では、気象庁はどうするべきだったか?
──
気象庁の津波予報は、津波を小さく予報していた。このことが、津波の被害を大きくした。この件は、先に述べたとおり。
→ 南三陸の津波被害
( ※ 予報では6メートルだったが、実際には 14メートル以上だった、という話。)
同様の例は、さらに続報が出た。
《 津波警報に限界 住民「堤防越えぬはず」 》──
気象庁が実際より大幅に低い「岩手県で予想される津波の高さは3メートル」との大津波警報を出したため、「それなら防潮堤を越えない」と避難しなかった人が多数いたことが、被災者の証言で分かってきた。
( → 毎日新聞 2011-04-16 )
3メートルなら大丈夫−−。過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる。
午後2時50分、乗用車に乗り込み、自宅に向かう途中カーラジオをつけると「大津波警報が発令され、宮城県沿岸には6メートル、岩手県沿岸には3メートルの津波が来る」と聞いた。高さ約5メートルのコンクリートの防潮堤がある。「3メートルなら防潮堤を越えることはない」と思ったという。同様にカーラジオで「3メートル」と聞いていた征一さんが「津波はここまで来ることはないだろう」と言い、家族は室内の片付けを始めた。
午後3時15分ごろ、恵子さんが気付いた。「津波だ」と叫んだ。村上さんは靴を取ろうと、玄関に向かった。ゴーゴーという音を立てて泥水が流れ込み、水はすぐにひざの高さまで。居間に戻ろうとしたが水圧が強く、動けない。何とか近くの階段にたどり着き、2階にはい上がった。水かさが増す。「3人はもう助からない」と思った。
濁流は1階の天井近くまで達し、居間にいた3人はあっという間に水にのまれ、浮いてきたソファに夢中でしがみついた。天井と水面の50センチほどの隙間(すきま)に必死に顔を出した。水が引くまでの約10分間、恵子さんは「もうだめだと何度も思った」と振り返る。午後3時半。4人は間一髪で難を逃れたが、向かいの家は倒壊し、地区では3人が死亡、3人が行方不明になった。
及川宗男さん(60)はマイカーに備え付けたテレビで「沿岸部に20センチの津波が到達」と聞いた。安心して海から約600メートル離れ海抜15メートルほどの坂の上に車を止めた。ところが、家々が津波に流されている。あっという間に濁流が目の前に迫った。かろうじて車から脱出し高台に逃げた。「数字を聞いてたいしたことがないと思った。過信していた」と及川さんは振り返る。
岩手県陸前高田市の気仙小学校に避難した25歳の女性は「小学校は海抜10メートルぐらいで、ここに逃げればさすがに大丈夫だろうと思った」と話す。午後3時15分ごろに防災無線を通じて「6メートル」という数字を聞いた。「小学校まで来るとは思いもしなかった」。ところが津波はグラウンドの避難者を襲い次々にのみこんでいった。この女性は裏山を駆け上がり助かった。
岩手県宮古市田老地区の70歳の男性は「防災無線で3メートルと聞き、大丈夫と思った。しかし『逃げろ』と叫ぶ声を聞き、一応避難することにした。今思えば危なかった」と話す。
( → 毎日新聞 2011-04-16 )
断層全体が動き終わるまでに約3分間かかり、揺れは約5分間続いた。気象庁が目標とする3分以内に警報を出すには、途中段階のデータしか使えず、実際の30分の1以下の推定規模で予測することになった。
この結果、岩手、福島県沿岸の津波予想高は、5段階中(3メートル、4メートル、6メートル、8メートル、10メートル以上)最低の3メートルと発表。午後3時14分に6メートル、午後3時半に10メートル以上と変更したが、岩手県宮古市では午後3時26分に8.5メートルの津波が観測され、情報は後手にまわった。
気象庁地震予知情報課の中村雅基調査官は「改善すべき課題。強い揺れの前の地震波を解析するなどの手法を検討したい。ただ、技術的な限界があるので、津波予想高にかかわらず、警報発表時は高台などに逃げてほしい」と話す。
( → 毎日新聞 2011-04-16 )
以上をまとめれば、こうだ。
・ 気象庁が出した津波予報は、20センチ、3メートル、6メートルなどだった。
・ それを聞いて、「堤防があるから大丈夫」と、逃げなかった人が多かった。
・ 実際には、予報をはるかに上回る規模の津波が一挙に押し寄せた。
・ そのせいで死者が非常にたくさん出た。
これを一言で語れば、こうだ。
「気象庁の津波予報は、人を死なせるためにしか役立っていない」
つまり、気象庁の津波予報など、ない方がずっとマシだ。津波予報がなければ、人々は「津波だから危険だ」と思って、さっさと高台に逃げ出す。特に、今回のように大地震ならば、沿岸部にいる誰もが「大変だ」と思うはずだ。実際、津波予報を聞かなかった人は、さっさと逃げ出した。
ところが、テレビをつけて気象庁の津波予報を聞いた人々は、「なあんだ、津波は大したことはないんだ」と楽観して、高台に逃げなかった。そこへ、予報をはるかに上回る津波が押し寄せて、人々を水没させた。
──
記事にもあるように、気象庁は最後に、こう弁明している。
ただ、技術的な限界があるので、津波予想高にかかわらず、警報発表時は高台などに逃げてほしい。これで弁解したつもりなのだろうが、まったくの勘違いだ。こんなことでは、今後もまた、多大な人命が奪われる。
では、どうするべきか?
──
気象庁はお馬鹿すぎるので、私が正解を示そう。
気象庁がなすべきことは、自分たちが馬鹿であると自認することだ。つまり、津波の予報などはできないと、はっきり自認することだ。(無知の知)
なのに現実には、「無知の知」がない。馬鹿でありながら、自分を利口だと思い込んでいる。そのせいで、利口ぶって、「津波の予報」というデタラメな数値を出す。そして莫大な死者が出たら、「技術的な限界があるので、高台に逃げてほしい」と釈明する。そうして自分の責任を忘れて、責任回避をする。
それではいけないのだ。
気象庁はどうするべきか? 津波の予報などはできないと、はっきり自認するといい。その上で、「この津波予報は当てになりません」と明示するべきだ。
今回の地震では、最初の数値は M7.9 で、しばらくして M8.4 になり、二日後になって M9.0 になった。マグニチュードの速報値なんてものは、それほどにも当てにならない。とすれば、(当てにならないマグニチュードに基づくような)「津波予報値は当てにならない」ということを、はっきりと明示するべきなのだ。
そして、「当てにならない」ということが明示されたならば、気象庁がなすべきこともわかる。それは、こうだ。
「最も確からしい数値を出すのではなく、最も被害を少なくする数値を出す」
わかりやすく語ろう。
たとえば、津波の予想として、次の結果が出たとしよう。
1メートル …… 10%
2メートル …… 20%
3メートル …… 35%
4メートル …… 20%
5メートル …… 10%
6メートル …… 5%
このような数値を見れば、「最も確からしい数値」は、3メートルぐらいだろう。気象庁ならば、「なるべく当たる予報値を出そう」と思って、3メートルという数値を出すだろう。
しかしながら、5メートルや6メートルになる可能性も十分にある。そして、そのような結果になったなら、2階建ての家も水没するので、莫大な被害が生じる。
とすれば、ここでは、次のように予報するべきだ。
「かなり大規模な津波が予想されます。3メートルから6メートル、あるいはそれ以上の津波になりそうです。非常に危険なので、ただちに高台に逃げてください」
さらには、気象の予想値だけでなく、付加情報も述べるべきだ。次のように。
「6メートル以上の津波が起こる可能性があります。その場合、2階建ての家も水没するので、死者は数千人または数万人になると予想されます。高台に逃げるか、5階建て以上のビルに逃げてください。また、道路は渋滞するので、自動車にはなるべく乗らないでください。繰り返します。死者は数千人または数万人になると予想される大津波が来ます。ただちに避難してください」
これを聞けば、誰だって大慌てで逃げるだろう。
つまり、同じ津波の予想があったとしても、放送する言葉しだいで、大幅に死者を減らすこともできるし、大幅に死者を増やすこともできる。今回の気象庁の言葉は、大幅に死者を増やすための言葉だった。
さて。以上は、津波対策という震災の話題だった。(行政としての話題。)
それとは別に、科学的な理論として考察してみよう。それには、前項の「べき分布」の話が役立つ。
→ 地震の確率?(べき分布)
この項目からわかるように、地震の分布は、正規分布ではなく、べき分布である。
とすれば、津波の分布も、正規分布ではなく、べき分布であるはずだ。(地震のエネルギーと津波のエネルギーは、ほぼ比例するから。)
では、気象庁の予報は? 原則として、正規分布である。つまり、次の形の予報だ。
「推定値を中心として、一定の誤差範囲」
このことが典型的に示されるのは、台風の予報だ。

( 出典:気象庁 )
この図では、次のように説明されている。
破線の円は予報円で,台風の中心が到達すると予想される範囲を示しています。予報した時刻にこの円内に台風の中心が入る確率は70%です。ここでは「確率」という言葉が使われている。当然、その分布は正規分布になるはずなのだろう。
このことからもわかるように、気象庁の頭は「正規分布」と「確率」という頭に染まっている。
しかし津波というものは、そうではないのだ。
「予想値を最大頻度として、きれいに正規分布に並ぶ」
というようなものではない。また、
「予想値から離れた数値は、めったに起こらない」
というようなものではない。
では何かというと、べき分布になる。その特徴は、こうだ。
「予想値から離れた数値も、しばしば起こる。とんでもなく離れた巨大な値も、ときには起こる」
一方、被害については、次のことが成立する。
「ある程度までの津波は、たいした被害がないが、津波の規模が大きくなるにつれて、危険性は急激に増大する。6メートル以上の津波になると、死ぬ可能性が非常に高くなる」
ここで、死に与えられる値は、有限の値ではなく、「マイナス無限大」である。とすれば、それの発生確率が誤差以上に大きくなれば、その期待値はマイナス無限大になる。つまり、「死」という可能性があるのならば、その可能性のある事象はとうてい無視できないのだ。
( ※ 逃げ遅れることの損失は莫大だが、逃げることのコストは少ない。ちょっと手間がかかるだけだ。なのに気象庁は、あえて安心させるような言葉を出して、被害を莫大に増やした。)
──
結局、津波の予報では、次の二点が大切だ。
・ 津波は、正規分布ではなく、べき分布である。
・ 津波は、発生確率が大事なのではなく、被害の期待値が大事である。
(当たりそうな数値が大事なのではなく、被害を減らす数値が大事である。)
ところが、気象庁は、まったく異なる方針を採った。
・ 津波が予報に対して正規分布で起こると想定した。
・ 予報の数値だけを的中させようとして、被害のことを無視した。
これを一言で語れば、こうなる。
「気象庁の予報は、予報が当たるかどうかという、自己満足だけを目的としている。人々の被害を減らすことは、もともと目的となっていない。人々の生命を守ることは、もともと目的となっていない」
というわけで、その原理にしたがって、被害は多大になったし、死者も多大になった。そして、それは、何の不思議もない。現在の気象庁が、もともとそういう体制になっているからだ。
当然ながら、次の地震でも、気象庁は同じことをやるだろう。「なるべく予想を的中させよう」という気象オタクの趣味ばかりが優先されて、国民の人命は無視されるだろう。かくて、次の大地震でも、気象庁は低めの津波予報を出して、人々をあえて油断させて、津波の餌食にするわけだ。
気象庁の目的は、津波による死者を減らすことではなく、津波による死者を莫大にすることだ。そして、そのことが、今回の事例で証明された。(冒頭の記事に結果はある。油断による死者多数。)
[ 付記1 ]
じゃ、どうすればいいんだ? ……という質問には、すでに答えてある。
→ 南三陸の津波被害
つまり、こうだ。
「役立たずの気象庁など、解体してしまえ。」
「気象庁は、独立した省庁として独立した仕事をするのではなく、災害予防庁という上位機関の下位部門となるべきだ」
馬鹿は自分のなすべきことがわかっていない。ならば、馬鹿には判断させない方がいい。判断するのは、まともな頭のある人間に任せればいい。気象庁のような馬鹿は、自分では何もしないで、他人の手足となって働けばいいのだ。
[ 付記2 ]
気象庁の津波予報について言うなら、大地震のときには「予報なんかするな」というのが正しい。かわりに、過去の被害と比較すればいい。次の例だ。
昭和三陸地震 …… マグニチュード 8.1。 最大震度5。死者 1522名。
明治三陸地震 …… マグニチュード 8.2〜8.5。 最大震度3。死者 2万1915名
これを基準とすれば、マグニチュード が8になれば、大地震だとわかる。8だろうが9だろうが、「すぐさま逃げろ」という結論になる。津波の高さなんか考える必要はないのだ。とにかく逃げるべきなのだ。
なお、気象庁の初期の数値は、マグニチュード 7.9 だった。その数値には、大幅な誤差が含まれる。とすれば、気象庁がなすべきことは、「3メートル」というような具体的な数値を出すことではなく、「すぐさま逃げろ」と語ることだった。「3メートル」というような具体的な数値は、不正確であるがゆえに、出してはいけなかった。
気象庁は、やるべきことをやらず、やってはならないことをやった。(不正確な過小な数値を出した。)それが莫大な被害をもたらした。
【 補説 】
※ 以下は、台風の予報の話。科学マニア以外は、読まなくてもよい。
気象庁の馬鹿さ加減は、台風の予想進路の図からもわかる。先に掲示したように、「予報円」というものを使っているからだ。これは、「正規分布」を原理としているがゆえに、とんでもない予想図だ。
なぜか? 台風の進路は、正規分布ではないからだ。
台風の進路については、一般に、次のことが成立する。
・ 方向(進路)については、扇形の範囲でかなり正確に範囲が決まる。
・ 速度(進行距離)については、かなり大きな誤差が生じる。
台風を人のように擬人化して述べるならば、台風ちゃんは、進むとき、横方向のぶらつきは少ないのだが、前後方向のぶらつきはかなり大きいのだ。左右に逸れることは少ないが、速くなったり遅くなったりすることはあるのだ。
この意味では、予報円のような予報は、妥当ではない。(それは正規分布を前提としている。)
むしろ、扇形の進路を示して、そこに扇形を横切る線を引いて、 ∀ のような形の図で示すべきだ。そして、横線は1本だけでなく何本か引いて、「2時間後」とか「3時間後」とかの、予想時刻を示すといい。ただし、「予想時刻は大幅にズレることがあります」と示せばいい。
これならば、「進行方向の確からしさ」と、「速度の曖昧さ」を、ともに示せる。
現実には、そうではない。気象庁は、予報円で示している。ところがその予報円は、前後方向には大きなズレが生じる。その結果、次の問題が生じがちだ。
「扇形の内部にはあるが、予報円からハズレた地点に、船で入り込む。予報円の外だから大丈夫だ、と思い込む。ところが、時間がずれただけで、そこにまさしく台風が襲いかかる」
こういうことは、実際にあった。気象庁の予報円を信じたせいで、安全圏に入ったつもりで、危険圏に入ってしまった。それというのも、気象庁が「予報円というものは時間的には当てにならない」ということを示さなかったからだ。
気象庁は、確率というものを信じすぎている。そのせいで、天気予報の「確率」などを語る。
しかし、気象というものは正規分布にはならない。したがって、気象の言う(予報の)「確率」というのは、実際には確率ではない。
その証拠は? 気象庁の過去の予報を見るといい。もし予報値が確率であるならば、大数の法則が成立するはずだ。つまり、「確率 70%」という事例をたくさん集めれば、予報と結果を比較して、まさしく 70%の割合で当たっているはずだ。しかし、現実には、そうではない。70%からはかなりズレた値で、当たったりハズレたりする。
特に、長期予報では、ハズレる率がとても高い。「気象庁の長期予報とは正反対に予報すれば、その予報は当たる」と思った方がいい。
たとえば、昨年(2010年)には、「やや冷夏」というような長期予報が出た。とすれば、昨年は「今年は猛暑だな」と思えばいい。実際、気象庁の長期予報とは逆に、昨年は史上最悪規模の猛暑となった。
これが一度だけならまだしも、ほとんど毎年、そうである。気象庁の長期予報は、たいていはずれる。
(ただし、それなりに役立つ。「気象庁の予報とは反対になるはずだ」と予想すれば、その予想はしばしば当たる。)
ともあれ、正規分布なんかを前提としている気象庁の頭は、根本的に狂っている。だから、気象庁の言葉なんかを、信じてはいけない。
特に、津波の例で言えば、気象庁の現状はひどい。正規分布に基づいて予報値を出すくらいなら、何も言わない方がずっとマシなのに。
日本の原発体制は滅茶苦茶だが、気象庁の体制も滅茶苦茶であることが、本項からわかるだろう。いや、気象庁の方が、はるかにひどい。原発は一人も殺さなかったが、気象庁は数千人を殺した。

でも予報が外れると狼少年になってしまっていざというときに逃げてくれない。また、避難して空振りすることによる副作用もある。失火、火事場泥棒など。
だから予報は彼らの中では誠実にしてるのだと思いますよ。技術力が足りなかっただけで。
日本人は被害が起きるって言われて起きないときに良かった、ではなく腹を立てる民族ですから。計画停電の初期の頃を思い出してください。
いや、「なるべく科学的に予想しよう」と思っているはずです。どうせ個人は責任を問われないのだから。
で、「科学的に」と思って、正規分布に基づいた「非科学的」な予想をする、というのが、本項の趣旨。
> 予報が外れると狼少年になってしまっていざというときに逃げてくれない。
マグニチュード7を越える地震はめったにありませんから、以前の予報のことなんか誰も覚えていません。
私の言っているのは、なるべく正確な予報をしようというより、大地震では津波の規模の予報をするなということです。