2011年02月12日

◆ 映画「あしたのジョー」

 漫画の「あしたのジョー」が実写化されたそうだ。役者も演技もカメラもいいそうだが、一番肝心の脚本がダメだ、という評価が多い。日本映画の根本体質。 ──

 漫画の「あしたのジョー」が実写化されたそうだ。
  → 公式サイト「予告編」(動画)

 この動画は詰まらないが、新聞批評に掲載された静止画を見ると、もっとまともな画像も見られるようだ。
 それはともかく、役者の肉体的努力がすごいらしい。アニメとは違うリアルの迫力が感じられるようだ。

 しかしながら、肝心の脚本がダメらしい。
   → 脚本以外は素晴らしい。脚本以外は
   → 2時間25分も上映時間はいらない

 ──

 実は、この映画に限ったことではない。他の映画でもそうだが、たいていは脚本がひどすぎる。「脚本だけがダメ」という映画があまりにも多すぎる。
 その一方で、「映画で一番大切なのは脚本だ」とも言われる。そりゃまあ、そうですよね。台本がダメなら、演劇はダメになる。台本がすべての土台だ。なのに、その土台がダメなんだから、あとは推して知るべし。

 どうしてこうなるか? 脚本家が冷遇されすぎているせいだろう。俳優も監督もかなり優遇されているのに、脚本家だけは冷遇されている。並みのサラリーマンと同様の金しかもらえない。当然、並みのサラリーマンみたいな仕事をする。それというのも、並みのサラリーマンみたいな給料で満足する、並みのサラリーマンみたいな人材ばかりが集まるからだ。
 もっと脚本家を大々的に厚遇して、「大金をもらう脚本家」が話題になるようにしないと、日本映画の脚本レベルの低さは是正されないままだろう。それではいつまでも、「大金をかけてメチャクチャな映画」というものばかりができるようになる。たとえば、こういう壮大な失敗作もある。
  → アマルフィ 女神の報酬
 この映画は、ものすごく金をかけて作った。Wikipedia から引用すれば、こうだ。
 「よく聞かれる“製作費”なんですが、具体的には言えませんが相当なお金を出資者の方から預かっております。そして、1つだけ言えるのは、フジテレビの製作した映画史上最も高額の製作費です」
 では、いくらかけたのか? 非公表である。「恥ずかしくて公言できない」ということらしい。莫大な製作費をかけて、ろくに回収できないので、大赤字を出したことを公言できないらしい。
 普通なら前宣伝で大々的に「巨額の製作費」と公言するところだが、公開前から駄作であったことがわかっていたので、公言できなかったらしい。

 この映画には、際立った特徴がある。「脚本家がいない」ということだ。原作は真保裕一だが、監督の西谷弘が徹底的に変更を加えた。それでよくなったつもりだったが、実際には惨憺たる出来映えとなった。そう気づいたあとで、真保裕一は「こんな恥ずかしいものに自分の名前を付けられない」と断り、西谷弘も恥ずかしくて名前を入れられなくなり、結果的に、「脚本家なし」となった。
 この作品では、原作者と監督はいたが、肝心の脚本家がいなかったことになる。ま、考えてみれば、もともと「脚本家に大金を払う」という体制がなかったのだから、引き受ける人もいなかったのだろうが。

 というわけで、50億円ぐらいの巨額の製作費をかけながら、脚本家に払う金をケチったせいで、「50億円をかけて駄作を作って大赤字」というありさまになった。
 馬鹿丸出し、というべき。
 一方、ハリウッドは、脚本家にはすごく大金を払い、そして脚本のうまさで大ヒットを飛ばす。こういうハリウッドとは正反対なのが日本映画だ。

 ──

 結論。

 日本企業は、どれもこれも、肝心のものを惜しんで、大損を出す。映画もそうだ。トヨタもそうだ。(安全対策をケチって大損を出した。)
 こういう「一文惜しみの百失い」という体質を変えないと、サムスンや現代自動車に、どんどん人材を奪われるばかりだろう。
 現代自動車のソナタは、デザインに金がかかっている。一方、トヨタのデザイン、どれもこれも田舎者のデザインだ。(プリウスだけは例外だが。)
 映画であれ、自動車であれ、日本企業の体質はあまりにも田舎臭い。アップルのような洗練されたデザインもないし、洗練された経営もない。脚本料やデザイン料を節約して、ごくわずかなコストを下げることこそ大事だと思い込み、脚本やデザインによって付加価値を上げることを考えていない。
 こんなことでは先が思いやられる。
  
( ※ この本質は「知恵には金を出さない」ということだ。これが日本企業の体質。目に見える美貌や物質にはさんざん金を払うが、目に見えない知恵には金を払わない。……こういうのを、猿知恵という。)

 


 【 原作漫画 】




売っているのは中古品しかないが、ユーザー批評が興味深い。
( ※ これはセット販売品。他にバラ売りもあり、販売中。)


 [ 余談 ]
 原作の最後でジョーが真っ白に燃え尽きるが、これは実は、本来のストーリーが変更されたということだ。原案はもっと普通のエンディングになるはずだったのが、変更されて、今の形になったという。数年前の朝日 be に書いてあったはず。
( ※ 念のため、ネットを検索してみたが、その記述は見出せなかった。)
  




 【 関連項目 】

 → 日本映画がコケるわけ

  ※ 脚本がないがしろにされている、という点を、本項よりも
    さらに詳しく指摘する。
posted by 管理人 at 21:27 | Comment(2) | 一般(雑学)1 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あしたのジョーのラストについては、かなり新しい記事で、次の情報がある。

 → http://weekeepy.blog133.fc2.com/blog-entry-246.html
 → http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/21/0003547544.shtml

 本文中で紹介したとおりだが、もっと詳しく説明している。
Posted by 管理人 at 2011年02月13日 14:13
映画ではなくテレビの脚本だが、脚本家の所得はあまりにも低所得だということがわかった。下記に情報がある。
 → http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2720778.html

 まともに仕事をすれば、月に1作が限度だろうが、その場合、月給は 10万円で、年収は 120万円。生活保護費よりも安い。
 超・貧困。

 それを避けたければ、粗製濫造しか、手はない。
Posted by 管理人 at 2011年02月23日 23:49
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