2010年09月17日

◆ 進化の量と分岐の量

 進化の量と分岐の量は、おおむね、比例関係にある。つまり、分岐の量が少ない種ほど、進化の量は小さい。 ──

 ( ※ 前項の関連で、系統図の意味を説明する。)


 進化の量の大小は、(系統図で)分岐の量を見れば、だいたいわかる。つまり、分岐の量が少ない種ほど、進化の量は小さい。
 ただしこれは、進化論の標準的な説には反する。

 標準的な説では、「どの種も進化の量は一定だ」となる。ウイルスも、細菌も、節足動物も、魚類も、両生類も、爬虫類も、哺乳類も、すべて進化の量は同等だ、と見なす。このことは、ツリー状の分岐で、枝の先のレベルがどれも同じだ、と見なすことに相当する。
 なお、ツリー状の分岐は、あちこちで見られるが、ちょっと変わったものに、円形の図もある。
  → 円形の進化系統樹

 ただし一般的には、樹木の形の系統樹がわかりやすい。その初期のものは、次のものだ。
  → ヘッケルの系統樹 ( Wikipedia )

 これを簡略化したものが、普通は用いられる。たとえば、次の図の上半分がそうだ。(図は Wikipedia から。)



 ──

 上の図の下半分は、断続平衡説の図だ。こちらの図は、右に 90度回転すると、次のような階段状の図を書ける。



 この図では、新種が誕生するたびに、分岐が起こり、進化が起こる。分岐が多いほど、進化の量が多い。(単純に正比例するわけではないが、だいたい比例する。)

 このことを具体的な例で示すと、次の例がある。

  → 霊長類の系統図( Wikipedia )

 このことは、先の階段状の図と同様である。(上下が反転しているが。)
つまり、原始的な種ほど、分岐の量が大きい。分岐の量が多いほど、進化の量が多い。というか、進化の量を増やすには、分岐の量を増やすしかない。(当り前だが。)

 ( ※ より学術的な図はこちら → 霊長類の詳細な系統図


 ──

 では、どうして、分岐の量が多いほど進化の量が多いと言えるのか? どうして標準的な説は間違いだと言えるのか? それは、次のことによる。
 「進化とは、大進化のことを意味する。大進化(分岐)の量が多いほど、進化の量は多い。小進化(分岐なしの進化)は、いくら分子的な変化がたくさんあっても、それを進化とは呼ばない」


 たとえば、人間という種がある。この種のなかで、「黒人 → 白人 → モンゴロイド」という人種の変化があった。これは、種のなかの「亜種の誕生」を意味する。このような変化は、分子生物学から見て、系統関係をたどることも可能だ。
 しかしながら、このような遺伝子の変化がいくらあっても、それは「種内の変化」であるから、「進化」ではない。種内の変化(つまり小進化)は、どんなにたくさん積み重なっても、「進化」とはならない。同様に、木村資生の「中立説」に従って、形質に影響しないような遺伝子の変動がどんなにたくさんあっても、それは「進化」ではない。
 「進化」と言えるのは、「大進化」だけだ。そして、「大進化」の量は、種ごとにまったく異なる。たくさん分岐した種は、たくさんの「大進化」を経てきた。あまり分岐していない種は、あまり「大進化」を経てこなかった。……その差が、上の「霊長類の系統図」からもわかる。
 
 ── 
 
 要するに、標準的な説では、
    進化 = 小進化の蓄積 = 遺伝子の変化量

 と見なす。そのせいで、
   「すべての種の進化量は同じだ」

 と見なす。それゆえ、
   「人間も細菌も、すべての進化量は同じだ」

 と結論する。この伝で言えば、
   「人間も古細菌もウィルスも、すべての進化量は同じだ」

 ということになるから、
   「生物も生物以前の DNAウイルスも、すべての進化量は同じだ」

 ということになる。とすれば、これは、
   「生物 40億年の歴史でなした進化の量は、40億年前の生物と同レベルだ」

 ということになる。
 とすれば、そのような主張は、「進化」という概念を否定しているのも同然だ。

 つまり、標準的な進化論は、「進化」という概念を否定しているも同然なのだ。その学説は、「現在の地球の片隅に生きている古細菌と、現在の人類とは、同じレベルの進化をなしている」と主張するわけだから、そのような発想による「進化」など、本来の「進化」という概念に矛盾する。
 そして、この矛盾は、
    進化 = 小進化の蓄積 = 遺伝子の変化量

 という仮説(標準的な説)に由来する。

 ──

 では、正しくは? もちろん、すでに述べたとおりだ。
 「進化の量」とは、「小進化の量」ではなく、「大進化の量」だ。それは「分岐の量」と、ほぼ比例する。
 古細菌は、「大進化の量」つまり「分岐の量」が、ごく少ない。ゆえに、古細菌は原始的な生物である。
 そのあと、真核生物や、多細胞生物や、節足動物や、原索動物などを経て、さらには、魚類や、両生類などを経て、哺乳類が誕生した。このような進化の歴史では、「大進化」つまり「分岐」が、多大に生じた。それゆえ、多くの進化が起こったのだ。

 先の「霊長類の系統図」を、あらためて見直してほしい。それは、霊長類だけの系統図だが、その図の左には、生物 40億年の系統図がある。その大きな系統図の、一番右下に、「霊長類の系統図」が追加されているだけだ。とすれば、このような大きな系統図の歴史こそ、進化の歴史なのである。 
 その図の一番右下のあたりには、哺乳類のグループが来る。一方、一番右上のあたりには、古細菌などが来る。そして、古細菌のグループは、その後、ほとんど分岐も進化もしないまま、今日まで存続し続けているのである。

 なるほど、古細菌もまた、「小進化」に着目すれば、多大な小進化を蓄積してきた。しかし、小進化がいくら蓄積しても、それは「進化」ではない。「小進化」は「進化」ではないのだ。
 このことに気づかない人々が、「小進化こそ進化だ」と思ったあげく、
   「古細菌も哺乳類も同じぐらい進化している」

 と主張することだ。それはつまり、
   「 40億年かけた進化の結果は、古細菌から哺乳類まで偉大な発展をなし遂げたことではない。40億年もほとんど変わらない古細菌と、40億年をかけてなし遂げた偉大な進化による哺乳類とは、進化としては同等の進化をなしたにすぎない」

 と主張することであるから、それは、結局は、「進化」という概念を否定していることになる。その主張に従えば、現在の哺乳類の進化のレベルは、40億年前の古細菌とほとんど同じレベルだということになる。( 40億年前の古細菌と、現在の古細菌とは、たいして変化していないからだ。たとえば、どちらも真核生物になり得ていない。)

 結局、「小進化」と「進化」とを同等と見なすしと、「進化」という概念を否定してしまうことになる。そういう自己矛盾がある。これは、現代の標準的な説にひそむ、自己矛盾だ。
 この自己矛盾に気づかない人々が、あまりにも多い。

( ※ 「古細菌も哺乳類も同じぐらい進化している」という発想は、子供でもわかるような矛盾だ。しかしながら、現代の標準的な進化論は、「裸の王様」になっているので、子供でもわかる矛盾に気づかないのだ。そのせいで「王様は裸だ!」と真実を叫ぶことができないのである。そのあげく、先の円形の図のようなものを出して、「古細菌は哺乳類と同じぐらい進化している」と言い張って、得意になっているわけだ。)
( ※ こういうふうに標準的な説にこだわっている人々は、「 40億年間に生物は偉大な進化をなし遂げた」という説を、ほとんど否定していることになる。進化の否定。仮説にすぎなダーウィン進化論にこだわるあまり、進化そのものを否定してしまう、という本末転倒。事実よりも、大昔の学説を優先するわけ。)



 [ 補足 ]
 細かな点で揚げ足取りをする人が出そうなので、その細かな点について注釈しておこう。(本筋の話ではないので、特に読まなくてもよい。)
  
 「分岐が多いほど、進化の量が多い。(単純に正比例するわけではないが、だいたい比例する。)」
 と先に述べた。ここでは、「単純に正比例するわけではない」という箇所について注記しておこう。
 一般的に言えば、(細かな)種レベルの進化は、「進化」と騒ぐほどの例ではないことが多い。「小進化」と大差ないレベルの形質の変化があるだけのことが多い。たとえば、ハトの仲間で、「ドードー」がいるが、この種は結局は絶滅してしまったのであり、特に有利な進化だったとは思えない。(一部の特殊な環境で繁栄しただけだろう。) 
 それでも、「ハト目」という大きな類で考えると、「ハト目」の生物は、その祖先種であるはずの大型の走鳥類(翼のない祖先種)よりは、進化した種であると考えていい。また、鳥類全体を見れば、その祖先種である「鳥型恐竜」よりは進化した種であると考えていい。
 このような比例関係は、種レベルではあまり成立しなくとも、分類項目が高まるにつれ、成立するようになる。つまり、
  「 種 → 科 → 亜目 → 目 → 亜綱 → 綱 」
 と上がっていくにつれ、比例関係がはっきりしていく。




 [ 付記 ]
 本項を読んで、「トンデモだ」と主張する人が出ることが予想される。しかし、そういう人々は、進化論というものを何も理解していないに等しい。
 現在の進化論には、次の二つの流れがある。
  ・ 標準的な説(小進化の蓄積で進化、という説)
  ・ 断続平衡説

 前者を信じる人が多いが、前者が証明されて後者が否定されたわけではない。前者が科学で、後者がトンデモだ、ということはない。単に前者が優勢である、というだけのことだ。
 錬金術とかホメオパシーとかを「トンデモだ」と主張するのであれば、それはそれでいい。しかし、断続平衡説を「トンデモだ」と主張するのは、その人が進化論について無知であることをさらけだしているにすぎない。それはいわば、物理学の世界で、「光は粒子だ」と主張する人々が、「光は波動だ」という主張を聞いて、「トンデモだ」と批判するようなものだ。あまりにも視野が偏狭である。
 特に、はてな のあたりには、こういう無知な素人(断続平衡説をトンデモだと見なす素人)が多いので、引っかからないように、注意しよう。特に、円形の系統樹や、ツリー形の系統樹を、「これぞ真実だ」と示す人がいたら、その人は進化論の素人であろう。(ダーウィン説がいまだ仮説にすぎない、ということすら理解できていない素人。)

 ──

 ついでだが、Wikipedia の「断続平衡説」の記述は、まったく不適切なので、読んでも意味がない。
 グールドの説はともかく、「断続進化説」で一番重要な点は、「多数の形質の変化が同時多発的に起こること」である。これは、「一つの形質の変化が急激に起こること」ではない。
 たとえば、断続進化説が意味するのは、「キリンの首が短期間で急激に長くなること」ではなくて、「キリンの首が長くなるとき、同時に、足の長さや、皮の厚さや、血圧緩衝機構など、複数の形質がいっしょに獲得されること」である。つまり、「一つの種が突発的に誕生すること」であり、「半分ぐらいの形質をもつ中間種が存在しないこと」である。
 ここで、「半分ぐらいの形質」とは、形質の変化の程度が半分であることを意味せず、形質の変化の種類が半分ぐらいであることを意味する。(比喩で言うと、6本のマッチのそれぞれの長さが半分であることを意味せず、6本のマッチのうちの3本しかないことを意味する。)
 比較的新しい例で言えば、ホモサピエンス人と原人の中間種(双方の遺伝子を半分ずつもっているような種)の化石が見つからないことだ。ここでは、「その中間種の化石がまだ見つかっていないこと」が問題なのではなくて、「ホモサピエンスも原人も、変化が平坦であるせいで、変化が階段状になっていること(変化が斜線状でないこと)」が問題となる。詳しくは、下記。
  → 断続進化 (断続平衡説)



 【 関連項目 】
 
  → 進化と変化
  → 進化の本質
  → 小進化の蓄積で大進化?(嘘)
  → 断続進化 (断続平衡説)

  ※ 上記の前後の項目も参照。
posted by 管理人 at 18:11| Comment(12) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
補足でもおっしゃっているように分岐をどこで区切るかという基準は大変重要であり、それによって結果が大きく変わってきます。
個人的な感覚では大概の区切り方では無脊椎動物における分岐数がトップを占めるのではないでしょうか。


ところで、『進化の正しい意味』が

>「最も進化した生物は人間( or 哺乳類)である。逆に、最も進化していない生物は単細胞生物などである。正確に言えば、真核生物以前の原核生物など。これらは最も進化していない生物である」
(2009年10月12日の記事より)

であるとします。
しかし、「円形の進化系統樹」のリンク先でみられるように、哺乳類の分岐回数はワニや鳥類より少なくなります。
そのため、「分岐の量」を「進化の量」とすると「最も進化した生物」は哺乳類ではなくなります。
これは系統樹が間違っているのか、管理人様の考え方が間違っているのかのどちらかでしょう。
Posted by k at 2010年09月19日 15:56
> 哺乳類の分岐回数はワニや鳥類より少なくなります。
> そのため、「分岐の量」を「進化の量」とすると「最も進化した生物」は哺乳類ではなくなります。

哺乳類や鳥類は、爬虫類から、大きく分岐しました。この大きな分岐の回数1が、哺乳類や鳥類にはあり、爬虫類にはありません。その意味で、哺乳類や鳥類は爬虫類よりは上です。

では、哺乳類と鳥類は? どちらも爬虫類に対して大きな分岐の回数1が追加されています。この点で、哺乳類と鳥類は比較できません。

なお、大きな分岐の回数ではなく、小さな分岐の回数で言うなら、それはここでは無意味です。(分岐の数を単純に比較しても無意味。横方向にズレる大進化がどれだけあったかが重要。断続進化 という項目を参照。)

 ※ 大きな分岐は、横方向の分岐です。これは断続進化の系統樹で見てください。その場合、大きな分岐の回数1が見えます。
 一方、
          <
 のような形の分岐では、双方が対等に見えるので、大きな分岐の回数が見えません。
Posted by 管理人 at 2010年09月19日 18:36
> 哺乳類の分岐回数はワニや鳥類より少なくなります。

 比喩で言うと、
  爬虫類の進化は、建物の2階のなかで、室内の小さな階段をどんどん上がること。
  哺乳類は、爬虫類に対して、3階に上がった。レベルが違う。
  爬虫類が2階のなかで、どんなに室内の小さな階段をたくさん上がっても、3階には達せない。そこには天井があり、天井を破ることはできない。
  小さな階段の数が大事なのではなくて、床の階数が大事だ、ということ。
  
 異なる階(2階と3階)で、小さな階段の数を比較しても、意味がない。
 ただし、同じ階であれば、小さな階段の数と、進化の量は、おおむね比例する。これが本項の趣旨。
 それを曲解して、別の階のものを比較したのが、上の質問。
Posted by 管理人 at 2010年09月19日 18:44
すぐ上に述べたことは、誤解が起こらないように、あらかじめ  [ 補足 ] の箇所で述べていたことと同趣旨です。
  [ 補足 ] をきちんと読めば、哺乳類の分岐の数と爬虫類の分岐の数を比較する、という無茶はしないはずなんですが。

 なお、円形の分岐の図は、デタラメです。あれは忠実に系統を書いたものではなくて、デザインのために嘘八百を記したもの。
 その証拠に、円を逆時計回りにたどるほど、分岐の数が多くなるように、非対称になっています。実際には、ほぼ左右対称のピラミッド型になっている部分が多いはずなのに、なぜか右下がりの三角形になるような、偏ったデザインになっている。

 オマケに分岐の仕方が滅茶苦茶です。実際の系統図と比べれば、いかにデタラメな分岐になっているか、よくわかるはず。
Posted by 管理人 at 2010年09月19日 19:12
思い出すと、この件はすでに説明済みです。
 分岐の量というのは順序関係を示すもので、A,B,C というような順序を示すだけです。
 とすれば、哺乳類と爬虫類は、別の順序に属するので、両者を比較するのは、
  A,B,C
  い、ろ、は、
 を比較するようなものです。比較になりません。「ろ は ABC のなかで何番目か」と質問するようなものです。
 こちらの説明をちゃんと読んでいれば、馬鹿げた質問はしないで済むはずです。
Posted by 管理人 at 2010年09月19日 20:52
ご返信ありがとうございます。

>哺乳類や鳥類は、爬虫類から、大きく分岐しました。この大きな分岐の回数1が、哺乳類や鳥類にはあり、爬虫類にはありません。その意味で、哺乳類や鳥類は爬虫類よりは上です。

系統樹と一緒に書いてあったので誤解していたようです。
すみません。

>実際には、ほぼ左右対称のピラミッド型になっている部分が多いはずなのに、なぜか右下がりの三角形になるような、偏ったデザインになっている。

これは、系統樹を作成する際に外群を指定する以上、仕方がないでしょう。

>オマケに分岐の仕方が滅茶苦茶です。実際の系統図と比べれば、いかにデタラメな分岐になっているか、よくわかるはず。

この記事内には相当昔のヘッケル系統樹と類人猿に限った系統樹しか載せられていません。
円形の系統樹と比較可能な『実際の系統図』を載せずに『デタラメな分岐』とするのは科学的な態度とは言えないうえ、作成者への礼を失しています。
Posted by k at 2010年09月23日 13:24

> これは、系統樹を作成する際に外群を指定する以上、仕方がないでしょう。

まさか。ほぼ左右対称に書けますよ。高校野球のトーナメントみたいに。

> この記事内には相当昔のヘッケル系統樹と類人猿に限った系統樹しか載せられていません。

 記事はともかく、円形の図は、類人猿に限った図ではなくて、植物まで含む図です。人類の分岐の回数を見てもわかるはず。
 また、範囲がどれであれ、右下がりになっているのは、間違い。単に図をコピペしているだけでしょう。これは学術的な図ではなくて、ただのデザインです。失礼とか何とかいうより、デザインを見て学術的な意味を持つと勘違いするのが間違いだ、ということ。チキンラーメンのヒヨコのデザインを見て、それをヒヨコの写真だと勘違いするようなもの。デザインと真実とを間違うな、という意味。図を誤読するな、という意味。

 ──

 何か、日本語の初歩の指摘みたいですね。進化論がどうのこうのというより、日本語の読解力を高めてください。誤読ばかりがひどすぎる。

 読解力を高めて、ちゃんと日本語が読めるようになってから、また来てください。
Posted by 管理人 at 2010年09月23日 15:55
古い記事への質問で失礼いたします。

こちらのブログの進化関係の記事を、しばしば読ませていただいているのですが、形態的な進化の話が多く、内面的な進化については話題が少ないと感じています。
(※内面的な進化とは小進化と括られるものでなく、アンモニア排出系の変化、リグナン分解能、浸透圧管理系、光合成能のような劇的な変化についてイメージしています)

そこで質問なのですが、「進化していない」とされるアーキアでも、内面的にはダイナミックな変化が蓄積しているとは考えられないでしょうか。
アーキアは研究が進んでいないため、描ける系統樹も貧相ですが、ユニークかつ多彩な酵素を合成する生物であることを考えると、研究が進めば真核生物界並の豊かな系統樹が描ける(=進化していると言える)可能性があるのではないでしょうか。
また、このような内面的な変化に着目しますと、哺乳類もアンモニア排出系などのいくつかの面では爬虫類よりも原始的と見做せるように思えます。
よろしければ、このような内面的な変化に対する見解をお聞かせいただきたく思います。
Posted by Happy T.F. at 2010年10月18日 20:24
> 内面的な進化については話題が少ない

 おっしゃることはごもっともですが、内臓については化石が残らない(骨だけ)ということから、証拠が何もないので、推測にしかならないんです。

 化石からでも、ある程度のことはわかり、恐竜が肺でなく気嚢をもっていたということはわかります。しかしそれが大きな話題となるくらいですから、あくまで限定的でしょう。

 私としては、進化の基本原理(大進化)と、その証拠があればよく、その原理の上に立って内面的な進化について考えるのは、応用編だと思えます。まだまだそのような応用編に進む段階にはありません。とりあえずは、「恐竜から鳥へ」という最大の謎がテーマです。近く、完結編を書きます。
Posted by 管理人 at 2010年10月18日 20:38
例示がピンと来なかったのですが、よく考えると、
 「形態的な進化よりも、内面的な進化が大事だ」
 という発想は、私の発想そのものです。

 ただし、私の言う内面的な進化とは、「アンモニア排出系の変化」というようなもの(これはこれで重要ですが)ではなくて、もっと根本的な大変化を意味します。一つの機能や内蔵ではなく、生物の基本構造全体を変えてしまうようなもの。
 その一例が「恒温性」です。これによって爬虫類と鳥類の基本構造は全面的に変更されてしまいました。(温度が違うと酵素反応が異なるから。)
 この「恒温性」がトサカや抱卵から推定できる、というのが、私の考えです。すでに説明したとおり。

 私としては、種レベルや目レベルの進化はあまり興味がなく、綱レベルの進化に興味があります。その意味では、内面的な進化は、常に念頭にあります。いちいち書いてないだけで。

 ──

 古細菌については、私は論じるつもりがありません。前にも述べたとおり、それは「生物」というよりは「半生物」であり、「生命とは何か?」を考える私の考察の対象外だからです。

 ──

 以上の話でわからない点があれば、該当の用語をサイト内検索してください。
Posted by 管理人 at 2010年10月18日 23:17
解説ありがとうございます。
セキツイ動物門以外の進化の捉え方について、知りたく質問したのですが、分かりにくい文章で失礼いたしました。

お手数ですが、もう一点お聞きしてもよろしいでしょうか。
アーキアが「半生物」であるという見方ですが、初めて聞きました。
アーキアの細胞構造の複雑性のレベルは、真性細菌程度ですし、主流派の説によれば真性細菌よりも真核生物に近縁とされるドメインです。
(過去にアーキアに言及したエントリを探して読みましたが、なぜ半生物と見做すか言及されていませんでした。)
真性細菌も含め、核構造をもたない生物は全て半生物と見做しているということなのでしょうか。
もしそういう意味でないのなら、とても興味深く思いますので、ぜひ解説をお願いします。
Posted by Happy T.F. at 2010年10月19日 19:38
最後の1行にちゃんと示してあるでしょ。
 さもなくば、せめてぐぐれば。

 イエローカード1枚です。2枚で退場です。
Posted by 管理人 at 2010年10月19日 20:25
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