( ※ 前項の続き。特に読まなくてもよい。) ──
前出の「池田信夫の破壊主義」という項目に、次のコメントが来た。
池田さんは政府による関与を否定していただけです。民間資本によって赤字企業が再建されるなら、何も問題はありません。そこで、このコメントに、回答する。(なかなか興味深いコメントなので、1項を儲けて説明する。質問としては、よくできた質問だ。)
日産の再建はルノーが出資して行われたのだから、池田さんが当時ブログを持っていたとしても、反対しなかったでしょう。
GMの再建が偶然うまくいったからといって、それを一般化されては困ります。融資の判断を、政府が銀行よりもうまくやれるはずがありません。
政府の役割は、市場が健全に動くように、事前にルールを決めて、それを物理力をもって守らせることであり、そのつど、裁量的に行動することではありません。
──
> GMの再建が偶然うまくいったからといって、それを一般化されては困ります。
自説がハズレたときには「偶然でした」で済ませるのでは、公正ではない。再建がうまく行くことをちゃんと予測できるのがまともな経済学者である。
だいたい、昨年秋の大不況による売上げ4割減という状況が、永続するはずがない。いつかは市場は回復するのであり、とすれば、一時的に融資することで、再建は可能だ。
そもそも、大型車の分野では、ビッグスリーのライバルは存在しない。ビッグスリーの大部分(半数以上)が生き延びられるのは初めからわかっていたことだ。
> 融資の判断を、政府が銀行よりもうまくやれるはずがありません。
銀行の方がうまくやれるというが、現実に政府の方がうまくやってしまっている。「はずがない」という建前だけでは駄目。
そもそも、GM みたいに巨額の企業のリスクは、普通の銀行のリスクの範囲内にない。
米国の銀行の利ザヤは、5%〜10%の莫大な利ザヤだ。それだけの利ザヤが見込めなければ、危険な融資はしない。他社がつぶれようがどうなろうが、自分たちだけはうまく儲けたい、というのが米国金融界。吸血鬼みたいなもの。
彼らは確実に儲かるときには手を出すが、リスクが高ければ手を出さない。自分たちが手を出さないことで米国経済が破綻するとしても、それでも自分たちのリスク管理が優先だ。国家の破綻などはどうでもよく、自分たちの破綻こそを避けねばならない。
で、そういうエゴイズムに任せるとどうなるか、ということは、昨秋の金融危機と経済悪化が示しているとおり。
銀行なんてのは詐欺師の集団であり、詐欺師に任せれば万事うまく行くと信じるほど馬鹿なことはない。
> 政府の役割は、市場が健全に動くように、事前にルールを決めて、それを物理力をもって守らせることであり、そのつど、裁量的に行動することではありません。
そういうのを古典派経済学という。「普段は放置してもうまく行くから、常に放置すればいい」という発想だと、この世界では医者の存在は必要なくなる。(すべて免疫力に任せて、「医者の介入は有害」と主張することになる。エホバの会みたいなもの。)
そもそも、GMみたいにデカいと、市場の受け入れ許容量を超えてしまう。
比喩で言おう。たとえば、病院と患者の配分を、「市場できちんと任せる」といくら市場原理主義者が主張しても、豚インフルエンザ騒ぎで大量の軽症者が無意味に押し寄せたら、病院の受け入れ能力を越えて、パンクしてしまい、機能不全になる。
市場原理主義が成立するのは、「均衡点がある」という場合のみ。ところが、需要や供給がすごく変動すると、均衡点の存在する範囲を超えてしまって、破綻する。
そういう現実を理解できない人々が、「医療も市場原理に任せれば万事OK」と主張する。
市場原理主義というのは、数学的に言えば、「均衡点の範囲外」という「不均衡の理論」を理解できない、古い数学原理にとらわれている人々だ。そんな 19世紀的な発想にとらわれているから、現実を理解できなくなる。
( ※ なお、「裁量かルールか」という質問自体、馬鹿げた質問だ。大事なのは、「均衡時と不均衡時とがある」ということだ。そして、不均衡時には、不均衡時のルールを適用すればいい。不均衡時に均衡時のルールを適用するのは、裁量でもルールでもなく、ただの間違いだ。……そこのところをわかっていない経済学者が多すぎる。)
( ※ たとえると、病人には病人向けの処置をするべきだ。健康人向けのルールがあるときに、それを病人に適用するべきかどうかを考えて、「裁量かルールか」なんて考えるのは、医療というものを理解できていないだけだ。)
[ 付記1 ]
より一般的には、「流動性の罠」の数学モデルでも、説明できそうだ。
→ トリオモデル
これは、
「市場原理における均衡点の存在」
が成立しなくなる条件(つまりデフレの条件)……というのを、数学的に示している。
[ 付記2 ]
なお、トリオモデルにおける「不均衡」と、GMの破綻における「不均衡」とは、似て非なるものである。
トリオモデルでは、「下限直線」というものがある。これは価格における下限の存在だ。
GM の破綻では、需要における上限が存在する。このような上限も、不均衡をもたらすという点では、数学的にはほぼ同じだ。(均衡の範囲外、ということ。)
ただし、両者はまったく同じではなくて、対称的だ。
[ 付記3 ]
銀行が出資しないことには、別の理由もある。GMが巨大すぎるので、一社の出資できる範囲を超えてしまっている。これをまかなうには、多くの銀行がシンジケートを組むしかないが、そんなことでは、手間がかかりすぎるし、利幅も見込めない。
莫大な巨額をあっさりと融資できるのは、米国政府しかない。似た例で言えば、昔、銀行の「取り付け騒ぎ」が起こったとき、田中角栄が「無制限・無担保」で銀行に保証を与えたため、騒ぎは鎮静化した。
→ Wikipedia
ここでも、「市場に任せたままでいい」とか、「市場を閉鎖したら」とか、肝っ玉の小さいことを主張する人がいたが、肝っ玉の据わった田中角栄が(現実には不可能な)「無制限・無担保」を(嘘八百で)公言したために、世間は鎮静化したのである。
このとき池田信夫が大臣をしていたら、日本は破綻していただろう。
[ 付記4 ]
蛇足で一言。
> 日産の再建はルノーが出資して行われたのだから、池田さんが当時ブログを持っていたとしても、反対しなかったでしょう。
という件について。次の件はどうか?
トヨタ自動車も、発展は順風満帆だったわけではなく、1949年(昭和24年)からのいわゆる「ドッジライン」による金融引き締めの影響を受け、日本の産業界が瀕死の状態のなか、トヨタ自動車も経営難に陥り「年末資金の2億円の融資がなければ倒産する」事態に至りました。つまり、日銀が介入していなければ、トヨタは倒産していたはずだ。池田信夫が当時にいたら、きっと「トヨタを倒産させよ」と主張していたはずだ。
このときトヨタ自動車は日銀に2億円の融資を要請、日銀は300以上ある下請企業への波及を恐れ、金融機関をとりまとめ、ただちに融資を実行することを決定しました。
( → トヨタ自動車の歴史 )

タイムスタンプは 下記 ↓
その情報が事前に正しいとするなら、なぜ銀行は貸さなかったのでしょうか?5%どころではない、膨大な利子が取れるはずです。
>多くの銀行がシンジケートを組むしかないが
社債を発行するという手段があります。増資をしてもいい。それができないというのは、結局、「いずれは再建できる」という予想が、少なくとも、市場関係者を納得させるほど確実ではなかったということです。
また、政府が民間より賢明な投資ができるのなら、日本の財政投融資はこれほどの焦げ付きを出さず、政府債務も大きくはならなかったでしょう。
ちなみに、トヨタがつぶれていたとしても、別の自動車会社が取って代わっただけだと思います。昭和20年代には、多くの自動車会社がありました。
莫大な負債があるから、利益は生まれず、膨大な利子は得られない。
銀行が要求するのは多大な利益。政府が要求するのは0%の利益。
銀行は利益が目的であり、政府はGMの存続が目的。
> 社債を発行するという手段があります。増資をしてもいい。それができないというのは、結局、「いずれは再建できる」という予想が、少なくとも、市場関係者を納得させるほど確実ではなかったということです。
再建できても儲からなければ投資はしない。
> また、政府が民間より賢明な投資ができるのなら、日本の財政投融資はこれほどの焦げ付きを出さず、政府債務も大きくはならなかったでしょう。
例外としての一例(超巨大)にのみ当てはめた事例を、他のすべてに適用するのは、拡大解釈。理屈になっていない。
> ちなみに、トヨタがつぶれていたとしても、別の自動車会社が取って代わっただけだと思います。昭和20年代には、多くの自動車会社がありました。
当時はトヨタだけが不況だったのではなく、あらゆる企業がみんな倒産寸前だった。ドッジラインという言葉の意味はわかっている?
あなたの発想は、好況の状況には当てはまる。しかしそれを、不況の状況に当てはめるところが、拡大解釈。池田信夫と同じ。均衡と不均衡の区別ができていない。
──
以上の「不況」を「病気・流行病」と置き換えて考えてください。健康な状況と病気の状況は違う、という点に注意。
普通の健康な人は、放置しても十分に生きていけます。ところが風邪が流行して、多大な人々が風邪で寝込んでしまったとき、「高熱でも放置してしまえ」と言うべきか? それとも一時的には、他人(家族を含む)が手を差し伸べるべきか?
あなたの発想は「人は運悪く困った状況に陥ることがある」ということへの理解がない。そういう場合に「自助努力ですべて解決せよ」と言って放置して、困った人を見殺しにするのと同じ。
この世には、病気というものがあるように、不況というものもある。そういう場合に、「すべて自助努力で解決せよ、他者の助けは不要」というのは、大切なものを見失っていることになる。
なお、本日(日付は明日)の、泉の波立ちも参照。
つまり、市場原理だけで話を考えており、生産量の変動という概念が完全に欠落している。
こういう人を相手に話しても仕方ないので、以後は質問しないでください。返事のしようがない。微積分というものを知らない人に微積分の問題を質問されるのと同様。
景気の問題について知りたければ、少なくとも、マクロ経済学を学んでからにしてください。ミクロ経済学しか学んでいない人を相手に、景気について論議しても、時間の無駄になるだけ。そもそも、不均衡という概念さえ理解できていないのだから。
すでにGMはチャプター11の適用を受けて、負債は整理されたはずです。
>例外としての一例(超巨大)にのみ当てはめた事例を、他のすべてに適用するのは、拡大解釈。
GM救済が例外だというのなら、うまくいったのも例外ではないのでしょうか。個別企業救済の失敗事例なら、他にいくらでもあります。
>当時はトヨタだけが不況だったのではなく、あらゆる企業がみんな倒産寸前だった。
であるならば、個別救済は公平性の原則に反するでしょう。ある企業を救済して、別の企業を救済しないという基準はどこにあるのでしょうか。
合理的かつ明確な基準がないのに、個別に企業を救済すれば、政府は腐敗し(実際、昭和20年代には個別企業への補助金をめぐって汚職が多発した)、企業は市場より政府の顔色を伺うようになり、かえって経済成長は阻害されるでしょう。
私は、学部生レベルのマクロ経済学は知っておりますが、新古典派のマクロ経済学というのもあるんですよ。
> すでにGMはチャプター11の適用を受けて、負債は整理されたはずです。
それはそうですね。負債というのは私の勇み足。「企業体質がよくないから」と述べるべきでしたね。とにかく、利益を生まない体質であり、リスクばかりが高いのは確か。ハイリスク・ローリターン。
> ある企業を救済して、別の企業を救済しないという基準はどこにあるのでしょうか。
それがマクロ経済学が出る理由なんです。
小さな企業は倒産しても大勢に影響しないから、放置する。
GMみたいに大きな企業は、倒産すると、国全体のGDPが悪影響を受けて、国全体のマクロ的状況が左右される。
なお、GDPが悪化すると、政府の税収は減るし、失業者には莫大な失業手当を給付せざるを得なくなるし、法人税(固定資産税)や所得税は入らなくなる。GMを救済するための資金よりもはるかに大きな悪化が国全体で起こる。
ここでは国全体に波及する効果が大事。それを見ないで、個別のものだけを見るのが、ミクロ的な発想。
また、GMみたいに大きな企業は、銀行その他が変動やリスクを吸収できない。市場原理による調整ができないんです。市場原理が働かないから、政府がプレイヤーとして参加するしかない。
(これはミクロ的な発想。)
> 私は、学部生レベルのマクロ経済学は知っておりますが、新古典派のマクロ経済学というのもあるんですよ。
とりあえず、nando ブログの経済学カテゴリでも見直してください。
新古典派のマクロ経済学というのは、「ビッグミクロ」(国全体に対してミクロ経済学を適用したもの)であるにすぎず、マクロ経済学とは見なせません。そこには「所得と生産量」という関係が欠落しているので。
古典派(新古典派)の見解を取っているせいで、日本は20年も不況なんです。
新古典派が正しいのは、均衡時だけ。たとえば、インフレのとき。一方、デフレのときには、不均衡になるから、完全に破綻する。それがわからないのが池田信夫その他。
だいたい、池田信夫の理屈は、構造改革を唱えた小泉路線だ。とっくに破綻している。小泉路線のせいで日本の経済は急激に悪化した、という点を見失っている。一方、小泉路線では経済はどんどん悪化するだろう、というのは、私の予想したとおり。昔の「小泉の波立ち」でも読んでください。そうすればあなたの信じる学説がいかに間違いであるか、詳しく理解できるでしょう。
こんなところで枝葉末節の論議をしているより、本質的な核心がきちんと説明されていますよ。
どうせなら、こっちでも見てください。
http://books.meblog.biz/article/1989632.html
http://nando.seesaa.net/article/104470522.html
その他、nandoブログの経済カテゴリのあちこちを見てください。「市場原理」という言葉でサイト内検索するといいかも。
私が問題にしているのは、個別企業の救済を裁量的に決めてよいかどうかということです。これはマクロ経済学とは関係がない。
>GMみたいに大きな企業は、倒産すると、国全体のGDPが悪影響を受けて、国全体のマクロ的状況が左右される。
「巨大企業の倒産」はどの国でも何度も発生しましたが、救済した例もあれば、しなかった例もあります。
「今は非常時だから」というのなら、非常時であることを証明する必要があります。あるいは、事前にルールを作っておく。
ケインズ主義にハーヴェイロードの仮定が必要とされているように、政府は賢くありません。
「裁量かルールか」という質問自体、馬鹿げた質問だ。大事なのは、「均衡時と不均衡時とがある」ということだ。そして、不均衡時には、不均衡時のルールを適用すればいい。不均衡時に均衡時のルールを適用するのは、裁量でもルールでもなく、ただの間違いだ。
──
たとえると……
普通の人間は、健康だから放置すればいい。
病気の人間は、例外的だが、治療すればいい。
病気の人間を治療するのは、健康な人間に対する裁量でもルールでもない。病人を治すには病人を治すルールがある。
> 個別企業の救済を裁量的に決めてよいかどうかということです。
個別企業の救済なんか、誰も目的としていない。GMを救って上げたいなんて思っている人は、GM関係者以外、一人もいない。私の論点を徹底的に誤解して、自己流に解釈している。
GMを倒産させないのは、そのことで国民全体が利益を得るからです。GMのためにやっているんじゃない。国全体のマクロ的利益のためにやっているのに、あなたの発想にはその観点がまったく欠落している。
あなたの発想には個別企業の損得だけがあり、国全体の生産量というマクロ的な発想が徹頭徹尾、欠落している。ほとんど半側空間失認。自分では気づかないから、どうしようもないですね。
とにかく、「ミクロとマクロ」などの項目を読んでください。あなたの質問自体が誤った基盤の上に立った質問なので、質問自体が無意味。
だいたい、あなたの大好きな市場原理に従えば、不況時には大多数の企業が赤字になるのだから、大多数の企業が退出するべきでしょう? それで大多数の人間が失業して、大多数の人間が餓死して、人口がゼロ同然になれば、その時点で均衡状態が成立するから、それで目的は達成されたことになる。
これが小泉や池田信夫の路線。それがまさしく現実に取られた結果、日本の生産量は大幅に縮小した。ちょっとは現実を見てください。
「裁量かルールか」というような話題は、不況でないとき(均衡が成立するとき)にのみ成立する話題なんです。
そんなトンチンカンな話題は、本サイトではもともと扱っていません。それを扱いたければ、自分のブログで論じてください。
(1)GMの例を見る。
(2)それを裁量問題として解釈する
というのは、あなたの独自の認識。私はそんなことは論じていません。私の扱っていない問題にはお答えできません。
( 馬鹿馬鹿しくて、論じる気にすらなれない。)
──
どうしても問題への解決がほしければ、漢方薬を飲んでください。それ以外では、あなたの悩みは解決できないと思いますよ。
A校の生徒寮では、「自由と規律」という方針で運営されていた。「原則自由で、例外は規則」という形で明文化されていた。他の学校の旧式の寮では、ルールも何もなかった。A校は「うちは近代的だ」と自惚れていた。
あるときA校の生徒寮で、伝染病が発生した。そこで担当医は「患者を単独の病室に入れよ」と主張した。ところが寮長は反対した。「そんなルールはない。だいたい、一人だけ厚遇したら、収拾がつかなくなる。一人だけ特別扱いして厚遇するという論拠を示してくれ」。
担当医は呆れた。「患者のために厚遇しているんじゃない。寮の全員のために患者を隔離するんだ。意味がわからないのか?」。しかし寮長はあくまで「一人だけ特別扱いはできない」と言い張った。そのせいで伝染病が蔓延して、全員が伝染病に感染してしまった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009121900192
記事には「政府が税金を使ってGMを救済したことに疑問を抱く米国民は依然多い」ということだが、やはり素人にはなかなか理解できないようだ。池田信夫もそうだが。
政府が救済した場合、融資をしただけで、国家は全然損をしていない。
政府が救済しない場合、政府は失業手当を多額に払ったり、また、GMの不動産税や従業員の所得税など、多額の収入を失ったりする。莫大な損失をかかえる。
素人には、そういう違いがわからない。池田信夫もまた同じ。理念ばかりを唱えていて、現実の経済観念(損得勘定)が欠落しているのである。非科学的で感情主義と言ってもいい。
頭を働かせれば、損得は簡単にわかるのだが、「市場原理」という念仏を唱えたとたんに、頭が思考停止になるのである。