2011年03月06日

◆ 進化論(ダーウィン説)の問題点

 ダーウィン説は、今日では進化論の標準理論と見なされているが、そこには大きな難点がある。それを簡単に示す。 ──

 天地創造説による進化論批判というのは、昔からある。たとえば、これだ。
  → 進化論は真っ赤な嘘?!

 馬鹿馬鹿しいが、一種の宗教的信念だと見なせば、「勝手に信じていれば」という気もする。(学校教育で学ばせるのは問題があるにせよ。)

 このページでは、進化論批判の根拠として、益川敏英(ノーベル物理学賞)や、山中伸弥(ノーベル生理・医学賞受賞候補者)の名が上げられている。そこで引用されているのは、下記の書籍だ。(二人の対談)
  → 「大発見」の思考法 (文春新書)
 
 創造説の信者が、この本を引用するのは、曲解もいいところで、両氏にとっては迷惑だろう。ま、それはともかく。
 この本を取り上げて、益川・山中の両氏を批判しているサイトがある。ネット上でいくらか話題になっている。(トンデモ騒ぎをするトンデモマニアに、受けがいいようだ。)
  → 該当ブログ

 なかなか興味深い。ノーベル賞クラスの学者二人を批判するとは、いい度胸だが、それはともかく、これを読むと、ダーウィン説の信者がいかにダーウィン説を信じきっているかがわかる。また、論点も浮かび上がる。
 そこで、このブログを切り口として、進化論の誤解について論じよう。

 ──
 
 書籍から孫引きすると、次の論点が興味深い。
益川「近代科学の考え方は、まったく違います。答えがわからなければ、わからないままにしておけ。いつか、わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか――というのが、近代科学の基本的な姿勢です。」

山中「「ヒトは猿から進化したのか、それとも神が作ったのか」と訊かれれば、日本人はなんとなく「猿から進化した」というほうを信じますが、それは何の根拠もないわけです。」

益川「ダーウィンの「進化論」では、個体に生じるランダムな突然変異によって生物は進化した、とされていますが、……(中略)……まだダーウィンの「進化論」は実証されていませんから、まだどちらが勝つかわからない。」
 これらの論点が、上記ブログでは批判されているが、実は、両氏の主張は正しい。しかし、正しいということが、上記ブログは理解できていないようだ。そこで、わかりやすく説明しよう。

 ──

 (1) 進化論 ≠ ダーウィン説


 進化論とダーウィン説とは、等価ではない。標準説を信じている人は、進化論とダーウィン説とを等価だと信じているが、同じではない。
 進化論というのは、「生物は進化した」という発想そのものだ。これはダーウィン以前から存在した発想である。また、化石によっても実証されている。これを否定するのは「創造説」だが、上記の両氏は別に「創造説」を信じているわけではない。
 両氏が述べているのは、「ダーウィン説には十分な根拠がない」ということだ。その意味で、
 「答えがわからなければ、わからないままにしておけ。いつか、わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか」
 というふうに述べている。つまり、よくわかっていないことを、わかったつもりでいるダーウィン説の信者に対して、「そんな傲慢な態度は近代科学の方法ではない」と教えているのだ。「創造説のように古臭い態度を取れ」と述べているのではなく、「わかりもしないのにわかったつもりでいる人々は、創造説と同様の知ったかぶりにすぎない」と諭しているのだ。
 話を正反対に誤解してはいけない。

 (2) 小進化と大進化


 では、ダーウィン説には、どこに問題があるか? それは、次のことだ。
 「突然変異と自然淘汰で進化を説明している」

 その問題点はどこにあるかというと、次のことだ。
 「小進化の蓄積で大進化を説明している」

 つまり、ダーウィン説の「突然変異と自然淘汰」というのは、「小進化」を説明するだけであり、「大進化」を説明しない。大進化については「小進化の蓄積で」と説明するだけだ。それは何ら実証されていない。実証されてもいないことを勝手に信じるのは、科学的とは言えない。
 具体的に言おう。進化の事実は証明されているが、そこで証明されるのは常に階段状の進化だけであり、連続状(  のような形)の進化は成立しない。このことは、下記で詳しく述べた。
   → 断続進化 (断続平衡説)

 (3) 進化の確率


 「小進化の蓄積で大進化になる」という発想は、化石から見る限りは、否定される。(上記)
 一方、理論的にも、はっきりと否定される。次のことだ。
 「有利な突然変異が同時にたくさん起こる確率は、天文学的に微小である」

 ある有利な当然変異が起こるとしよう。その突然変異自体、起こる可能性は非常に少ない。しかし、いくら少なくとも、長い時間と多大な個体数があれば、そのような突然変異はあるかもしれない。ここまではいい。(ただし確率はきわめて微小だということに注意。これは、小進化の突然変異だ。)
 さらに、このあと大進化が起こるとしたら、さまざまな有利な突然変異が、同時にたくさん起こったことになる。たとえば、猿から人間への進化が起こったとしよう。肌は無毛となり、皮膚は柔らかくなり、体は直立し、足は長くなる……というふうな。これらのすべての形質が同時に発生すれば、その個体は人間らしくなる。しかし、どれか一つが単独で発生した場合には、その形質は、猿にとっては不利である。(人間にとっての形質は、猿にとって不利である。人間にとっても猿としての形質は不利であるが、それと同様だ。)
 たとえば、無毛の猿は不利だし、皮膚の柔らかな猿も不利だし、直立した猿も不利だし、足の長い猿も不利だ。(樹上で暮らす限りは。)
 だから、猿から人間への進化が起こるとすれば、さまざまな人間としての形質がすべていっぺんに起こる必要がある。しかし、そのようなことは、数理的にありえない。すでに述べたように、有利な突然変異が起こること自体、きわめてまれなのである。なのに、それらがたくさん組み合わさることなど、数理的にまったくありえない確率だ。この確率を数理的に計算した人もいるが、あまりにも微小である。(無限小と言ってもいいぐらいの確率だ。)にもかかわらず、現実には、進化が起こっている。
( ※ ここでは「猿 → 人間」というふうに一挙に大進化が起こったように示しているが、単に「ホモハビリス → ホモエレクトス」というふうに述べても同様である。一般に、種と種の違いをのなすような、非連続的な進化においては、同様のことが成立する。たとえば、ホモエレクトスの形質 or 遺伝子は、ホモハビリスにとっては有利ではない。ホモエレクトスの形質がすべて同時に発生した場合に限って、ホモエレクトスが若干の優位性を持つ。)

 ここから論理的に得られる結論は、ただ一つ。次のことだ。
 「進化が起こるということは、突然変異と自然淘汰だけでは説明しきれない」

 つまり、「説得力不足」である。要するに、現代の進化論は、進化について説明しきれていない。だからこそ、益川氏は、こう言ったのだ。
 「答えがわからなければ、わからないままにしておけ。いつか、わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか――というのが、近代科学の基本的な姿勢です」
 と。こういう態度を否定して、「わかったつもりでいる」のが、上記ブログを初めとする、多くの人々の意見だ。知ったかぶり。
( ※ 彼らは、誤読もしている。「ダーウィン説は論拠が不十分だ」という説を、「ダーウィン説を全否定しているし、進化という事実すらも否定している」というふうに、拡大解釈して誤読している。)

 (4) 分岐と進化


 上記ブログでは、次の例を実証例として挙げている。
  ・ 44000世代の培養で新しい形質を獲得した大腸菌
  ・ 暗闇で56年間、1300世代飼育したショウジョウバエの求愛行動に変化がした

 これらの例は、確かにある。しかし、そこで示されたのは、「小進化の蓄積」であるにすぎない。それが「大進化」である証拠にはならない。せいぜい、「種の分岐」が見られるだけだ。しかし、「種の分岐」と「進化」とは、等価ではない。

 実は、ここが、最大の論点だとも言える。標準説の信者は、「種の分岐」と「進化」とを、等価だと思い込んでいる。種の分岐があれば、自然進化が起こると思っている。(環境への適応という意味。)
 しかし、「種の分岐」とは、ただの「形質の変化」であるにすぎない。それが「進化」である保証はない。
 仮に、「形質の変化」が「進化」であるならば、「進化の逆行」もあるはずだ。たとえば、次のような。
  ・ 人間が森林に入ると、環境に適応して、猿になる。
  ・ 両生類や爬虫類が水に入ると、環境に適応して、魚になる。

 しかし、このような「進化の逆行」はありえない。進化というものには、一定の方向性(遺伝子の蓄積)があり、いったんたどった進化を逆行することはありえないのだ。下記項目で示したように。
  → 人は猿に進化するか?
  → 進化の不可逆性
 ( ※ なお、小進化ならば、逆行は可能だ。逆行が不可能なのは、大進化のみ。この意味でも、小進化と大進化は、原理が異なる。そして、ダーウィン説が示しているのは、小進化の原理だけだ。……ダーウィン説には、そういう限界がある。その限界を、上記の両氏は指摘している。なのに、それを理解できないで、「おれ様は正しい、完璧だ」と思い込んでいるのが、ダーウィン説の信者だ。その意味では、彼らは天地創造説の信者と、たいして変わりはない。あまりにも非科学的だ。)
 

 (5) 進化の否定


 仮に、「形質の変化」が「進化」であるならば、別の難点も生じる。
 その発想に立てば、「進化」とは「形質の変化」であるにすぎないから、あらゆる生物は、進化のレベルが同一だということになる。たとえば、上記サイトで示した図がある。
   → 進化の図
 この図に従えば、バクテリアも、菌類も、プランクトン類も、魚類も、哺乳類も、どれもが進化的に同じレベルだ、ということになる。あらゆる生物は、進化のレベルは同じであり、単に形質が異なるだけだ、ということになる。
 しかしそれはもはや、「進化」という概念そのものを否定していることになる。「進化」という概念には、「下等なものから高等なものへ」という進化の順序を含んでおり、「進化は一日にしてならず(蓄積が必要だ)」という段階を含んでいる。
 にもかかわらず、上記の発想では、「あらゆる進化のレベルは同じだ」ということになる。それは、「進化は一日にしてなる(突然変異が大量に発生すればいい)」という発想になる。次のように。
 「バクテリアに大量の放射線を浴びせて、突然変異を大量に発生させれば、バクテリアから人間が誕生する」
 ま、これは単純化のしすぎだろう。しかし、基本的には、ダーウィン説の発想はこれと大同小異だ。そこには「突然変異と自然淘汰」という発想しかないからだ。「進化の蓄積」とか「遺伝子の蓄積」とかいう、「蓄積」という発想はないからだ。

 だから、ダーウィン説の信者ならば、次のようなことを信じそうだ。
 「ネズミに大量の放射線を浴びせれば、ネズミから進化した新生物が誕生する」
 「植物の種に大量の放射線を浴びせれば、別の新種植物が誕生する」

 しかし、このようなことは、まったく成立しない。チェルノブイリや放射線施設では、奇形のネズミは大量に生じたかもしれないが、新種のネズミなどは生まれなかったし、ネズミがキツネになるというようなこともなかった。
 植物の種にしても、新たな形質をもつ亜種みたいなものは誕生することはあったが、まったくの新種が誕生することはなかった。もちろん、裸子植物から被子植物が誕生するような進化もなかった。
 進化というものは、ただの突然変異だけでは起こらないのだ。突然変異では説明できないような、何らかの「進化の蓄積」という概念が必要なのだ。そして、そこからは、「さまざまな生物において、進化のレベルは異なる」という、ダーウィン説に反する結論が得られる。

 (6) 進化の本質


 ともあれ、「形質の変化」と「進化」とは異なる。「形質の変化」は、小進化でならいくらでも起こるが、それは進化の本質ではない。進化の本質には、「蓄積」という概念が不可欠なのだ。
 しかるに、ダーウィン説には、その概念がない。あろうことか、その逆に、「進化にとって蓄積は不要だ」と結論する。その結論が、「あらゆる生物は進化的に同レベルだ」という結論だ。そして、そのことで、もともとある「進化」という概念を否定してしまっている。
 進化の本質とは何か? 環境への適応でもないし、形質の変化でもない。進化の本質とは、生物としてのレベルを高めることだ。
 たとえば、魚類から両生類へという進化では、生物としてのレベルが高まった。両生類から、爬虫類への進化もそうだ。原始哺乳類(単弓類・哺乳類型爬虫類)から、哺乳類への進化もそうだ。単孔類や有袋類から、有胎盤類への進化もそうだ。これらは決して、「突然変異と自然淘汰」という運任せで生じたのではない。「段階的な進化の蓄積」という形で起こったのだ。
 それゆえ、進化には段階や蓄積がある。その段階や蓄積を無視して、「すべての生物は同レベルであり、すべての生物は同程度に進化している」と主張する標準説は、「人類の生物レベルは、38億年前のバクテリアのレベルと同程度だ」と述べているに等しい。(38億年前の古細菌と、現代の古細菌は、ほとんど同じである。)
 そして、38億年前の古細菌と、さまざまな進化した生物とを、「同じように進化した生物」と見なしているのでは、それはもはや、「進化」という概念を否定しているに等しい。

 つまり、ダーウィン説とは、「進化否定説」なのである。「進化はなかった」というふうに述べているのではなく、「進化」という概念そのものを否定しているのだ。「古細菌も人間も同程度に進化した生物だ」と述べることで。(「進化論」というよりは、「突然変異による変化」論にすぎない。)
 ダーウィン説における「進化」とは、ただの「形質の変化」であるにすぎない。そのような「進化」とは、40億年をかけた偉大なる蓄積とは何の関係もないのだ。
  → 下等生物/高等生物

 (7) 解決策


 上で述べたことは、現代の進化論における「自己矛盾」だ。こういう自己矛盾を、ダーウィン説は内包する。だからこそ、ノーベル賞クラスの優秀な人々は、問題点をうまくえぐりだすわけだ。(天才的な人々は、問題点をえぐりだすのが上手だ。そのあとで、問題点の解決を試みる。)
 その意味で、上の両氏がダーウィン説を批判しているのは、まったく妥当である。ただしその意味は、「進化はなかった」ということではなく、「ダーウィン説は進化をうまく説明していない」ということだ。

 では、どうすればいいか? もちろん、正しい理論を出せばいい。次のように。
  ・ 進化という概念を、否定するのでなく、肯定する。(下等生物 → 高等生物)
  ・ 進化の蓄積という概念を、否定するのでなく、肯定する。
  ・ 断続的な進化という化石的事実を、否定するのでなく、肯定する。
  ・ 小進化の蓄積と大進化とを、区別する。
  ・ 大進化の原理を、「小進化の蓄積」以外で説明する。
  ・ 「突然変異」と「自然淘汰」だけでなく、他の概念も導入する。


 これらのことがなし遂げられたとき、進化は説明されたことになる。
 現状のダーウィン説はどうか? 上記の条件をまったく満たさない。その意味で、現代の進化論は、近代科学としての位置を占めることができない。だからこそ、上の両氏に批判されたのだ。
 一言で言えば、ダーウィン説は、進化論として未発達なのである。(理論としてもっと進化する必要がある。)……これが結論となる。

( ※ ただし、頭の硬直した人々は、「ダーウィン説は完璧な理論だから、これ以上進化する必要はない」と思い込んで、理論を進化させようとする人々を「トンデモだ!」と攻撃する。頭が化石的に古い。)



 [ 付記1 ]
 関連して、「利己的遺伝子説」も批判されるだろう。
 利己的遺伝子説は、「ダーウィン説を遺伝子レベルで示したもの」と言える。つまり、「遺伝子の当然変異と自然淘汰」だ。(ダーウィン説は、同じことを、個体レベルで述べた。)
 利己的遺伝子説によれば、次のことが成立する。
 「有利な遺伝子が環境のなかでどんどん増えることで、遺伝子の進化が起こる」
 これが正しいとすれば、次のことが成立するはずだ。
 「進化した生物ほど、個体数が多い」
 ところが現実には、次のことが成立する。
 「哺乳類のなかで個体数が最も多いのは、ネズミやコウモリなどの下等な哺乳類である。また、哺乳類や爬虫類の数よりも、魚類や昆虫類の数の方がずっと多い。さらには、ミジンコのようなプランクトン類は圧倒的に多い。さらには、菌類やバクテリアなどは無限に思えるほど多い」
 このことは、次のことを意味する。
 「生物は進化するにつれて、(質を向上させながら)量を減らしてきた」

 これは利己的遺伝子説に反する。矛盾。

( ※ 実を言えば、利己的遺伝子説やダーウィン説は、小進化説である。それらは、小進化にはうまく適用可能だが、大進化には適用できない。)

 [ 付記2 ]
 進化における「質」と「量」の問題は、次の項目に記してある。
  → 有性生殖の意義
 これを見ればわかるように、次のように言える。
  ・ 進化の本質を「量の増加」とするのは、無性生殖である。 
  ・ 進化の本質を「質の向上」とするのは、有性生殖である。

 ダーウィン説には、「突然変異」と「自然淘汰」という概念があるだけで、「性」という概念がまったく欠落している。だから、「性はなぜあるか」という問題にも、うまく答えることができない。
( ※ 数を増やすためならば、性はコストがかかって、かえって不利である。 →  Wikipedia 1
( ※ そこで、さまざまな仮説が紹介されている。 → Wikipedia 2 。……だが、いずれの仮説も、無性生殖を前提としたダーウィン説を基本としている。そのせいでトンデモみたいな珍説ばかりだ。)

 ダーウィン説を基本とする限り、性の本当の意味もわからないし、生物がなぜ質的に向上していくか(そして数を減らすか)もわからない。進化と質との密接な関係も理解できないまま、「人間も古細菌も同程度に進化した生物だ」と述べる。あくまで量に着目して、質に着目できない。(「質」とは「進化の蓄積」とほぼ同義。)あげく、進化の過程で、高等生物がどんどん個体数を減らしている、という事実すら認識できない。(これは「数の増加」を原理とすれば、進化の逆になるからだが。)
 これほどにも、ダーウィン説の信者は、物事の半面しか理解できていないのだ。(半分だけは理解しているが。)
 
 結局、進化とは何かを、大多数の進化論学者は理解できていないのだ。つまり、大多数の進化論学者は、進化論の限界を理解できていないのだ。
 その点では、「科学の限界」を常に自覚していた上記の両氏とは、まったく正反対の立場にある。「わかっていないことをわかっていないことと認識しよう」という両氏と、「わかっていることだけを理解しよう」と思っている凡人とでは、物事の限界を認識するの能力がまったく違うのだ。



 [ 付記1 ]
 念のために、山中氏の見解で、誤読されやすい箇所の解説を示しておく。

> 山中「「ヒトは猿から進化したのか、それとも神が作ったのか」と訊かれれば、日本人はなんとなく「猿から進化した」というほうを信じますが、それは何の根拠もないわけです。」


 これは、「根拠がないから、進化などはなかった」と述べているのではない。「進化はあっただろうが、それを説明する理屈は、根拠としては不十分だ」という問題指摘だ。
 「何の根拠もない」というのは、ちょっと大げさだろうが、「根拠としては不十分だ」というふうに解釈すれば、山中氏の見解はまったく正しい。
 だいたい、ホモ・サピエンスの直前の祖先さえ、現状ではわかっていないありさまだ。(ホモ・エレクトスも、ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスの直前の祖先ではない。)
 現代の進化論は、理論としてはあまりにも不完全なのである。それさえも理解できない人々が大半だが。
 
 [ 付記2 ]
 山中・益川氏の見解については、多くの人々が誤読している。次のように。
 「山中・益川氏は、進化論を否定しているから、進化論について無知である」
 これは誤読。論点は、進化論を否定するかどうかではなくて、進化論が十分であるかどうかだ。次の二通りがある。
  ・ 進化論は、十分である。ダーウィン説だけですべてを説明できる。
  ・ 進化論は、不十分である。ダーウィン説だけでは、すべてを説明できない。

 多くの人々は、前者の立場を取る。そのせいで、「ダーウィン説をさらに進化させよという見解を批判する。
 山中・益川氏は、後者の立場を取る。「ダーウィン説はまったく不十分だから、さらに大幅に進化させよ。現状のままでは、近代科学の名に値しない」と考える。
 そして、半可通の人々が、勝手に誤読して、「山中・益川氏は、進化論を否定しているから、進化論について無知である」と思い込む。(自分はノーベル賞学者よりもずっと頭がいい、と思い込んでいる人々。)

 [ 付記3 ]
 本項については、トンデモマニアが「トンデモだ!」と非難する可能性がある。というのは、本項は標準的な説の問題点を指摘するからだ。一方、トンデモマニアは、標準的な説の受け売りだけをして、新たな説を見るたびに「トンデモだ!」と言いたがるからだ。
( ※ もし彼らが学会に出たら、あらゆる学説を聞いて「トンデモだ!」と言うだろう。というのは、学会では、新規性のない論文は意味がないからだ。素人と玄人は世界が違う。)

 進化論の世界では、定説というのは、真実である保証はない。たとえば、「鳥の指と恐竜の指は違う」という定説があり、科学的に真実だと見なされてきたが、最近、あっさり否定された。
  → 恐竜と鳥の指

 「鳥の指と恐竜の指は、構造が同じだ」
 と誰かが仮説を述べていたら、トンデモマニアが「トンデモだ!」と否定していただろう。だが、定説なんてものは、いつでも簡単にひっくりかえるものなのだ。「絶対確実」というような保証がない場合には。(つまり、謎や疑問点が多々ある場合には。)……それはダーウィン説にも当てはまる。 



 [ 余談 ]
 では、どうすれば、正しい進化論が得られるのか? ……という質問には、「下記にありますよ」と答えよう。

  → クラス進化論
 
 簡単に対比するなら、次のように言える。
  ・ ダーウィン説 …… 有利な突然変異のものだけが増加したから、進化が起こった。
  ・ クラス進化論 …… 不利な突然変異のものも絶滅しなかったから、進化が起こった。

  
 両者はどこが根本的に違うかというと、後者からは「遺伝子の多様性」という現象が生じることだ。前者は優秀なものに絞られることが原理であり、後者は遺伝子に多様性が生じることが原理となる。(なお、後者は前者を否定せず、場合によって内包する。)
  
( ※ モデル的には、次のように考えるといい。人間の形質をもつ突然変異が、猿に生じたとする。その形質は、人間にとっては有利だが、猿にとっては不利だ。ダーウィン説に従えば、この形質は、猿のなかで淘汰されてしまって、残らない。クラス進化論に従えば、この形質は、猿のなかで淘汰されずに、残る。……そのどちらの方が、進化をうまく説明できるか?)

 詳しい解説は、本項では述べない。(知りたければ、上記サイトを見てほしい。)

 ただ、簡単に見るだけなら、次の項目を見るといい。
   → 小進化と大進化(原理) 【 重要!】



 【 関連項目 】

 ダーウィン説の問題点は、「小進化の蓄積で大進化になる」という発想だ。これについては、次の項目でも論じた。
 なお、下記項目は本項と同様に、ダーウィン説の問題点を指摘している。
  → 小進化の蓄積
  → 小進化の蓄積で大進化?(嘘)

 特に、中間種の化石が見つからない、という話題については、次の項目で論じた。
  → 中間種の問題(進化論)
  
  → 進化論と経済学
 
 次の趣旨。
 局所的な改善と、大局的な改善とでは、事情が異なるのだから、その事情の違いを理解して、異なる理論で扱うことが大切だ。しかしながら現実には、進化論であれ、経済学であれ、局所理論を延長することで、大局的な問題を説明しようとする。そのせいで、とんだ間違いになってしまうのだ。
 進化論と経済学は、似ている。その成功も、その失敗も。



 【 関連書籍 】
 
 ついでに、進化論の本を紹介しておく。


新版 絶滅哺乳類図鑑


 一応、図鑑であるが、子供向けの図鑑とは違って、詳しい説明がある。基本的なことは私は知っていたが、私も知らない細かな詳細情報も記してある。たいていの人にとっては、未知の話ばかりだろう。
 
 とにかく、情報の点でも、イラストの出来映えでも、すばらしく中身の濃い本だ。読んで・見て、楽しいし、勉強になる。掛け値なしに、素晴らしい本。
 たった一つの難点は、値段だ。奥付を見ると、12000円 ! しかも税別だから、あと 600円が追加される。  (^^);

 お金のある人ならば、是非 買うといいが、……たいていの人は、買えない。本屋の店頭で、眺めるといいだろう。
 出たばかりだから、今現在は、大きな本屋の店頭にある。(もうすぐ消える。)
posted by 管理人 at 13:22| Comment(3) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とりあえず、パッと目に付いたところについていくつか。

>有利な突然変異が同時にたくさん起こる確率は、天文学的に微小である
とありますが、絶対的に有利な突然変異というものはありません。突然変異における有利不利は生物と環境の相互作用によって生じます。
また、ある形質の変化について複数の突然変異は必ずしも必要でなく、一塩基の突然変異による生殖隔離により進化が生じる可能性も考えられます。

>進化が起こるということは、突然変異と自然淘汰だけでは説明しきれない
ということで、現在ではさまざまな理論が考えられ、検証されています。
しかし、「だけ」で説明できることも多く、理論の基礎として用いるには充分納得のいくというのが現在の進化学者のスタンスではないでしょうか?

>人間が森林に入ると、環境に適応して、猿になる。
>両生類や爬虫類が水に入ると、環境に適応して、魚になる。
こともないとは言い切れません。問題は「猿」や「魚」をどのように定義するかです。
水に入った哺乳類が魚とされたこともありました。
また、小進化において進化の可逆性を考える場合でも、進化前とまったく同じ生物に戻るとは考えません。しかし、形質が同じように進化することは考えられます。
ミトコンドリアを失ったり、体毛を失ったり、多細胞から単細胞になったり、ゲノムを減らすような場合は進化が逆行したように見えるかもしれません。

>形質の変化でもない。進化の本質とは、生物としてのレベルを高めることだ。
と主張している学者はほとんどいないでしょうから、
>あらゆる生物は進化的に同レベルだ
という主張には特に問題はないと思います。

進化学者の中間種に関する考え方は
>いつか、わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか
と言うことだと思います。
Posted by k at 2011年03月11日 09:04
> また、ある形質の変化について複数の突然変異は必ずしも必要でなく、一塩基の突然変異による生殖隔離により進化が生じる可能性も考えられます。

本項ではそれを「小進化」と呼びます。たとえば、ダーウィン・フィンチは、さまざまな種があると見なされましたが、たがいに交雑しているので、種ではなく亜種と見なされます。
一般に、一塩基の突然変異は、どんなに形質差が大きくなっても、亜種です。
(たとえば、白人と黒人はどれほど見た目が違っていても、亜種です。) 

> しかし、「だけ」で説明できることも多く、理論の基礎として用いるには充分納得のいくというのが現在の進化学者のスタンスではないでしょうか?

それはそうです。標準説を既知とした上で、「そういう発想は全然ダメだ」と否定しているのが私の主張。本項を読んでいるんですか? 

>>両生類や爬虫類が水に入ると、環境に適応して、魚になる。
>こともないとは言い切れません。問題は「猿」や「魚」をどのように定義するかです。
> 形質が同じように進化することは考えられます。

ちゃんと読んでください。私が言っているのは、「哺乳類が魚類の内臓構造をもつようになることはない」という意味です。「ヒレを持つことがない」という意味ではありません。
たとえば、胎生から卵生になることはありえません。
「哺乳類」という言葉が意味するのは、足とかヒレとかの形状ではなく、哺乳類の内臓構造です。それは魚類よりもはるかに発達したものであり、それが魚類に逆行することはありえません。(酵素の反応でさえ恒温性を前提としており、変温性の酵素を前提とする魚類とはまったく異なる。)


>>形質の変化でもない。進化の本質とは、生物としてのレベルを高めることだ。
>と主張している学者はほとんどいないでしょうから、
>>あらゆる生物は進化的に同レベルだ
>という主張には特に問題はないと思います。

それは創造説と同じ発想。
「科学的に成立しない」という批判に対して、「多くの人が信じているから正しい」という理屈。
近代科学の科学主義に反する立場を取るという点で、あなたはまさしく、益川・山中 氏とは正反対ですね。

>>いつか、わかる時期が来るだろう。それまで気に留めたまま待とうじゃないか
>と言うことだと思います。

もうわかっていますよ。ダーウィン説ではわからないだけで、私はちゃんと説明済み。
要するに、あなた、私の話を全然読んでいないんですね。人の話を読まないで、自分の意見ばかりを言う人なんだ。
ようやくわかった。真面目に返答して、バカを見た。相手にしなければよかった、と後悔。「人の話を読んでからにしてくれ」とだけ言えばよかったんですね。

ともあれ、「人の話を読んでからにしてくれ」と、もう一度繰り返しておきます。最低限、リンク先を読んでください。リンクは無駄に記してあるわけじゃない。そこに書いてあることを、いちいち繰り返す手間はかけません。
Posted by 管理人 at 2011年03月11日 19:38
ダーウィン説の問題点を完璧に指摘している。

すばらしい。
Posted by judaist at 2011年07月27日 06:01
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