人種は亜種か? 「ノー」と思っている人が多いようだが、必ずしも「ノー」とは言えない。(人種は亜種だ、と言ってもいい。) ──
人種は亜種か?
昔の発想では、見かけ上から、白人・黄色人種・黒人が亜種だと見なされた。これは形質によって生物を分類する考え方だ。
近年では、遺伝子的な分析から、人類というものが遺伝子的ごく狭い範囲にあることが判明した。白人・黄色人種・黒人の遺伝子的な違いは、あまりにも小さいのだ。……しかし、そのこと自体はあまり大事ではない。
大事なのは、次のことだ。
「白人の遺伝子範囲と、黄色人種の遺伝子範囲は、ごく小さい。それに比べて、黒人の遺伝子範囲は、とても広い」
このことから、「人種は亜種ではない」と主張する人々も多い。
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一方、「白人」と「黄色人種」という範囲は、ある程度は範囲が狭まる。だから、これらを「亜種」と見なす考え方も成立する。
なお、「白人」と「黄色人種」を亜種と見なした場合、その境界線は引けない。欧州の白人とアジアの黄色人種の間に、中東やインド・ネパールにいる中間的な人々が存在する。
だが、「境界線は引けない」ということ自体は、「亜種」が成立しないことを意味しない。「境界線は引けない」ということは、「種」の区別が成立しないことを意味するだけで、「亜種」の区別は可能だからだ。(一般に、種内の亜種同士の交配は可能である。当然、中間的な雑種も誕生する。)
つまり、「種」というものはレベルがかなりはっきりするが、「亜種」というものはレベルがはっきりとしない。遺伝子の違いの大小だけで「亜種か否か」ということを決めることはできない。
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このような区別を「地域個体群」や「品種」のレベルとして認識する人もいるが、実は、「地域個体群」や「品種」もまた、「亜種」として認識できる。
たとえば、ダーウィンフィンチだ。ダーウィンは、ガラパゴス諸島における各種のフィンチ類(のちに「ダーウィンフィンチ」と命名)を見て、それぞれの種が異なるのを、進化の証拠と見なした。しかしその後の研究では、これらのダーウィンフィンチ類は、すべて交雑可能であり、実際に頻繁に交雑しているので、同じ種における亜種であると見なされるようになった。……ここでは、遺伝子の差が大きいか小さいかは問題ではなく、交雑可能であるということが問題となる。
一般に、交雑可能であれば、中間種が生じて、同じ種における遺伝子プールを形成する。だから、「種」というものは、はっきりとする。その一方で、「亜種」というものは、はっきりとしない。通常は「地域個体群」という形で認識されるが、そうでないこともある。
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以上のことから、強いて言えば、次のように認識できるかもしれない。
・ 人類 = 黒人亜種 + 非黒人亜種 (アフリカか否か)
・ 非黒人亜種 = コーカソイド亜種 + モンゴロイド亜種
・ モンゴロイド亜種 = 古モンゴロイド亜種 + 新モンゴロイド亜種
ここでは、それぞれの「亜種」は、レベルが異なる。そうではあっても、このような形で「亜種」の区別をすることは、無意味ではない。
実際、このような区別は、遺伝子の系統を見ても、ある程度は区別可能だ。
→ Wikipedia 「人種」 の図
そして、区別されたそれぞれの分岐項目を何と呼ぶかと言えば、いずれも「亜種」と呼ぶしかあるまい。いずれも「種」よりは小さいレベルだからだ。(レベル差はあるが。)
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結論。
人種を「亜種」と呼ぶことは、ある程度は可能である。ただし、「亜種」というのは、さまざまなレベルがあり、遺伝子的な違いはあまり大きな意味を持たない、と理解するべきだ。「亜種」の違いは、「種」の違いとは、まったく異なる。生物的に明白な違いがあるわけではない。(容易に混合しうるので。)
結局、人種は亜種か否かという問題は、あまり意味のある問題ではない。「亜種」という言葉の定義しだいだ。「人種は亜種だ」という認識は、人種差別的な認識があるので不適切だろうが、「人種は亜種ではない」という認識も、「亜種」と「種」の違いを混同しているという点で不適切だ。
生物において大切なのは、種の違いだけだ。亜種の違いは、たいして意味はない。そう理解することが大切だ。そして、そう理解すれば、人種を亜種と呼ぼうが呼ぶまいが、どっちにしてもたいした問題ではないとわかる。
人種は亜種か否かという問題への正解は、「イエス」でも「ノー」でもない。「その問題はあまり意味がないので、正解なし」というのが正解だ。
《 注記 》
「亜種」というのは、ある一定の概念をなすのではなく、「種ではない」(もっと小さい)という概念のみがあると考えた方がいい。何かであるというより、何かでないのだ。
「亜種とは何か」を問うても、ほとんど無意味である。そこでは「種ではない」ということだけが大切だからだ。
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「亜種とは、種よりもひとつ下の、分類レベルだ」
と思っている人が多いようだが、そうではない。亜種は、種よりもひとつ下の分類レベルではなくて、(生物学的な)分類レベルをなさないのである。生態学的な分類レベルがあるだけだ。
「人種は亜種ではない」と思っている人々は、そこを勘違いしているようだ。
[ 付記 ]
実は、「品種」の方が、通常の「亜種」よりも大きな違いをもつこともある。
たとえば、チワワとドーベルマンは、生殖器の大きさが違いすぎるので、交配が不可能だ。(生殖的隔離。)
仮に、この世界にチワワとドーベルマンだけが残り、他の犬が全滅したら、チワワとドーベルマンは交配不可能なまま、数十万年後には別の種に分岐するだろう。
種の区別で大事なのは、交配可能か否かということだ。
[ 余談 ]
人間と萌えキャラとは交配不可能だ。ゆえに、リアルな人間よりも萌えキャラを好きになるオタクは、交配不可能な異種間の交配を望んでいるという点で、チンパンジーとの交配を望むように、あまりにも歪んでいるのである。……なんちゃって。 (^^);
[ 参考 ]
ネアンデルタール人との交配については、別項で新たに述べる予定。
私としては明白な交配はなかったと考えるが、単に「交配なし」というふうに単純化して言うこともできない。事情はかなり込み入っている。長い話になる。ここで書くには、余白が足りない。 (^^);
2011年01月16日
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