京大カンニング事件の犯人が判明したあとで、「マスコミは過剰報道だ!」という声が上がっている。
たとえば、茂木健一郎がそうだ。前に述べたとおり。
→ カンニング犯の擁護
一方、マスコミの内部でも、マスコミや社会を批判する声が上がっている。たとえば、朝日の社説は、こう書く。
「今思うと、ネットの進化についてゆけない大人社会が、過剰に反応した面はないだろうか。 冷静に考えよう。ネットや携帯のなかった昔から、若者はときにとんでもない失敗をしでかすものだから。 」
( → 朝日・社説 2011-03-07 )
しかし、上記の二つのような見解は、後知恵であり、無意味である。そのことを、二つの論拠から示そう。
朝日の社説
朝日の社説は、大騒ぎした人々から離れて、利口ぶっている。だが、ピンぼけである。
(1) 今になってそんなことを言っても、茂木健一郎の後追いにすぎない。語るなら、犯人が見つかる前に語るべきだった。犯人が判明してから反省しても、後知恵にすぎない。(今になって騒ぎを批判する人が多いが、証文の出し遅れ。茂木健一郎もそうだ。)
(2) 騒いでいる最中は、犯人がわからないから、騒いだのだ。謎に対して騒いだのだ。そして、それを騒いだのは、マスコミではなく、世間である。たとえば、私のサイト(カンニングの項目)には、いつになく大幅なアクセスがあった。また、世間のおしゃべりでも、カンニングが話題になったことは多い。何でもかんでもマスコミ批判みたいなことを言っても、意味がない。
(3) 「ネットの進化についてゆけない」というよりは、「ケータイについて行けない」という方が妥当だ。今回は、ケータイを隠す方法とか、文字を早打ちする方法とかについて、まったく誤報だらけだった。
× 「一人でやれるはずがない(複数犯だろう)」
× 「監視員に見つからずに打てるはずがない」
× 「こんなに高速に文字入力できるはずがない」(画像変換かスマホだろう)
× 「 ∠ や ⊥ という記号を簡単に出せるはずがない」
全部、ハズレました。そのハズレた点は、ネットに関してではなく、ケータイの操作法に関してのことだった。
朝日が今になって反省するのは特に悪くはない。だが、自分が反省するかわりに他人を反省させようとして利口ぶっているのはいただけない。まずは誤報(の推測)だらけだったことを反省するべきだ。大々的に報道したこと自体は、ちっとも悪くはない。名前などの個人情報を明かしていないからだ。
( ※ その点では、個人情報を垂れ流すストリートビューをやっている Google の方が、ずっと悪い。マスコミなんかよりは、Google を非難するべきだ。)
後知恵
茂木健一郎であれ、朝日の社説であれ、犯人が逮捕されたあとで、「大騒ぎしすぎだった」と述べている。しかし、それは後知恵だ。
それはいわば、「犯人がわからない推理小説」を読んでいるときは面白がって読んでいたくせに、最後を読んで犯人が判明したあとで、「何だ、犯人はこいつだったのか。そうとわかっていたら、読まなければよかった」と言うようなものだ。馬鹿げている。
今回の事件で、人々が大騒ぎしたのは、犯人が不明であり、犯行方法も不明であったからだ。だからこそ推理小説で謎が提示されたときのように、人々は興味をもったのだ。
仮に、「大騒ぎするべきではなかった」というのであれば、探究は放置され、犯人は不明のまま、早大その他の大学に合格していた可能性がある。(実際、合格した大学もある。後で取り消されたが。)
今回は、大騒ぎされたから、「答案との照合で犯人が判明する」というアイデアが示されたのだし、また、京大も警察に被害届を出したのだ。仮に、茂木健一郎や朝日の社説のように、「大したことじゃない」という立場を取るなら、犯人は逮捕されないまま合格していたかもしれず、その場合、真似をしてカンニングする受験生が続出していたかもしれない。また、カンニング方法も未解明のまま、京大は何ら対策を取ることができなかったかもしれない。
だから、犯人や犯行方法を解明することは、是非とも必要だった。警察が腰を上げていない以上は、世間が騒いで、警察の尻を叩く必要もあった。
なのに、大騒ぎした結果として犯人や犯行方法が解明されたあとで、「どうせ解明されるのならば、大騒ぎするべきではなかった」という立場を取るのは、推理小説の犯人を知ったあとで、「どうせ犯人はわかるのだから、推理小説を読むまでもなかった」と思うようなものだ。論理が狂っている。
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結論。
茂木健一郎であれ、朝日の社説であれ、犯人が逮捕されたあとで、「大騒ぎしすぎだった」と述べているのは、後知恵だ。それは、解答を知ったあとで、「解答はわかっていたんだよ」と述べるようなものだ。それは、将来の解答を知ったあとで、過去における問題に答えようとしていることだ。
はっきり言って、それは、論理におけるカンニング行為である。(過去の人間が未来の解答を知ることができた、というカンニングふうの論理。)
何かを言いたければ、未来の解答(公表された正解)を知ってから過去の問題に答えてはならない。過去の時点において、自らの頭で考えるべきだ。
仮に、過去の時点において、自らの頭で考えて、「カンニング犯について騒ぐべきではない」と主張するのであれば、それはそれで立派な方針である。しかるに、未来の解答を知った上で、過去の問題に答えようとするのは、論理のカンニングである。
茂木健一郎であれ、朝日の社説であれ、自分自身がカンニングしているわけだ。それだからこそ、カンニング犯に共感するのであろう。(情けない話だが。)
[ 付記 ]
ついでだが、マスコミが騒いだとしても、それは一種のお祭り騒ぎのようなものであるにすぎない。「魔女狩り」のような様相は呈していない。なぜなら、氏名は未公開だからだ。
もし氏名が公開されて、「魔女狩り」のような様相を呈したならば、それは非常に問題である。報道したマスコミは指弾されるべきだろう。
しかしながら、氏名が公開されておらず、個人情報が何も示されていないのであれば、マスコミが騒いだところで、犯人はさして実害を受けない。
だから、氏名が公表されていない限り、特にマスコミを批判するほどのことはない。
[ 余談1 ]
ついでに一つ。
大騒ぎするほどのことがないぞ、と思うのならば、以後は無視すればいい。なのに、大騒ぎしたことをネタにして、また騒ぐとは。矛盾しているでしょ。一粒で二度おいしい、とばかり、騒いだことについて騒いでいる。黙っているならまだしも。
大騒ぎするのがけしからんと思うのであれば、マスコミ自体の存在価値が消えてしまう。朝日は、反省するのであれば、もはや政治経済以外の報道はすべてやめて、読者を激減させて、会社をつぶしなさい。…… アホならアホらしく。
茂木健一郎だってそうだ。騒ぐのがけしからんと思うのであれば、自分もツイッターなんかで騒がなければいい。なのに、「騒ぐな!」と大騒ぎしている。…… アホ。
[ 余談2 ]
なお、海外の意見もある。
→ 京大入試カンニング事件の過熱報道を海外はどう見てるか?
要するに、海外も日本の騒ぎを見て呆れているが、しかし、「自分の国だって同じようなものだぞ」と達観している。
マスコミなんて、もともと下らないことばかり、騒いでいるのだ。このまえは海老蔵だったし。 (^^);
海外の人々は、「おれたちもアホだし」と思っている。何と賢明であることか! (後知恵で利口ぶっている阿呆とは、雲泥の差だ。)

→ http://openblog.meblog.biz/article/4189151.html
この人が、法学者の立場から、詳しく論じている。
→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2214
「あの時点ではただの単独犯としてのカンニングだとは判明していなかったのだから、警察が事件だと見なして介入するのは当然だ」というもの。
論拠や表現は異なるものの、趣旨は私(本項)とだいたい同じだ。とにかく、あの時点では、まだよくわかっていなかったのだ、という点がポイント。
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一文を引用すれば、次の通り。
> 逮捕を処罰と同視する議論、受験生の単独犯だったということを前提とする単なる結果論が多くて、残念でした。
私の見解とそっくりですね。