という説がある。しかしそれは論理的に成立しない。
正しくは? 脳を発達させたのではなく、脳の発達分野を決めただけだ。 ──
「人類の直立歩行が、脳の発達をもたらした」
というのが、進化論における標準的な説だ。(サバンナ説)
( ※ 直立歩行 = 直立二足歩行 )
しかしこれについては、私は何度も批判した。
→ 直立二足歩行は人類の特徴でない
→ 最古の人類(ラミダス猿人)
→ 人類の直立歩行:樹上説
つまり、「猿が草原に出ると、二足歩行が有利だ」ということは成立しない。実際、二足歩行のラミダス猿人は、二足歩行が下手であった。一方、普通の猿は、地上をすばやく走ることができる。ニホンザルは人間よりもずっと速く走る。
だから、ヨチヨチと二足歩行する猿が草原に出ても、有利ではない。むしろ不利だ。肉食獣に追われて、捕食されるだけだ。(樹上ならば捕食されないが。)
だから、次の説は成立しない。
「猿が草原に出ると、二足歩行が有利だから、二足歩行となった。そのおかげで、手が自由となり、脳が発達した」
ここでは、「よく使うものほど発達する」というラマルク説みたいな発想があるが、それは成立しない。
むしろ、話は逆だ。「脳が発達したから、手が発達した」と考える方がいい。その方が論理的だ。
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ここで、脳のホムンクルスという脳の構造図を見よう。(クリックして拡大)
(出典:Wikipedia)
これを見ればわかるように、脳の発達した箇所は、二つある。
・ 手
・ 顔
多くの進化論学者は、手の発達ばかりに着目するが、実は、顔の発達も大切だ。特に、口のあたりの発達だ。
これは何を意味するかというと、もちろん、「言語の使用」である。人間(ホモ・サピエンス)は、言語の使用とともに、顔の部分の脳が発達した。
──
ここでは、次のことは成立しない。
「人類は、直立歩行したから、顔の部分が発達した」
では、何が成立するか? こうだ。
「人類は、脳が発達したから、顔の部分が発達した」
ただし、脳が発達したからといって、顔の部分が発達することの理由にはならない。論理的に当然だ。
論理的に成立するのは、次のことだ。
「人類は、脳が発達した。その際、発達した部分は、(他の部分でなく)手と顔の部分だった」
では、なぜそうなったのか? ごく普通の考え方をすればいい。
「手や顔をよく使う個体が、環境のなかで有利だったので、自然選択された」
ここでようやく、ダーウィンの「自然淘汰説」が成立する。
──
まとめ。
人類は、脳が発達している。特に、手と顔の部分が発達している。それはなぜか? 直立歩行したからか? 人間の行動が進化の要因となったか? 違う。脳が発達したのは、もっと根源的な生物学的な理由がある。(人間の行動や環境は影響しない。)
ただし、脳が発達したときに、脳のどの部分が発達したのかということには、人間の行動や環境が影響した。発達した部分が(腕や足や腰ではなく)手と顔の部分であったことには、人間の行動(道具の使用や言葉の使用)が大きく影響した。なぜなら、道具の使用や言葉の使用ができる個体は、有利だったからである。(自然淘汰説)
──
結語。
直立二足歩行は、手の発達を通じて、人類の進化に影響した。ただしそれは、「脳が発達した」ことではなく、「脳の発達が手部分に集中した」ということにのみ、影響した。こう説明することで、「脳の発達が手部分と顔部分に集中した」ということの、半分だけを説明できるようになった。(顔部分の発達については説明できない。)
一般に、環境は、進化の原動力にはならないが、進化の方向を決めることはできる。自然淘汰説は、進化の原動力については、何も説明しない。しかし、進化の方向については、説明する。(自動車で言えば、アクセルについては説明しないが、ハンドルについては説明する。)
「人類は、直立二足歩行のおかげで、脳が発達した」ということは、ありえない。しかし、「人類は、直立二足歩行のおかげで、手部分の脳が発達した(脳の発達した部分は、手部分だった)」ということは成立する。
( ※ ついでだが、「人類は、直立二足歩行のおかげで、顔部分の脳が発達した」ということは成立しない。もちろん。)
──
【 重要 】
このことから、重要な結論も得られる。
ダーウィン説(自然淘汰説)は、進化の発生を説明することはできない。しかし、進化の方向については、説明できる。その意味では、ダーウィン説は、半分だけ正しい。(自動車のアクセルについては説明しないが、ハンドルについては説明する。)
なお、進化の発生については、「突然変異」という説もあるが、それはまったく無意味だ。なぜなら、進化というものは、ときどき突発的に大進化が起こり、他の大部分では進化が停滞しているからだ。……このことは、突然変異説では、まったく説明できない。(だからこそ、大進化の理論である「クラス進化論」が必要となる。)
→ 進化論(ダーウィン説)の問題点
[ 余談 ]
余談だが、手ではなく足に着目してもいい。
「人類は、直立二足歩行のせいで、足を扱う脳が発達しなくった」
ということは、成立するかもしれない。(副作用の形で)
実際、サッカー選手を除けば、たいていの人間は足の使い方が下手だ。木登りをしても、人間よりはニホンザルやテナガザルの方が、ずっとうまい。
つまり、「発達したか否か」ではなく、「どの部分が発達したか」を考えれば、正確な認識ができる。
進化論学者がニホンザルやテナガザルの立場を取れば、「ホモサピエンスは、樹上生活をしなくなったから、脳の足部分が退化した。ホモサピエンスは、脳の退化した猿だ」と主張するかもしれない。(ちょうど、脳の手部分だけに着目するように、脳の足部分だけに着目して。)
もちろん、それは論理の欠陥だ。そして、そういう論理の欠陥を、標準的な説(サバンナ説)はかかえている。論理力が狂っている。「猿並みだね」とは言わないが。 (^^);
( ※ なお、サバンナ説は、草原説ともいう。)
[ 補足 ]
本項のポイントが理解しにくいかもしれないので、簡単に述べておく。
本項の要点は、サバンナ説の否定だ。ただし、それを否定するだけなら、ただの仮説にすぎない。そこで、その論拠を出した。その論拠が、「脳のホムンクルス」だ。このことゆえに、サバンナ説は論理的に否定される。なぜなら、サバンナ説では、(脳における)手の部分の発達を示すだけで、顔の部分の発達を説明しないからだ。
このことを論理的に矛盾なく説明するには、「直立二足歩行が脳の発達をもたらした」という説(サバンナ説)のかわりに、「直立二足歩行が脳の発達の方向を決めた」とすればいい。これならば、「直立二足歩行が脳の発達の方向を決めた」というのとともに、「言語の使用が脳の発達の方向を決めた」というのも、同時に成立させることが可能だ。こうして、論理の矛盾が回避される。
( ※ ついでだが、「手を使うと脳が発達する」とか、「言葉を使うと脳が発達する」とかいうのは、ほとんどラマルク説であり、非科学的である。それは「トカゲが二足歩行すると、トカゲの脳が発達する」というのと同様で、トンデモ説に近い。 → トカゲの二足歩行 )
なお、ラミダス猿人の化石が分析されたことで、サバンナ説はもはや風前の灯火とも言える。なぜなら、草原に出る前の段階(森林にいる段階)で、すでに直立二足歩行をしていたことになるからだ。このことによって、「草原に出たから直立歩行をした」というサバンナ説は、完璧に否定されることになった。
→ ラミダス猿人
ただ、サバンナ説が否定されるとしても、かわりの説が出たわけではない。別に、水辺説(アクア説)が優勢になったわけではない。
そこで本項が登場した。その根幹は、「どこそこの環境が進化をもたらした」という主流派説を取るかわりに、「どこそこの環境が進化の方向を決めた」というものだ。ここでは、進化の方向と、進化の原動力とが、区別される。……それが、本項の意義だ。
( ※ なお、進化の方向を説明するだけなら、自然淘汰説で足りる。問題は、進化の原動力を、別途説明することだ。それにはもちろん、クラス進化論[大進化論]を必要とする。)
【 関連項目 】
→ 直立二足歩行は人類の特徴でない
→ 最古の人類(ラミダス猿人)
→ 人類の直立歩行:樹上説
大進化の理論が新たに必要なことについては、下記。
→ 進化論(ダーウィン説)の問題点
【 関連サイト 】
「直立二足歩行によって脳が発達した」という説は、最近では専門家は余り語らなくなったようだが、ネット上ではまだいくらか見出される。たとえば、次の文章。
人類は他の動物と違い、両手を巧みに使って道具を作り、脳を高度に発達させて言葉を話し、文明を築いた。そのきっかけは「直立二足歩行」をするように進化したこと。これの後半には、「初期人類のオスは、メスにプレゼントを運ぶために直立二足歩行した」という仮説(ミツグくん仮説?)も紹介されている。こじつけも、極まれり。こんなのを容認する主流派進化論なんて、トンデモ同然だ。(ダーウィン説の宿命だが。)
国立科学博物館の馬場悠男名誉研究員(元人類研究部長)は「直立二足歩行がすべての始まり。これがなければ人類の今はなかった」と話している。まず直立して両手を使うようになり、その後だいぶたってから脳の発達や道具の製造、言語などにつながったんだ。
( → 日経 )

進化論について南堂さんが批判されている「ダーウィン説」って、
総合説を含むネオダーウィニズムを指しているのですよね?
だとすれば、サバンナ説の批判はネオダーウィニズムの批判には
なんら繋がらないので
全く意味不明ですね。
サバンナ説とネオダーウィニズムは同じではありません。読んで字のごとし。アクア説というのもあります。
サバンナ説はダーウィニズムに基づいているという関係はあるけれど、サバンナ説批判とネオダーウィニズム批判は別のことです。
ネオダーウィニズム批判は、ちゃんと別項がリンクしてあるでしょ?