2011年01月23日

◆ 科学の研究体制

 科学の研究体制を拡充するには、どうすればいいか? 大学研究の場合、雑用を減らすことが最も大切だ。そのためには、雑用のための予算が必要だ。 ──
 
 科学の研究体制を拡充するには、どうすればいいか? ……という話題で、新聞記事があった。野依良治(理研・理事長。ノーベル賞受賞)による。
  → 読売新聞・朝刊・1面コラム「地球を読む」2011-01-23
    (ネットにはない)

 ノーベル賞受賞者を祝して、菅直人が「受賞を契機に科学と技術のいっそうの発展のため、さらに力を尽くしていく」と言ったそうだ。
 その言やよし。しかし、言葉に実行がともなわない。

 上記コラムでは、日本の大学の世界ランキングが低いことを示して、大学の閉鎖性を指摘している。大学院生や教授に、その大学の出身者の占める割合が多く、留学生は少ない。そういう閉鎖性がある。だからその閉鎖性を打破せよ、という趣旨。
 しかしその前に、なぜ日本の大学がそれほど外国人に嫌われているか、考えた方がいい。

 そもそも、野依良治自身は、外国留学の経験がほとんどない。Wikipedia によれば、ハーバード大に3年間いただけだ。文系ならともかく理系でハーバード大なんて、冴えない話だ。こんな人が「留学を」と唱えても、説得力がない。自分はほとんど井の中の蛙のくせに。

 ──

 彼は気がつかないようなので、私が指摘しておく。

 日本の大学には外国人は来たがらない。それは、研究現場の条件が悪すぎるからだ。というのは、大学院生も含めて、やたらと雑用を押しつけられるからだ。それというのも、教授に割り当てられる雑用が多すぎるからだ。次の記事を参照。
 《 日本の大学教授の業績がすくないのは雑用のため ?! 》
 日本の大学教員は論文数などの業績が諸外国にくらべてすくないといわれています. 業績をあげなくても大学教授をやめさせられないことにそのおもな原因をもとめる議論がさんざん,なされてきました. そのため,教員を評価する制度がしだいにとりいれられてきました. 地位が安定していることも業績がすくないひとつの理由ではあるのでしょうが,ほんとうにそれがおおきな原因なのでしょうか? すくなくとも,雑用がおおいことがおおきな原因になっていることは,まちがいないとおもえます.
 私のしりあいには大学教授や准教授が多数います. そういうひとから話をきくたびにきかされるのは,雑用がおおくて研究の時間がないということです. 大学教員ならば講義には時間をとっているのでしょうし,大学院の学生の指導にも時間をさいているでしょう. それは雑用ではなくて大学教員の本来の仕事です. しかし,それらをのぞくと教授会,研究会,その準備,その他,経験のない私にはよくわかりませんが,さまざまな雑用に時間をとられているということです.
 欧米をはじめとする諸外国の大学では,それらの雑用は職員や技官などのスタッフがこなすはずのものです. 「雑用のない生活」 でも日本とアメリカの大学を比較して,アメリカでは 「雑用がない」 と表現しています.
 教員の評価を導入することも必要でしょうが,雑用をへらすくふうをしなければ,海外の大学教員と肩をならべる仕事をするのはむずかしいでしょう.
( → カナダからのブログ)
 この問題を解決するには、雑用をする担当者を雇用することが必要になる。具体的には、上記の話にあるリンク先に示してある。
 《 雑用のない生活 》
 僕はなんとなくですが、日本の理系研究では技官の数が圧倒的に不足しているという印象を持っています。(日本でも潤沢な研究資金がついている研究室だと技官の数も多いのでしょうが、そういうところは結構珍しいのではないでしょうか。)
 アメリカで研究者が成果をどんどん出していける背景には、技官や秘書のような仕事をする「サポーティングスタッフ」と呼ばれる人の数が桁違いに多いという事実があります。彼らのおかげで、教授、学生、そしてポスドクの面々は純粋に研究のことだけに専念することができるのです。
 僕はMIT-WHOI Joint Program というMITとウッズホール海洋研究所(WHOI)の共同プログラムで学位を取ったのですが、例えばこの海洋研究所には約200人の研究者の他に、なんと約800人のサポーティングスタッフがいるのです。
 でも日本にいる時は不思議なもんで、「実は自分は時間を無駄に過ごしている」ということになかなか気づきませんでした。
 実は自分はほとんど研究に時間を使っていなかったのだ、と愕然としたのはアメリカにやってきてからです。コンピュータの管理なんか、当然それ専門のスタッフの仕事ですから、僕がやらないといけない雑用というものが全くと言っていいほどなかったのです。
 「思考のために自由に使える時間」が目の前に突如、無限に現れたような感覚にとらわれたのを覚えています。
 アメリカに来てもう12年になるので、雑用のない生活はすっかり当たり前になって(教授だと少しありますが研究に全く関係のない雑用は今のところ皆無です)書くのをうっかり忘れるところでしたが、この点は日本の学生に是非知っておいてもらいたいところです。
 これほどにも違いがあるのだから、まともな研究者が日本に来るわけがない。次の二者択一だからだ。
  ・ アメリカで研究者となって、研究する
  ・ 日本で研究者となって、雑用をする


 国がやるべきことは、多大な予算を付けることだ。研究のための予算ではなく、雑用のための予算を。
 まるで冗談みたいな提案だが、実は、これが正解なのだ。ひるがえって、現状は、「研究のための予算」だけを付けているが、それによってなされることは、研究ではなく、雑用である。
 「研究のための予算を付ければ、研究がなされるはずだ」
 という素朴な発想が、日本の研究体制を傷つけている。
 ( ※ しかも、それに気づかない人が、多すぎる。)
 
 《 注記 》

 「約200人の研究者の他に、なんと約800人のサポーティングスタッフ」
 という例でさえ、金はそんなにかからない。なぜなら、脇役の人件費は安いからだ。トップクラスの研究者の年収は 2000万円ぐらいだろうが、脇役は 300万円ぐらいで済む例も多い。研究予算が拡充すれば、自動的に人件費に回せる余裕も増える。
 上の例では、研究者の4倍もの脇役がいるが、そうしたとしても、研究予算は倍増ぐらいで済むだろう。
 ともあれ、研究予算の総額を大幅に増やすことが必要だ。菅直人首相は言葉に実行をともなわせてほしいものだ。法人税減税なんかよりもね!
  


 [ 付記 ]
 実際の雑用の例。
 《 助手の人!どんな雑用で苦しんでいますか? 》
 
下らない会議
ナントカ委員会
自分のためにはまったくならない低レベル勉強会
教授の話が無駄に長いラボセミナー
同じくスタッフミーティング
学生実習
通る見込みがうすい予算申請(年数回)
機器類のメンテとトラブルシュート
業者対応
出張の手続き全て(事務への連絡、予約など)と清算(切符の領収証も忘れずに)
 
シンポ開催準備(招待者とのやりとり、ポスター、会場手配、御迎え、バイトの指導、会場掛りなど)
コンピューター、プリンタ、ネットワーク設定と管理
消耗品のチェックと発注
新人の居場所確保と世話
掃除
ジャーナルの管理
出た人が残したゴミの始末
古くから受け継がれた謎の機器、消耗品の始末
機器入れ替えに伴う仕様策定とチェック
事務からの難癖対応
指導してない学生からの謎の相談
よくわからない横のつながりを深める会合
教授から回ってくる急ぎの書類
同じく総説・解説・翻訳
国内外からの問いあわせ

共用装置のメンテナンス。
他のラボのDQN院生がよく壊す。
他のラボの助手は知らないふりをする。
泣く泣く修理する。時間の無駄。

なんかメンテ系と事務書類系多いよね
( → 2ちゃんねる


 ──

 なお、教育を「雑用」と考えている人もいるようだが、ファインマンは学生との対話を研究のために絶対に必要だと考えていた。若い異質の考え方と接することで、自分の頭がフレッシュになるからだという。
 だから僕は学生たちを「教える」ということが、僕の生命をつないでくれるものだと思っている。誰かが僕に、授業をしないでいいという安楽な地位をわざわざ作り出してくれたとしても、僕は絶対にそんなものをありがたく受けようとは思わない。絶対にだ。
( → ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫) の「お偉いプロフェッサー」 )
 教育を「雑用」と考えている人は、その時点で、独創性が足りないと見なされるかもね。
posted by 管理人 at 11:13| Comment(1) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本では「ちゃんと雑用もこなす」ことを美徳とするような風土があるような気がします。

道徳を重視する発想から、効率を重視する発想への転換が必要ですね。
Posted by マッシュ at 2011年01月25日 12:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
過去ログ