科学の分野についても、経済学の「投資と収益」という発想を取るといい。すると、物事を新たな観点から認識できる。新たな発想法。 ──
科学の分野では、事の成否を計るのに、最終的な結果だけを見ることが多い。しかし、最終的な結果だけでなく、そのために投入したものについても着目するといい。
これは経済学の「投資と収益」という発想と同じだ。
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経済的に言って、収益が大きいとしても、そのために必要な投資が大きいと、事業にはためらいが生じる。特に、リスクの大きい分野ではそうだ。
例として、宇宙開発がある。宇宙開発には、大きな実利がある。仮に、人類が宇宙開発をしていなかったなら、現代社会はきわめて貧しいものとなっただろう。
このように、宇宙開発は、現代社会にとって大きな便益をもたらした。しかし、宇宙開発の初期においては、それはとても民間にはできない投資だった。というのは、リスクが大きく、費用は巨額だったからだ。莫大な金をすべて失うかもしれないような事業は、民間には投資ができない。だからこそ、国が宇宙開発を担当した。
スパコンも同様である。米政府はスパコンに多額の金を投入した。というのは、スパコン開発は、民間だけに任せても、日本に負けてしまうこともあり、それでは国家の柱が揺らいでしまう、と思ったからだ。
このように、不確実で巨額になるというような分野(リスクの大きい分野)では、政府の投資が不可欠となる。「民間に任せればいい」という市場原理の発想では駄目なのだ。
( ※ 似た例に、GMの救済がある。これも、規模が巨大で、リスクが大きい。だから、民間任せにしては、うまくできない。しかし、民間にはうまくできないからといって、GMを破綻させれば、かえって社会の損害が大きくなる。)
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なお、スパコンに関して言えば、次のようになる。
スパコン開発は、宇宙開発やGM救済と同様で、リスクが大きい。ゆえに、民間に任せることは困難だ。しかし、民間に任せるのが困難だからといって、何もしないでいると、重要なことができなくなる。スパコン開発も、宇宙開発も、GM救済もそうだ。
実際には、米国政府は、いずれのためにも、巨額の金を出した。だから米国は、スパコン開発も、宇宙開発も、GM救済も、なしとげた。
その意味を理解しないで、「何でもかんでも市場原理に任せるのが最善だ」というふうに述べる発想は、経済学的に大切なものが欠けているのだ。
【 補説 】
このあと、キーボードの話を述べる。実は、本項で一番大事なのは、この話だ。(おまけふうに書く話の方が重要。)
キーボードの配列について論じよう。
キーボードの配列には、QWERTY 以外にも、Dvorak ,DvorakJP ,OEA などがある。このうち、特に、DvorakJP ,OEA の比較をしよう。(ただの Dvorak は、日本語にはまったく向いていないので、話の対象外。)
《 DvorakJP 対 OEA 》
「効果」を比較すると、両者は大差ない。(DvorakJPの方が少し上だが。)
「習得」を比較すると、大きな差がある。
・ OEA …… 習得は容易。( QWERTY よりも簡単。 → 体験者 )
・ DvorakJP …… 習得は困難。
※ DvorakJP は、拗音の入力が特殊な方法だ。( Y のかわりに H, N )
りゃ …… RHA
ぎゃ …… GNA
このような拗音の入力は、習得が難しい。初心者には無理。
ここで、「習得(が難しいこと)」と「効果(があること)」について、次のように認識できる。
・ 習得 …… 投資である。覚えるためにかける労力・時間。
・ 効果 …… 収益である。覚えたあとに入力が楽になる。
このような認識に基づいて、DvorakJP ,OEA の比較を比較すると、こう言える。
「どちらも収益はほぼ同じだが、OEA の方が投資はずっと少なくて済む」
ここから、結論は次のようになるだろう。
収益だけに着目すると、「わずかでも収益が上の DvorakJP の方がいい」と結論しそうだ。「こっちの方が高速入力できるぞ」と。
しかし、投資に着目すると、「覚えるのがずっと楽な OEA の方が導入しやすくて楽だ」と結論しそうだ。
その上で、次のように判断することになる。
・ 大量の文書を入力する人は、投資を増やしても、DvorakJP がいい。
・ 大多数の人は、莫大な投資をする手間がないから、OEA がいい。
このような判断をすることができる。「投資と収益」という概念に基づいて。
そして、こういう発想は、他の分野にも応用できる。だから、単に「どれだけ得をするか」という発想だけでなく、「どれだけの投資が必要か」という発想をするといいだろう。単なる損得だけでは、正しい結論は出せないのだ。
このような認識法は、さまざまな話題に適用できる。
( ※ 新たな発想法を示した。宇宙開発やスパコンだけじゃなくて、身近な話題で。)
[ 付記 ]
なぜ投資が多大なものは、収益が大きくても駄目なのか? それは、「機会の損失」という概念で理解される。
AとBとで、収益が同じでも、Aの方が投資が大きく、Bの方が投資が小さいとしよう。この場合、単純に収益だけを見れば、どちらも同じだ。しかし、Bの方は、投資が少ない。とすれば、その分、投資資金が余る。その投資資金を、別の分野に回すことができる。
キーボードの習得で言えば、OEA は習得が簡単だ。時間がかからない。その分、あまった時間を、ほかの作業に回すことができて、ほかの仕事がはかどる。
DvorakJP は、OEA よりも少しだけ収益が上だとしても、習得に多くの時間がかかるので、節約できた時間よりも、習得にかかる時間の方が、大きくなってしまう。それでは無駄だ。(習得中に、他の仕事ができなくなるから。)
このように、経済学的に物事を認識することで、新たな発想法とすることができる。「利益の多い方が有利だ」というような単純な市場原理主義では、このような発想はできない。注意。
【 関連サイト 】
→ OEA配列
→ DvorakJP
2009年12月02日
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