2010年08月21日

◆ ホメオパシーと医療忌避

 「ホメオパシーは医療忌避をするから悪だ」という批判がある。しかし、この批判はピンボケだ。医療忌避は、悪ではない。 ──

 医療忌避(自分自身への医療を忌避すること)は、悪ではない。これは、前項で述べたことと、同じ理由だ。他人に損害をもたらすことは悪だが、自分自身に損害をもたらすことは悪ではない。悪ではなく、愚行である。

 同様に、保護者が子供への医療をさせないこと(医療ネグレクト)も考えられるが、ホメオパシーの場合には、医療ネグレクトではない(ことが多い)。
 医療ネグレクトとは何かは、厚労省のページで説明されている。
(1) 子どもが医療行為を必要等する状態にある
(2) その医療行為をしない場合、子どもの生命・身体・精神に重大な被害が生じる可能性が高い(重大な被害とは、死亡、身体的後遺症、自傷、他害を意味する)
(3) その医療行為の有効性と成功率の高さがその時点の医療水準で認められている
(4)(該当する場合)子どもの状態に対して、保護者が要望する治療方法・対処方法の有効性が保障されていない
(5) 通常であれば理解できる方法と内容で子どもの状態と医療行為について保護者に説明がされている。
( → 医療ネグレクトの定義 - Google 検索
 このうち、最後の第5項が問題だ。通常、ホメオパシーの信者は、最初から現代医療を拒否している。つまり、保護者は医者にかからない。「医療を怠る」のではなく、最初から医療の外にいて、医療に近づこうとしないのだ。したがって、説明を聞くことさえもない。ゆえに、第5項に当てはまらない。
( ※ そうでなく、医者にかかってから、あえて医療を拒否することもあるが。)
 
 ──

 ここでは問題は、何なのか? 批判者は、次のように批判する。
  ・ 自分自身に医療を受けさせないことが悪だ。
  ・ 保護者が子供に医療を受けさせないことが悪だ。

 
 しかし、ホメオパシーをやっている本人は、悪をなそうとているのではなく、最善のことをなそうとしているのだ。ただし、最善だと思ったことが、実際には間違った行為となる。

 つまり、ここにあるのは、「」ではなく、「錯誤」なのだ。
 とすれば、批判者が
 「悪をなすな」
 と批判するのは、まったくのピンボケだ。むしろ、
 「錯誤をなすな」
 と語るべきだ。そして、それはつまり、
 「だまされるな」
 と語るということだ。

 ──

 ここまで考えれば、社会がなすべきこともわかる。
 社会がなすべきことは、現代医療を忌避している人々に向かって、
 「医療忌避は悪だ」
 「医療ネグレクトは悪だ」
 と非難することではない。

 社会はむしろ信者に、こう語るべきだ。
 「あなたが医療忌避や医療ネグレクトをしたがるのは、あなたがホメオパシー業者にだまされているからだ」


 では、いかにだまされているか? 次の形だ。
 「業者は、顧客に医療をさせないことで、病気状態を続けさせ、そのことでレメディを売り続けようとする」
 「それというのも、病気が治癒すると、レメディが売れなくなってしまうからだ」

 ( → ホメオパシーはトンデモか 3

 このように語ることで、「だまされるな」と訴えるべきだ。
 実は、ホメオパシーの信者は、医療を忌避しようとしているのではない。医療よりも、もっとすばらしいものをやろうとしているのだ。ただし、それは錯覚なのである。その錯覚をもたらしたのが、高額のレメディを継続的に売りつけようとするホメオパシー業者だ。

 ここでは信者に、「悪をなすな」といくら訴えても、何の効果もない。ホメオパシーを信じる人々は、少しも悪をなしているつもりはないからだ。「役立たずの現代医療よりも、もっとすばらしいことをなしている」というつもりだからだ。
 だからここでは、「だまされるな」ということが最大の助言なのである。それはつまり「夢から覚めよ」と語ることだ。
 その一方、夢のなかにいる人々に向かって、現実の世界から訴えても、夢から覚めない人々の心には、まったく届かない。
 むしろ、こう語るべきだ。
 「業者は、『すばらしい治療効果がありますよ』と嘘をついて、人々をたぶらかして、ゴミ同然のものを高値で売りつけようとする。」

 ──

 ホメオパシーの問題の核心は、無知ではなく、錯覚だ。ここでは、「真実を教える」という方針は無効であり、「夢から覚めよ」という方針が有効だ。

 そして、このことに気づかない限り、ホメオパシーの批判者もまた、夢を見続けていることになる。「科学はすばらしい」「科学は万能だ」「科学に任せればすべてはカタがつく」という科学信仰の宗教に。(科学教。)

 その意味では、どちらも五十歩百歩だ。
  ・ ホメオパシーを信じる人々が、エコ教に染まる。
  ・ ホメオパシーを批判する人々が、科学教に染まる。

 この両者は、ともに盲目的という点で、どちらもたいして違いはないのである。



 [ 付記1 ]
 たとえば、ホメオパシーにはまった母親について、次のように述べる人もいる。
“ この例は、子に必要な医療を受けさせない「医療ネグレクト」である。児童虐待だ。”

 しかしながら、この母親は、児童を虐待しているつもりはない。むしろ、児童のために最善のことをなしているつもりでいる。ここで「児童虐待をするな」と批判しても、母親は心を閉ざすだけだろう。もっと思いやりをもって、母親の心を察するべきだ。
 正しくは? ここにあるのは、「虐待」ではなく、「錯誤」なのである。
 ファウストの例で言えば、悪魔にたぶらかされたあげく、「葡萄の房を切ろう」と思って、たがいに相手の鼻を切ろうとすることだ。
 ここで、「相手の鼻を切るな」といくら述べても、無効である。むしろ、人々が夢から覚めるように、夢のなかで何かを語るべきだ。そして人々の夢のなかで何かを語るためには、人々を批判するのではなく、人々に優しくする必要がある。さもなくば、言葉は人々の心に届かない。
 
 [ 付記2 ]
 本項の趣旨を簡単に言えば、こうだ。
 (1) だました人が悪いのであり、だまされた人が悪いのではない。だました人を非難するのは妥当だが、だまされた人を非難するのは妥当ではない。
 (2) だまされた人には、「馬鹿者め」と非難するのでなく、「夢から覚めよ」と語るべきだ。そして、そのためには、連中がだまそうとしているのは金儲けのためだということを、赤裸々に暴露するべきだ。


 一方、「金儲けのためにだます」という基本原理を示さないでいる限り、それは真相を示していないのだから、だまされた人々の錯覚をほどく力はない。
  


 【 関連項目 】

 医療ネグレクトの問題は、後日、あらためて論じた。
  → ホメオパシーは医療ネグレクトか?


 科学教の問題については、次項 で示す。
posted by 管理人 at 17:13| Comment(0) | 医学・薬学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ