2011年01月16日

◆ 人種と亜種

 人種は亜種か? 「ノー」と思っている人が多いようだが、必ずしも「ノー」とは言えない。(人種は亜種だ、と言ってもいい。) ──
 
 人種は亜種か? 
 昔の発想では、見かけ上から、白人・黄色人種・黒人が亜種だと見なされた。これは形質によって生物を分類する考え方だ。
 近年では、遺伝子的な分析から、人類というものが遺伝子的ごく狭い範囲にあることが判明した。白人・黄色人種・黒人の遺伝子的な違いは、あまりにも小さいのだ。……しかし、そのこと自体はあまり大事ではない。

 大事なのは、次のことだ。
 「白人の遺伝子範囲と、黄色人種の遺伝子範囲は、ごく小さい。それに比べて、黒人の遺伝子範囲は、とても広い」


 このことから、「人種は亜種ではない」と主張する人々も多い。
  → はてなブックマーク コメント

 ──

 一方、「白人」と「黄色人種」という範囲は、ある程度は範囲が狭まる。だから、これらを「亜種」と見なす考え方も成立する。
 なお、「白人」と「黄色人種」を亜種と見なした場合、その境界線は引けない。欧州の白人とアジアの黄色人種の間に、中東やインド・ネパールにいる中間的な人々が存在する。
 だが、「境界線は引けない」ということ自体は、「亜種」が成立しないことを意味しない。「境界線は引けない」ということは、「種」の区別が成立しないことを意味するだけで、「亜種」の区別は可能だからだ。(一般に、種内の亜種同士の交配は可能である。当然、中間的な雑種も誕生する。)
 つまり、「種」というものはレベルがかなりはっきりするが、「亜種」というものはレベルがはっきりとしない。遺伝子の違いの大小だけで「亜種か否か」ということを決めることはできない。

 ──

 このような区別を「地域個体群」や「品種」のレベルとして認識する人もいるが、実は、「地域個体群」や「品種」もまた、「亜種」として認識できる。
 たとえば、ダーウィンフィンチだ。ダーウィンは、ガラパゴス諸島における各種のフィンチ類(のちに「ダーウィンフィンチ」と命名)を見て、それぞれの種が異なるのを、進化の証拠と見なした。しかしその後の研究では、これらのダーウィンフィンチ類は、すべて交雑可能であり、実際に頻繁に交雑しているので、同じ種における亜種であると見なされるようになった。……ここでは、遺伝子の差が大きいか小さいかは問題ではなく、交雑可能であるということが問題となる。

 一般に、交雑可能であれば、中間種が生じて、同じ種における遺伝子プールを形成する。だから、「種」というものは、はっきりとする。その一方で、「亜種」というものは、はっきりとしない。通常は「地域個体群」という形で認識されるが、そうでないこともある。

 ──

 以上のことから、強いて言えば、次のように認識できるかもしれない。
  ・ 人類 = 黒人亜種 + 非黒人亜種 (アフリカか否か)
  ・ 非黒人亜種 = コーカソイド亜種 + モンゴロイド亜種
  ・ モンゴロイド亜種 = 古モンゴロイド亜種 + 新モンゴロイド亜種


 ここでは、それぞれの「亜種」は、レベルが異なる。そうではあっても、このような形で「亜種」の区別をすることは、無意味ではない。
 実際、このような区別は、遺伝子の系統を見ても、ある程度は区別可能だ。
  → Wikipedia 「人種」 の図
 そして、区別されたそれぞれの分岐項目を何と呼ぶかと言えば、いずれも「亜種」と呼ぶしかあるまい。いずれも「種」よりは小さいレベルだからだ。(レベル差はあるが。)

 ──

 結論。

 人種を「亜種」と呼ぶことは、ある程度は可能である。ただし、「亜種」というのは、さまざまなレベルがあり、遺伝子的な違いはあまり大きな意味を持たない、と理解するべきだ。「亜種」の違いは、「種」の違いとは、まったく異なる。生物的に明白な違いがあるわけではない。(容易に混合しうるので。)
 結局、人種は亜種か否かという問題は、あまり意味のある問題ではない。「亜種」という言葉の定義しだいだ。「人種は亜種だ」という認識は、人種差別的な認識があるので不適切だろうが、「人種は亜種ではない」という認識も、「亜種」と「種」の違いを混同しているという点で不適切だ。

 生物において大切なのは、種の違いだけだ。亜種の違いは、たいして意味はない。そう理解することが大切だ。そして、そう理解すれば、人種を亜種と呼ぼうが呼ぶまいが、どっちにしてもたいした問題ではないとわかる。
 人種は亜種か否かという問題への正解は、「イエス」でも「ノー」でもない。「その問題はあまり意味がないので、正解なし」というのが正解だ。

 《 注記 》

 「亜種」というのは、ある一定の概念をなすのではなく、「種ではない」(もっと小さい)という概念のみがあると考えた方がいい。何かであるというより、何かでないのだ。
 「亜種とは何か」を問うても、ほとんど無意味である。そこでは「種ではない」ということだけが大切だからだ。
    ──
 「亜種とは、種よりもひとつ下の、分類レベルだ」
 と思っている人が多いようだが、そうではない。亜種は、種よりもひとつ下の分類レベルではなくて、(生物学的な)分類レベルをなさないのである。生態学的な分類レベルがあるだけだ。
 「人種は亜種ではない」と思っている人々は、そこを勘違いしているようだ。
  


 [ 付記 ]
 実は、「品種」の方が、通常の「亜種」よりも大きな違いをもつこともある。
 たとえば、チワワとドーベルマンは、生殖器の大きさが違いすぎるので、交配が不可能だ。(生殖的隔離。)
 仮に、この世界にチワワとドーベルマンだけが残り、他の犬が全滅したら、チワワとドーベルマンは交配不可能なまま、数十万年後には別の種に分岐するだろう。
 種の区別で大事なのは、交配可能か否かということだ。

 [ 余談 ]
 人間と萌えキャラとは交配不可能だ。ゆえに、リアルな人間よりも萌えキャラを好きになるオタクは、交配不可能な異種間の交配を望んでいるという点で、チンパンジーとの交配を望むように、あまりにも歪んでいるのである。……なんちゃって。  (^^);

 [ 参考 ]
 ネアンデルタール人との交配については、別項で新たに述べる予定。
 私としては明白な交配はなかったと考えるが、単に「交配なし」というふうに単純化して言うこともできない。事情はかなり込み入っている。長い話になる。ここで書くには、余白が足りない。   (^^);
posted by 管理人 at 12:21| Comment(0) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
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