2011年03月05日

◆(京大)カンニングは良いことか?

 カンニング事件で、風変わりな異論が出ている。「カンニングは、他人の力を借りる能力が高いということで、素晴らしい」というふうな。 ──
 
 この手の見解は、前からネットにある。先に 京大カンニングとスパコン(知性とは何か?) の項で示した話だが、次の見解がある。(再掲)
 《 京大入試 質問サイトで質問した人こそ合格すべきとの声 》
 ちきりん氏は「この『ネットワーク&ITの時代において問題を解く力』がある学生を入学させたいなら、こういう人まさに合格させるべきな気がする」「もう『自分の頭の中に、答えを保存してるかどうか』みたいなスタンドアロンな知識の保存方法だけを評価する必要はないよね。『どうやったら世界から答えを見つけてこれるか』という力こそが問題解決力じゃん」と、ネット時代には、昔ながらの「記憶力を頼りにした解答能力」だけが求められるべきではないと指摘した。
( → アメーバニュース
 馬鹿馬鹿しいが、本人は「趣味は若い人を無責任に煽ること」と自己紹介しているくらいだから、釣り記事みたいなものだろう。「また引っかかった」と喜んでいるのかもしれない。

 ところが、これに引っかかって、アホ記事を書くのが朝日だ。釣りで原稿料を稼ぎたい子飼弾という人が、同趣旨の話をしている。
 実社会では「自分で問題を解く力」と、「人の力を借りる」ソーシャルな能力の両方が求められます。特にネットの発達で、助力を受けら得る範囲が広がったので、ソーシャルな能力の重要性が大きくなっている。問題を整理して伝えるだけでもけっこう大変だし、集まった回答から有効なものを取捨選択するリテラシーも必要になる。
 今の受験は、自分で解く力だけが尊ばれている。もしかすると、それは違うんじゃないか。
 本当にカンニングをなくしたいならパソコンでも何でも持ち込み可のオープン試験にして、ネットからの情報も参照しながら、単なる引き写しじゃないユニークな解答を出せる学生を選べばいい。
 そもそも、「自分で解く力」だけを測ることが公平なやり方なのか。難関校の入試問題は、高校の普通の授業を受けただけでは解けないものが多い。私立の中高一貫校の子や、金をかけて塾通いをしていた子が圧倒的に有利になる。極端に言えば、親の経済力で決まってしまう。
(朝日・朝刊 2011-03-05 インタビュー)
 ──

 馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。こんな屁理屈は、「カンニングは正しい」と言い張る子供の屁理屈みたいなものだ。
 もっとも、子飼弾は、釣り記事を書いて耳目を引いて、金儲けをすることだけが目的だ。だとしたら、その目的は達したことになる。朝日で名を売ることもできたし。
 しかし、そんな釣り記事に引っかかるのは、「カンニングは正しい」と言い張る子供の屁理屈に引っかかるのと同様だ。
 要するに、これは、私の大嫌いな詐欺師の口車にすぎない。彼は人をだまして、自分が得しようとしている、詐欺師である。ホメオパシーの会社と同様だ。人をだまして、金儲けする。
 そこで、詐欺師にだまされないように、私が解説しておこう。

 ──

 (1)
> 実社会では「自分で問題を解く力」と、「人の力を借りる」ソーシャルな能力の両方が求められます。特にネットの発達で、助力を受けら得る範囲が広がったので、ソーシャルな能力の重要性が大きくなっている。問題を整理して伝えるだけでもけっこう大変だし、集まった回答から有効なものを取捨選択するリテラシーも必要になる。


 入試で求められるのは、「自分で問題を解く力」だけであり、「人の力を借りる」ソーシャルな能力ではない。
 何か勘違いしているようだが、大学は収益機関ではなく、教育機関である。「優秀な社員を集めて、収益力を高める」ための機関ではなくて、「素質のある生徒を集めて、その素質を磨く」ための機関である。つまりは、営利企業ではなく、教育組織である。
 「人の力を借りる」ソーシャルな能力など、大学がことさら要請する必要はない。「自分で問題を解く力」だけを養成すればいい。
 だいたい、「人の力を借りる」ソーシャルな能力など、社会に入ってから身につけることができる。いちいち大学の場で熱心に教育する必要などないし、大学で教えることもできない。(高校でも中学でも同様だ。)
 この意味で、大学入試では、「自分で問題を解く力」だけを測ればいい。「人の力を借りる」ソーシャルな能力は、企業が入社試験で求めればいい。全然、別のことだ。
 子飼弾は、入社試験と入学試験の区別もできないようだ。

 (2)
> 本当にカンニングをなくしたいならパソコンでも何でも持ち込み可のオープン試験にして、ネットからの情報も参照しながら、単なる引き写しじゃないユニークな解答を出せる学生を選べばいい。


 詭弁。次の話と同様。
 「泥棒はちっとも悪くはない。本当に泥棒をなくしたければ、人の物は何でも盗み放題にすればいい。いくらでも泥棒のし放題になれば、(そもそも私有物という概念がなくなるので、)もはや泥棒というものは存在しなくなる」

 しかしわれわれは、「カンニング」という概念を消滅させたいのではなくて、カンニングという行為を消滅させたいのだ。「制約された条件のなかで解く」という原則を維持したまま、その原則から逃れようとする逸脱行為をなくしたいのだ。なのに、「原則をなくせば、原則からの逸脱もなくなる」というのでは、解答になっていない。屁理屈ないし詭弁だ。ほとんど詐欺的な、論理のすり替え。

 ついでだが、
 「パソコンでも何でも持ち込み可のオープン試験にして、ネットからの情報も参照しながら、単なる引き写しじゃないユニークな解答を出せる学生を選べばいい」
 というのは、現実的には、不可能だ。引き写しかどうかを判定する方法はないからだ。特に、解答を教えるカンニング企業が外部にあったなら、その企業と委託した生徒だけが合格できるようになる。それこそ「合否は金で決まる」ということになる。
 ネットというものは、静的に固定したものではない。動的に次々と変化していくものだ。そこでは、「有料でカンニングを引き受けます」という企業が参入することも可能だ。そして、一人には一つだけの解答を教えるようにすれば、「単なる引き写しじゃない、ユニークな解答」を提供することも可能だ。
 子飼弾が言っているのは、「ネットにカンニング企業を参入させて、巨額の利益を生むようにさせよう。そうすれば新しいネット産業を誕生させることができる」と言っているのと同じだ。それはつまり、「入試は金しだい」というのと同じだ。
 
 (3)
> そもそも、「自分で解く力」だけを測ることが公平なやり方なのか。


 そうとは限らないが、基本としてはそうである。何らかの例外があるなら、例外的な力も測定するように、修正案を出せばいい。
 ところが、ひるがえって、一挙に「そんなものは、やめてしまえ。代わりにカンニング能力で合否を決めよ」というのは、論理の倒錯だ。
 例。「人は炭水化物だけで生きるにあらず。ゆえに、炭水化物の摂取は、一切やめてしまえ」……暴論ですね。

 (4) 
> 難関校の入試問題は、高校の普通の授業を受けただけでは解けないものが多い。私立の中高一貫校の子や、金をかけて塾通いをしていた子が圧倒的に有利になる。極端に言えば、親の経済力で決まってしまう。


 入試の現実を知らないらしい。入試で一番有利な学校は、私立の中高一貫校ではなくて、「国立の中高一貫校」または「私立中学から都立高校へ」だ。
 中学の場合は、国立が一番有利だ。
 高校の場合は、都立が一番有利だ。
   → 学芸大附属高校や海城桐朋よりも日比谷高校や西高校
 つまり、都立高校では、猛烈な受験勉強をするから、都立高校は受験に有利である。
 というわけで、金のかからない国立や都立が有利なのだ。当然、「親の経済力で決まってしまう」というようなことは、まったくない。
 そもそも、塾通いの必要もない。塾通いの必要があるのは、ダメな高校に入った生徒だけだ。まともな高校に入れば、塾通いの必要はない。その意味で、国立や都立の有名校に入れば、それだけで何の問題もない。

 ついでだが、入試にとっての有利さという点で、最も不利な高校は、国立高校だ。特に、筑波大付属駒場だ。入試にとっての有利さという点で、この高校は最も不利である。入試の勉強なんかそっちのけで、大学レベルみたいなことを教える。仕方ないから生徒は、受験勉強は自習するしかない、……というようなハメになることも多い。(教師によって違うが。また、今はどうか知らない。ただ、少なくとも私が筑波大付属駒場にいた時代は、そうだった。)
 ただし、である。筑波大付属駒場は、優秀な生徒がとても多い。また、大学レベルみたいなことを教える教師が多いので、「自分で考える力」がものすごく付く。筑波大付属駒場は、入試のためにはまったく不利であるが、「自分で考える力」を養成するためには、日本で最高の高校だと言える。(庄司薫のいたころの日比谷高校に似ている。)

 ──

 結論。

 教育機関が養成することは、「自分で問題を解く力」だけだ。また、入試で測るべきことも、「自分で問題を解く力」だけだ。「他人の力を借りる」ソーシャルな能力は、教育機関で測る必要はない。
 また、社会が求めるのも、「自分で問題を解く力」を備えたリーダーだ。「他人の力を借りる」ソーシャルな能力をもつ社員も、それなりに役立つが、そういうのは、リーダーではなく、下っ端として(薄給で)雇うだけだ。
 「他人の力を借りる」能力を、やたらと過大視するのは、ITというものの本質を間違えている。ITの本質は、他人の力を借りる能力ではなく、IT機器を操作する能力だけだ。
 IT機器の操作能力もろくにない人( → 別項 )が、上記のようなことを書くのは、ちゃんちゃらおかしい。

 補足。

 ただし、人間にとって本当に必要なのは、「自分で問題を解く力」ではない。「自分で問題を見出す力」だ。問題(の核心)がどこにあるのかを見出す力が最も大切だ。それができる人は、ごく限られている。そうするためには、ものすごく高い知性が必要だ。(当然だが、他人の力を借りたくても、無理である。教えてくれる人はどこにもいない。)
 そして、きわめて優秀な人が問題(の核心)を見出したあとで、やや優秀な人が自分の力で問題を解く。そのあとで、平凡な人々が現れて、他人の力を借りて問題を解く。(というより、他人に問題を解いてもらう。)



 [ 付記 ]
 ついでだが、子飼弾が教えているのは、「自分では問題を解かず、他人の力で問題を解くこと」ではない。「自分では問題を解かず、他人の力を問題を解いて、しかも、『自分の力で問題を解きました』と見せかけること」である。(そして報酬だけは自分が得ること)である。
 一言で言えば、「詐欺をすること」である。(カンニングもまた同様だ。)……その意味で、子飼弾が、自分の方法を見事に実践している。

 だから、詐欺師になりたい人は、子飼弾の言葉に従えばいい。そして、「カンニングは素晴らしい」と思いながら、実社会でも他人の力を借りて、カンニングばかりしていればいい。そして、たとえば、他人の意見を引用して、自分の意見であるかのように見せかけて、原稿料だけは自分がちょうだいすればいい。
( ※ ただし、そんな人生は、つまらない。他人の意見をコピーしてばかりいれば、やがては自分の存在そのものが他人のコピーにすぎなくなる。)



 [ 余談 ]
 IT時代には、IT機器を利用する能力は、大切だ。しかし、そんな能力ばかりを重視していると、自分という人間が機械に飲み込まれてしまうようになる。ケータイ漬けになったあげく、頭がケータイ機器のようになってしまう。
 少なくとも、これまでの人々は、「自分の頭で考えることが大切だ」と理解していた。しかし、そのような能力さえもなくして、「自分の頭で考えなくても、ネットの知力に頼ればいいさ」とばかり思う人々が増えてくると、そのうち、人間は、コンピュータに置き換えられてしまうかもしれない。IBM のスパコンの「ワトソン」みたいなものが世界を支配して、人間は機械の奴隷になるかもしれない。
 そして、その理由は、機械が進歩したからではなくて、人間が「自ら考える力」を喪失してしまったせいである。そのまた理由は、人間が「自ら考える力」を不要だと思い込んだことである。

 かくて、未来の地球は、「人間の惑星」から「機械の惑星」になるのかもしれない。そしてそのあとで、知性を重視する猿が誕生して、「猿の惑星」になるのかもしれない。そこでは、人間は、猿の奴隷として扱われるだろう。  (^^);
 子飼弾の写真を見ると、「猿の惑星」という言葉が思い浮かんでくる。


 [ 補足 ]
 カンニング事件について、私なりの感想を言おう。
 子飼弾は、「他人の力を借りるソーシャルな能力」というものを重視した。しかし、私の考えは、逆だ。
 社会に出たら、誰も助けてくれない。たとえば、チームで働くことはあるが、それはチームの各人が自分の努力をするという事であり、誰かが他人の業務を助けるということではない。(そんなことをいちいち許したら、会社は無能な社員を雇用していることになる。他人に頼る無能な社員など、助けてやるより、解雇する方が手っ取り早い。)
 たとえば、A社との契約を取るとか、Zという技術開発をするとか、そういうさまざまな業務は、各人が自力でやるしかない。ネットを調べるのはいいが、ネットに助けてくれる他人がいるわけではない。
 つまり、ITリテラシーは必要だが、「ネット上の他人に頼る力」など必要ない。そんな力より、「自分で問題解決する力」の方が、よほど必要なのだ。
 
 どこかで聞いた話だが、企業は若手社員を伸ばすために、失敗覚悟で業務開拓などの仕事を任せるという。それによって取引先との契約を取れないというマイナスが生じたとしても、新入社員に経験を積ませて、彼の能力を高めることこそ、長期的には会社の利益に適う。失敗を恐れて、新入社員に経験を積ませなければ、彼はいつまでたってもヒヨッコのままであり、会社に利益をもたらさない。

 人間の知性とは、自ら問題解決する力のことだ。どこかにある知識を引っ張ってくる力のことではない。ITリテラシーとは、あくまで識字力(リテラシー)の一種であり、知性ではないのだ。
 リテラシーは、それなりに必要だが、リテラシーと知性とのあいだには、ものすごく大きな距離がある。そして、人間が求められているのは、リテラシーではなく、知性なのである。ITリテラシーの重要さが言われる今こそ、本当の知性の重要さを理解するべきだ。
 さもないと、リテラシーはあるが知性のない、どこかの誰かさんのようになってしまう。
 


 【 関連項目 】

  → 京大カンニングとスパコン(知性とは何か?)
 


 【 関連書籍 】

  → 思考訓練の場としての英文解釈

   ※ 「考える力」を養成するには、どうすればいいか? 役立つのが、
     「思考訓練の場としての英文解釈」という英文解釈の学習参考書だ。
posted by 管理人 at 11:11| Comment(3) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もう一世帯分住居費を追加支出すると都立の方が高いでしょう。田舎の県立でも同様なら別ですが。
Posted by jiangmin at 2011年03月06日 00:59
>ユニークな解答
ユニークかどうかが重要な試験は、採点者によっ
てかなり得点が変わるため複数の採点者がいる
大学入試では極めて不公平な試験だから大学入試
には不適切であるというのが私には常識。
 そもそも、知識無しで、ユニーク?それは
思いつきとか、って言うんじゃないの?そんな
程度じゃ小野善康みたいに変なこと言って笑わ
れるのが落ち。
 管理人さんも、こんな低レベルの話題を
上げるのは止めた方が良いと思います。
Posted by mugu at 2011年03月06日 00:59
都立に越境入学はできません。
 田舎の在住者は? 県立? 私立? それは話の対象外。
 実は、もともと麻布や開成はライバルじゃないし。(東京の私立ならやはり住居費はかかる。)
Posted by 管理人 at 2011年03月06日 08:29
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