地震の確率は、どれだけか? この質問に、「マグニチュード9クラスの地震は、(日本付近では)1000年に1度」という回答が出されることもある。
しかし、地震の確率を考えるのは、無意味だ。なぜなら、地震はランダムな現象ではないからだ。
そもそも、確率というものは、ランダムな現象についてのみ当てはまる。
→ Wikipedia 「確率論」
このようにランダムに発生する事象は、通常、正規分布の形を取る。典型的には、気体の統計分布(ボルツマン分布・マックスウェル分布)がある。
また、(-∞,+∞) という区間のかわりに、[0,+∞) という片側区間を取れば、カイ2乗分布、ガンマ分布、F分布 などの形を取ることもある。
いずれにせよ、そこでは事象はランダムに起こる。だからこそ、そこでは確率的な意味がある。そして、「◯◯の確率は?」という質問も意味を持つ。
──
では、地震はどうか? 地震は、正規分布の形を取らない。むしろ、べき分布の形を取る。(「べき乗則」とも言う。)
→ 地震の発生はベキ分布
→ リヒター・スケール
→ 地震とべき乗則
べき分布とは、平均値からハズれたものが、かなり長く延びている形だ。「1/x」という反比例の形にも似ている。下記の図を参照。

( 出典 : Wikipedia 「べき乗則」)
べき分布は、いわゆる「ロングテール」型だ。IT分野では Amazon の商法に関連して有名になったから、知っている人も多いだろう。
とにかく、地震は、正規分布の形を取らず、べき分布の形を取る。このことは重要だ。詳しい話は、上記の三つのリンク先に記してあるので、そちらを読んでほしい。
( ※ 私独自の見解ではないので、いちいち説明せず、紹介するだけだ。)
──
地震がべき分布に従うとしたら、それは何を意味するか?
べき分布の本質については、前にも述べたことがある。
→ べき分布と正規分布
これを読めばわかるように、次のことが成立するはずだ。
この世界には、べき分布があふれている。その理由は、この世界に何らかの「力」が働いているからだ。その力の働き方しだいで、べき分布の指数の数字がいくらか変動する。では、地震の場合には、「物同士がたがいに反発し合う力である。」とは何か? おそらく、次のことだろう。
ここで言う「力」とは、物同士がたがいに反発し合う力である。
「地震は、地殻の歪みによって発生する。地震がしばらく発生しないと、その歪みが多く溜まるので、その後には、大きな地震が発生する」
とすれば、次のことが推定される。
「地震がしばらく発生しないということは、地震が起こらなくなったと言うことではなく、その逆だ。地震がしばらく発生しないならば、歪みがたくさん溜まっている。とすれば、その後には、巨大な地震が起こりやすい」
人間ならば、怒りやすい人が怒らなくなったら、「この人は性格が温和になったのだな。今後は怒ることもないだろう」と推察される。しかし、地震は逆だ。地震がしばらく生じなかったら、それは、地震が生じなくなったということを意味せず、次に来る地震が大型になるということを意味する。(歪みが溜まるということを意味する。)
その意味では、歪みの溜まり方には限度があるので、ある程度の間隔を置いて、ほぼ周期的に地震が起こることになる。(ランダムな現象ならば、そういう規則的な間隔はありえない。)
以上のことが、「地震はべき分布である」ということから推定される。
──
これを現実に当てはめれば、次のことが過去の統計からわかる。
・ 日本全体では、ほぼ百年に1度か2度、大地震が起こっている。
→ Wikipedia 「地震の年表」
・ 記録の残りやすい 18世紀以降では、百年に4〜5度の大地震が起こっている。
・ ここ百年ぐらいには、次の地震があった。
・ 1896年 明治三陸地震 M 8.2〜8.5
・ 1933年 昭和三陸地震 M 8.1
・ 1946年 南海地震 M 8.0
・ 1952年 十勝沖地震 M 8.2
・ 1995年 阪神大震災 M 7.3
特に三陸沖について見ると、18世紀末に、
・ 1793年 三陸沖地震 M 8.0〜8.4
というのがある。
このあと、明治三陸地震と昭和三陸地震があったが、その後はしばらく平穏だった。とすれば、歪みのエネルギーはかなり溜まっていたと推定される。したがって、2011年ごろには、そろそろ大地震が起こっても不思議ではなかったのだ。
──
とにかく、地震というものは、べき分布にしたがって起こる。それは、「見通しが付かない」という意味では確率に似ているが、「ランダムに発生するのではない」という点では確率とはまったく異なる。
それは、
「意外なときに突然起こり、まったく予想が付かない」
というようなものではなくて、
「しばらくなりをひそめていたら、危険はかえって高まる」
というふうに、ある種の法則性が成立するものだ。
その法則性は、
「しばらくなりをひそめていたら、かえって起こりやすい」
というものではなくて、
「しばらくなりをひそめていたら、次には大型が来る」
というものだ。それが、べき分布の意味である。
──
以上のことからすると、今回の地震については、次のように言える。
「地震がまったく偶発的なランダムな現象ではなく、ある種の規則性をもつこと(べき分布であること)は、広く知られていた」
この点に関連して、次の話が参考になる。
(1) 西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。このように、地震は予知不可能なランダムなものではなく、ある程度の規則性のあるもので、ある程度は予知可能なものだった。実際、私は前に大地震の起こる危険性を指摘していた。
( → WSJ 「巨大津波を予測していた男」 )
(2) マグニチュード(M)7以上の大地震は、起きやすい「活動期」が存在し、現在がその時期にあたるとの研究結果を米ニューメキシコ鉱工業大などがまとめた。
( → 朝日新聞 2011-04-15 )
→ 日本も地震?
しかし、東電のように愚かな人々は、予想が付かないまま、地震を予測不可能な偶発的な出来事だと見なした。(思い込んだ。)
その上で、東電は科学的な想定震度を、勝手に引き下げていた。次のように。
誰が考えても、地震国の原発の耐震基準としては M7.3 の直下型が極めて妥当であろう。それが、突然 M6.8 になった。業界の強い要望が、科学的議論を簡単にひっくり返したのである。東電は、予想できなかったのではない。予想を聞いたときに、あえてその予想を握りつぶしたのだ。
( → 未曾有の「原発無責任体制」)
──
まとめ。
地震の確率というのは、無意味である。地震というものは、確率的に起こるものではない。つまり、ランダムに起こるのではない。地震というものは、「数十年ごとに起こる」というふうな、おおざっぱな規則性を持つものだ。
そして、しばらく起こらなかったあとでは、いっそう強い地震が起こると推定される。
以上のことは、「地震はべき分布に従う」という規則性で示される。
ところが、これを理解できない人々が、「地震はまったく予測不可能だ」と思って、「予測不可能な現象だった」と事後的に弁解する。
しかし、その弁解は、成立しない。それは、地震が予測不可能であることを意味せず、いくらかは予測可能だった地震に対して無防備であったことを意味する。つまり、自分の愚かさを意味する。
東電が地震を「想定外だった」と述べるのは、想定可能だった地震を想定しなかったという自己の愚かさ(あるいは悪質さ・隠蔽体質)を示すだけだ。
[ 付記1 ]
人々が事実に対していかに盲目になりがちであるかは、寺田寅彦の文章で指摘されている。引用しよう。
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。東電であれ、政府(保安院・原子力委)であれ、この言葉を聞いていれば、「想定外だった」というような言葉は、恥ずかしくて口にできなかったはずだ。
同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。
学者の立場からは通例次のように云われるらしい。「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」
( → 寺田寅彦の言葉 )
( ※ 厚顔無恥なのか。……)
[ 付記2 ]
正規分布ではないということでは、「べき分布」という概念のほかに、「ブラックスワン」という概念もある。
→ ブラック・スワン ― 不確実性とリスクの本質
この本については、本書の宣伝文句がある。
「ブラック・スワン」とは、……ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりすることだ。また、Amazon の読者批評もある。
我々は常にブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れないのです。また、池田信夫の解説がある。
ふつう自然科学や経済学で確率を考える場合、ほとんど正規分布を仮定している。しかし実際に世界を動かしているのは、そういう伝統的な確率論で予測できない極端な出来事―― Black Swan である。さて。地震や原発事故は、ブラックスワンであったろうか? いや、予測不可能な現象ではなく、ある程度は予測可能な現象であった。
その後の経済学者は、Knightの議論を「意味論的な思弁」としてバカにし、根拠もなく正規分布を仮定して、壮大な理論体系を構築してきた。
( → 池田信夫ブログ 2010年01月26日 )
その意味で今回の金融危機はブラック・スワンではなく、理論的に予想できた(タレブのファンドも大きな利益を上げた)ホワイト・スワンだった。
( → アゴラ 池田信夫 2010年10月16日 )
では、それをブラックスワンだと見なすとしたら?
ブラックスワンと見えたものの本質は、白鳥がブラックであったことではなく、人がおのれが目をふさいでいるがゆえに、視界のすべてがブラックであったことだ。
「闇夜だったから黒い白鳥は見えなかった」と愚者は弁解する。しかし実は、おのれが自分の目をふさいでいただけのことだ。
それがブラックスワンの意味だ、と言えるかもしれない。(場合によっては。)
[ 余談 ]
「ブラックスワン」という言葉は、池田信夫がしばしば使っているが、頭の中で混同が起こっているように見える。私は別に、粗探しをする趣味はないのだが、彼が勘違いしているかもしれないので、親切な私(?)としては、簡単に示しておこう。 (^^);
(1) その意味で今回の金融危機はブラック・スワンではなく、理論的に予想できた(タレブのファンドも大きな利益を上げた)ホワイト・スワンだった。すでに何度も示したように、金融危機もバブル破裂も予測されていた。また、原発が地震や津波への対策がなされていないことも指摘されてきた。これらはいずれも予想外のランダムな事象ではなくて、予想されたことが予想されたとおりに起こったにすぎない。
( → アゴラ 池田信夫 2010年10月16日 )
(2) バブルはつねにブラック・スワンであり、
( → アゴラ 池田信夫 2009年08月14日 )
(3) 冷却するポンプが想定をはるかに超える津波で壊れ、予備の電源も壊れてバックアップの冷却装置も動かなくなりました。これは反対派も想定していなかった事態で、従来の論争の枠組の外側のブラック・スワンです。
( → アゴラ 池田信夫 2011年03月19日 )
ただ、愚かな人々は、警告に耳をふさいでいたがゆえに、真実への目をふさがれて、白鳥が闇夜の黒鳥に見えていた。それだけのことだ。
( ※ 蛇足だが、「白鳥/黒鳥」というと、私はバレエの「ジゼル」を思い出す。)
【 関連項目 】
→ べき分布と正規分布 (数理的に)
→ 南三陸の津波被害 (過去の例)
→ 日本も地震? (警告済み)
【 関連書籍 】
→ 歴史は「べき乗則」で動く
※ べき分布についての解説書。良書である。
※ ランダムな現象(確率的な現象)と、規則的な現象との中間に、
「べき分布」(べき乗則)の現象がある。その中間的な領域の話。

自分に都合の良いことは思惑通り、悪いことは想定外とする。
縁起でもないことを口に出してはいけない。言霊の効果が恐ろしい。
あとは、他力本願・神頼み。
はらいたまい、清めたまえ。
我が国が核攻撃を受けたらどのような事態が発生するか。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。
悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。
自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。
ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。
もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。
危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
→ http://f.blogos.livedoor.com/opinion/article/5513200/#
──
引用しているのはありがたいことだが、引用された話には間違いがある。
引用元は間違えている。「ベキ分布は確率分布の一つに過ぎない」ということはない。
確率は正規分布になる。
べき分布は正規分布にならない。つまり、べき分布は確率ではない。確率とは別の統計分布だ。
確率とは何かということを根本的に誤解しているようだ。確率の意味は、「均等に起こる現象」の組み合わせである。たとえば、コインの裏表とか、サイコロの目。1/2 とか 1/6 とかの均等に起こる現象があるから、確率は意味を持つ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/1379266.html
地震は、そうではない。均等に起こる現象とは異なる。そこにあるのはランダムな現象ではなく、ある程度の規則性のある現象だ。
誤った仮定に基づいた理論がノーベル賞を取り、
その権威で飯を食う学者がアドバイスしたファンドで90%の顧客が損を出し、
1%の巧者が巨益を収奪する。
正に資本市場のダイナミクスですね。
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(1) その意味で今回の金融危機はブラック・スワンではなく、理論的に予想できた(タレブのファンドも大きな利益を上げた)ホワイト・スワンだった。
( → アゴラ 池田信夫 2010年10月16日 )
金融危機もバブル破裂も予測されていた。また、原発が地震や津波への対策がなされていないことも指摘されてきた。これらはいずれも予想外のランダムな事象ではなくて、予想されたことが予想されたとおりに起こったにすぎない。
地震の確率というのは、無意味である。地震というものは、確率的に起こるものではない。
なんとなく違和感を感じたので調べてみると、
”確率の歴史(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E7%8E%87%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2)
確率という言葉には二つの意味合いがある。一つはある仮説の、それにまつわる判断材料から導かれる蓋然性のことであり、もう一つはサイコロやコインを投げることのような 確率過程的なふるまいを指す。”
とあり、”確率”を前者の意味合いで捉えていると、地震の発生がべき乗分布に従うとしても確率を考えることは無意味ではなくなるのでは。”ランダムに起きる事象を記述するもの”として確率という語を定義しておかないと誤解が生まれるような気がします。
確かに歴史的には、両者が区別されなかったので、両者をひっくるめて「確率」と言っていました。昔はね。
しかし今では、両者はきちんと区別されています。
http://www.cc.osaka-kyoiku.ac.jp/~yossi/doc/goishi-yoti.pdf