大相撲で八百長があった。世間ではこれを批判する声が強い。しかし、八百長はなぜ悪なのか?
法的には、八百長は違法ではない。ただのヤラセみたいなもので、プロレスみたいなショーではもともとヤラセは前提だった。(演出として。たとえば、正義のレスラーが、反則ばかりする悪党レスラーにさんざんいびられて、ノックアウト寸前になるが、最後に反撃して、悪党を叩きのめす。観客はすかっとする。)
また、八百長は、誰かに直接的に迷惑をかけているわけでもない。自分は損していないし、相手も損していないから、おたがいに合意の上で、利益を増しているだけだ。……ただ、その半面で、昇進できなかった力士がいる。とはいえ、その力士が被害届を出したわけでもない。
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八百長が明らかに悪なのは、競馬などのバクチだろう。この場合は、不当な方法で利益を得ていることになる。得てはいけない利益を得ているのだから、泥棒同然だ。他の人々から少しずつ盗んでいることになる。
では、大相撲では? 誰も賭けていないのだから、競馬の八百長とは違う。
ただし、である。観客は、入場料を払う。入場料は、「真剣な勝負」を見るために払う金だ。「ヤラセ」のための金ではない。(だからこそ大相撲の料金はすごく高い。)
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ここまで見れば、理由はわかる。こうだ。
「本気の勝負だと見せかけて、偽りの勝負を見せて、そのことで、観客をだました」
簡単に言えば、「詐欺」である。ここでは、金の流れは、次のようになる。
観客 → 相撲協会 → 力士
観客は不当に金を奪われ、力士は不当に金を得る。ただし、観客と利器下直接、金のやりとりをしているのではない。間に相撲協会が入る。そのせいで、ちょっとわかりにくくなっている。とはいえ、全体としては、だまされて損したのは観客であり、だまして金を得たのは力士である。
つまり、原理は「詐欺」だ。これが、八百長が悪であることの理由だ。
また、相撲協会の罪は、このような詐欺を放置することで、システムを改善しなかったことだ。相撲協会自身が詐欺をしているわけではないが、詐欺の土壌を用意したことが相撲協会の責任となる。
[ 付記 ]
だましたことが悪なのだから、だまさなければ、悪ではない。
たとえば、「これは八百長です、ヤラセです」と称した上で、八百長をやるのであれば、正直であるがゆえ、ちっとも悪ではない。(誰も金を払わないだろうけど。)
また、無料で見せるのであれば、悪ではない。
(その意味では、タダでテレビを見ている人は文句を言う資格がない……ように見えるが、実は、NHK に金を払っているし、NHK は相撲協会に金を払っている。だから、たいていの人はやはり、だまされて金を奪われていることになる。NHK の番組は、タダじゃない。)(ただし NHK 料金を払っていない人は、文句を言う資格がない。)
【 関連書籍 】
ヤバい経済学 [増補改訂版]
大相撲の八百長に関して、話題になっている本。下記に紹介記事がある。
→ zakzak 「米学者が八百長証明!「7勝」対「8勝」千秋楽の勝率は?」
※ この本は、今回の事件に関係なく、以前から話題になっていた良書である。
読んで面白い、経済学の本。というか、統計学や思考法の本。
理系の人一般にお勧め。「頭の体操」みたいだ。

相撲が100%真剣勝負だなんて思ってる好角家はあんまりいないです。
七勝七敗の勝率は八割ほどありますが、多くの人はそういうときは八百長が行われてるのだなと思ってますよ。
ですので、そういう八百長とかあの取り組みは怪しいなというのを含めて楽しむのが好角家だと思います。
そんなのはテレビで見ているだけではなく、わざわざ高い金を出して取り組みを見に来るようなレベルの愛角家の大半はそうだと思います。
ただ、プロレスの場合は全てがシナリオありのショーなのですが、
相撲の場合は八百長は一割以下なので、まあ「八百長疑惑も含めて楽しむ」というのもできるわけです。
確かにスポーツで八百長があってはいけません。
しかし相撲の場合、大半は真剣勝負だが時に「八百長(大名お目付けの力士に勝たせてやるとか)」が昔から行われていた、
「真剣勝負時々八百長有り」
で全体をしめる一種の興行としての歴史と伝統がありますね。
このような歴史を無視してやれ、八百長だ、悪だ、と協会を一方的に叩く報道姿勢には疑問を感じます。
それよりも、大相撲を今後とも多少の八百長も含んだ一種の興行(スポーツではない)と扱うのか、それとも今後はスポーツの一種として一切の温情無しの勝負の世界に徹するのか、協会もファンもメディアも世間も、この点が問われていると思います。
要は、八百長撲滅より先に、大相撲の位置付けの明確化をせよ、と言うことです。
八百長があるという現実を認識することと、八百長があるという現実を是認することとは、異なります。
比喩。
殺人があるという現実を認識することと、殺人があるという現実を是認することとは、異なります。
この世に殺人があることが現実だからといって、「殺人があるという現実を楽しむ」というのは筋が通らないでしょう。「殺人があるという現実を悲しむ」というのが、まともです。
愛角家の大半は、八百長があるという現実を認識しながら、それを悲しんでいると思いますよ。
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> 八百長も含んだ一種の興行(スポーツではない)と扱う
その場合にはスポーツでなくて単なる見せ物なので、公益法人でなく株式会社にする必要があります。当然、税金もきちんと払ってもらいます。
ろくに税金も払わずに八百長をすれば、八百長よりももっと悪質な脱税となります。数十億円規模で国民から泥棒していることになります。
相撲はスポーツや興行というより伝統行事で、八百長もまた相撲界の伝統ということでいいんじゃないでしょうか。浜田さんに賛成です。
南堂さん、殺人の比喩はこの際は不適切でしょう。
なるほど。
ならば、詐欺ならば、ぴったりですね。
暴力団によるバクチや買収も伝統かな。
ともあれ、御説に従って、八百長は大相撲につきものということにしましょう。そして公益法人の地位を剥奪し、相撲協会の全財産(450億円)を没収すればいいんですね。なるほど。相撲協会が涙を流して喜ぶでしょう。
それにしても、相撲好きの人が、相撲協会解体論を唱えるとは、びっくりしました。