はてな を中心とする一部の人々の間で、無介助分娩と自宅出産が批判されている。とはいえ、その批判もまた一方的に偏った批判である。単に批判すればいいという問題ではないのだ。問題の根源は、別のところにある。
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まず、自宅出産と無介助分娩とを区別する必要がある。この両者を混同して「危険だ」と批判する人が多いが、この両者は別のことだ。
・ 無介助分娩 …… 助産師なし(医師もなし)
・ 自宅出産 ……… 助産師あり or なし
つまり、無介助分娩は助産師も医師もないので危険だが、自宅出産は助産師がいることも多いので、一律に「危険」とは言えない。助産師がそばに付き添っている自宅出産は、特に批判するには当たらない。
実際、文化的な理由から、(助産師のいる)自宅出産をする文化圏は多い。
・ アーミッシュでは、ほぼ全員が自宅出産 ( → 出典 )
・ オランダでは、3分の1 が自宅出産 ( → 出典 )
このような文化圏では、自宅出産をすることが多い。それを「けしからん」と批判するべきでない。
なるほど、このような場合でも、自宅出産による危険率は高まる。しかし、高まるとはいえ、その絶対値はあまり高くない。
解析の結果,先天性異常がない新生児の死亡リスクが計画的病院分娩群で約0.3/1,000分娩だったのに対し,計画的自宅分娩群では1/1,000分娩と約3倍にのぼることが明らかになった。計画的自宅分娩群の死亡は,多くが呼吸促迫および蘇生失敗に起因していたという。ここで言う「計画的自宅分娩群」というのは、助産師なし(母親と家族だけ)であると読み取れる。特に、「蘇生失敗」というのは、「赤ん坊が無呼吸であるときに、尻をひっぱたいて、オギャーと泣かせて、呼吸させる」という最低限の知識を備えていない愚かな母親の場合だと推察される。そして、そのような場合でさえ、危険度は 1000分の1にすぎない。「危険だ」と大騒ぎするほどのこととは思えない。
もちろん、1000分の1とはいえ、死んでしまうことは大問題だから、無視していいとは言えない。しかし、1000分の1程度の危険度で言うなら、世の中にはもっと危険で看過できない事象がたくさんある。ことさら自宅出産だけをあげつらう必要はない。他にも問題はいっぱいあるのだから。
( ※ 特に、医師が「簡易検査で陰性を信用しすぎる」という問題は、非常に大きい。こっちの方を大々的に話題にした方がいい。馬鹿な母親の自己責任よりは、馬鹿な医者が他人をどんどん死なせる方が、よほど問題だ。また、馬鹿なトンデモマニアの医者が、「簡易検査には問題がある」という指摘を「トンデモだ」と騒ぐことの方が、よほど問題だ。)
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以上では、「騒ぎすぎるな」と指摘した。しかし、だからといって、「看過せよ」と主張しているわけではない。騒ぎすぎる必要はないが、それなりに注意することは必要だ。また、どちらかと言えば是正した方が好ましい、というのも事実だ。(騒ぐことなく静かに是正すればいい。)
ここで、騒ぐことをやめれば、問題の本質が二つ浮かぶ。次の二点だ。
・ 制度設計が不十分である
・ 男が出産に無関心すぎる
順に述べよう。
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(1) 制度設計
第1に、制度設計の問題がある。自宅出産を止めることを目的とするのならば、自宅出産を止めるための制度設計が必要となる。ところが、それが不備である。
一般に、自宅出産には、大幅なコストがかかる。50万円程度の金がかかる。したがって、貧しい家庭がその 50万円という金を節約するために、自宅で出産しよう、という動機が生じても、不思議ではない。たとえば、次の家庭だ。
農業や養蜂などを営みながら自給自足の生活を実践している。……田畑は農薬や化学肥料を使わず、耕しもしない自然農法。煮炊き、風呂、暖房の燃料はまき、食事は玄米に菜食が中心だ。できるだけ自然の恵みをそのまま生かす生活だ。このように自給自足をしている生活では、換金作物を多大に生産することもないだろうし、多額の現金を得ていることもないはずだ。上記のアーミッシュのような生活をしているわけだ。当然、「金のかかる病院出産はやりたくない」という動機が働く。また、定期健診も 10万円以上の金がかかるので、それも「やりたくない」という動機が働く。
( → 朝日新聞・兵庫 ,転載 )
ただし、である。現実には、これらのためにかかる金は、大したことはない。
→ 出産育児一時金
→ 定期健診の公費負担額
つまり、昔はかなりの金がかかったのだが、近年では金はろくにかからなくなっている。一時的に大金を用意する必要もなくなっている。
しかしながら、「大金がかかる」と思っている人が多い。(勘違いして。)
そこで、次のように広報するといいだろう。
・ 出産費用の大部分は、公的負担でまかなわれる。
・ 入院中は食事も出るので、食事代が浮く。 (^^);
さらに言えば、次のような制度を整えることが好ましい。
「病院出産を促進するため、病院出産の場合に限り、出産祝いとして5万円を贈与する。自宅出産ではゼロ」
これはまあ、「子供手当」の頭金だ。これを、病院出産のときに限って贈与することで、病院出産を促進する(自宅出産を阻止する)。自給自足をするような貧乏人は、5万円をもらいたくて、病院出産をするようになるだろう。
ついでだが、定期健診の公費負担額も、もっと増額することが好ましい。現状ではかなり高額の負担が必要だからだ。たとえば、妊娠した女子高生が定期健診を受けないまま、結果的に死産・流産になる、という例は多い。ここで、女子高生に「定期健診を受けよ」と強いても、その金がないのだから、どうしようもない。金のない人に「定期健診を受けよ」と強制するのは、あまりにも傲慢だ。そんな傲慢なことを主張するよりは、「金がなくても定期健診を受けられます」という制度設計が必要だ。
(2) 男の無関心
一方、それとは別に、物事の根源がある。
自宅出産については、やるもやらないも、本人の自由だと言える面が多い。(上記。)
しかしながら、本人の意思を左右しようとする、マスコミの動きがある。それは「自宅出産は素晴らしい」という趣旨で報道するマスコミだ。前記の朝日新聞の報道や、24時間テレビの例(放映予定だったが反対多数で放映中止)という例がある。マスコミでは、「自宅出産は素晴らしい」というふうに推奨する傾向がある。
では、なぜ、マスコミはそういう傾向があるのか? マスコミが愚かだからか? 私なりに見解を示せば、その理由は「男の無関心」だ。
だいたい、自宅出産がどうのこうのなんて、まったく気にしない男が多い。「出産の方法は女にお任せ」という男が多い。
で、女に任せると、女というものはやたらと「エコや自然は素晴らしい」と思い込むから、「出産もエコで自然な自宅出産を」と思い込むわけだ。(勘違いだが。)
これは、一般の妊婦に限ったことではない。マスコミもまた、女性記者が、こういう傾向の記事を書く。上記の朝日の記事も、一読して、「女性記者が書いたものだな」という印象だ。また、「エコキャップ」について Twitter を検索してみても、男性では批判論者が多いのに、女性では賛同論者が多い。
一般に、女性というものは、科学的に数字なんかで考えず、単に「エコで自然はすばらしい」と思い込みがちなのだ。「プラスチックを分別するために、汚れたプラスチックをお湯で洗い、お湯を沸かすために多大なエネルギーを浪費する」という無駄な行為もあり、夫はそれをやめさせたくても、妻が「分別しなさい! エコのため!」といきりたつ、という例は多い。
そして、そういう女性に何もかも任せて、男が関与しなければ、出産についても「エコで自然な自宅出産」という概念に染まり、無介助分娩に走ることもあるだろう。
で、そういう女に任せるから、「エコで自然な自宅出産」なんてものが はやりだす。
要するに、問題の根源は、無知な女性の「エコ崇拝」「自然崇拝」にある。そして、それを放置する男の無関心が、問題の解決を阻害する。
では、どうすればいいか?
無知な女性の「エコ崇拝」「自然崇拝」を阻止することを、第1とすればいい。その基本的な思想を、歪んだ状態から正すことが、何よりも先決となる。
とはいえ、それは容易ではない。「エコキャップ」という最も典型的なインチキでさえ、人々は是正できずにいる。はてな で「無介助分娩と自宅出産はけしからん」と騒いでいる人々でさえ、「エコキャップはけしからん」と指摘することはない。それどころか、トンデモマニアたちは、「エコキャップはけしからんと指摘する南堂はトンデモだ!」と非難することで、エコキャップ運動の推進に加担している。
結局、無介助分娩と自宅出産については、それを実行する人々も、それを批判する人々も、「エコ崇拝」「自然崇拝」という基本的な誤りから、脱していないのである。部分的には脱しているつもりにはなっても、「エコキャップ」とか「地球温暖化」とか「プラごみ分別」とかの話題になると、とたんに、「エコ崇拝」「自然崇拝」という誤りに落ち込んでしまう。
以上から、わかるだろう。
無介助分娩と自宅出産の問題は、氷山の一角にすぎない。問題の根源は、人々の頭に巣くう「エコ崇拝」「自然崇拝」という基本的な妄想だ。
先に紹介した「自給自足の生活を実践している」という例が典型的だ。また、ホメオパシーを信じる人々の「自然な薬が素晴らしい」という思想も同様だ。また、「自然と環境を大切に」と(見当違いに)過剰報道するマスコミも同様だ。また、「エコ崇拝」「自然崇拝」という世相を批判する私のことを「トンデモだ!」と批判するトンデモマニアも同様だ。
これらの人々は、いずれも、「エコ崇拝」「自然崇拝」という基本的な妄想にとらわれている。そこから、次のような、さまざまな間違いが生じる。
・ 無介助分娩と自宅出産
・ ホメオパシーのレメディ
・ エコキャップ
・ プラごみ分別
・ レジ袋有料化
・ 太陽光発電に無意味な高額補助金
・ ガス食いの大型ハイブリッド車に百万円もの補助金
これらの問題の一つ一つに、個別に「間違っているぞ」と指摘しても、モグラたたきのようなものだ。それよりは根源にある「エコ崇拝」「自然崇拝」という基本的な妄想を是正することが必要だ。そのためには、これらの問題を一括して批判することが必要だ。「それは妄想だ」というふうに。いわば、「王様は裸だ」と指摘するように。
しかしながら、残念なことに、そういうことをなしているのは、本サイトだけだ。世間の大部分は、一部の問題を見るだけで、問題の全貌を見ることができない。群盲象を撫でる、というありさまである。
せめて、エコキャップの詐欺性についてぐらいは、マスコミはまともに報じてもらいたいものだ。これは中学生にもわかるぐらい、簡単な問題だからだ。なのに、それさえも正しく認識できないのでは、無介助分娩や自宅出産については、「道なお通し」であろう。そもそも男たちは、「知ったこっちゃない」と思っているのだし。
[ 付記 ]
ホメオパシーや無介助分娩の問題を、「医学の問題」としてのみ認識している人々が多い。
しかし、問題は、そういう問題ではないのだ。その根源には、「エコ崇拝」「自然崇拝」という基本的な妄想があるのだ。そこを理解する必要がある。
また、ホメオパシーの詐欺牲についても理解する必要があるが、その詐欺が成立する理由もまた、人々の「エコ崇拝」「自然崇拝」という妄想である。詐欺師が跋扈するところでは、その詐欺師の嘘を信じたがる人々の妄想がある。この妄想を理解することが必要だ。
「単に科学的に正しい知識を普及すればいい」
と思っているようでは、問題は解決できないのである。
( ※ たとえば、トンデモマニアが「ホメオパシーはトンデモだ!」といくら主張しても、ホメオパシーの信者からは反発を受けるだけだ。「おれは利口だ、おまえは馬鹿だ」というような傲慢な発想では、社会を是正することはできないのである。「まずは洗脳を解いてあげる」という優しい発想が必要なのだ。……ま、トンデモマニアに「優しさを」と言っても、馬の耳に念仏ではあるが。)
[ 余談 ]
最近、この手の医療の話題を取り上げているが、ネタ元は朝日アピタルの Twitter である。私もときどき Twitter を見るのだが、フォローしているのは、朝日アピタルと朝日グローブぐらいだから、この手のニュースがすぐに目につく。
( ※ 私はときどきしか見ないが、熱心に朝日アピタルの Twitter を見ている人もいるようだ。暇ですねえ。……人のこと言えないか。 (^^); )
