DNA の相同組み換えがあるから進化が起こった、という説がある。間違ってはいないが、認識が少し狂っている。 ──
DNA の相同組み換え(遺伝子の相同組み換え)という概念は、高校生物学の教科書にも書いてある基礎知識だ。
DNA は、二重らせんになっており、二本のらせん状の(塩基の鎖)がある。そのうちの一部分が、次の図のように転移することがある。
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このようなことが起こるので進化は起こった、という主張がある。その趣旨は、「進化の理由は、突然変異だけじゃなくて、相同組み換えも大事だ」ということだ。つまりは、ダーウィンの進化論に対する修正の扱いだ。
詳しくは下記。
→ 理研の研究発表 (2009年)
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そんなこと、いちいちいわなくたって、常識だろ……という気もしたが、上記ページを読むと、いろいろと細かな点に渡っても実証している。その意味で、単なる常識的な発想だけでなく、その発想を補強する緻密な研究にはなっている。
ただし、である。研究自体はいいが、結論がまずい。
「生命進化の理由の1つは、遺伝物質に DNA を選択した結果と判明」
というのがタイトルだが、このタイトルはまずすぎる。
第1に、「遺伝物質に DNA を選択した」という表現はまずすぎる。別に(生命が)選択したわけじゃない。遺伝物質が RNA であるものと、遺伝物質が DNA であるものとの、二通り(の生命)がともにあった。そのうち、後者では進化がたくさんあった、というだけのことだ。論理認識が狂っている。
( ※ 比喩的に言うと、「人類が進化したのは誕生場所として地球を選択したからだ」というような理屈。論理が倒錯している。単に「地球では人類が誕生して進化した」と言いだけでいいのだ。変に不正確な比喩を使わないでほしいものだ。変に文学的に書いて、不正確にしないでほしい。ドーキンスじゃあるまいし。)
( ※ ま、これは、ただの表現の問題だから、本質的ではないが。)
第2に、「相同組み換えが重要だ」という主旨そのものが正しくない。正しくは、次の通り。
「生命進化の理由の1つは、性があったことである。性があったから、交配および相同組み換えという二つのことが起こった。このうち、交配が主であり、相同組み換えは副である。相同組み換えは、交配と同様のことを補足的に行なう」
とにかく、この研究で一番大切なことは、「性の重要さ」の指摘だ。性というものがあるからこそ、交配や相同組み替えがある。
なのに、「性がある」ということを忘れて、「性がある」ということを前提に組み込んでしまって、研究者は次のように結論する。
「父母由来のDNAを混ぜ合わせる遺伝的組み換えはDNAだから起こる」
そうじゃないでしょ。DNA があるだけでは、無性生殖かもしれず、その場合には、
「父母由来のDNAを混ぜ合わせる遺伝的組み換えはDNAだから起こる」
ということは(原則として)成立しない。DNAがあるだけでは駄目なのだ。性もまた必要なのだ。
上記の研究は、研究自体としては、間違っていない。しかしその結論が狂っている。
「父母由来のDNAを混ぜ合わせる遺伝的組み換えはDNAだから起こる」
という結論は間違いであり、
「父母由来のDNAを混ぜ合わせる遺伝的組み換えは(DNAだけでなく)性があるから起こる」
という結論が正しい。
とすれば、最終的な結論は、次のようになる。
「進化において決定的に重要なのは、性である。性があるからこそ、交配もあり、相同組み換えもあった。そのうち、特に重要なのは交配であり、副次的に重要なのは相同組み替えである。これらによって、有性生物では高度な進化をなし遂げることができた」
これが正しい結論だ。
[ 付記 ]
正確に言うなら、DNA の相同組み換えは、有性生物に限られることなく、無性生物でも起こる。
→ 解説サイト
ただしそれは、(有性生物の)減数分裂のときに起こる相同組み換えとは違って、頻度がはるかに低い。あくまで例外的なものだ。
「父母由来のDNAを混ぜ合わせる遺伝的組み換え」
というのは、当然ながら、有性生物に限られる。
【 関連項目 】
「進化において決定的に重要なのは、性である。性があるからこそ、有性生物では高度な進化をなし遂げることができた」
という話は、すでに私が述べてある。下記項目。
→ 有性生殖の意義
→ 有性生物と無性生物
また、次の項目でも、関連する話がある。
→ 生命の本質とは? (自己複製?)
→ 有性生物の本質
2010年11月16日
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