2011年04月11日

◆ 南三陸の津波被害

 南三陸の津波被害は甚大であった。これは避けることができなかったのか? いや、避けることはできた。しかし人々は「安全神話」を信じたので、莫大な被害が生じた。 ──
 
 南三陸の津波被害は甚大であった。そのことは、死者数を見てもわかる。全国各地で死者数が判明しているが、南三陸では死者数が巨大であるどころか、死者数がまだ判明していない。あまりにも数が多すぎて、「数がわかりません」という状況だ。
 東日本大震災の被災地では依然、1万4608人(警察庁発表)が行方不明となっている。
 警察庁発表の行方不明者数には、被害の大きい仙台市や宮城県東松島市、南三陸町の数が「調査中」として含まれていない。
( →  2011-04-11
 それでもおおよその数値は、震災翌日に推察がついている。
 宮城県は 12日、津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町の町民約1万7300人のうち、約1万人が行方不明になっていると発表した。
読売新聞 2011-03-12
 つまり、6割ぐらいが死者・行方不明だ。死者を確認する人も死んでしまった、という状況だ。
 この被害の規模は、動画を見れば、惨状がはっきりとわかる。町そのものが津波に全部飲み込まれた。というか、一挙にすべてが押し流されてしまった。ほうきでゴミを掃くように。





 ──

 では、1万人もの人々は、なぜ逃げなかったのだろうか? そのことが不思議に思えたが、朝日新聞の記事(朝刊 2011-04-11 )を読んでわかった。
 ほぼ同趣旨の記事が毎日新聞のサイトにあるので、こちらを引用しよう。
 《 「早く逃げて」命かけた防災無線 》
 「早く逃げてください」──。
 街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。
 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。
 地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。
 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。
 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
 高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。
( → 毎日新聞 2011年3月13日
 さらに、朝日の記事を引用しよう。
 自宅近くの浜辺にいた美恵子さんは、すぐに高台をめざしたが、自宅までは波は来ないだろうと思っていた。50年前の津波でも、被災は免れていた。
 未希さんは庁舎2回の放送室で、マイクを握っていた。3階建て庁舎は 1995年の阪神大震災を機に建設された。「高台に立てた方がいい」という議論もあったが、役場への近さが優先された。
 地震直後に入った津波の予想は、高さ6メートル。防潮水門は 5.5メートルほどある。「6メートルなら大丈夫。万が一、波が水門を越えても、屋上に逃げればいい」。防災をになう職員の共通認識だった。
 午後3時20分過ぎ。「津波が来たぞ」と声が上がる。町長が屋上に上がると、防潮堤を乗り越えて波が入り、海岸近くの家が破壊されていくが見えた。「こんなはずはない」と思ったとき、逃げ道はなくなっていた。
( → 朝日新聞・朝刊 2011-04-11 [紙の新聞])
 この後、屋上にいる職員たちがどうなったかは、次の記事の通り。
 津波は第1波で庁舎をのみ込み、全ての壁と天井を打ち抜いた。佐藤町長の体は偶然、外の非常階段の手すりにぶつかって止まった。
 第2波、第3波は鉄骨の上で無線アンテナなどにしがみついて耐えた。「屋上には30人ほどいたが、気が付けば8人しか残っていなかった」
( → 河北新報 2011/03/14 の転載
 しかも、この状況は、写真で撮影された。水に溺れた人々がアップアップしながら、アンテナにしがみついているが、やがては次々と流されていく。
  → http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1420.html
 ( ※ 死の瞬間を移す、衝撃の画像。)

 ──

 では、このような被害は、なぜ起こったのか? 津波があまりにも巨大だったからか? いや、そうではない。津波の規模がこの程度になることは、もともと予想されていた。それは、津波の前にある資料を(日付指定して)検索すればわかる。
 まずは、次のページから引用しよう。
 三陸地方は、被害がでやすい3つの要素がそろっている。
(1) リアス式海岸である。
(2) 三陸沖の海底は平らな大陸棚である。
(3) 震源地が三陸沖にある。

質問:過去にどんな津波がきたのか?
答え:高さ10〜20メートル以上。
津波の高さは、同じ町内でも海底の形状や深さによってまちまちで一概に言えない。三陸地域全体では波高20メートルという目撃証言も残っている。
( → 三陸と津波
 また、Wikipedia にも、過去の記録が記されている。
 《 昭和三陸地震 》
 発生日 1933年(昭和8年)3月3日。
 地震後に襲来した津波による被害は甚大であった。最大遡上高は、岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市)綾里で、海抜28.7mを記録した。
 この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んだ。
 特に被害が激しかったのは、岩手県の下閉伊郡田老村(現・宮古市の一部)で、人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊した。津波が襲来した後の田老村は、家がほとんどない更地同然の姿となっていた。
( → Wikipedia

 《 明治三陸地震 》

 発生日 1896年(明治29年)6月15日。
 地震後の津波が本州観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録するなど津波被害が甚大だった。
 宮古測候所の地震計も5分間の揺れを記録していた。しかし、各地の震度は2〜3程度であり、誰も気にかけない程度の地震だった。地震による直接的な被害はほとんどなかったものの、大津波が発生、甚大な被害をもたらした。
 岩手県の三陸海岸では下閉伊郡田老村(現・宮古市)で14.6m、同郡船越村(現・山田町)で10.5m、同郡重茂村(現・宮古市)で18.9m、上閉伊郡釜石町(現・釜石市)で8.2m、気仙郡吉浜村(現・大船渡市)で22.4m、同郡綾里村(同)で21.9mと軒並み10mを超える到達高度を記録している。
( → Wikipedia
 既視感にとらわれる。まるで今回の地震の再現だ。いや、順序は逆だ。この地震が先にあり、それと同様のことが、今回また起こったにすぎない。今回のことは、「 1000年に1度」ではなく、「 100年に1度」ぐらいの割合で、たびたび起こっているのだ。そのことは過去の歴史的事実として、広く知られていた。
 もちろん、十分に予測可能であった。

 ──

 では、予測可能な状況で、人々はどうしていたか? 次の話を読むとわかる。
 1960年に町を襲ったチリ地震の津波は高さ 5.5メートル。町の防災計画はすべてこの津波が基準。
( → 共同通信転載
  同様のことは、宮城県の公開する津波の啓蒙文書からもわかる。
  どのくらいの津波が来るの?
  最高の高さは 6.9メートル。
( → 津波教育出前講座 [パワーポイント文書 ]) 
 つまり、1933年の昭和三陸地震の教訓を忘れ、1960年のチリ地震の津波を前提にしていた。「津波は危険だ、危険だ」と騒ぎながらも、その津波の規模を、28メートルという過去最大値でなく、5.5メートルという近い過去の例で見積もっていた。
 一言で言えば、「油断」「楽観」である。もう少し正確に言えば、「まともに予測しなかったこと」である。もっと正確に言えば、「最もひどい過去には、あえて目をふさいだこと」である。

 ──

 今回の津波は、「 1000年に1度」というような珍しいものではない。「 100年に1度」ぐらいで、何度も起こる出来事だ。
 なのに、人々はそれを忘れて、 50年前のチリ地震のことしか考えなかった。28メートルという過去最大値にはあえて目をふさぎ、5.5メートルという小さな数値だけを採用した。

 しかも、このことは、南三陸や宮城県の人々がことさら愚かだったからではない。専門家である気象庁もまた、同様だった。先の記事を再掲しよう。
 地震直後に入った津波の予想は、高さ6メートル。防潮水門は 5.5メートルほどある。「6メートルなら大丈夫。万が一、波が水門を越えても、屋上に逃げればいい」。防災をになう職員の共通認識だった。
 現実には 20メートル近く( 15.9メートル )の高さとなり、町のすべてを飲み込むほどの津波だったのに、地震直後に入った津波の予想は、高さ6メートルだった。あまりにも甘い数値だ。そして、この甘い数値(予報)のせいで、多くの人々が逃げ遅れた。
 もし気象庁が「6メートル」という大甘の数値を出さず、「過去の事例からして南三陸では 20メートル近くになりそうです」と警告していたら、これほどの被害にはならなかっただろう。





 上の動画を全画面表示で見るとわかるが、画面左側にいる人々は、津波が来ても、のんびりと津波を見物している。津波に背を向けて逃げるのではなく、津波に顔を向けて、のんびりと見物している。
 そして、津波が間近に迫ってくると、大あわてで逃げようとするが、逃げ遅れた人も出る。それを助けようとした人も出るが、助けようとした勇敢な人は、津波に飲み込まれて流されてしまった。(動画のコメント欄による。)
 人々は、28メートルの津波という歴史を忘れ、チリ地震の例や気象庁の予測を信じた。厳しい数値を忘れ、甘い数値だけを信じた。そのせいで、津波を甘く見たすえ、自らの命を飲み込まれてしまった。

 ──

 結論。

 歴史からして、津波の恐ろしい危険性はもともと警告されていた。にもかかわらず、現地の人々はその大きな危険を忘れて、小さな危険ばかりを覚えていた。危険を大幅に甘く見積もっていた。また、気象庁も、過去の歴史を忘れて、大幅に甘い予測を示した。……こういう誤認(油断)のせいで、大きな被害が起こった。
 


 [ 付記1 ]
 今回の大被害は、地震や津波そのものだけによって生じたのではない。たとえば、次の事例では、一人も死者を出さなかった。
  → 津波から児童生徒 3000人全員を救った
  → 片田敏孝教授の話
  → 釜石の津波の大被害 (動画:YouTube )

 動画を見ればわかるように、ものすごい津波が起こった。しかるに、心構えさえしっかりしていれば、小学生でさえ一人も被害が出ない。
 一方、のんびりと津波の見物なんかをしていれば、被害に遭う。似た例は、次の動画にも見られる。(津波ではないが。)
  → 高波に流されるDQN3人
  → 初日の出で高波にさらわれる高校生 , その後

 この動画を見て、「阿呆だ」とコメントする読者が多いが、それと同様のことは、今回の津波にも当てはまる。人々は津波をあまりにも甘く見積もりすぎていた。
 その最たる例は、日本一の防潮堤を信じた田老地区の住民だ。
  → 日本一の防潮堤を過信 岩手・宮古市田老地区「逃げなくても大丈夫」



 [ 付記2 ]
 今回の被害を見ると、日本の津波対策が、根本的に狂っていたとしか思えない。あまりにも津波を甘く見すぎている。
 たとえば、釜石の例。
 市が指定する災害避難所が津波にのみ込まれて50人以上が死亡、多数の人が行方不明になっていたことが22日、分かった。野田武則市長は「(指定した時点では)まさか、あそこまで津波が達するとは思っていなかった」と語った。
 被害に遭ったのは、昨年オープンした同市鵜住居町の市立鵜住居地区防災センター。関係者によると、被災時には約200人の住民が避難していたが、現在まで安全が確認されたのは十数人にすぎないという。
 近くの鵜住居川の堤防が、海から逆流した津波で決壊、センターの1、2階がのみ込まれた。
( → 日経 2011-04-11

 岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)町の避難所「鵜住居地区防災センター」からは、54遺体が見つかった。地震発生直後、市内の職場にいた小笠原隆政さん(32)は、自宅の母親(69)に電話し、叫んだ。「山へ逃げろ!」。だが、母親は、センターに逃げ込んだ。
 センターは、災害が落ち着いた後に被災者が避難生活を送る拠点避難所で、真っ先に逃げ込む「1次避難場所」ではない。しかし、市は8日前、ここを1次避難場所代わりにした避難訓練を実施した。母親も参加していた。
( → 読売新聞 2011-04-06

 近くの鵜住居川の堤防が海から逆流した津波で決壊、鉄筋コンクリート造り2階建ての建物を襲った。センターに避難した古川悌三さん(72)によると、水はものすごい勢いで屋内に入り込み、2階天井まで10〜15センチに迫った。古川さんはわずかな隙間で呼吸し助かったが、ガラスの割れた窓から多くの人が外に流されるのを目撃したという。
 野田武則市長は22日、自衛隊のヘリで上空から市内を視察。鵜住居地区の惨状も目の当たりにして「まさか防災センターの2階まで津波が達すると思わなかった。海辺は都市計画をあらためて考えないといけない」と語った。
 達増知事は「これまでの防災や安全対策について専門家に調査を依頼し、提言を受ける必要があると考えている」と述べた。
( → 岩手日報 2011-04-11
 「まさか、あそこまで津波が達するとは思っていなかった」というふうに、津波の範囲を狭い範囲だけだと思い込んでいた。さらには、鉄筋コンクリート造り2階建てで十分だと思っていた。専門家の意見もろくに聞かずに、勝手に判断していた。それが市長や知事の見解だ。

 しかし、ネットでググればすぐにわかるように、釜石(など)の津波被害は大きいのだ。そのことは、先の Wikipedia の項目からもわかるし、次の文書からもわかる。
  → 三陸地域の 地震・津波年表
 これによれば、釜石の津波は明治の地震で 7.9メートル。このことだけでも、二階建てでは不十分だと、簡単にわかる。当時(明治)、釜石では 6000人弱の住民がいて、その半数以上が死亡した。なのに、二階建てなんかで済ませていたのだから、呆れてしまう。

 その一方で、釜石は津波対策として、ギネスブックにも載るような世界最大級の堤防を構築していた。
 《 世界でもっとも深い堤防 》
 釜石港湾口防波堤は、約30年という時間と総事業費約1200億円というお金をかけて作られた。
( → 個人ブログ

 《 ギネスブック世界一認証の釜石湾口防波堤 》
 釜石港に建設された湾口防波堤は……最大水深が 63メートルに及ぶ世界一の水深を持った巨大構築物である。その巨大さは2009年9月、ギネスブックに認定され記載されているほどである。
 この世界一の巨大なる湾口防波堤の狙いは、釜石市が明治三陸地震津浪、昭和三陸地震津波、チリ地震津波という災害をまともに受けて多くの人命や建築物の被害を受けている経験から、明治29年三陸大津波の規模の津波を防ぐことができるという狙いで規模を定めて最新の技術を駆使して建設され 2009年3月に完成したばかりの最新鋭防波堤であった。
 市民がこの防波堤に期待するものは非常に大きかった。当時の期待を裏書きするものとして釜石港湾事務所の喜びと期待の『百年の守り』という文章と歌を紹介しよう。
 「釜石港湾事務所では、平成18年7月26日、釜石港湾口地区防波堤建設における最終ケーソンを据え付け、これにより津波防災機能をほぼ発揮できるようになりました。
  東北地方整備局としても、少しでも地元の力になりたい一心から、昭和53年(1978年)より湾口防波堤の整備を着手してきました。以来、防波堤としては世界にも例を見ない大工事となり、大量な資材の供給先確保にはじまり、新たな設計思想の導入、港の機能を損なわない工事方法など、……(以下略)」
 願望と現実はあまりにも違う。百年どころか完成してから、僅か二年で其の願望は吹き飛んでしまった。それが厳然たる事実である。
( → 高杉晋吾(フリージャナリスト)
 1200億円もかけて、役立たずの堤防を作った。それで死者を減らすどころか、「堤防があるから大丈夫」という慢心を招いた。(そのことでかえって死者を増大させた。)
 一方では、津波に対して圧倒的な効果がある鉄筋の高い防災ビルを建築しなかった。たったの2階建てで済むと思っていた。
 鉄筋の高い防災ビルなんて、コストはたいしてかからない。普段はビルとして実用に使えるのだから、防災(専用)のためのコストは、ゼロに近い。一方、防災専用の堤防(効果なし)には、1200億円という無駄金を投じた。

 要するに、1200億円という莫大な金を使って、津波対策をしているつもりだったが、実はまるきり底抜けだったのである。ゴミを作るためには 1200億円も使ったが、実質的にはコストのかからない事業には金を使わなかった。金がないのではなく、知恵がなかった。そのせいで、1200億円を浪費しただけでなく、多大な死者を出した。

 堤防を作ればそれで津波対策になる、という発想は、あまりにも甘すぎたのである。(というか、見当違いがひどすぎた。)
 人々は、あまりにも自然を見くびっていた。「 1200億円もかけた防潮堤があるのだから大丈夫」だと思い込んでいた。気象庁にしても、「コンピュータを使っているから、精度の高い予測ができる」と思っていたのだろう。だから、当てにもならない数値を出して、平気でいられるのだ。
  → 気象庁の津波予想システム
 
 気象庁がなすべきことは、津波の予想数値なんかではなかった。「この数値はあまり当てになりません。もっとずっと高い津波が襲いかかる危険があります」という警告をするだった。さらには、単に気象データを出すだけでなく、
 「内陸部にまでひどく襲いかかるでしょう。ちょうど明治三陸沖地震のように」
 と警告するべきだった。

 今の気象庁には、その能力(正しい警告の能力)がないようだ。
 ならば、仕方ない。気象庁の権限を奪うべきだろう。気象庁は、独立した省庁として独立した仕事をするのではなく、「災害予防庁」という上位機関の下位部門となるべきだ。(馬鹿は他人の部下になるしかない。)
 今みたいに数値情報だけを出して、「科学的数値だから、それで事足れり」と思っているような省庁は、自主独立の機関である資格はない。自分の頭で考えられないような政府部門は、頭のある政府部門の手足として従属・奉仕すれば十分だ。
 役立たずの気象庁など、解体してしまえ。
 というか、その前に、気象庁は土下座するべきだ。そうすれば、6メートルという数値を信じて津波に流された未希さんの魂も、浮かばれるかもしれない。
 

( ※ 気象庁がもっと大々的な津波警報を出していれば、多くの人命が救われたはずだ。たぶん数千人の命が救われただろう。当日の津波警報は、私も見ていたが、ちっとも危険性は感じられなかった。単に海岸に何メートルかの津波が来る、というふうにしか感じられなかった。何万人もの死者が出るだろうとは、まったく思えなかった。それほどにも、甘ったるい津波警報だった。……しかるに、津波のことをちゃんと調べていれば、過去の例からして、何千か何万かの死者が出ることは、明白に予想できたのだ。なのに、その警告をしなかった気象庁の罪は、きわめて重い。気象庁は、科学的な数値を出すことのみにこだわったあげく、人々の心に慢心を植え付けたのだ。そして、その犠牲者のうちの一人が、未希さんだ。)
 
( ※ ちょっとした旧式の電子機器を用意しておけば、繰り返し放送できたので、未希さんは死なずに済んだはずだ、という指摘もある。 → 該当ブログ


[ 参考 ]
 防潮堤は、すべてが無駄だったというわけではない。例外的に、津波を阻止した例がある。岩手県普代村の例だ。
 ただしこの例では、津波は震源からいくらか距離があった。また、堤防はもともと高くて頑丈に作られていた。そのおかげで、今回はかろうじて、ギリギリで間に合った、ということらしい。
 同じような大規模な堤防を、宮古や女川や釜石に設置していたとしていたら? やはり、強力な津波の直撃を受けて、破壊は免れなかっただろう。岩手県普代村の例は、あくまで幸運な例と見なされる。
 普代村から何かを教訓として学ぶとしたら、堤防や水門ではなくて、住居を上流側に設置しておいたことだろう。海岸の側は壊滅したが、上流側は水門や防潮堤に守られて、被害がなかった。ここでは、堤防や水門に頼り切らなかったところが、生死を分けたとも言える。もし頼り切っていたら、海岸のそばで多大な被害が生じていたはずだ。

 【 後日記 】
 普代の防潮堤は、他と違って、著しい特徴があった。それは、「海岸ではなく内陸部に防潮堤があった」ということだ。このことは航空写真からわかる。
 → 航空写真
 なお、「内陸部に防潮堤があると、大丈夫」ということは、下記の【 関連項目 】 を参照。



 【 関連項目 】
 
 どうせ堤防を作るのであれば、内陸部に堤防を作ればいい。そうすれば、安上がりで、効果的な堤防を作れる。
  → 堤防は内陸部に (2011年05月21日)

 ついでに一言。
 私は、「何もしない方がいい」と述べているのではない。「大金をかけて効果のないものを建設するな」と述べている。それはつまり、「大金をかけずに、有効なことをせよ」という意味だ。その具体策が、「内陸部の堤防」だ。
posted by 管理人 at 19:33| Comment(14) |  震災(東北・熊本) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
参考。
 今回の津波の最高値は、37.9メートル(以上)。(岩手県宮古市の田老地区)。
 以下は記事。
 ──
津波の高さ(遡上(そじょう)高)が37.9メートルにまで達していたことが3日、東大地震研究所の都司嘉宣准教授(地震学)の現地調査で分かった。
 都司准教授は、田老地区にある小堀内漁港周辺の漂流物などを調査。その結果、海岸線から約200メートル離れた山の斜面にまで、海水に押し流された材木が到達していたことが分かった。材木があった地点を基に高さを計測したところ、37.9メートルと判明。
 都司准教授は「今後の調査で、数値はさらに大きくなる可能性がある」としている。
 ──
 → http://bit.ly/hE492C
Posted by 管理人 at 2011年04月13日 00:01
毎日、精力的な情報収集と分析、そして素晴らしいご意見ですね。
現地を視察した友人が、現地が津波に対して『賢い選択、無策、悪策』の隣り合わせの現実を確認してきたとメールをくれました。
そこに住む人びとの歴史と、リーダーの有無が危機事態で左右に分かれるのですね。

仮設住宅建設に対する貴見、なるほどと目を開かれました。
今朝は生島ヒロシがカナダの仮設住宅は30万でできるそうだ、バリアがあって輸入されないようだとも言っていました。
国を頼らず自立を促す方向へと仕向けるべきですね。
Posted by 阿部賢一 at 2011年04月13日 11:00
気象庁の第一声
”三陸沖歴史上最大M9.0(mM)予想される津波も予想される過去最大と予想される10m以上。”
そういうことが言えていたらだいぶ違ったでしょうね。

M7.9 津波3m、高いところで6mという第一報だったのは残念です。
Posted by iyokan at 2011年04月16日 08:31
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000014-mai-soci

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110416k0000m040172000c.html?inb=yt
これらの記事でも、防波堤やチリ地震の体験、初期の津波警報への過信で危うい目にあった体験が書かれています。
Posted by 新井 at 2011年04月16日 16:36
湾口防波堤が無駄?その言葉釜石に行って声を大にして言ってね。半殺しですよ。陸前高田になるか否かの境目ですわ。
釜石に限っては強化型湾口防波堤として修繕+改造というのが一番安上がりですね。
他はガレキ+焼却灰モルタル+覆土の防波堤(2重)+15m程度の盤上げ。
あとは、そもそも今回の津波が何年に一回なのかがっちり研究の必要が有りますね。個人的は1611年慶長津波と今回の津波は同格かと見ております。三陸の被害の規模と仙台平野&福島の被害状況を踏まえてね。
Posted by ねこいぬ at 2011年06月11日 19:54
防潮堤があれば人命を救える、という発想を持つのであれば、その声を死者に向かって言うといいでしょう。もちろん死者は仕返しをしませんが。……ちょっとは反省した方がいいですよ。

 なお、私は、「何もしない方がいい」と述べているのではありません。「大金をかけて効果のないものを建設するな」というのは、「何もするな」という意味ではありません。「大金をかけずに、有効なことをせよ」という意味です。具体的には、下記。
  → http://openblog.meblog.biz/article/4667390.html
 これを読んでからにしてください。

 ──

 今夏の地震の規模は、モーメントマグニチュード(別項参照)の数値からしても、百年に1度の規模です。津波の規模も同様で、明治三陸沖地震とほぼ同様です。あと百年ぐらいたてば、また同じような津波が来るでしょう。
 そのとき、またも同じような防潮堤を作って破壊されるか。それとも、今度は破壊されない防潮堤をずっと安上がりに作るか。……その選択です。

 「頭を使え」というのが、本サイトの一貫した主張です。「金さえ使えば、効果などはどうでもいい」という公共事業の利権主義とは正反対です。
 よく理解してください。
Posted by 管理人 at 2011年06月11日 21:33
どういうメカニズムで仙台東部道路が津波を止めたか、湾口防波堤がどんな思想で作られたか、考えたことありますか?ベルヌイの定理を津波に当てはめた場合の本質的な意味分かりますか?そこがきちんと分かってから私と議論しましょう。
(コンピュータ関係のエンジニアですと、複素数的なセンスは素晴らしいと思いますが、純粋な力学系物理の考察力はどうしても・・・と見受けられます)
何をもって湾口防波堤をあっさりと無駄と言い切るのは勝手ですが、メカニズムを分からないで物を語っても、単なる思いつき(何処かの総理のようですね)と捉えられ、エンジニアとしてのレベルを探られますよ。
津波のエネルギーをどうやったら削いで被害を小さくするか。方法として、津波の高さを削るか、津波の速度を削るかの二択となります。

仙台平野のように奥に広大な平野があれば、地面と水の摩擦力を使い、流速を落とし、エネルギーが小さくなった時点で仙台東部道路のような堤防があれば津波は止まります。
問題はそういうスペースの無く、湾入口から街に向かって波高さが急激に上がるリアス式の湾奥になる釜石のような所でどうやって津波の被害を小さくするか?前述の地面の摩擦力は使えないので、釜石の場合は高さエネルギーを削るため、湾の幅が狭くなってる所に防波堤を置きます。ただ、現行の湾口防波堤や星の数ほどある防波堤は超波による速度エネルギーをうまくあしらう構造になってません。そこまで人類は知恵を持っていなかったのです。(現行の設計基準に津波も一応対象になってますが、具体的に津波の流速を考慮した設計がされてる所は聞いたことも見たこともありません)よって、速度エネルギーで洗掘と呼ばれる防波堤のマウンドと呼ばれる基礎が流され&壊され、浮力と流速で転倒し、ズタズタにやられました。
田老の防波堤は昭和初期に造ったのは波を斜めにやり過ごすしくみで自然と共存の思想でしたが、新しく造ったコンクリート製のは波に正面から抵抗(力ずくで抑え込む)する仕組みで自然に喧嘩を売る思想です。田老は新しく造った方は根元から完璧に破壊されました。個人的には自然の力を甘く見るとどうなるかの見本だと思ってます。
そもそも田老町では明治三陸津波を防波堤で抑え込む思想は当初無かったのです。あくまで時間稼ぎ。それがいつしか力ずくで抑え込む思想にすり代わり、今回の悲劇につながったと見ております。
昔の人は、自然を脅威と捉え、うまく共存する考えでいろんなインフラを造っておりました。それがいつしか科学技術で力ずくで抑え込む思想にすり代わり、ごつく醜いものがどんどん建設されるようになりました。大体昭和35年ころが思想の変り目です。
今後の復興は、やはり自然の脅威を踏まえつつ、限られた費用で、自然のパワーを受け流し、今回のような巨大な波が来ても柳に風の如くさばけるインフラ設計思想を創らねばいけないと思いますよ。
以上の考えからいくと、現状の地勢、現状を踏まえると、防波堤で力づくで抑えるのが正攻法な場所(普代)、鉄道・道路付きの2重防波堤+防潮林が正攻法な場所(岩沼〜仙台、石巻)、高台移転が正攻法な所(女川)となってきます。
陸前高田はあまりに街場が海に近すぎたので、市街を数キロ奥に置いて、仙台のような構造にするのが正攻法です。
釜石、大船渡に加え、気仙沼も湾口防波堤が正攻法だと思います。海べったりに市街と産業があるところは、仙台の方法はNG,田老のような防波堤が造れないので。
あくまで物理の基本メカニズムと地勢と現況の分析が復興案のベースとなってることをお忘れなく。
Posted by ねこいぬ at 2011年06月12日 21:19
釜石でどうすればいいかは、本日別項で詳しく述べたので、そちらを参照してください。
 → http://openblog.meblog.biz/article/4823892.html

 この案ならば、人的被害をゼロにできますし、建築物の被害も最小化できます。また、防潮堤の構築費も安上がりにできます。

 一方、あなたの案でどうなるかは、今回の津波が証明しました。1200億円をかけても、莫大な死者が発生しました。
 過去から学ぶ人は、賢者です。過去から何も学ばない(同じ失敗を繰り返す)人は、何と呼ぶべきか? 

> ベルヌイの定理を津波に当てはめた場合

 それは構築物の隙間を通る海水の場合だけでしょう。今回の津波では海水の衝撃や圧力の方がはるかに大きな影響力を持っています。ベルヌイの定理は見当違い。そんなものが影響する前に、エネルギーを減衰することが大切です。陸地の障害物で。
 ちゃんとリンク先を読んでからにしてください。
  → http://openblog.meblog.biz/article/4667390.html
Posted by 管理人 at 2011年06月12日 22:09
> 防波堤で力づくで抑えるのが正攻法な場所(普代)

 勘違いなさっているようですが、普代の防潮堤は内陸部の防潮堤ですよ。だからこそ阻止が可能だった。(また、場所も、正面からの直撃ではない場所だった。)
 → http://j.mp/le3GVC
Posted by 管理人 at 2011年06月13日 05:43
普代の衛星写真を見ると、重要なことに気づく。
 水門の上流側には、小学校と中学校しかない。水門が救ったのは、この二つだけだ。
 それからずっと上流側の内陸部に、住居がある。これらは、水門があってもなくても、どっちみち津波の被害は受けなかったと思う。あるいは、ずっと低い防潮堤でも、津波を十分に阻止できたと思う。

 小学校と中学校だけを守るために、巨額の費用をかけて水門を作るというのは、費用対効果の面で効率が悪い。それよりは、ずっと上流の側に、低い水門(または盛り土の堤防)を作るだけで十分だった。それならばごく安価にできただろう。
 その場合、小学校と中学校は水没するだろうが、津波が来るのは百年に一度だ。小学校と中学校の建物寿命は 50年だ。津波が来る前に取り壊しができる。津波が来るたびに建て替えれば、それで済む。

 普代の教訓は、「大きな防潮堤が役立った」ということではなく、「住居を内陸部に置けば人的な被害はゼロだ」ということだろう。
 「防潮堤は素晴らしいから、もっと金を寄越せ」
 というような公共事業推進論にはならない。どうしてもやりたければ、その費用は、村人から徴収するべきだろう。どうせ、ほとんど無駄なのだから。
(ま、すでにある防潮堤を崩せ、とは言わないが。なかば無用の長物に近い、と言えそうだ。)
Posted by 管理人 at 2011年06月13日 12:32
釜石の堤防については全然勘違いしていたので、修正したい。

 釜石の巨大な堤防は、防潮堤ではなく、防波堤であった。これは、中央に船が通れるように、大きな開口部がある。
 つまり、津波が来ても、阻止できないのだ! 大波を減衰することはできるが、津波を阻止することはもともとできない。
 要するに、釜石の巨大堤防は、台風対策のためにあるのであって、津波対策にはなっていないのだ。

 1200億円もかけても津波には無効であった、ということは、最初から明らかだった。もともと防潮堤ではなく、防波堤なのだから。
 釜石の防波堤で津波を阻止するというのは、穴だらけのザルで水をすくうというのと同じだ。無意味なことだ。

 したがって、津波対策としていっそう巨大な防波堤を構築したとしても、それはもともと底抜けの発想なのである。
Posted by 管理人 at 2011年06月15日 00:45
超大津波の前に堤防は無力という事であり、ビルを含めた高台へ
避難しなければならないという事であれば、必ずこの件に触れなければならない。

2010年2月27日のチリ沖地震で避難勧告を出しても3.8%しか逃げなかった事を受け、
自公は震災前の2010年6月に津波対策推進法を提出したが、与党民主はこれを無視した。
この法案が通っていたら、同じく震災前の2010年11月に全国民の津波避難訓練が行われていた。
結局この法案が通ったのは震災後の2011年6月であり、下の国会を見れば分かるが菅はこの法案を絶賛している。
おおざっぱに言えば、この法案は”とにかく逃げろ!”という内容です。
(時間の無い方は一番下だけでも見て下さい)

http://www.youtube.com/watch?v=H3tjAZrMc_g
http://www.youtube.com/watch?v=q-svy_8qfyM
http://www.youtube.com/watch?v=Mise2fJdL-g
Posted by たも at 2011年07月13日 07:40
> もし気象庁が「6メートル」という大甘の数値を出さず、「過去の事例からして南三陸では 20メートル近くになりそうです」と警告していたら、これほどの被害にはならなかっただろう。

仰る通りですね。その点が本当に悔やまれてなりません。

自民党の小野寺五典衆議院議員が「平成24年2月2日 衆議院予算委員会」で質問した際の議事録を読むと泣けてきます。

http://www.nippon-dream.com/wp-content/uploads/9207b741a3a16017bebf626fb65b811a2.pdf

沖合にGPSの沖合波浪計を浮かべていて、その計測値(実測)から沿岸に来る津波の高さや浸水域を正確にシミュレーションするソフトウェアがあったのにも関わらず、気象庁が利用を拒否したという話です。

この国の官僚どもの縦割り体質には本当に怒りが込み上げてきます。

田中康夫の「ニッポン再興へのシーズ」小野寺五典氏がゲストで出演して語っていますので、こちらも見ていただければと思います。

http://www.nippon-dream.com/?p=7106
Posted by 平井 at 2012年03月06日 14:10
 田老地区の証言。津波が来て「逃げよう」と言われたのに、頑として逃げるのを拒んだ漁師の例。堤防の安全神話を信じたせいで、死んでしまった。
 以下、朝日新聞の記事の抜粋。

 ──

 佐々木トモさん(83)は近所の家にいて揺れを感じ、急いで防潮堤のすぐ内側にある自宅に戻った。散歩に行っていた夫の正夫さん(当時82歳)も帰ってきた。
 「予想される津波は3メートル」。防災行政無線を聞き、トモさんはすぐに避難しようと声をかけた。しかし、正夫さんは動こうとしない。「3メートルならこの防潮堤を越えることはない」と腰を上げなかった。連れ出そうとして腕をつかむと、それを振り払い、トモさんを玄関の外に押し出して戸を閉めてしまった。
 トモさんは1人で300メートルほど先にある田老公民館の裏山をめざした。正夫さんは3週間後、流された家の中で亡くなっているのが見つかった。
 トモさんは「防潮堤があったから油断した。避難させられず、今でも悔しい」

 https://www.asahi.com/articles/DA3S14510237.html

 ──

 本項では [ 付記1 ] に記述がある。
Posted by 管理人 at 2020年06月11日 18:53
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ