現代の子供は、ゲーム機やケータイから、離れられない。そのせいで、いろいろと弊害が出る。では、どうすれば、離れられるようになるか? ──
簡単に言えば、これは躾(しつけ)の問題だ。親がきちんと躾をすれば、子供はまともに育つ。親がまともに躾をしなければ、子供はスポイルされる。(甘やかされて駄目になる。)
スポイルされた子供の典型が、ゲーム機やケータイから離れられない子供だ。
星飛雄馬 や、矢吹丈(あしたのジョー)が、どういう環境で精神力を鍛えていったか、思い出してほしい。星一徹や丹下段平のようなスパルタ教育者もいたが、それ以前に、極貧の生活があった。そこでは、甘やかされるという余裕はなかった。
ひるがえって、現代の子供は、どうか? 私が見ている限り、たいていの子供は、赤ん坊のころから、オモチャ漬けである。たくさんのオモチャを与えられ、オモチャを大切にすることもなく、「欲しい」と言っては与えられ、「飽きた」と言っては捨ててしまう。
こういうふうに甘やかされた子供が、のちに、「ゲーム機が欲しいよ」「ケータイが欲しいよ」と泣きわめくのは、自明の理だ。親がそういうふうに子供を育ってしまったからだ。子供が「ゲーム機が欲しいよ」「ケータイが欲しいよ」と泣きわめくとしたら、そういう子供に育ててしまった親の責任だ。「子供が欲しいと言ったら、与えれば楽だ」と思って、それを愛情だと勘違いして、きちんと躾をすることをサボってきた。そのツケが、のちに来るわけだ。
( ※ 借金漬けの日本の財政と同じだ。先のことを考えずに、そのときだけを責任回避で過ごしているから、あとになって巨大なツケ払いを迫られる。)
──
親は、子供に対して、なさねばならないことがいくつかある。
・ 我慢・忍耐を教えること。
・ 礼儀を教えること。
・ 人を傷つけることに対して、傷つけられる痛みを教えること。
・ 人としての優しさを教えること。
これらのことを教えるには、言葉だけで教えても駄目だ。次のような肉体的なことも必要だ。
・ 肉体的な罰として、尻をぶつこと。
・ 子供を正座させて、長く諄々と説教すること。
・ 野外に出て自然体験をさせること。
このようなことは、別に、難しくはない。昔の親は、たいていやっていた。
しかし今の親は、そういう当然の躾をすることが、かなり稀だ。たいていは、甘やかすばかりだ。甘やかして、駄目にする。その典型が、ゲーム機漬けの子供たちだろう。
この意味では、躾の放棄をした親の世代も、責任は免れないだろう。
( ※ たとえ親は裕福でも、花形満みたいに、野球クラブで切磋琢磨すればいいのだが、そういうことをしない親が多いのが、現状だ。……そのせいで、オタクが大量生産されるのかも。)
[ 付記 ]
読売新聞(夕刊・1面 2010-08-13 )に、参考となる情報があった。
最近の幼児(3歳児)は、発達が正常でないことが多いという。やたらと大人びた面もあるが、子供らしい正常な発達がないという。
それというのも、子供同士の対話などの関係がないせいらしい。また、肉体的な発達も不十分であるらしい。
昔ならば、砂場遊びなどを通じて、子供同士で関係を結んだり、自分の肉体を使ったりして、子供として正常な発達がなされた。今では、子供は室内に閉じこもって、親と会話するだけなので、妙に頭でっかちになり、子供として正常な発達がなされないらしい。
子供が正常な発達をするには、子供らしい育ち方が必要だ。
( ※ 以上は、要約としては、ちょっと我田引水の面もある。正確な要約ではない。正確な話は、記事の原文を参照。)
なお、「室内で大型遊具を使えばいい」という発想を取ると、事故が起こってケガをしたりする。
→ アンパンマンの室内遊具で目に重傷
【 追記 】
書き落としたが、大切なことが、もう一つある。
「読書の大切さを親が教える。本を惜しみなく買って与える」
世の中には、外食代やオモチャ代には、千円以上の金を払うのに、書籍代のためとあれば、ブックオフの 100円さえも惜しむ、という親がけっこういる。
どうせなら、Amazon の古本でもいいから、子供に本をたくさん買ってあげてください。
子供時代の読書の大切さは、下記ページで。(内容はどちらも同じ。)
→ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html
(簡易 HTML 版)
→ http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/litera/empressa.htm
(正式版。印刷用。)
2010年08月10日
過去ログ
私は、自身がオタク化したのは、むしろオタク趣味を両親に受け入れて貰えなかったからだと思っています。
オタク趣味のきっかけは父親でした。アニメ好きは幼少の頃に連れていってもらった「風の谷のナウシカ」がきかっけですし、ゲーム好きは左手を骨折したときに「怪我をしていても遊べる」と買い与えられた2ボタンのゲームウォッチでした。
なのに、それらを「くだらないもの」と父親自身に否定されたのは、とてもショックでした。
好きな者を否定されるのは、子供にとっては自分の価値観を否定される事に等しい事です。
だから、私は自分の子供がゲームに親しむ事になれば
「面白いからこそ、時間を決めないと」
と教えるつもりです。
父親のように「そんなくだらない事をするな」と言うつもりはありません。
世のオタクの中には、自らの価値観を認めて貰えないがために殻に閉じこもってしまう人が少なくないのでは…と思っています。
オタク趣味を受け入れてもらって、「オタク趣味はすばらしい、どんどんやれ」と推奨されたら、オタク趣味はならなかった?
>「面白いからこそ、時間を決めないと」
> と教えるつもりです。
すると、「父親に時間を制限されたから、制限なく一日中やりたくなった」と言いそうです。
──
私が思うに、何かを禁じるだけでは駄目で、もっと楽しい世界があることを教えるのが一番だと思います。たとえば、缶蹴りとか、読書とか、音楽とか、恋愛とか。つまり、リア充にすればいい。そうすれば、ゲームなんか馬鹿馬鹿しくて、やる気にならなくなります。
ゲームというのは、基本的には、お釈迦様の手の上で遊ばれる存在です。遊んでいるつもりで、遊ばれている。……そのことを理解した子供は、ゲームなんか馬鹿馬鹿しくなって、自発的に離れていくでしょう。あえて制限しなくとも。
↑
上のことは、いいポイントですね。うまく見つけることができた!
参考となるご意見を、ありがとうございました。
ゲームに限らず、サッカーであれパチンコであれ、何だって面白いと思う人にとっては面白くて、馬鹿馬鹿しくなんてないんです。
(逆に「つまらない」と思ってやれば、何だってつまらないものでしょう)
むしろ「ゲームは面白いからこそ危ない」と言った方が、面白いと思っている人には効果的だと思います…これは個人的な実感でもあります。
実感がありますから、私自身、子供に積極的にゲームをやらせたいとは全然思っていません。
特に成長期には、目が悪くなる可能性が高くなりますし。
でも友達が遊んでいれば興味を持つかも知れませんし、甥はポケモンが大好き。
接する機会があれば、好きになる可能性が皆無とは言えません。
その時に、全否定して傷つけるよりは、共感した上で制限した方が良いのではないか…と私は思います。
「自分から止めるのが一番」という点では、私も同意権です。
そう仕向けるのに、否定よりも共感がいいのではないか、というのが私の意見です。
歴史を鑑みても、価値観を認めない相手とのやり取りは、ろくな事にならないので。
「面白いから危ない」、「遊んでいるつもりが遊ばれている」とのご意見は全くその通りだと思います。面白くなければ数千時間もやらないですね。
私は結局子供たちにやめさせることは出来ていないのですが、ゲームを勧めない理由を以下の3点にまとめて教えています。
1.いくら上手になっても人に感謝されない
2. 〃 人を感動させることが出来ない
3. 〃 何か作れるようにはならない
1はゲームが生き甲斐にならないと私は考えています。人の役に立たないと人生は悲しい。
2は管理人様も書いておられるように、リアルに生きていないと得られないものです。読書や映画、恋愛で涙を流すことはあっても可逆性のあるゲームでは出来ません。
3は身体性に関連してくると思います。ボタンを動かすだけでは何かを生産することは出来ません。まさに遊ばれているのだと思います。もしゲームが好きだから、と作る側に回ろうとすると、絵を描いたり世の中を調べたりプログラムを学んだり、頭と体をフルに使わないと創造は出来ません。
いつか子供たちも(昔の私のように)気が付いてくれたら良いと思っています。
今考えるとアホらしいですが、やりたいものはやりたいのです。
その後就職して親元を離れてから10年以上ゲーム尽くしでした。抑圧されたら反動があります。
ある程度発散させたほうが早いうちに気が済むんじゃないかと思っていて、自分の子供にはゲームさせてますが、ある程度やらせれば飽きちゃうんです。何度かソフトを変えて飽きてくればそのうち自分で悟るということを期待しています。
ゲームというものも人それぞれ趣味の世界なので、管理人さんのようにくだらないと。子供のときからそんなに興味も無い子も居れば、興味津々大好きな子もいます。
ゲームがいかに意味の無い事なのか早い段階で自分で納得させる方法なんて人それぞれ。取り上げて遮断したつもりでも今の時代、目につきますから無理です。
あと、友達付き合いの中でも切って離せないものです。
少なくとも、その3時間、ゲームをやらずに体力強化をしていたわけで、その3時間もゲームをやっているより、よほどまともでしょう。
> 今考えるとアホらしい
アホらしくないですよ。運動部ですから。
片道20キロの間、自然の風景を見たりして、それはすばらしいことだと思いますよ。
あなたの親は立派でした。
> ある程度やらせれば飽きちゃうんです。
つまり、何でもかんでもすぐに飽きちゃう、飽きっぽい子供になったようですね。根性なし。自転車で20キロなんて、絶対無理でしょう。軟弱な子供に育てましたね。かわいそうに。
甘やかして飽きっぽい子供に育てた典型かも。
> 飽きてくればそのうち自分で悟るということを期待しています。
飽きるまでやらせるというのは、満腹するまで食わせるというのと同じで、精神的な豚にします。ハングリー・スピリットや、谷底の獅子の逆。教育としては、最悪です。ゆとり教育と同類かも。
> 取り上げて遮断した
遮断は無理でしょう。
ただし、「得るためには多大な代償を強いられる」というふうにすれば、効果はあります。少なくとも、根性は付きます。それは将来、役に立つ。
私も子供のころはゲームをやりたいと思ったことは多いし、実際にやったことも多い。ただし、やっているときは熱中しても、やり終えると、いつもすごく虚しくなりましたね。「何でこんな下らないことをして時間をつぶしたのか」と反省するばかり。
ちょっと、アレのないアレに似ているかも。