2010年09月05日

◆ 人は猿に進化するか?(進化のレベル)

 人は進化して猿になることはあるだろうか?
 「進化は環境への適応だ」という説に従えば、人が森林に適応することで、人が猿になることはあるはずだ。しかし…… ──

 本項で最初に示すのは、三段論法である。

       (1) 進化は環境への適応だ
       (2) 人が森林に適応する
      ────────────
       ∴ 人は森林で猿に進化する


 これは、論理としては、完全に正しい。ただし、結論部( ∴ )が正しいかどうかは、判明していない。(1)(2) のいずれかが正しくなければ、結論部も正しくない。
 では、実際には、どうか? 

 ──

 この問題は、実際に検証することができる。次の項目で述べたとおり。
  → ホモ・フロレシエンシス

 ホモ・フロレシエンシスは、脳容量は 380cc程度であり、チンパンジーよりも小さな脳しかもたない。猿人以下とも言える。しかしながら、かなり高度な(原人レベルの)文化をもっていた。小さな脳なのに、高度な文化をもてた。それは、なぜか?

 ここでは、私の仮説として、次のように推定した。
  ・ ホモ・フロレシエンシスはまったくの新種ではない。
  ・ 原人の一種だが、環境への適応で、成長を止めた。
  ・ 脳容量は縮小しているわけではない。成長しないだけだ。


 問題は、なぜ成長しないかだ。それについては「環境への適応」で説明される。次の通りだ。
 「人類は、森林に進出すれば、森林に適応した形に進化する。特に、体が小形化する。体が小さい子供は、木の枝の上などを自由に動けるが、体の大きな大人は、とてもそうはできない」


 ──

 以上は、前出項目で記したとおりだ。ここで、改めて話をまとめれば、次の通り。
 「人類は、森林という環境に進出すれば、森林という環境に適応した形に進化する。特に、体が小形化する。ただし、猿になるわけではなくて、人類のまま体が小形化するだけだ」


 これと似たことは、次の二つの例でも示せる。
 「クジラの場合、陸地にいる哺乳類が、水中に適応することで、魚に似た形になる。しかし、魚になるわけではなく、魚形の哺乳類になるだけだ」
 「魚竜の場合、陸地にいる爬虫類が、水中に適応することで、魚に似た形になる。しかし、魚になるわけではなく、魚形の爬虫類になるだけだ」

 
 これと同じことが、原人の場合にも起こった。
 「ホモ・フロレシエンシスの場合、地上にいる原人が、樹上に適応することで、猿に似たサイズになる。しかし、猿になるわけではなく、猿サイズの原人になるだけだ」

( ※ 人間と猿の形は大差ないから、サイズが小さくなるだけで、人間は樹上生活ができる。実際、2歳ぐらいの小さな子供は、樹上を軽々と動ける。)

 ──
 
 以上のことを原理で示すと、次の図のようになる。

evo-level.gif

 つまり、進化の過程は  ⊂  のような図になる。(下から上へ)

 元の領域から、別の領域に移り、進化する。
 その後、元の領域に戻る。
 その際、元の進化のレベル(低レベル)に戻るのではなくて、新たな進化のレベル(高レベル)のまま、元の環境に適応する。
 つまり、同じ環境に適応するとしても、進化のレベルには違いがある。[ 重要! ]

 実際、次のように、レベルの差が生じる。

   ・ 魚類 / 哺乳類   (クジラの場合)
   ・ 魚類 / 爬虫類   ( 魚竜 の場合)
   ・ 猿  /  原人
  (ホモ・フロレシエンシスの場合)

  ──────────────────

 ここで、話を整理しよう。

 人は進化して猿になることはあるだろうか?
 「進化は環境への適応だ」という説に従えば、人が森林に適応することで、人が猿になることはあるはずだ。

 しかし、上記のように、人が猿になることは現実にはありえない。猿に似た人類になることはあっても、猿に戻ることはない。
 つまり、いったん進化した種が、元の種に戻ることはない。(進化の不可逆性。)
 
 では、それは、どうしてか? ここでは、
     「進化は環境への適応だ」という説に従えば、

 という条件が成立していないのだ。つまり、
      「進化は環境への適応
 というのは間違いであり、正しくは、
      「進化は環境への適応だけではない
 となる。では、環境への適応以外に何があるかと言えば、
      「進化のレベルが上がること」

 だ。

 つまり、進化とは、単に環境に適応することだけでなく、進化のレベルが上がることを意味する。[ 重要! ]

 ──

 一般に、進化の過程では、遺伝子の数が増えていく。それがすなわち、進化である。
 遺伝子の数がそのまま進化のレベルを示すわけではないが、同一系統で調べる限り、遺伝子数が多い方が、進化した種であると言える。
(たとえば、原猿類よりは、類人猿の方が、進化した種である。一方、チンパンジーと人間とは、遺伝子の差が1%程度しかない(遺伝子の差はもっと少ない)ので、ここでは人間の方が進化しているとは必ずしも言えない。)

 ──

 ともあれ、このようにして、「進化のレベル」というものが認識できる。このように「進化のレベル」が上がることが、進化の本質である。
 その一方、手足が長くなるとか、手足が翼やヒレになるとか、そういう形態的な変化は、進化の本質ではない
 その一方、形態的な変化は、環境への適応と不即不離である。

 以上のことから、次のように言える。
 「進化の本質は、環境への適応ではない」
 [ 重要! ]

 たとえば、魚類の進化の歴史では、いずれも「海中」という場で適応してきた。しかしながら、環境はほぼ同一でも、魚類の進化の歴史は非常に大幅であった。両生類から哺乳類までの進化の大きさに比べても、初期の魚類から後期の硬骨魚類までの進化の大きさの方が、はるかに大きい。同一環境であっても、大きな進化が起こるのだ。
 その一方で、陸上の哺乳類から、水中の哺乳類への進化は、たいして大きな進化ではない。手足がヒレになったということのほかには、あまり目立つような進化は起こらなかった。アザラシやアシカを、猫科の動物と比べても、特に目立つほどの進化は起こっていない。

 よりはっきり言えば、次のように言える。
 「進化の本質は、遺伝子の変異の蓄積である。それが大きいかどうかが本質的だ。形態的に目立つかどうかは、あまり本質的でない」


 遺伝子主義に則れば、以上のように結論できる。これによって、 
 「進化とは環境への適応だ」
 という古臭い学説を否定できる。

 そしてまた、次の学説も否定できる。
 「進化には、上下のレベルの差はない。高等動物や下等動物というレベルの差はない。どれも同じように進化した生物だ」

 これは、ダーウィン主義そのものの発想だが、遺伝子主義の現代進化論の目からすれば、もはや時代遅れの発想なのだ。進化の本質は、器官の形態の変化ではなく、遺伝子の変化だからだ。
    


 【 関連項目 】
 
 → 下等生物/高等生物
 → 進化の本質
 → 進化の不可逆性
 → ホモ・フロレシエンシス
posted by 管理人 at 19:51| Comment(2) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
戦車不要論から飛んできました。
情報源が無い、もしくは不適当のは目をつぶるとして、
何故わざわざ記事の最後で特定の人を罵倒するようなことを書くのか理解できません。
宜しければ見解をください。
前置きが長くなりましたが遺伝子の複雑さ、多さは必ずしも生存に有利とは限らないと思います。
確かに生物は高等になるほど良い遺伝子を残す仕組みが発達しています。
しかしどんなに良い遺伝子が残せても絶滅してしまっては意味がありません。
種類として生き残りやすくなるのが進化ならば、
どんな環境にも適応していく能力を得たり、生存率を高めるのも進化だと思いますが、下等生物のように兎に角繁殖し、良い個体だけを生存競争というふるいにかけて残すというのも進化の一つの方向性だと思います。
つまり単純でも増殖力が高ければ種の生存率は上がるのです。
例えばゴキブリは必ずしも遺伝子が複雑ではありませんが殺虫剤等に大して驚異的な速度で耐性を持っています。
これはゴキブリが意図的に適応したのではなく、
ただ単に殺虫剤で死なない個体が残ったというだけです。
ゴキブリは人間の作った環境に即座に適応したのに対して、人間自身が自分達の作った環境に適応出来ていない(アレルギーの発生や生活習慣病などが示しています。)ことから、必ずしも遺伝子の質や量は適応のスピードを早めるとは言えないと思います。それどころか死亡率が減ることによってキラー遺伝子の脅威にも晒されることになります。
形状の変化だけが進化ではないと思いますが、
質の向上だけが進化でも決してないと思います。
また、たとえ間違っていたとしても生物についての認識を飛躍的に向上させたダーウィンなどの学者を「時代遅れ」で片づけるのは良くないことだと思います。
現代進化論やら遺伝子主義(DNAで生物の全てが決まるというのももう時代遅れですがね)やらもダーウィンの進化論の発展形のはずです。
創始者に敬意を払わずに安易に語ることは良識有る人のやることだとは思いません。
人をいらつかせるのが目的でないなら返事をください。お願いします。
Posted by asshole at 2010年09月07日 13:42
> 何故わざわざ記事の最後で特定の人を罵倒する

 人を罵倒してはいませんよ。「その学説が古臭い」と述べたところで、特定の誰かを罵倒したことにはなりません。その学説を神のごとく信じている人々の被害妄想でしょう。

例。「小沢なんか嫌いだ」という声を聞いて、小沢を支持する人々が「どうしておれのことを罵倒するんだ!」と文句を言う。……ただの被害妄想。(幻聴の一種です。精神科を受診することをお勧めします。)

> 遺伝子の複雑さ、多さは必ずしも生存に有利とは限らないと思います。

 当り前でしょ。誰もそんなことは言っていません。
 あなたの発想は
   進化 = 生存度が高いこと
 という「小進化説」に基づいた発想ですが、その説自体が間違いです。      進化 ≠ 生存度が高いこと
 というのは、歴史上にたくさん見られます。進化したあげく、絶滅した種は、ものすごくたくさんあります。このことからも、
   進化 = 生存度が高いこと
 という学説は否定されるでしょう。
 最近であれ、ゴキブリであれ、生存度はとても高いけれど、そのことをもって「進化している」とは言えません。

   進化 = 生存度が高いこと
 という「小進化説」は間違いなので、いい加減、捨てましょう。あなたのように、数が増えることのみを「進化」と見なしていると、「細菌こそ最も進化した生物だ」ということになります。進化という概念自体が崩壊します。……その趣旨の話は何度も述べたので、別項を参照してください。

> 創始者に敬意を払わずに安易に語ることは良識有る人のやることだとは思いません。

 誤読。ダーウィンは立派だと思いますし、侮辱しているわけでもありません。
 私が批判しているのは、「ダーウィン説は完璧であり、それを抜本的に発展させる必要はない」という狂信的な信者です。どんな学説だって、時間のなかで少しずつ進歩していきます。
 ダーウィン説は、小進化説ですが、それで進化のすべてを説明するのは、限界があります。その限界を指摘したからといって、それを聞いて苛つくとしたら、頭が固すぎるだけ。

 ダーウィンの絶対的な功績は、「進化」という概念自体を確立したことです。これは実にすばらしいことです。
 しかし、「進化」の事実を説明する「小進化説」(仮説)は、まったくの間違いです。小進化がいくら蓄積しても、大進化にはなりません。

 この二つの点をきちんと区別しないと、科学者にはなれず、「進化教」という宗教を信じることになります。
 ダーウィンの難点を指摘されたときに、「教祖を侮辱された!」と怒り狂うよりは、科学的に真偽を追求しようという態度を取ってください。 

 ──

 なお、繰り返しますが、進化することは、個体数が増えることではありません。進化したせいで絶滅した生物は、恐竜の例を挙げるまでもなく、たくさんあります。
 進化することと、個体数が増えることは、別の概念です。両者にはとても強い関連性がありますが、同等ではありません。不一致の例はたくさんあります。

 ※ 適応度が上がるというのは、短期的に同一環境で個体数が増えること。しかしながら、長期的には環境が変化するから、適応度の上がった個体が長期的には数を減らしたり絶滅したりすることは、しばしば起こる。
 ※ それでも、進化の過程では、常に遺伝子数が増えていく。つまり、進化の逆行はありえない。これが本項の主題。ここを理解しないで、話のわき道で文句を言わないでください。小進化説の妥当性について論じたければ、別項で。
Posted by 管理人 at 2010年09月07日 19:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ