2009年12月12日

◆"進化論を学校で教えるな"

 「進化論を学校で教えるな」という見解がある。(私の見解ではない。
 宗教的な信念で、「神が世界を創造したからだ」と考えて、そう主張する人々もいる。しかし、驚くなかれ、日本では「進化論を学校で教えない」という方針がすでに取られている ──
    ( ※ 本項の実際の掲載日は 2009-12-25 です。)


 アメリカでは「神が世界を創造したからだ」という宗教的な理由で、進化論を学校で教えることを禁じている州がある。
  → http://q.hatena.ne.jp/1082978291

 これを見て、「アメリカはトンデモだ!」と思う人もいるだろう。しかし、アメリカは日本よりもマシだ。なぜなら、アメリカには、進化論を教えるところも(少数ではあれ)いくらかはあるからだ。

 一方、日本では、進化論は教えられていない。
 こう聞いて、「そんな馬鹿な!」と思う人は、年を取った人だけだ。若者は違う。例の「ゆとり教育」の影響で、学校の「生物」という教科からは、進化の項目がばっさり切られた。必修科目には「進化」の項目はない。選択科目の一部にはちょっとだけ「進化」の項目が残っているが、それを選択する人はろくにいない。
 というわけで、日本の教育の場では、「進化論」は教えられていないのである。
 仮にあなたが宗教的な理屈で、「進化論を学校で教えるな」と主張したいのであれば、「その望みはすでに達成されています」と答えるしかないですね。

 詳しい話は、下記サイトを参照。
  → 「自然淘汰」という語を読めない生徒たち
  


 【 追記 】
 あとで調べ直したら、ゆとり教育の改定・廃止にともなって、今年(2009年度)から進化論は中学校(2年生)で教えられるようになったそうだ。
  → 解説ページ

 その意味で、現時点では、状況は改善されている。本項の記述(上記)は、かなり不正確であったようだ。
 ただし、ゆとり教育で教育を受けた世代(現在の中学3年生以上の若者たち)は、進化論を学ばないままとなる。この世代にとっては、本項の記述(上記)はそのまま該当する。

 ゆとり教育というのは、昭和時代の教育に比べて、理科の授業時間数が半分になっているそうだ。ろくに学んでいないのは、当然というべきか。
( ※ だから事業仕分けで「科学予算なんか、みんなカットしてしまえ」と蓮舫が喚いたりするのかも。)



 [ 付記 ]
 上のサイトにも示してあるが、次のことに注意。
 「自然淘汰」という語は、「自然選択」というごと、同義ではない。話の方向性が逆だ。
  ・ 「自然淘汰」 …… 劣者が排除される
  ・ 「自然選択」 …… 優者が生き残る (排除されない)


 白と黒が混在しているとして、「黒」に着目するのが「自然淘汰」であり、「白」に着目するのが「自然選択」である。(言葉と概念の問題。)

 英語の natural selection は、「白」に着目する方だが、日本語に訳されたときには、どういうわけか、「黒」に着目するようになってしまった。それが一般化している。
 最近は、英語にならって、「自然選択」という語(と概念)が用いられるようになってきたが、なかなか普及しない。というのは、本項で述べたとおり、「進化論」そのものが学校で教えられていないからだ。

 ま、この問題は、「どちらの語(概念)を使うか」という、言葉の使い方の問題だから、どっちでも構わない。正しいか間違いかというような問題ではない。
 とはいえ、次のように誤解してはならない。
 「自然淘汰」とは、「自然選択」のことだ。だから「自然淘汰」という語を「自然選択」と言い換えよ。
 こんなことは主張してはならない。これは「黒を白と言いくるめる」という誤解である。
 黒に着目してもいいし、白に着目してもいいが、黒と白とを同じだと見なしてはいけない。勘違いしないよう、ここで喚起しておく。
posted by 管理人 at 10:00| Comment(1) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
【 追記 】 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2009年12月26日 19:15
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