では、どうするべきだったか? ──
宮城県石巻市の北上小学では、避難が遅れて、多数の生徒が死んだ。
→ 大川小 地震の40分後に避難
→ 避難まで30分校庭に待機
では、どうするべきだったか?
──
地形は、Google の地図でわかる。
→ 近辺地図
この地図(写真)の右の方に、「上野」という文字が見える。ここで色分けされて、ここより左側は緑色となっており、ここより右側は茶色となっている。このことからして、ここより左側が水没したことが推測される。
そのことは写真によって確認される。
→ 写真
→ 比較写真 (動画)
これらから、次のことがわかる。
・ 「上野」という場所の右側は、やや小高い土地にあり、川から離れている。
・ 「上野」という場所までは、約 800メートルであり、徒歩 10分程度。
・ その右側に逃げていれば、さらにその下側(南方)の西宮山にも逃げられた。
逃げるべき場所は、ここだった。特に、西宮山をめざすべきだった。
そうすれば、(裏山のような危険性もないので)そこへ逃げることができたし、ぐずぐずと様子見をしている必要もなかった。
実際、津波への避難計画をあらかじめ立てておけば、西宮山が最も妥当だとわかるはずだ。
ただ、津波ではなくて、地震対策だとすれば、西宮山は山崩れの危険もちょっとはあるので、危険に思えたのかもしれない。また、当時はそこに雪も残っていた。
──
結論。
以上のことからすれば、教訓は、次のことだ。
・ あらかじめ避難場所を決めておく。
・ 避難場所は、地震の場合と津波の場合で、分けておく。
さらに言えば、次のことが大切だ。
「整然たる行動は必要ない。逃げるときには、一人一人が、個別に全力で逃げろ。遅れた者を救おうとすれば、巻き添えになりかねない。遅れた者を救うのは、教師に任せろ。危険に当たっては、自分の生命を自分で守れ」
これは、釜石市の教訓と同じだ。
→ 釜石市・東中学と小学校−全員が助かった「3つの教え」
→ 小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない
つまり、教師がそういう方針を示しておけば、釜石と同じく、生徒は助かったはずだ。
そして、釜石がそういう方針を採ったのは、(個別の学校でなく)市の全体がそういう方針を採ったからだ。その意味で、責任があるのは、個別の学校 or 校長というよりは、市や県や国のレベルだろう。校長を責めればいい、という話ではあるまい。そういう発想だだと、ふたたび問題は起こる。
【 関連動画 】
本当に考えたくもないほどつらいニュースですね。
でも思考停止にならず、この教訓を活かして現実に則したマニュアルを作ってほしいものです。
→ http://www.ce.gunma-u.ac.jp/bousai/research02_3.html