2010年11月16日

◆ 昨冬のインフルエンザ

 昨冬( 2009 - 2010 )のインフルエンザについての簡単な まとめ or 総括。……今冬の予測のために。 ── 

 昨冬( 2009 - 2010 )のインフルエンザについて、まとめよう。3月ごろのデータで、死者数は 198人。その後、若干の上乗せがあったとしても、200人程度。これは例年の死者数よりも圧倒的に少ない。
  → NHK ニュース(転載)
  → 感染症情報センター月報(転載)
 
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 一方、下記サイトでは、各国の統計数値を数えるときの条件をそろえた補正値も推計している。日本では死者数が全数報告されていない。統計に埋もれた死者数がかなりあると見込まれる。それを補正すると、400〜500人程度の死者数があったと推定されるそうだ。
  → 外岡立人 ( ※ この人は有名な専門家)

 また、このサイトでは、各国間の統計数値を比べている。すると、抗インフルエンザ薬は、死者数にはあまり関係しなかった、という統計データも得られるそうだ。
 診断が確定されると抗インフルエンザ薬を処方していた英国と、ドイツやフランス、北欧などのように抗インフルエンザ薬はあまり使っていなかった国との間での死亡率は変わらない
 これはちょっと意外であった。
 なお、よく見ると、ドイツやフランス、北欧の死亡率は、日本と同様。一方、英国の死亡率は、その2倍。抗インフルエンザ薬を処方していた英国の方が、死亡数は高かったことになる。矛盾ですね。「抗インフルエンザ薬を処方する国の方が死亡率は高い」というふうになる。  (^^);
 ただ、そういう逆転はなかったとしても、抗インフルエンザ薬を処方していなかったドイツやフランス、北欧などが、日本と同様だったとすると、抗インフルエンザ薬は死者数にはあまり影響しなかったということになる。
 
 ──

 では、「結果的に死者数がずっと少なかった」という事実は、どう説明されるか? 論理的に言って、「豚インフルエンザの病原性は弱かった」という結論になりそうだ。
 昨年は、
 「新型のインフルエンザだ! 大変だ! 感染者が続出する! 死者も続出する!」
 とパニック状態で大騒ぎしていが、実際は、感染者数は大幅増であっても、死者数は大幅減だったということになる。
 つまり、感染力は強くても、病原性(症状の強さ)は弱かったことになる。感染力はまさしくインフルエンザであっても、症状はただの普通感冒みたいなものであったことになる。(というのは、ちょっと誇張気味だが、意を汲んでほしい。)
 
 ──

 さらに、次のような指摘もある。
 60歳以上の推定受診者(インフルエンザ様症状で医療機関を受診した患者)あたりの致死率は 0.022%であり、10歳未満に比して約 50倍にもなりました。つまり、「高齢者は感染しにくいが重症化しやすい」と考えるべきです。
( → 高山義浩(感染症医)
 このことをもって、「高齢者は要注意」と考える見方もあるが、例年との比較で言えば、むしろ、「高齢者以外では、あまり大騒ぎする必要はなかった」というふうに言えるだろう。
 高齢者でさえ、例年よりも死者は少なかった。まして、若年者や成年では、死者数は大幅に少なかった。「もともと死にそうだった人」以外では、たいして影響はなかったことになる。(例年に比べて。)

 ──

 まとめ。

 豚インフルエンザは、大騒ぎした割には、大したことはなかった。例年の季節性インフルエンザに比べて、感染力は強かったが、死者数は大幅に少なかった。そして、その理由は、抗インフルエンザ薬を使ったからではなくて、豚インフルエンザの病原性(症状の重さ)が軽めだったことによる。

 去年のことから、今年のことについて、何が言えるか?
 「去年のデータは参考にならない」

 ということだろう。
 つまり、次のことは言えない
 「抗インフルエンザ薬を使えば、今冬も昨冬と同じように、死者数を抑制できる」


 さらには、
 「昨冬は死者数が少なかったぞ。それは抗インフルエンザ薬を使ったからだ。その抗インフルエンザ薬は、今冬も使える。だから今冬も、死者数は少ないはずだ」
 と思っても、そううまく行きそうにないたぶん今冬は、抗インフルエンザ薬を使っても、死者数は大幅に増えそうだ。

 ──

 対策。

 では、どうすればいいか? 抗インフルエンザ薬を使わなければいいか? 
 しかし、抗インフルエンザ薬がある程度は有益だということは、すでにわかっている。
 つまり、抗インフルエンザ薬そのものは有益な薬剤なのだが、その有益な薬剤を使って死者数を減らすことはできていないのだ。

 ここから得られる結論はただ一つ。こうだ。
 「抗インフルエンザ薬は有益だが、その使い方が間違っている」

 つまり、馬鹿とハサミは使いよう、ということだ。ハサミは有益でも、使い方を間違えれば、有益ではない。有益な薬も、使い方を間違えれば、有益ではない。

 たとえば、次の使用法では、死者を減らせない
  ・ 簡易検査で陰性ならば抗インフルエンザ薬を投与しない。
  ・ 重症化した患者にリレンザやタミフルを処方する。


 一方、次の使用法では、死者を減らせる
  ・ 簡易検査で陰性ならば抗インフルエンザ薬を投与する。(症状しだいで。)
  ・ 重症化した患者にペラミビル(ラピアクタ)を処方する。


 この二点(正しい方法)については、「そんなことは言われなくても わかっている」と反発する医者も多いだろう。
 しかし、現実はどうか? 先の秋田県の事件(死者8人)でも、その方針は取られなかった。簡易検査で陰性の患者には抗インフルエンザ薬が投与されなかったし、重症化した患者にもタミフルが処方されただけでペラミビルは投与されなかった。
 正解は知られていても、正解は周知されていないし、十分に実施されていない。これが現実だ。だから死者が出る。




 《 考察 》

 思うに、医者は抗インフルエンザ薬を「病気を治すために使う」というふうに使っているのが、根源的な間違いだと思う。むしろ、「死者を減らす」という目的に絞って使うべきだ。
 患者が感染していたとわかったらば、大人でも軽症者でも構わず抗インフルエンザ薬を処方する、というような方針では駄目だ。むしろ、死亡しそうな人をうまく拾い上げて、そういう人を対象に集中的な治療を施すべきだ。
 たいていの人は、抗インフルエンザ薬を投与してもしなくても、どっちみち生死には影響しない。治癒のための期間が1日程度変わるだけで、結果はほとんど変わらない。一方、一部の人は、生死に影響する。ところがそのような人は、「簡易検査で陰性だったから」というような理由で、治療を受けられずにいる。また、重症化しても、必要な治療(ラピアクタ)を処方されず、相も変わらずタミフルだけ、という治療となる。そもそも、「重症者にはペラミビルを」という方針さえ取られていない。(そう主張しているのは私ぐらいだ。)

 結局、抗インフルエンザ薬は有効でも、それは現状では、「必要としない相手に大量に処方して、製薬会社を儲けさせている」というぐらいの意味しかない。「病気を治療するために抗インフルエンザ薬を使う」という方針は取られているが、「死者を減らすために抗インフルエンザ薬を使う」という方針は取られていない。(両者の違いさえも理解されていない。)結果的に、軽症者の治療ばかりが優先され、重症者の治療はろくに念頭にない。
 というわけで、今冬は、たぶん死者が昨年の何倍にもなるだろう。そして、その理由は、「抗インフルエンザ薬の正しい使い方が知られていないから」である。
 馬鹿とハサミは使いようという。せっかく切れるハサミがあっても、馬鹿が使う限りは、切れるハサミでも切れなくなる。かくて今冬は、死者が多大に出るだろう。



 [ 付記 ]
 医者は「死者を減らすこと」よりも「病気の治療」を目的とする発想を取ることが多い。その典型的な例は、下記のページ(本サイトの批判)に見られる。
  → http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20101109

 ここでは、「処方ありの場合と無しの場合を比較する」という発想のもとで、利得の値を「プラス 10」「マイナス 10」というふうに配分して、「利得の最大化」をめざす。その原理は、「無駄な治療をせず、有効な治療だけをする」ということだ。(これが普通の医者の発想だ。)
 しかし、「死者を減らす」という発想のもとでは、「死者が出た場合には利得がマイナス無限大になる」という配点が必要となり、その場合には、上記のような利得の配分は無効化する。もちろん「利得の最大化」という発想も無効化する。(量的な利得の最大化は目的とならず、「生か死か」という点だけが重要となる。)
 
 「死者を減らす」ということを目的とするならば、「簡易検査で陰性のときには、無駄になりそうな治療はなるべくしない」という発想にはならず、「簡易検査で陰性のときにも、死を避けるために、(無駄になりそうな)治療をなす」という発想になるはずだ。
 ここで「無駄」というのは、薬剤費や診察費のコストのみならず、患者の負担する副作用のコストさえも含む。陰性の患者には、薬剤費や診察費や副作用のコストをかけても、かけるに値するのだ。死を防ぐためであれば。(ただし、健康な人にもやたらとコストをかけるわけには行かないから、「症状がある人」に限っての話だが。)
 
 秋田の例でもそうだが、「簡易検査で陰性になった患者には治療を施さない」という発想が強い。なぜか? 「病気を治そう」「病気への対策をしよう」という一般的な発想だけがあり、「死者を減らそう」「重症者に絞って特別な治療をしよう」という特殊化した発想が欠落しているからだ。
 
 とにかく、「利得を増やそう」とか、「利得の点数計算をしよう」とか、「診療報酬の点数計算だけをしよう」とか、そういう計算高い方針を取っているのではダメなのだ。「死をなくそう」というふうな、《 生死に着目した 》発想を取る必要があるのだ。
 医者にとって何よりも必要なのは、生死に対する絶対的な意識だ。それに次いで、病気を治すための方法や理論などの技術的な事柄が来る。そこを根本的に勘違いしている医者が多すぎる。人の生死よりも、病気の治療のことばかりを考えている医者が多すぎる。人に着目するより、病気に着目する医者が多すぎる。(木を見て森を見ず、と言うべきか。)
 外科の分野では、「手術は成功しました、患者は死にました」という皮肉がしばしば語られる。それと同様のことが、内科の分野でもまかり通っている。「治療方針は正解でした、患者は死にました」というような。……その一例が、秋田の病院だろう。「処置は正当でした、患者は(8名)死にました」と平然と語っている。*(これが冗談であれば、どれほど好ましかったことか。)
 

 * 「処置は正当でした」という言葉は、正確には次の通り。
 鷹巣病院の理事長が「医療に関して謝罪すべきことはない」と語った。
 ……この件は、ネットで検索すれば、いくらでも報道記事は見つかる。



posted by 管理人 at 18:46| Comment(2) |  インフルエンザ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
余談だが、上記で紹介した診断ゲームのページ
   http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20101109
 における利得の配分は、あまりにも滅茶苦茶だ。
────────────────────
    処方あり   処方なし
病気   +10     −10
健康   −10     +10
────────────────────

 この配分だと、普通の健康な人と、病気で治療を受けた人が、利得で同じになる。だったら、健康な人が、わざわざ病気になって、薬代を余計に払っても、損得はないことになる。そんな馬鹿なことはないでしょう。誰が好き好んで病気になって薬代を払うものか。

 また、薬を飲んだとしたら、健康の人よりも病気の人の方が、利得が大きいことになる。
 だったら、薬を有効になるために、健康な人はあえて病気になる方が得だということになる。

 「医者から薬をもらったけど、もしかしたらインフルエンザじゃないかもね。症状はあるけど、陰性だから、インフルエンザじゃなくて、ただの普通感冒かもしれない。だったら、利得を最大化するために、確実にインフルエンザにかかろう。インフルエンザで高熱を出している人と接触して、ウイルスをもらおう」
 ということになる。馬鹿馬鹿しい。

 正しくは? 健康で薬なしの場合の利得は、ゼロだ。それ以外の場合は、すべて利得がマイナスである。そのマイナスの大小が問題となるだけだ。
 
 教訓。
 いくらゲーム理論を使っても、肝心の利得配分が滅茶苦茶だと、そのあとの結論はすべて滅茶苦茶になる。論理だけ正しくても、前提が滅茶苦茶だと、すべては砂上の楼閣となる。
Posted by 管理人 at 2010年11月18日 00:03
すぐ上では「いくらゲーム理論を使っても」と述べたが、実はこれはゲーム理論ではない。では何かというと、ただの 2×2 の場合分けにすぎない。

 一般に、ゲーム理論というものは、ゲームを扱う。そこではプレイヤーが最低でも2名いる。それぞれのプレーヤーは自分のプレーを任意に選択できる。(最低限2通りの選択肢から。)

 さて。上記のケースでは、形式的にはプレーヤーが二人いる。
  ・ 医者 (処方あり/処方なし)
  ・ 患者 (病気/健康)
 である。

 このうち、医者は、(処方あり/処方なし)という二つの選択肢から、一方を選べる。この意味で、医者はプレーヤーである。
 一方、患者は、(病気/健康)のうちから、一方を選べない。その値は、所与であり、変更できない。(未知ではあるが、所与である。)この意味で、患者はプレーヤーでない。

 患者の側はプレーヤーでないから、このケースは、もはやゲームではない。では何かというと、「患者の値が決まったあとで、医者の値を決めること」である。これは、ゲームではなく、条件分岐だ。つまり、ただの 2×2 の場合分けにすぎない。

 似た例に、次のケースがある。

  ・ 雨が降ったら …… 傘を差す (差さなくてもいいが)
  ・ 晴れたら ………… 傘を差さない (差してもいいが)

 これもまた、ただの条件分岐だ。つまり、ただの 2×2 の場合分けにすぎない。それは気象と人間とのゲームではない。

 なるほど、ゲーム理論のように、利得配分で考えることもできるし、それはそれなりに有益だ。しかししょせん、それはただの条件分岐(場合分け)にすぎない。それは決してゲームではないし、また、そこにある理論はゲーム理論ではない。
Posted by 管理人 at 2010年11月18日 18:48
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