何事であれ、さまざまな行動で、失敗することがある。では、失敗を避けるには? ──
失敗はしばしば起こる。仕事上の失敗は言うに及ばず、日常の些事でしばしば失敗することがある。
例。食品を切る、刻む、器に入れる、……など。
こうした失敗を避けるには、どうすればいいか?
──
逆に、失敗する方法は、こうだ。
「どうせ失敗しないさ、注意しておけば大丈夫さ、と思い込む」
こうして楽観して行動すると、思いもよらぬ不手際などが起こって、意に反した失敗が起こる。
これを反面教師とすれば、失敗に対して、うまい方法がわかる。
──
うまい方法がある。
「たぶん失敗するだろう」
と予想することだ。これによって失敗を回避できるわけではないが、次の対処をできる。
「失敗しても大丈夫なように、防護措置を取る」
つまり、失敗そのものを回避するのでなく、失敗による被害を防ぐ。
例。
インスタント・コーヒーを大瓶から小瓶に移す。「こぼさないように」と注意していれば大丈夫だ、と思っていると、(注意しても)予想外の不手際が起こって、こぼしてしまう。テーブル上に散乱させてしまう。ここで、「こぼさないように」と注意するよりは、「こぼしても大丈夫なように」と防護措置を取る方がいい。たとえば、下に紙や皿などを置いて、こぼれたコーヒーを受け止める。こうすれば、こぼれたコーヒーがテーブル上に散乱することもない。
このような発想は「フェイル・セーフ」と呼ばれる。「失敗しても大丈夫なように」という措置を取ることだ。よく知られた概念である。
その発想は、工業関係やサービス関係で用いられることが多い。しかし、それだけでなく、人生における一般的な原理とするといいだろう。
たとえば、人生の進路を決めるような場合にも、このような発想を取ると便利だ。
「この会社に就職すれば、きっと儲かるだろう」
と思うよりは、
「この会社に就職して、倒産や解雇される危険はないか? もしそうなったときにうまく逃げ出せるか?」
というような発想をするといい。
受験でなら、このような発想はしばしば取られる。いわゆる「滑り止め」だ。
逆に、「きっとうまく行くさ」と楽観するのは、競馬などのギャンブルに見られる。ギャンブルの好きな人は、要注意だ。
ともあれ、人生のさまざまな場面で、「フェイル・セーフ」の発想を取るといいだろう。その前提は、「人は失敗を避けられない」ということだ。常に失敗するというわけではないが、あらゆる失敗を完全に回避することはできない。千以上の行動を取れば、そのうちいくつかでは、予想外の出来事によって失敗することがある。
だから、「人は失敗を避けられない」と自覚した上で、「失敗の被害を減らす」という発想を取るといい。
( ※ 本項の標題は、「失敗しない方法」だから、「失敗の被害を減らす方法」を示すのでは、「看板に偽りあり」と言われそうだ。すみません。「失敗しない方法」という題名は、本項の内容ではなくて、話の取っかかりです。題名が内容の要約である必要はないので。……ごめんなさい。 (^^)ゞ )
[ 付記 ]
以上の趣旨は、確率的には、(被害の)「期待値を下げる」ということに相当する。
(被害の)確率を下げようとしても、確率をゼロにすることはできない。どうしても被害がときどき生じる。ただし、被害の規模を小さくすれば、被害の期待値は下がる。
例。被害の確率は 0.1% ぐらいあるが、被害が起こったときの損害額を、100万円から 10万円に下げる。
たとえば、地震対策では、地震の発生確率そのものは変えられないが、地震が起こったときの被害額を少なくする方法はある。
これは当り前だが、これと同じことを、人生のさまざまな場面で応用することができる。
例。大金がかかっているときは、注意力を最大化するために、小さな事柄はすべて無視する。「あっちもこっちも」とすべてに注意するのではなく、重要なことだけに集中する。……この場合は、1件の損害額は同じだが、注意力を最大化することで、被害の発生確率を下げる。(ここでも期待値の考え方は重要だ。AとBの期待値を考えて、被害の規模はAの方が大きいのであれば、Aの方に注意力を最大化することで、全体的な被害の期待値を下げる。)
【 参考 】
ついでに言うと、次のような教訓もある。
「迷ったら止まれ」
何らかの危険性にぶつかって、どうするべきか迷ったら、とりあえず、止まるといい。止まって、よく考えるといい。
逆に、いけないのは、次のことだ。
「迷ったら直進する」
これまでずっと直進してきたから、ちょっとぐらい危険性を感じても、そのままずっと直進する……というのが、普通の人の行動だ。しかし、こういうことをやっていると、たいていの場合は大丈夫でも、あるとき突然、大きな障害に正面衝突する。「大丈夫さ」と思ったあげく、大被害をこうむる。そして、そのあとで、「しまった、楽観しないで、止まっておけばよかった」と後悔する。
というわけで、
「迷ったら止まれ」
「迷ったら止まって、じっくり考えよ」
というのを、教訓としたい。
例。タイの暴動の取材で死亡したカメラマン。「たぶん大丈夫さ」と思って取材して、命を落とす。理由は防弾チョッキを付けなかったことだ。だが、どんなに重要な取材であっても、命を落とす危険があるならば、取材を避けるべきだ。「迷ったら止まれ」というポリシーをもてばよかったのだが、止まることができなかったせいで、命を落とした。
愚かというよりは、人間性として、ありがちだ。こういうふうに突っ走って、大きな危険にぶつかる、ということは、ありがちだ。他人事ではない。「あのカメラマンは注意が足りなかったんだ」なんて思っていると、自分もまた似たような失敗をするだろう。むしろ「自分も同じような失敗をしかねない」と思って、「迷ったら止まれ」というポリシーをもつべし。
( ※ しかし人間というものは、自分自身のことになると、楽観して注意力が散漫になることが多い。だからこの世界では事故というものが多発する。そのほとんどは、勝手な楽観が原因だ。……パロマの社長も、同様だろう。)
2010年05月07日
過去ログ
はっきり、言うと学校生活がうまくいっていません。どうすれば、失敗せずに楽しく学校生活をおくれますか?私は、中学3年なので、勉強のことでも悩んだりしています・・・。私は、頭が悪いので、テストの点数もいつも低くバカにされてばかりです。失敗するたびに、皆の目が気になってばかり。テストが返って来るたびに、どうせ点数悪しと諦めています。点数を見るたびに、どうしたらいいのか分からなくなります・・・。
死にたい と思うことがよくあります。
すみません。話が急に変わってしまって・・・。
こんな自分は、もう嫌だといつもいつも(毎日)思います。
こんな自分を抜け出すには、どしたらいいのでしょか・・・・・・?教えてください。
あなたが述べたのは「人生で失敗しない方法」です。全然違うことですが、回答は下記にあります。
→ http://j.mp/mXksqX http://j.mp/pRK9zj
要するに、失敗から学べばいいわけ。失敗しないことが大切なのではなく、失敗から学ぶことが大切。つまり成長することが大切。
イチローや松井などが成功しているのは、失敗しないからではなくて、失敗を糧としてただいな努力をしているからです。失敗を怖れている人は、決して成功しない。人生が空っぽになるだけ。
失敗と成功はセットです。失敗した人だけが成功できる。失敗を拒めば、人生が空っぽなニート(引きこもり)となります。
なお私は学歴的には最高レベルの経歴だったので、成功ばかりしていたと思えるかもしれませんが、その逆です。自分の欠点を最大限に罵倒してくれる師を求めたことが、最も有益でした。
→ http://openblog.meblog.biz/article/1404551.html
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「失敗するたびに、皆の目が気になってばかり。テストが返って来るたびに、どうせ点数悪しと諦めています。点数を見るたびに、どうしたらいいのか分からなくなります・・・。 死にたい と思うことがよくあります。 すみません。話が急に変わってしまって・・・。 こんな自分は、もう嫌だといつもいつも(毎日)思います。 こんな自分を抜け出すには、どしたらいいのでしょか・」
私は中学時代は常に学校でずば抜けた1位でしたが、同じような無能感に苛まれていました。井の中の蛙だとわきまえていましたから。
若いときは誰だって悩むんです。悩まないのは馬鹿だけです。馬鹿は成長しません。
結局は、つらさに耐える精神力だけ。それだけが問題。
ところで、点数が悪いということですが、あなたは本当は点数がいいでしょ? 90点ぐらいは取っているんじゃないの? さもなくば、本サイトに来るはずがない。(頭の悪い人は、本サイトを理解できません。)
アンパンマン様に少し言いたくなりまして・・・
>どうすれば、失敗せずに楽しく学校生活をおくれますか?
この質問には、私にはあなたの傲慢な心を感じます。「失敗」をしないで楽しさを得ようというのは無理です(管理人様と主旨が同じですみませんが)。寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じ、人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知ることができます。
人生というのは、決して平坦ではありません。アンパンマンさんは本当に不幸ですか?今の自分が本当に嫌ですか?
どんなに一生の多くが辛くても、一瞬の楽しさがあればそれだけで十分ではないでしょうか?
まず傲慢な心を捨ててみてはいかがでしょう。人間は強欲であるがゆえに、笑顔を求め、裕福を求め、健康を求め、結局は辛い人生を送るのです。
草々