つまり、日本では、臓器移植法があるにもかかわらず、その実効性がないのだ。では、どうするべきか?
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臓器移植法が前に成立し、7月にも施行される予定だ。にもかかわらず、日本の少女が外国に行って、臓器移植を受けようとする。
→ 読売新聞 (小6少女)
→ 毎日新聞 (中3少女)
つまり、臓器移植法があるだけでは駄目だ。法があっても、臓器がない。そのせいで実効性がなくなっている。
では、どうすればいいか?
※ 本項の「臓器」とは、死者の臓器のこと。死体腎。生体腎ではない。
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この件は、私が前に述べたことがある。
→ 病気腎移植
大事な話なので、以下に一部抜粋ししよう。
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実は、世間にある態度は、こうだ。──
「自分はドナーになって臓器を提供したくないが、他人がドナーになってくれるならその臓器をもらいたい」
二重基準。これがすべての根源である。
この問題を根本から解決するには、次の方針が適切だと思える。
「臓器移植に『賛成するか/反対するか』の意思を、各人ごとに登録させる。」
「賛成論者は、他人の臓器を受け取れるが、自分も臓器を提供することがある。反対論者は、自分の臓器を提供しないが、他人の臓器を受け取る権利もない」
つまり、賛成なら賛成、反対なら反対。そのどちらかを選ばせる。しかるに現状では、「受け取るときは賛成、与えるときは反対」である。
二重基準。
要するに、大切なのは、法ではなく、人々の意識である。
「自分はドナーになって臓器を提供したくないが、他人がドナーになってくれるならその臓器をもらいたい」
こんなことを思っているようでは、法だけがあっても駄目なのだ。
したがって、対策は、次のような運用基準を立てることだ。
「臓器移植を受ける権利は、生前に臓器の提供を確約した人を優先する」
この運用基準があれば、人々は生前に臓器の提供を確約するようになる。かくて臓器の提供が増える。(正確には、臓器の提供を拒否する家族が減る。)
《 注記 》
正確には、本人の意思はあまり重要でなく、家族の意思が重要となる。
(改正後の)臓器移植法では、本人の生前の意思があってもなくても、遺族の許諾が必要とされる。どのような許諾かは、細かな話になるので、下記の条文を参照。
→ 改正案
私としては、家族の意思よりも、本人の意思を重視するよう、法を改正した方がいいと思う。「家族がいやだといっても、本人がいいと確約している場合には、本人の意思を優先させる」というふうに。
また、家族に対しても、「本人がいいと言ったのに、家族が拒否した」という場合には、その家族に対して、将来的に臓器移植を認めない、というふうにペナルティを課すべきだろう。(当り前だ。)
このようにしないと、臓器提供の数はあまり増えないだろう。
とはいえ、現実にどうなるかは、まだはっきりとしないから、とりあえずは改正法の施行を見守った方がよさそうだ。改正法をさらに改正するべきかどうかは、即断しなくてもいいだろう。
とはいっても、そんな現状だから、移植の必要な少女は外国に行くわけだ。病気の進行は、法改正を待ってくれない。(かわいそ。)
※ 記事によると、少女は昨年末に「余命半年」と宣告されたそうだ。
【 後日記 】
関連サイトがある。
その後の展開については
→ 日本臓器移植ネットワーク | 臓器移植解説集
実際の件数については
→ 臓器提供数/移植数 - 臓器移植に関する提供件数と移植件数(2016年)
提供件数は9カ月で 72件。
移植件数は9カ月で 254件。
※ 一人の提供者から複数の移植が可能だから。
なお、この件数は十分だとは言えない。需給の釣り合いはまったく取れない。
また、白血球型の適応から、免疫抑制剤の使用も必要になりそうだ。
ただし、下記を参照。
→ 免疫抑制剤と臓器移植: Open ブログ