遺伝資源の利益配分をめぐる名古屋議定書が、生物多様性条約の会議で採択された。
「途上国にある豊かな生物学的な遺伝資源を先進国が利用するときに、先進国の企業が途上国に金を払う」
という趣旨だ。
要点は下記の通り。( 朝日新聞 2010-10-30 による)
- 遺伝資源を利用する場合は、事前に原産国の許可を得る
- 資源を利用する側は、原産国側と利益配分について個別契約を結ぶ
- 資源に改良を加えた製品(派生品)の一部は、利益配分の対象に含むことができる。対象にするかどうかは、契約時に個別に判断
- 不正に持ち出された資源ではないかをチェックする機関を、各国が一つ以上設ける。機関の性格は各国で判断
読めばわかるように、ここにあるのは、金儲けの理念ばかりだ。途上国は「金を寄越せ」と言い、先進国は「金をやりたくないが、金のなる木である生態系は保護しなくちゃ」と思う。どっちも欲の皮が張っているだけだ。
ここにあるのが金の理念だけだということは、次のことからもわかる。
「途上国と先進国の企業とが、個別に取引をする」
これはつまりは、「市場原理」だ。つまり、各人がバラバラに行動すれば、自然に最適化する、という発想だ。
しかし、環境保護というものは、「市場原理」なんかでは解決しない。
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環境というものは、「公共財」である。公共財を保全するためには、「市場原理」なんかでは片付かない。そのことは、経済学の分野ではとっくの昔から知られている。
→ Wikipedia 「公共経済学」
遺伝資源も同様だ。遺伝資源は、途上国の一国が私物化するべきものではなく、人類全体の継承遺産(レガシー)である。だからこそ、先進国は途上国に金を払おうとする。ここで、「おれの国のものはおれのもの」という発想を途上国が取れば、公共財という概念が消えてしまうので、遺伝資源の本質が見失われる。
要するに、今回の名古屋議定書の決議は、物事の本質を見失っている。
( ※ 生態系を保護するから素晴らしい、なんて思っている連中は、浅薄すぎる。)
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では、どうすればいいか?
まずは、「遺伝資源は公共財だ」という視点を取ればいい。
次に、利益配分は、市場原理に任せるのではなく、統一的な配分をするべきだ。次のように。
・ 先進国側の利益への課金を、一括して集まる。(プールする。)
・ その課金を後進国側へ配分するには、一括して公正に配分する。
・ 課金と配分のためのの国際機構を設立する。
つまり、途上国と、先進国の企業とが、個別に交渉するのをやめる。そのかわりに、金を集めるのも、金を配分するのも、国際機構が一括して扱う。国際機構が金を配分するときには、生態系の豊かさに応じて配分する。つまり、生態系保護に努めている国に、多く配分する。
このようにすれば、「金を払う量」と「生態系を維持している量」とがきれいに比例するから、公正になる。また、生態系を破壊しつつある国があれば、「将来的に遺伝資源の配分が減る」のではなくて、「今すぐに生態系の破壊による損失が生じる」というふうになる。
しかも、これには、ミソがある。先進国がこのように利益配分をすることで、途上国への援助を減らせる。正確に言えば、こうなる。
「先進国から途上国への援助は、途上国の貧しさに比例するというより、途上国の環境保護の度合いに比例する」
こういう形で、途上国の環境破壊を抑止する。
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現在、アフリカでは、砂漠化が急速に進んでいる。人々が薪にする木などを取って、森林を破壊しているからだ。森林を破壊することで利益を得て、そのことでアフリカをどんどん砂漠化していく。そういう愚かなことをしている途上国があまりにも多い。
こういう状況を防ぐには、国際的な環境保護の努力が必要だ。
しかるに、名古屋議定書は、このような森林破壊を阻止する力は、きわめて弱い。アフリカの途上国は、「将来の金を得る分が少なくなる」としか思わないからだ。
環境保護の真の意味を、途上国も先進国も、見失っている。本当は、こうだ。
「環境保護は、金になるわけではない。しかし、環境の破壊は、多大な金の喪失をもたらす」
途上国は遺伝資源によって「金を得よう、金を得よう」と狙っている。先進国は逆に「金を与えまい、金を与えまい」と狙っている。どちらも自分の財布のことしか考えていない。
しかし、遺伝資源とは、金を得るための道具ではないのだ。遺伝資源とは、今まさしくその豊かな自然によって、われわれの富を維持してくれているものなのである。遺伝資源とは、誰かに売りつけて儲けるための道具ではなく、われわれが今まさに享受している利益なのだ。
それはいわば、水に似ている。「水を外国に売れば金儲けができる」とだけ考えていて、「水のおかげで自分たちの生活が維持されている」ということを忘れている。水から受けている恩恵を見失っている。
遺伝資源とは、「失って初めて、その大切な価値に気づく」というようなものだ。なのに現在の人々は、その価値を理解していない。遺伝資源の価値を忘れて、金儲けの道具としてしか見ていない。
経済学的に言えば、増分だけを見ており、絶対量(維持している量)を見失っている。
それはつまり、遺伝資源の価値を見失っている、ということだ。
[ 余談 ]
関連する話題がある。
日本政府は、国有林の独立採算性を維持しようとしている。
政府は 1998年の国有林改革で、2.8兆円の負担を一般会計でまかない、1千人を超える職員のリストラを進めたが、現在も1.3兆円の借金が残っている。農水省は木材の売却収入で借金を返し、2048年度に完済する計画を立てている。金のことばかり書いているが、一番肝心のことが書いていない。こうだ。
会計上の区分けをはっきりさせたものの、木材を売って借金を返すという返済構造は変わらないため、計画通りに返すことができるかは、今後の木材価格の動向や、経費削減努力などにかかっていることに変わりはない。
( → 朝日新聞 2010-10-30 )
「独立採算性とは、林野庁の職員の給料をまかなうために、豊かな天然林を破壊することである。自然を破壊して、給料を得るが、採算割れのために、莫大な赤字を出す。それが上記のような、兆円規模の赤字として累積する」
ここでは、次のことが3点セットでなされる。
・ 職員の金儲けが目的。
・ そのために天然林が大幅に破壊される。
・ しかも巨額の赤字を生み出す。
一言で言えば、「愚の骨頂」だ。
生物多様性や環境保護を重視する国際会議がある日に、日本ではその正反対の環境破壊を決めているわけだ。片手で環境保護を謳い、片手で天然林を破壊している。……「愚の骨頂」というより、「狂気の沙汰」と言うべきか。
[ 蛇足 ]
私がこういうふうに批判をすると、またトンデモマニアが出てくるかもしれない。
「専門家の決めたことに反対するおまえは、トンデモだ! 専門家の言うことを批判するな! 専門家を批判する奴はトンデモだ!」
トンデモマニアの言葉に従うなら、政治だって、政治の専門家に任せれば、すべてうまく行くはずだし、政治家を批判する国民は、みんなトンデモだということになる。
トンデモマニアにとっては、北朝鮮や中国が理想の国なのだろう。
【 関連項目 】
→ 天然林の消失
天然林が日本では消失している。自然に消失しているのではなくて、
人間が破壊しているからだ。特に、国が破壊している。
→ 事業仕分けと林野庁
林野庁の仕事は何か? 天然林の維持か? 違う。天然林の破壊である。
では、何のために? 林野庁の職員の人件費をまかなうためだ。