動物には、「共食い」という現象が見られる。これは、個体の数を減らすという点で、「遺伝子の数を減らす」という効果がある。
では、なぜ、わざわざ遺伝子の数を減らそうとするのか? 「遺伝子は自分の数を増やそうとして個体を操作する」という利己的遺伝子説の発想からすれば、これは不思議に思える。いったい、どうしてこういうことが起こるのか?
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共食いといっても、一通りでなく、いろいろとある。ただ、次のような共食いは、特に不思議でもあるまい。
・ 交尾のあとで、役立たずになったオスが食われる。(カマキリ)
・ 産卵のあとで、役立たずになった親が子に食われる。(鮭)
これらは、一種の廃物利用だから、特に不思議でもあるまい。また、共食いというよりは、片方向だけがある。
不思議に思えるのは、「同等のもの同士の共食い」である。「成長段階に見られる共食い」として分類される。Wikipedia から引用すると、下記の通り。
よくあるのがサイズ構造化された共食いである。すなわち大きな個体が小さな同種を食べるのである。この様な場合の共食いは全体の死亡率の8%(ベルディングジリス)から95%(トンボの幼虫)になるため、個体数へ大きな影響を与える要素となる。──
このサイズ構造化された共食いは野生の状態では様々な分類群でみられる。それにはタコ、コウモリ、カエル、魚類、オオトカゲ、サンショウウオ、ワニ、クモ、甲殻類、鳥類(フクロウ)、哺乳類、そしてトンボ、ゲンゴロウ、マツモムシ、アメンボ、コクヌストモドキ、トビケラといった多数の昆虫が含まれる。
では、なぜ、こういう現象が起こるのか? これについては、前に本サイトで、次のように述べた。
魚類は「共食い」ということを行なう。これは一見、残酷に見えるが、残酷ではない。ただの自然の営みにすぎない。──
広い海には、摂取エネルギー(つまり食料)は、広く分散している。人間ならば、他の完成した魚類を食ってしまえばいいが、稚魚はそういうわけには行かない。
そこで、「共食い」という方法を取る。広く分散した摂取エネルギー(植物プランクトン)を、それぞれの稚魚が食べてから、稚魚がたがいに共食いをすることで、他の稚魚の取ったエネルギーを効率的に摂取する。
こうして、数万もの稚魚の共食いのはてに、一匹か二匹かの稚魚が生き残る。ただし、その稚魚は、他の稚魚を食うことで、急激に大きく成長し、そのことで、あとは自力で海を回遊することができるようになる。
ちょっと見たところ、「合体ロボ」みたいな感じである。
( → エチゼンクラゲ対策)
これが共食いの本質であろう。特に、小型の魚類で顕著だ。小型の魚類は卵がとても小さいので、そうすること以外に、急激に成長することができないからだ。
前にどこかのテレビか何かで見たが、共食いを通じて、小さな魚類が急激に成長することができる。最初はミジンコみたいに小さかったのに、共食いをするうちに、あれよあれよと巨大化していく。白魚かメダカぐらいの大きさになるのかもしれない。
とにかく、ごく短期間に、体の大きさを何倍か何十倍かにするなんて、共食いをすること以外には、まず不可能であろう。
一方、大型の魚類だと、共食いの必要がないようだ。というのは、卵自体を大きくすることができるようになるからだ。たとえば、イクラみたいな大きな卵ならば、その卵から、かなり大きな個体となって生まれることができる。とすれば、特に大幅に共食いをする必要はないだろう。
この点は、両生類も同様だ。また、巨大な卵をもつ爬虫類も言わずもがな。
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以上から、共食いの本質がわかる。それは「個体の急激な成長」である。(もともと非常に小さな卵から産まれたから。)
そして、ここでは、第一目的は「生存」であり、そのために「成長」が必要となる。「生存」と「成長」は、(その種においては)一体化しているとも言える。「成長」をなした個体だけが「生存」できる。そして、「成長」をもたらすものが「共食い」だ。
ここでは、次のことは成立しない。
「遺伝子の増加が目的だ」
むしろ、次のことが成立する。
「個体の生存( or 成長)が目的だ」
つまり、「遺伝子の増加」よりも、「個体の生存・成長」こそが重要なのだ。そして、ここまで考えれば、共食いの意味もはっきりとする。
生物が共食いをするのは、不思議ではない。なぜなら、そもそも、「遺伝子の数を増やすこと」などは、どうでもいいことだからだ。生物にとって大切なのは、「生存」である。
生物の本質は、「生存」にある。生物の本質を「遺伝子の増加」と見なすのは、とんでもない間違いだ。……そのことが、「共食い」という現象からもわかる。
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そしてまた、以上のことは、次のことに似ている。
「進化の過程で、生物は個体数を減らすことで、進化をなしてきた。量的に数を減らすことで、質的に進化をなしてきた」
この件は、前に同様のことを述べた。( → ミツバチの教訓 5 (生物の目的) の (7) 増加と進化 )
生物は次々と進化していった。そして、その末にたどり着いたのは、「遺伝子を増やすこと」ではなく、「遺伝子を減らすこと」であった。もともとは細菌や原生動物のように大量の遺伝子があったのに、そういう生物であることをやめて、次々と進化していくことで、遺伝子の数をどんどん減らしていった。
なぜ? そのことで、生命の質を向上させることができたからだ。生物の目的は、第1に「生存」であり、第2に「成長」ないし「進化」である。個体としては「成長」、種としては「進化」。そのいずれも、「質の向上」を意味する。そして、その代償として、「量の減少」を受け入れた。そこでは同時に「遺伝子の減少」も起こった。
だから、進化の本質は、「遺伝子の増加」ではなく、「遺伝子の減少」なのである。
( ※ ここを逆に認識してしまったのが、利己的遺伝子説だ。)
《 注記 》
「質の向上」とは、「遺伝子の複雑化」とも言える。一つ一つの遺伝子座の塩基数も増えるし、一つの個体の遺伝子総数(人間では2万数千)も増える。このような「遺伝子の複雑化」こそが進化の本質だ。
→ 進化の本質
生物は進化の過程で、「遺伝子の複雑化」をなし遂げた。その半面で、遺伝子数(個体数)はどんどん減っていった。一般に、進化のレベルと、種の個体総数とは、ほぼ反比例する。(たとえば、同じ哺乳類で見ても、最も個体総数が多いのは、最もレベルの低い齧歯類やコウモリ類だ。)
[ 付記1 ]
ピンと来ない人のために、説明しておこう。次の区別をすればいい。
・ 小進化 …… 遺伝子の増加が原理
・ 大進化 …… 質の向上が原理
このように、二つの原理は、まったく異なる。
しかるに、「小進化」の原理を「大進化」に適用しようとすると、とんでもない混同や勘違いが起こる。それをなしたのが、ダーウィン以来の説だ。そこでは「小進化の蓄積」を「大進化」と見なしている。そこでは量の拡大が質の向上をもたらすという発想が取られる。比喩的に言えば、「子供がたくさん集まると大人になる」というような発想だ。
一方、両者を明白に区別せよ、というのが、私の立場だ。
( ※ 詳しくは、上記のリンク。また、次も少し参照。 → 増加の意味 )
[ 付記2 ]
小さな卵から産まれても、成長しないのであれば、共食いは必要ない。
たとえば、魚類よりも進化レベルの低い生物がそうだ。イソギンチャクみたいなものであれ、クラゲみたいなものであれ、体は大きくても、魚類ほど進化した複雑な肉体をもっていない。
魚類以前から魚類への進化の過程では、大切だったのは、「遺伝子の数の増加」ではなくて、「個体の質の向上」だったのである。そして、そのために、共食いという原理は一助となった。
( ※ とにかく、進化を考えるときには、「小進化」と「大進化」を区別する必要がある。なお通常、「進化」という言葉が意味するのは、「大進化」であって、「小進化」ではない。「小進化」は可逆的であるからだ。「小進化」は、進化というよりは、変異の一種であろう。)
[ 付記3 ]
以上で述べたのとはまったく別のタイプの「共食い」もある。それは、
「飢餓に瀕したとき、やむをえず(他のものでなく)仲間を食う」
というタイプのものだ。こういう共食いもあるが、あまりにも当たり前すぎるので、本項では論じなかった。
【 関連項目 】
→ ミツバチの教訓 1 (生物の原理)
本項と似た話題を「ハイリスク・ハイリターン」という概念で説明している。
遺伝子を増やす倍率は高くても、一挙に全滅する確率が高ければ、その戦略は有利ではない。むしろ、その逆(ローリスク・ローリターン)の方が有利である。
→ http://gigazine.net/news/20130506-7-animals-eat-own-kind/