2011年03月11日

◆ 突然変異の範囲

 遺伝子の突然変異の範囲は限られている。たとえば、ミジンコの突然変異の範囲は限られている。ミジンコが突然変異して、いきなり哺乳類になる、というようなことはない。 ──
 
 遺伝子の突然変異の範囲は限られている。たとえば、ミジンコの突然変異の範囲は限られている。図で示すと、

    

 という突然変異の範囲がある。そこから逸脱することはない。
 魚とか猫とかは、この円からずっと離れたところにある。
 ミジンコが突然変異して、いきなり哺乳類になる、というようなことはない。

 哺乳類でも同様だ。犬には犬の突然変異の範囲がある。そこから逸脱することはない。次の図のように。

dog.gif

 ここでは、原種(オオカミ)を中心として、次のことが成立する。
  ・ この円内では、交配が可能。
  ・ この円内では、小進化が可逆的。
  ・ この小進化の範囲は、円内のみ。(円の外に出られない。)

 このようにして、一定の円が定まる。それがつまり、「犬は一つの種である」ということだ。(犬が突然変異によってトラやライオンになることはない。また、犬が巨大化するにしても限界があり、トラのように大きくなることはない。)

 以上のことは、前にも述べた。詳しくは、そちらを参照。
  → 犬の小進化(品種改良)

 ともあれ、「突然変異の範囲は(種ごとに)限られている」という点に注意しよう。それが本項の眼目だ。


 ────────────

 このことから、次のことが結論される。
  ・ 種の範囲内でいくら小進化が蓄積しても、大進化にならない。
  ・ 大進化を起こすには、種の範囲外に出る必要がある。


 同じことだが、表現を変えると、次のように言える。
 「小進化と違って、大進化では、種の突然変異の範囲を越える。これが進化の真の意味だ」


 つまり、真の進化とは、小進化ではなく大進化のことである。従来の範囲を逸脱することだ。
 それは進化のレベルを上げることだとも言える。旧種から新種へというレベルアップ。
 わかりやすく言うと、進化とは、階段状のステップアップだ。図で示せば、次のようになる。

stage2.gif

 ただし、これは不正確だ。正確には、次の図のようになる。

stage3.gif

 ( ※ 図の詳しい説明は → 断続進化 (断続平衡説)

 このような階段状の進化がある。ここで、階段を上がることが、ステップアップだ。

 ここで注意。段を一つ上がるときに、これまでの段における突然変異の範囲を超えるのだ。
 たとえば、ホモ・ハビリスの突然変異の範囲は限られている。ホモ・エレクトスの突然変異の範囲も限られている。(それぞれ、位置のずれた ○ で図示できる。)
 ここで、ホモ・ハビリスが進化してホモ・エレクトスになることは、考えられる。そのような突然変異は、あってもおかしくない。
 しかし、ホモ・ハビリスが突然変異して、一挙にホモ・サピエンスになることは、ありえない。つまり、途中の階段を飛ばすことはできない。
 進化は常に逐次的に起こる。途中の段を省略して、一挙に跳躍することはできないのだ。
 ここまでは、当然だろう。

 ──

 しかしながら、ダーウィン説を取る限り、それとは矛盾した結論が出る。ダーウィン説に従えば、
 「進化は、突然変異と自然淘汰で起こる」
 というわけだから、最初の方の種から、突然変異によって、最後の方の種ができても、おかしくないのだ。たとえば、ホモ・ハビリスが突然変異して、短期間でホモ・サピエンスになってもいい。また、ミジンコが突然変異して、短期間で猫になってもいい。なぜなら、すべての進化は、小進化の突然変異によって、なだらかにつながっているはずだからだ。そこには「進化の階段」という不可逆的な過程は想定されていないからだ。

 ダーウィン説では、進化はなだらかな連続的な変化として説明される。それゆえ、「ミジンコが突然変異して、短期間で猫になる」ということも容認される。そこでは単に、「突然変異の量」が認識されるだけだからだ。「大進化」という不可逆的な過程は想定されていないし、「階段状の進化」という概念も想定されていないからだ。

 そもそも、ダーウィン説では、ミジンコも人間も、同程度に進化した生物である。そこでは「大進化の量に大差がある」とか「階段状の進化量に大差がある」とかいうことはまるきり無視され、「突然変異の蓄積量は同じだ」ということばかりが認識される。
 このような認識からは、「ミジンコの突然変異の範囲も、類人猿の突然変異の範囲も、どちらも同じだ(すべてを含む範囲だ)」ということになり、「ミジンコが突然変異して、短期間で人間になる」ということも成立してしまう。
 そこではもはや、「40億年をかけた階段状のステップアップ」という認識は存在しない。ミジンコも人間も生物としては同レベルにすぎないのである。当然ながら、「人間が進化してミジンコになる」ということも容認される。というか、そうなることを当然視される。なぜなら、人間が最近になれば、個体数や遺伝子数を増やせるからだ。  (^^);

 ──

 結論。

 進化というものは、ステップアップをともなう。それが「大進化」だ。そこでは「突然変異」ではない、別の原理があるはずあ。
 しかるに、ダーウィン説には、「小進化の蓄積」という概念だけがあり、「大進化」という概念がない。「進化のステップアップ」という概念はなく、「階段状の進化」という概念もない。「小進化の蓄積」という「連続的な進化」の発想があるだけだ。
 この発想に従えば、ミジンコも人間も同じぐらい進化した生物であるのだし、また、人間は進化してミジンコになるはずなのだ。
 こうしてダーウィン説は、「進化」という概念の本来の意味(化石的事実)を逸脱して、「逆進化」(化石的事実の逆行)をも結論してしまうようになる。
 


 [ 付記 ]
 創造説は、化石的事実としての進化を認めない。その意味で、進化という概念をゼロにしてしまう。
 ダーウィン説は、化石的事実としての進化を認めるが、同時に、化石的事実としての進化とは逆方向の変化をも認めてしまう。その意味で、進化という概念を正反対にしてしてしまう(こともある)。また、「ミジンコも人間も同じぐらい進化した生物だ」と見なすことで、化石的事実としての進化という概念をほとんど無に帰してしまう。
 いずれにしても、化石的な事実とは合致しない仮説であるということで、創造説とダーウィン説は、きわめて似ている。ただ、創造説は「進化はなかった」というふうに進化を全否定しているのに対して、ダーウィン説は「突然変異と自然淘汰だけで進化が起こる」というふうに述べて、進化ではないもの(ただの小進化)をも「進化」と呼んでしまう。
 創造説は、進化を見ても、「進化ではない」と述べる。
 ダーウィン説は、進化ではないもの(小進化)を見ても、「進化だ」と述べる。
 その意味で、両者は、似て非なるものだ。どちらも虚偽ではあるが、虚偽の方向が正反対だ。
 ただし、化石的事実を(ほぼ)無視するという点では、どちらも共通する。
 
  ※ ダーウィン説が無視しているのは、階段状の進化という化石的事実。
     → 断続進化 (断続平衡説)
     → 進化論(ダーウィン説)の問題点
posted by 管理人 at 19:01| Comment(0) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
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