「カンニングした奴はネットリテラシーがあって素晴らしい。知性が高い」と賛美する見解がある。
一方、「スパコンがクイズ王に圧勝した。機械の知性が人間の知性に勝った」という話題もある。 ──
三題噺みたいだが、二つの事件を絡めることができる。ともに人間の知性を扱うからだ。
(1) カンニング犯賛美
京大カンニング犯を賛美する見解がある。
《 京大入試 質問サイトで質問した人こそ合格すべきとの声 》これは報道だが、原文はどこにあるかというと、ツイッターのまとめをしたサイトがある。
ちきりん氏は「この『ネットワーク&ITの時代において問題を解く力』がある学生を入学させたいなら、こういう人まさに合格させるべきな気がする」「もう『自分の頭の中に、答えを保存してるかどうか』みたいなスタンドアロンな知識の保存方法だけを評価する必要はないよね。『どうやったら世界から答えを見つけてこれるか』という力こそが問題解決力じゃん」と、ネット時代には、昔ながらの「記憶力を頼りにした解答能力」だけが求められるべきではないと指摘した。
( → アメーバニュース )
→ まとめられたつぶやき
これと似た見解は、下記ブログにもある。(他人の力を借りて問題解決するのは素晴らしい、という見解。)
→ 404 Blog Not Found
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(2) スパコン
話変わって、次の話題もある。(前に紹介した話。)
→ スパコンがクイズ王に圧勝
このスパコンは、次の二つから構成される。
(A) 問題文を理解する自然文解釈
(B) 知識データベース
これは二つの部分から構成されるが、この二つを一つのものと見なすと、「スパコンが素晴らしい知性を持つ」というふうに誤認しがちだ。たとえば、朝日新聞・天声人語のように。
IBMのスーパーコンピューター「ワトソン」が、クイズの王者2人に圧勝したそうだ。本100万冊分の知識を詰め込み、質問を理解し、人に負けない速さでボタンを押す。なーんだそれぐらい、と思ってはいけないらしい。外部の力(知識データベース)を借りて答える自然文理解システムがある。これは一種のカンニングみたいなものだ。そこで、このシステムを京大カンニング事件と結びつけて考えよう。
スパコンは 14年前にチェスの世界王者を負かしている。今回はずっと偉業なのだという。「計算ずく」で指せるチェスに比べて、あいまいさを含む問いを解し、記憶の海から正答を拾い出すのははるかに難しい。つまり機械がいっそう人知に近づいたことになる。
機械の勝利を機に、米メディアは人工知能の話題で大騒ぎらしい。かつて記事にしたマサチューセッツ工科大の教授を思い出す。人の「心」を持つ人工知能を研究し、「人間を超えるものを!」をスローガンにしていた。
ワトソンは毎秒80兆回の計算をする。目もくらむ能力に「心」が結びつくとき、一体何が起きるのだろう。百ケンさんの師、夏目漱石が古く「人間の不安は科学の発展から来る」と書いたのは、さすがの洞察と言うべきか。
「進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許して呉(く)れた事がない」と漱石の筆は続く。今世紀半ばには人工知能が人に代わって知的労働をこなす予測もある。面白さの後を、怖さがついてくる。
( → 朝日新聞・天声人語 2011-03-02 )
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「知識データベース + 自然文理解」というシステムを「知性」と見なすのであれば、「カンニング犯 + ネット」というのは「知性」をもつことになりそうだ。……しかし、それはあまりにも馬鹿げた発想だ。
今回の京大の入試に、上記のスパコン・システムを発展させたものが登場したら、どうなるか? 数学は全滅だろう。英訳は、機械翻訳の精度しだいだろう。地理・歴史のような記憶問題なら、かなり優秀な点を出せるかもしれない。(カンニング犯の場合も同様だ。)
しかし、地理・歴史のような記憶をうまく解けるとしても、それは「頭がいい」「知性がある」ということを意味せず、「知識データベースを利用した」ということを意味するにすぎない。(そして、それは、「カンニング犯が知識データベースからカンニングをした」ということと大同小異だ。)
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まとめ。
知識データベースのような「外部の知識」を借りて、何かをなし遂げたとしても、それはほとんど意味をなさない。なぜなら、その作業は、「思考力ゼロ」でも、ある程度は可能だからだ。
そのことは、先に「スパコンがクイズ王に圧勝」の項目でも示したとおり。つまり、「知識データベース + 検索」というシステムだけで、正解を出せることも結構あるからだ。仮にこれを知性と見なすのであれば、「 Google の検索エンジンはすごい知性をもつ。人間よりもすごく頭がいい」ということになるが、馬鹿げたことだ。(検索というものは、何の知的処理も必要としないから。)
結論。
人間の知性がやる作業を機械が代替できるからといって、それは機械が知性をもつということにはならない。知識データベースを利用する能力など、知性とは関係がない。
人間であれ、機械であれ、知識データベースを利用することは、あくまで手段にすぎない。
知性とは、外部にある知識を利用する能力ではなくて、自ら知識を生み出す能力である。そのためには、外部の知識データベースを利用する能力をいくら高めても、あまり意味がない。それはあくまで手段にすぎないからだ。
( ※ その手段を磨くことはそれなりに大切だが、目的と手段とを混同しては本末転倒だ。)
カンニング事件とスパコン事件とを絡めると、人間の知性とは何かを、あらためて考えさせてくれる。
[ 付記 ]
機械には知識データベースの利用を許容して、人間にはそれを許容しないで、「機械の方が人間よりも知性がある」という判定を下すというのは、次のことに似ている。
子供には百科事典の利用を許容して、専門家にはそれを許容しないで、「子供の方が専門家よりも専門知識がある」という判定を下す。(しかも重要な知識ではなくて、重箱の隅みたいなトリビアな知識で競う。)
それで判定されるのは、知性というよりは、百科事典をめくる指先の器用さにすぎないのだが。 (^^);
( ※ ……と言っても、天声人語の著者には、上のことがわからないかもしれない。現在の天声人語の著者は、きわめて知性レベルが低くなっているからだ。以前の筆者と違って、自分の意見は書けず、誰でも考えるような凡庸な見解しか書かない。今回もまたそうだ。二週間ぐらい前にあちこちのブログに書かれたことを、今になって丸写しみたいな形で書いているだけだ。天声人語も、カンニングみたいなものか。……いや、凡庸すぎるので、カンニングよりももっと悪い。カンニングしてもいいから、内容空虚でない文章を書いてもらいたいものだ。 )
[ 余談 ]
ちなみに、自動車がいくら速く走れるからといって、「馬よりもすばらしい肉体をもつ機械的生物が誕生した」ということにはならない。自動車を「機械でつくられた馬であり、馬よりも素晴らしい生物である」と見なすのは誤認である。馬ならば、乗り手が気を失っても、乗り手を目的地に運んでくれることもあるが、自動車は、乗り手が気を失ったら、停止するか暴走するか、どちらかだ。とうてい馬の代替にはならない。(ガソリンが切れたら止まるというぐらい、自立性が低い。)
[ 付記 ]
知性を高めるには、どうしたらいいか? ……という話題は、下記で。
→ http://nando.seesaa.net/category/5077751-1.html (思考法カテゴリ)
人間の思考は言語によってなされる、という話題は下記で。
→ なぜ言語力が重要か?
言語はいつごろ誕生したかという話題は、下記で。
→土器と言語 (言語の発生)
【 関連項目 】
人間の知性はどんなものか? ……という話題については、下記でいくらか似た話題を扱う項目が見つかる。
→ サイト内検索 「人間の知性」

http://bit.ly/gUjcM0
これも、一種の狂人と見なして、相手にしない方がいいのかもしれない。にちゃんねるでも、そういう見解が多い。
→ http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-2163.html
こんな釣りに引っかかるべきじゃなかったな。反省。
404 ブログだって、どうせ釣りなんだし。