841
そこで以下に質問状を書かせていただきます。
──
というのは書き出しで、これで「公開質問状」の体裁は、おしまい。 (^^);
このあとは、普通の記事の形にして書く。
「エアコンで節電」という橋下府知事の方針について、その問題点を列挙する。(質問の形で。)
(1) 効果なし
エアコンを止めても節電の効果はあまりない。エアコンを止めたあとで再開したときに、ものすごく暑い状態を解消するために、エアコンがフル稼働するからだ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4913261.html の (1)
効果がないことをやって、どうするの? あとで「やっても無効でした」と頭を下げるだけじゃ済まないよ。
(2) 産業用を止めない理由
産業用の電力を止めれば、確実に効果がある。別に、ずっと止めるわけじゃなくて、年に数日だけだ。欧州のバカンスには及ばないが、数日間だけ休みを増やすだけだ。
また、病院や鉄道などは無理だから除外され、普通の工業系の工場が休むだけだ。休めないところは休まないで、休めるところが休むだけだ。
こういうふうに、「産業用の電力を止める」という案がある。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4908032.html
なのにどうして、「産業用の電力を止める」という方針を否定するのか? これ以外には、方法はないのに。(エアコン停止では駄目なことは上記。)
(3) 大阪府が実施しない理由
いざというときには大阪府が率先して「翌日休業」を実施すればいい。それにともなって、多くの企業が「翌日休業」を実施するだろう。
なのに、「おれだけは例外で、おれ以外の他人がやれ」というのは、わがまますぎる。なぜ率先垂範しないのか?
(4) 保育所や老人ホームや介護施設で死者が出たら
社会的な弱者として、乳幼児や高齢者がいる。これらの人々は、保育所や老人ホームや介護施設にいる。そこでは、エアコン停止によって、大量の死者が出るだろう。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4903134.html
では、死者が出たら、どうするつもりか? 大阪府が死者への補償をしてくれるのか? 子供を失った母親のために、橋下府知事の子供を養子に出すつもりはあるのか?
(5) 何人死ぬまで許容するか?
熱中症では、大阪府では去年、139人もの死者が出た。これはエアコンがある場合だ。エアコンがなければ、今年は数百人の死者が出そうだ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4896079.html
そうなれば、社会問題となる。いつかは、「エアコンを止めろ」という方針を撤回せざるを得ない。
では、死者が何人まで、今の方針を維持するのか? 200人死ぬまでか? 500人死ぬまでか? それとも、1万人ぐらい死ぬまで放置するつもりか?
(6) 自分の子供と親
あなたにも自分の子供と親がいる。エアコンなしでは死んでしまうかもしれない。では、自分の子供と親には、どうするつもりか? 次のうちから選んでほしい。
・ 死んでも構わないから、エアコンを止める。家族の命より、おれの仕事が大事。
・ 自分の家族だけは死なせたくないから、自分の家族だけはエアコンを止めない。
・ どっちでもなく、大阪から逃げる。軽井沢あたりで避暑を楽しむ。金はあるし。
・ その他 ( )
[ 余談 ]
橋下府知事がまともに答えてくれるとは思わないので、本項の読者が自分なりに勝手に書き込んでください。下記コメント欄へ。
2011年06月25日
過去ログ
原発が立地地域の活性化や雇用につながっているとの河瀬市長の主張に対し、回答書は「そのために原発を維持するというのは本末転倒の議論」としている。
一方、新規原発については、こう述べたそうだ。
「もし原発が本当に必要なら、電力消費地の大阪に造るという話にして、(建設の是非を)府民に問いかけるしかない」
→ http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110613-OYT1T00762.htm
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この二つは矛盾している。福井県の場合、地元民が原発を維持すると決めたのであれば、それを尊重するべきであろう。決して、「本末転倒の議論」とはならないはずだ。
主張が二重基準になっている。「俺様の原理」と「他人の原理」が別々の基準になっている。地元民の意向を尊重するのかしないのか。……結局、自分の見解に一致するときだけ地元民の意向を尊重し、自分の見解に一致しないときには「本末転倒の議論」と言って地元民の意向を切り捨てるのか。……どうも、そうみたいですね。