田舎暮らしに憧れて、実際に田舎(長野県北部)で生活をした人々のレポート。以下、引用。
北欧風の邸宅は一昨年に完成した。贅沢なベルギー調の家具が並ぶサロンスペースには、石造りの暖炉があり、夜になって天井を見上げると、大きな天窓の外には満天の星空が広がる。誰もが羨む、理想のカントリーライフを満喫……かと思いきや、中村さんの表情は曇りがちだ。──
「田舎の虫がここまで凄まじいとは思いませんでした。冬以外は虫と格闘する毎日で、ひとときも休まる暇がありません」
特に夏ともなれば、カナブン、カメムシ、セミ、バッタ、カマキリ、蛾とありとあらゆる昆虫が、遠く北アルプス方面から、玄関灯を目指して大挙して押し寄せてくるという。
「田舎の虫は大きくて元気があって攻撃的なんです。つい最近も、体長 30cm はあろうかという巨大蛾が、鱗粉を撒き散らしながら狂ったように家の中を飛び回り、家族全員パニックになりました。あと、とにかく多いのが蟻と蜘蛛。夜中に寝苦しくて目を開けたら、僕の顔に、これまた体長 20cm くらいの巨大蜘蛛が這っていたんです」
毎朝、玄関先には足の踏み場もないほどの虫の死骸が散乱し、奥さんは掃除するたびに「こんな化け物屋敷だとは思わなかった」と小言を繰り返すという。
( → zakzak )
「エコはすばらしい」「自然はすばらしい」
と信じている人は多いが、そのあげく、
・ エコキャップ運動
・ ホメオパシー
というエコや自然尊重を標榜する詐欺に引っかかってしまう。
さらには、夫婦喧嘩に発展することもあるそうだ。
両親がエコキャップのことについて論議していると思ったら、気がついたら喧嘩に発展していた。エコキャップのせいで離婚……という事態が起こるかも。 (^^);
( → Twitter )
《 シミュレーション 》
夫と妻の会話。
「おまえ、エコキャップやっているんだって?」
「そうよ。素敵でしょ」
「やめとけよ。エコキャップなんて、ただの無駄だよ」
「え、あなた、エコを否定する気?」
「いや、エコを否定するわけじゃないが……」
「何よ。エコがイヤだってことは、エコをやるあたしもイヤだってことね」
「いや、そういうわけじゃないけどさ……」
「あなたもう、あたしのこと愛していないのね!」
「いや、そうじゃなくて、エコキャップは詐欺なんだから……」
「じゃ、あたしが詐欺をやっているっていうわけ?」
「いや、そうじゃなくてさ、エコキャップは詐欺なんだから……」
「何が詐欺よ。それより、あなたの方が詐欺でしょ。結婚するって言っていて、ちょっと逃げ出そうとしたくせに!」
「え? それを言うなら、きみだって詐欺だよ。処女のフリしてさ。引っかかっちまったよ」
「何それ。あなたこそ結婚前に、あちこちの女と寝たくせに!」
「いや、それは仕方ないだろ」
「何よ。もう。離婚してやる!」
夫婦は、割れ鍋に綴じ蓋なんだから、蓋ははずさない方がいいです。 (^^);
【 関連項目 】
エコキャップがらみの冗談で、「かぶるエコキャップ」というのもある。
→ 書評 ブログ 「かぶるエコキャップ」
しかし、「エコ・自然」とは何だろう。これが重要。
例えば、農業。これは或る意味では反自然の究極のスタイルだ。自然の状態では目的の作物が綺麗騒然と一定面積に生育することは無いのだ。雑草(即ち目的としない植物)も生え、病害虫=目的とする作物を害する物も当然生育する。これが自然=人間が手を加えない。人間が特定の意図を持って特定の植物を効率よく繁殖させる為に「自然」に挑戦するのが農業。農業は反自然なのだ。
虫が来る=或る意味で自然が残っている地域。木立に囲まれて夏での涼しいは本当だとしても自然の木立は涼しい環境に加え、「大きくて元気」な虫も居るのだ。
この、自然は人に優しいと無条件に思いこむ発想は非常に危険。
オーナーの指摘している通り、エコ・リサイクルと云えば許される状況も危険だ。エコキャップがリサイクルする為に諸経費を沢山注ぎ込みCO2もトータルでは沢山排出している現状を認識する必要がある。
因みにエコキャップをやるくらいなら直接ユニセフに寄付した方がエコですね。
金儲け目的又は嫌らしい目的を持った似非「エコ・自然」は糾弾する必要がある。