2011年03月08日

◆ ゲーム理論と閾値

 中東の各地で独裁政権の打倒(革命)が起こっている。これをゲーム理論で説明しよう、という見方がある。 ──
 
 これは、池田信夫の見方だ。( → 池田信夫ブログ
 彼は独裁政権の打倒を、次の表で説明する。(ゲーム理論の「囚人のジレンマ」と同様。対戦者は二人。選択肢も二つ。……ただし、対戦車を「自分と他人」というふうに想定する。)

自由独裁
自由 a  0
独裁 0  b


 ここで、 a と b は利得である。利得ゼロというのは「死」を意味するのだろう。何もしない場合は、現状維持となるが、その値は b である。
 
 どちらかと言えば、次の表の方がわかりやすい。(現状維持を 0 とする。)

自由独裁
自由 +  −
独裁 −  0


 何もしなければ、増減は 0 だが、何かをすれば + または − になる。成功すれば + であり、失敗すれば − になる。自分だけが「自由」を選べば − になるが、自分と他人がともに「自由」を選べば + になる。

 ──

 以上の発想は、原理としては、おおむね正しい。
 ただし、数値の詳細は正しくない。

 池田信夫は、成功の閾値を、利得の大小に依存する数だと想定する。その上で、「損得勘定による合理的な行動は何か」と探ろうとしている。しかし、その発想は正しくない。
 民衆は、自由の価値を利得として計算して、利得の最大化を望んでいるわけではない。そこでは「自由の価値が大きいほど、成功の確率は低くてもいい」というような反比例関係は成立しない。

 では、何が成立するかと言えば、単純に、成功の見通しだけだ。
  ・ 「成功するだろう」と思う人が多くなると、参加者が増えて、成功する。
  ・ 「成功しないだろう」と思う人が多くなると、参加者が少なくて、失敗する。

 
 実例としては、前者はエジプトやチュニジアであり、後者は中国だ。権力の弾圧が強力で、とても成功しそうにないので、参加者が少なくて、失敗する。……ここでは、成功しないのは、「中国人にとって自由の価値が小さいから」という理由は成立しない。
 要するに、「閾値」というものは確かにあるのだが、それは、利得とは関係なく決まる数だ。

 ──

 池田信夫はこう言う。
 過半数の人々が反乱に参加する必要はなく、反乱分子の確率が x を超えればいいということだ。x は自由の相対的な価値 a/b が大きいほど低くなり、たとえば a が b の2倍だと x は 1/3 だが、100倍だと 1/101 になり、100人に 1人以上が反乱に参加すれば勝てる。
 そんなことはありえない。たとえば、「自由の価値が無限大だと思う人がいれば、世の中のたった一人が反乱に参加すれば勝てる」ということは、ありえない。

 彼は勘違いしているようだ。なるほど、彼の言うように「利得に依存して下がる閾値」というものはあるが、それは、勝敗の閾値ではなく、自分自身の参加の閾値である。
 たとえば、「自由の価値は無限大である」と板垣さんが思えば、板垣さんはただ一人でも「自由を守るために戦う」と参加する。このような人々は、常に少数はいるものだ。しかし大多数は、「自由の価値は無限大である」とは思わず、参加しない。
 このように、自分自身が参加するか否かは、自由というものの価値(≒ 将来の利得)に依存する
 とはいえ、勝敗(成否)そのものが、自由というものの価値(≒ 将来の利得)に依存するわけではない。「自由の価値が無限大だと思う人がいれば、世の中のたった一人が反乱に参加すれば勝てる」ということは、ありえない。

 ──

 正しくは?
 「革命の成否は、利得には依存せずに、単に参加者数の大小だけで決まる」

 ということだ。
 つまり、ブームが起これば、容易に参加者が増える。それが、チュニジア独裁政権の崩壊後の中東各国で起こったことだ。

 そして、参加者数が乗り越えるべき閾値は、参加者の信じる利得の大きさによって心理的に決まるのではなく、それを阻止しようとする政権の軍事力によって決まる。
 エジプトでは、軍が大統領側に付かず、民衆側に付いたので、閾値は下がった。容易に閾値を超えたので、革命は成功した。
 リビアでは、地方軍は民衆側に付いたが、傭兵は大統領側に付いたので、閾値は中途半端な値となった。そのせいで、今なお混迷が続いている。
 中国では、政権側が軍を完全に握っている。天安門事件を初めとして、軍が民衆を圧倒する。そのせいで、成功の閾値は高くなり、なかなか乗り越えがたい。(一般的に言えば、民衆の全員が参加したとしても、少数の軍が暴力では圧倒する。なぜなら軍は武器を持つからだ。そして、それがわかっているから、参加者数も小さくなる。)

 ──

 池田信夫が、この問題をゲーム理論で考えようとしたのは、そう悪くはない。別に、目新しい考え方ではないが、それなりに、一つの考え方ではある。
 ただ、その発想を取り入れるときに、「利得の大小に依存する」とか、「人々は利益のために行動する」とか、そういう古典派経済学者丸出しの発想を取ったところで、道を誤ってしまった。
 中東で人々が蜂起するのは、決して利益のためではないのだ。むしろ、大義のために命を捨ててもいいというような、非・利益的な行為に走るからなのだ。
 物事を何でも利益だけで理解しようとすると、こういうふうに誤った認識をするハメになる。古典派経済学者のありがちな陥穽だ。



 [ 付記 ]
 実は、このように「参加者数の閾値」で非連続的な現象の発生を考えるのは、私も前に示したことがある。こっちの方がずっと詳しい。本項の話題に興味を感じたら、こちらを読むといい。
 
   → 秩序理論01



 【 関連項目 】

  → リビア情勢とカオス理論
posted by 管理人 at 19:18| Comment(0) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
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