2009年10月15日

◆ 断続進化 (断続平衡説)

 ダーウィン説に従えば、進化は「小進化の蓄積」という形で起こるのだから、化石は連続的な変化を示すはずだ。しかし現実の化石は、断続的な進化を示す。理論が現実に矛盾する。 ──

 一般に、理論が現実に矛盾すれば、その理論は棄却される。これが科学というものだ。
 しかしながら進化論では、理論が現実に反しても、その理論は信奉されている。その意味で、現代の進化論は(ダーウィン説を取る限り)科学主義を取っていないことになる。
 このような「理論と現実の食い違い」を、本項で示す。

  《 注 》

 本項を読む前に、できれば次の項目を読んでおいてほしい。本項をいきなり読むと、話が詳しくなりすぎるので、理解しがたいかもしれない。
  → 進化は 変化か交替か
  

 理論と現実


 (1) 連続的な進化

 まず、理論を見よう。
 ダーウィン説(もしくは現代進化論の主流派)では、進化は「小進化の蓄積」という形で起こるはずだ。そして、「小進化の蓄積」は連続的(漸進的)であるはずだ。
 つまり、進化は次の図で示されることになる。(横軸は時間、縦軸は変異量)

stage1.gif

( ※ なぜ連続的になるかというと、突然変異の蓄積量は常に一定であるからだ。あるとき急に突然変異の量が極端に増えることはありえない。)


 (2) 断続的な進化(化石)

 次に、現実を見よう。
 化石を見ると、進化は「断続的な進化」という形で起こっている。これは、次の二点を意味する。
  ・ あるとき突発的に「旧種から新種へ」という跳躍が起こる。
  ・ いったん跳躍が起こったら、進化は長期にわたって停滞する。

 これは、次の図で示せる。

stage5.gif

 この図のようなことは、あらゆる化石に当てはまる。
( ※ 次のサイトの最後でも同様のことを説明している。 → 階段状の図
 

 (3) 断続的な進化(理論)

 以上からわかるように、(1)の理論と(2)の現実とは食い違う。とすれば、理論の方が間違っているはずだ。
 そこで、(1)の理論をやめて、別の理論を採ることにすればいい。それが「断続的な進化」という説だ。
 断続的な進化は、専門的には 「断続平衡説[注]という名称で、グールドなどによって唱えられた。
 その基本的なイメージは、次の形で示せる。

stage2.gif

 ただし、実際には、これは不正確だ。別に階段状になるわけではない。つまり、進化がピョコピョコと早まったり遅くなったりするわけではない。

 正しくは、次の図で示せる。

stage3.gif

 このうち、縦線の部分は、「大進化」に相当する。それは狭い範囲で急激に起こるがゆえに、化石には残らないのが普通である。(比喩的に言えば、犬の品種改良の過程で、その途中の変化は急激だから、その途中の変化の過程では犬の化石は残らない。)
 縦線の部分の化石は残らないのだから、この部分の縦線を削除しよう。すると、次のようになる。

stage4.gif

 このうち、第二段階の種については、たまたま化石が未発見であるとしよう。すると、第二段階の部分を削除して、次の図のようになる。

stage5.gif

 これは最初の図(化石の図)と同じだ。こうして、化石的事実を、理論的に示すことができた。

 新種と旧種の共存

 断続進化説では、次の著しい特徴がある。
 「新種と旧種が共存する時期があってもいい」

 このことを理解するために、先の図を再掲しよう。

stage4.gif

 この図から明らかなように、旧種と新種が共存している時期がいくらかある。そういう「共存」が可能なのだ。というか、「共存」があるのが普通なのだ。
 なぜかと言えば、旧種のなかで新種が誕生しても、そのとき、新種はまだ広い領域に拡散していないから、双方が共存できるわけだ。
 わかりやすい例では、「ネアンデルタール人とクロマニョン人の共存」という現象がある。(ネアンデルタール人は3万年ほど前まで存在した。)
 ただ、ネアンデルタール人は、クロマニョン人の直系の祖先ではない、という事実があるから、これは例としてはふさわしくないかもしれない。例としてもっとふさわしいのは、次の例だろう。
 「ホモ・エレクトスが、ホモ・ハビリスや、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ローデシエンシス)と共存した」

 このことは、次の図で示される。
   → 図1 (和文:国立科学博物館)
   → 図2 (英文: Wikipedia )

 これからわかるように、旧種と新種が共存する時期が、現実にあったのだ。そして、こういうことは、断続進化説では(上記のように)説明できるが、ダーウィン説では説明できない。
( ※ ダーウィン説では、自然淘汰によって全体が少しずつ変化していくのだから、旧種から新種へと全体がなだらかに変わることになる。当然、旧種と新種の共存などはありえない。旧種が滅びることで新種に変化する、というのが原理だからだ。)

 この点でも、「ダーウィン説は化石に一致しないが、断続進化説は化石に一致する」と言える。

 ※ この問題について、より詳しい話は、次の項目で例を示している。
    → ホモ・ハビリスの共存
  (ホモ・ハビリスとホモ・エレクトスがかなり長期にわたって共存した。)

 中間種が存在しない

 ダーウィン説への批判として、次の説もしばしば言われる。
 「ダーウィン説に従えば、中間種が存在するはずなのに、中間種が見つかっていない」

 これについて、ダーウィン説の側からは、次の反論が寄せられることもある。
 「存在しないわけじゃない。単に化石が見つかっていないだけだ」

 これはこれで、理屈としては成立するように見える。しかし実際には、それは「売り言葉に買い言葉」みたいなもので、意味をなさない。論点を逸らしているからだ。

 たとえば、次の図のような例があったとしよう。

stage5.gif

 これに中間種を加えて、次の図のようになったとしよう。

stage4.gif

 これで弁解になるか? ならない。これでもやはり、ほぼ階段状の進化になってしまっているからだ。つまり、これでもやはり、斜めの連続的な進化にはなっていない。
 だから、単に「中間種の存在」を示しただけではダメだ。むしろ、「種が存在しないこと」(連続的に進化すること)を示さなくてはならない。図で言えば、次の図の青線(斜めの線)だ。

stage6.gif

 しかしながら、このような連続的な進化を見せた例は、ひとつもない。化石の例は常に断続的な進化であり、青線のように連続的な進化を見せた例はひとつもないのだ。

 つまり、
 「中間種が存在しない」
 ということの本当の意味は
 「中間的なが存在しない」
 ということではなくて、
 「中間に存在するべき連続的な変化が見られない」
 ということだ。
 だから、それを否定するには、新たに真ん中あたりに別の種(中間種)を示せばいいのではない。「種」をなさないような連続的な進化を化石的に示す必要がある。そもそもそれがダーウィン説の発想だからだ。

 ダーウィン説では、空間的には、多様な種が存在してもいい。(分岐して複数の種ができてもいい。)
 しかし時間的には、旧種と新種の区別はあってはならない。進化は常に連続的でなくてはならない。それがダーウィン説の原理だ。
 しかしながら、現実の化石はそうはなっていない。すぐ上の青線のような変化は見出されないし、最初の図における大きな斜めの  のような変化も見出されていない。進化は常に(ほぼ)階段状なのである。
 これが、「中間種が存在しない」ということの意味だ。(正しくは、「連続的に進化する中間的なものが存在しない」ということ。)

( ※ 「中間種」という言葉自体が不適切だ、とも言える。「中間種がない」というかわりに、「中間過程がない」というふうに言うべきだろう。ダーウィン説は、時間的な意味での「種」という概念そのものを否定しているからだ。なだらかな変化の過程[青色の斜線]は、「中間種」と呼ぶより、「中間過程」と呼ぶべきなのだ。)
 
 具体的な例で言おう。
 馬の進化の過程では、中指がだんだん太く大きくなる、という進化の過程がある。その過程で、次の4つの種があったとしよう。
     A → B → C → D

 ここで、A と B が断裂していて、中間種がないとする。すると、
 「 A と B の中間種がまだ見つかっていないだけだ。A と B とは連続的に進化しているというのを否定できない」
 と弁解しても、無駄である。中間種が見つかるかどうかは関係ない。Aの化石がみな同等で、Bの化石がみな同等である、ということが問題なのだ。
 たとえば、次の化石が見つかる。
  A という種 …… a1 ,a2 ,a3 ,a4 ,a5
  B という種 …… b1 ,b2 ,b3 ,b4 ,b5

 ここでは、化石 a1 ,a2 ,a3 ,a4 ,a5 はいずれも同等で、連続的変化がない。また、b1 ,b2 ,b3 ,b4 ,b5 もいずれも同等で、連続的変化がない。つまり、(時間的に)種としての同一性を保つ。そのことが問題なのだ。(青い斜線ができていない、という意味。)
 そして、このことは、中間種が見つかるかどうかには影響されない。たとえ中間種が見つかっても、a1 ,a2 ,a3 ,a4 ,a5 に同等性があることは、否定されないからだ。そして、a1 ,a2 ,a3 ,a4 ,a5 が同等性を保っているという点で、連続的変化という説は否定されるのだ。
 しかも、それがいくつかの例外として成立するのでなく、あらゆる化石に当てはまる。たとえば、ネアンデルタール人の化石は、広い範囲にわたって多くの化石が見つかっているが、それらは時代も場所も異なるのに、(時間的な)種としての同一性を保つ。このようなことは、「連続的進化」とは明らかに矛盾する。
 こういうことが、あらゆる種において成立する。単に中間種が見つかるかどうかという問題ではないのだ。(時間的な)種としての同一性が問題なのだ。
 《 注記 》
 連続的進化という発想を取ると、「時間的に種としての同一性を取ることはない」というふうに見なされる。このことは重要なので、きちんと理解してほしい。
 たとえば、クロマニョン人という種が 20万年前に誕生したあと、時間的に種としての同一性を取ることはないはずだ。なぜなら連続的に進化し続けているからだ。
 同様のことは、ネアンデルタール人にも、ホモ・エレクトスにも成立するはずだ。そこには連続的な変化があるだけであり、それぞれを種として区別することすらできないはずなのだ。(川の「上流/中流/下流」を三区分するために、区分の線を特定の箇所に引くことはできない。それと同じように、「いつクロマニョン人が誕生したか」「いつネアンデルタール人が誕生したか」ということは、原理的にありえないはずなのだ。もともと区別の線が引けないのだから。)

danzoku.gif

 なお、「本当は連続的に進化しているが、たまたま形態的には変化が見られないだけだ」という弁明も考えられる。
 しかし、特定の形質についてなら、20万年もの間、たまたま変化しないこともあるかもしれない。だが、あらゆる形質がそろって、「ほとんど変化しないでいる」ということはありえないはずだ。ところが、現実には、ありえないはずのことが起こっている。つまり、あらゆる形質がそろって変化しないでいて、あるとき突然、あらゆる形質がそろって変化した。
 また、「たまたま形態的には変化が見られない」というのが正しいとしたら、そのあと、実際に形態的に変化が起こるときには、形質ごとに変化する時期がずれるはずだ。不ぞろいに。……たとえば、あるときには脳容量だけが増えて、あるときには身長だけが伸びて、あるときには足指だけがそろえられて、……というふうに、時期は不ぞろいになるはずだ。ところが、現実には、変化する時期はすべてだ同時だった。(その時期も特定される。たとえばクロマニョン人ならば約 20万年前。)
    
 要するに、進化というものは、「新種の発生」という形でのみ起こるのであり、「一つの種が少しずつ連続的に進化する」という形では起こらないのだ。

 変化量(形態と遺伝子)

 上の問題(中間的なものが存在しないという問題)を解決しようとして、次の弁明もなされる。
 「中間的なものが存在しないわけじゃない。実際には、遺伝子は連続的に変化しているのだが、たまたま形態だけが停滞しているだけだ」

 つまり、こうだ。
 「形態的には変化が断続的に見えても、遺伝子の変化量は連続的なのだ。だから、化石の進化は階段状でも、実際の進化は連続的なのである」

 これはこれで、一理ある。ただし、理論的には破綻している。

 第1に、「たまたまそうなった」というが、現実には常にそうなっている。上の弁明が成立するような例が、少数だけあったのならば、それは「たまたま例外的」と弁明できる。しかし現実には、そうではない。あらゆる進化において、形態は常に断続的である。なのに、「たまたま形態が停滞している」というのでは、弁明になっていない。
 
 第2に、形態だけでなく、あらゆる構造(あらゆる形質)について同様のことが当てはまる。たとえば、現生人類の場合であれ、ネアンデルタール人の場合であれ、形態だけが何十万年も停滞しているのではない。あらゆる構造や機能などがずっと停滞していて、進化しないのだ。そして、進化が起こるときには、すべての形態や機能がそろって跳躍するのだ。……こういうことは、「たまたま」というふうには説明されない。何らかの強い必然性が要請される。
( ※ たとえば、ホモ・ハビリスの上腕長だけが変化しないのならば、「たまたまその部分だけは変化がなかった」というふうに解釈することもできる。しかし、上腕長だけでなく、身体のあらゆる部位の大きさや形態や機能が、ずっと変化しないのであれば、「たまたまその部分だけは変化がなかった」という説明はできない。そしてまた、ホモ・ハビルスからホモ・エレクトスに移るときに、「たまたまあらゆる部分が変化した」という説明はできない。しかも、これと同じことが、あらゆる種に起こっている。もはやそこでは、「本当は少しずつ変化した」というような説は成立しない。)
( ※ たとえば、キリンで言うならば、「キリンの首が少しずつ長くなった」ということはありえない。一挙に変化することは無理だとしても、必ず、何段階かの段階に分かれているはずだ。「少しずつ長くなる」という連続的な変化は決してありえなかったはずだ。)

 第3に、これが肝心なのだが、「形態はほとんど変化しなくても、遺伝子はいっぱい変化している」という理屈は、現代の(最新の)進化論を知らない理屈だ。つまり、その理屈は、「中立説」を知らない理屈だ。このことは、次に詳しく述べよう。
( ※ 簡単に言えば、遺伝子が変化するというが、無意味な遺伝子がいくら変化しても、そのことは進化には影響しない。遺伝子の変化量と、進化の量とは、比例しない。)
 

 中立説との矛盾

 
 (1) 中立説

 木村資生は、中立説(中立進化説)を唱えた。これはダーウィン説を拡張するもので、次のことを主張する。
  ・ 大部分の突然変異は、有利でも不利でもない。(中立だ)
  ・ 中立的な遺伝子ほど突然変異の量が大きい。


 特に、後者が大事だ。有利な遺伝子ならば、そのまま固定される。不利な遺伝子ならば、排除される。したがって、有利な遺伝子は変異しないでそのままずっと残る。
 一方、有利でも不利でもない(中立な)遺伝子は、変異しても変異しなくてもどっちでもいい(自然淘汰に影響されない)のだから、好き勝手に変異が可能となる。それゆえ、変異の量は大きい。現実に見られる変異のほとんどは、中立的な変異だ。

 中立説の概念から、「分子時計」などの概念も生じた。逆に言えば、現代の進化論は、分子時計などの概念を用いることで、中立説に従っている。中立説はもはやはっきりと支持を得ている。

 (2) 無意味な突然変異の量

 中立説を取ることにしよう。すると、進化の変化量と、遺伝子の変化量とについて、次のように言える。
 「遺伝子には、種の形質に影響する遺伝子(有意義な遺伝子)と、種の形質に影響しない遺伝子(無意味な遺伝子)とに分かれる。有意義な遺伝子は変化しにくいが、無意味な遺伝子は変化しやすい。ここで、進化をもたらすのは、有意義な遺伝子の変化である。一方、無意味な遺伝子の変化は、進化をもたらさない」

 これは、簡単に言えば、次のように言える。
 「進化の変化量と、遺伝子の変化量とは、一致しない」


 つまり、遺伝子の突然変異がたくさんあるからといって、それは種レベルの進化を意味しない。(ゼロをいくらたくさん足してもゼロのままだ、ということ。)
 具体的に言おう。現生人類は、約 20万年前に誕生した。その後、20万年に渡って、突然変異を積み重ねてきた。しかし、その突然変異はすべて、無意味な突然変異だった。種そのものを変化させる(進化をもたらす)ような突然変異ではなかった。たとえば、皮膚の色とか、目の色とか、鼻の構造とか、髪の毛のタイプとか、……そういう突然変異はたくさん生じて、「亜種」としての「人種」をいくつか生み出した。しかしそれは、種を変える進化ではなかった。どうでもいいような変異はたくさん蓄積したが、種の根幹をなす進化はまったく起こらなかった。20万年前のクロマニョン人も、現代に人類も、基本的にはまったく同じ種である。20万年の間、有意義な形質の遺伝子は、まったく変わってこなかったのだ。変わったのは、進化にとって無意味な遺伝子だけだったのだ。

 こうしてわかるだろう。遺伝子の変異が時間的にどんどん大量に積み重なったからといって、そのことは「種が進化している」ことを意味しない。種の変化量と、遺伝子の変化量は、等価ではない。種を変化させるには、有意義な遺伝子を根本的に変える必要があるのだ。
 ゆえに、「形態は変化していなくても、遺伝子の変異はたくさんある」という弁明は、成立しない。無意味な遺伝子の変異がいくらたくさんあっても仕方ない。ゼロがいくらたくさんあっても仕方ない。進化をもたらすには、形態や構造を変化させる遺伝子(有意義な遺伝子)の変異がなくてはならない。しかるに実際には、有意義な遺伝子の変異は見出されず、無意味な遺伝子の変異があるばかりだ。
 先の弁明は、現代進化論の「中立説」というものを理解していないことから来る、浅薄な弁明である。もちろん、弁明としては成立しない。

( ※ 「有意義な遺伝子が変化しても形態が変化しないこともあるはずだぞ」という弁明もありそうだ。しかし、それは論理的に成立しない。なるほど、そういうことが例外的に起こる可能性もある。ところが、現実には、それは例外となっていない。旧種と新種の間には、例外的に一つか二つの形質が変化しないのではなく、あらゆる形質が変化しないのだ。先の青い斜線の例でいえば、青い斜線が見つからない形質が例外的にいくつか存在するのではなく、あらゆる形質で青い斜線が見つからないのだ。要するに、「たまたま青い斜線が見つからなかった」ということは、一つか二つの形質について言うならいいが、あらゆる形質について青い斜線が見つからなければ、「たまたま青い斜線が見つからなかった」という弁明は成立しないのだ。もちろん、「青い斜線なしに有意義な遺伝子は変化している」という説も成立しない。そもそも、そんなことを言い出したら、化石による進化の検証がすべて無意味になる。)
《 補足 》
 そもそも、実は、上のような弁明はもともと成立するはずがない。話を根本的に誤解しているからだ。
 上の弁明によれば、「連続進化が正しいのは、突然変異が常に連続的に起こっているからだ」ということになる。だが、そもそも、断続進化は、「あるとき急に莫大な突然変異が起こったことで生じる」というわけではない。「普段は突然変異が起こらなくて、何十万年かにいっぺん、ものすごく大量の突然変異が急激に起こった」ということではない。なのに、断続進化をそういうものだと勝手に誤解して、その誤解に基づいて自己を正当化するために、「連続的に突然変異が起こっている」と弁明している。
 そういう弁明は、相手の主張をてんで誤解していることによる。「自分は間違っていない」という主張をするために、相手の主張を勝手に誤読しているわけ。
 だから、中立説に反するような、弁明にもならない弁明をして、平気でいられるわけだ。

 まとめ

 以上のことをまとめると、次のようになる。
 ダーウィン説は、「小進化の蓄積による進化」を原理とした。しかしその原理は、現実には成立しない。なぜなら、化石と矛盾するからだ。化石は断続的な進化を示す。
 これに対して、次の弁明が出た。
 「化石は断続的な進化だとしても、それは化石における形態の進化が断続的なだけで、遺伝子の進化は連続的だ」
 と。しかしこれは、中立説を知らない半素人の理屈だ。進化とは、単に遺伝子の突然変異の量が蓄積することではない。進化とは、有意義な遺伝子の突然変異の量が蓄積することだ。単に、無意味な遺伝子の突然変異の量が蓄積しても、それは進化をもたらさない。
 ゆえに、上の弁明は成立しない。
 したがって、ダーウィン説が化石に矛盾する、という問題は、回避されない。ダーウィン説は、化石的な現実に矛盾するという意味で、科学ではないのだ。
 進化において科学と言えるのは、現実をきれいに説明する断続進化説だけだ。

  ────────────

 《 蛇足 》

 本当は、断続進化説は、科学と言えるほどではない。化石の進化について、図を書いて、図を見れば、子供でもわかる。
 「線がほぼ階段状に並んでいるな。つながった斜線じゃないな」
 ということは、子供でもわかる。そこいらの小学生にでも聞けばすぐにわかる。
 しかしながら、大人は目が曇っているので、見たままのことを信じられない。現実に段状に並んだ線を見ても、「いや、本当は連続した斜線なんだ」と思い込んでしまう。

stage7.gif
  ※ 緑の点と赤の点がある。素直に見れば、灰色の線を引くことができる。
   しかし、青色の線があると思い込んでいると、灰色の線を認識できない。

 先入観に凝り固まった大人は、自分が見たものを理解できない。
 まるで「裸の王様」だ。その通り。現代の進化論は、裸の王様となっている。「王様は裸だ!」と言うことができなくなっているのだ。……子供の素直さを失ったがゆえに。

 ──

 なお、階段状の図と同様のことは、次の図からもわかる。( Wikipedia から借用。)

danzoku-wiki.gif

 上側は、漸進的進化を示す。ダーウィン説に基づくもの。主流派の説。
 下側は、断続的進化を示す。断続平衡説に基づくもの。現実の化石も、これに従う。
( ※ なお、この図の全体を、右に 90度回転させると、本項で先に示した階段状の図と等価になる。)


 【 後日記 】
 
 本項で述べた見解について、具体的な証拠があるというふうに示しているサイトがある。その箇所を引用しよう。
 正確な化石の年代決定を行ってみると、生物の進化は急激に進み新種が誕生し、いったん誕生した新種は滅びるまでほとんど変化しないことが明らかになってきた。1960年代から化石になった生物が生きていた年代を正確に決定できる方法が開発されたことが、このことを明らかにした。
( → 自然選択による進化(総合説)に対する疑問
 というわけで、化石による事実は、「中間種が見つからないこと」ではなく、「一つの種が固定的であること」を証明している。
 階段で言えば、3段目と4段目の中間が存在しないことを証明しているのではなく、3段目と4段目が水平であること(斜面ではないこと)を証明している。(上述の「中間種が存在しない」という章で述べたとおり。)

 さらに言えば、「3段目と4段目の中間が欠けていること」でなく、「3段目と4段目は時期的にダブっている(重なっている)」ことを化石は示す。下記項目で例示したとおり。
  → ホモ・ハビリスの共存

 いずれにせよ、斜面状の進化(漸進的な進化)という説は否定される。ダーウィン流の「漸進的な進化」という説を否定する根拠は、「中間種が見つからない」ということだけではないのだ。もっと多くの化石的な事実が、「漸進的な進化」という説をはっきり否定している。
 


 [ 注 ]
 断続進化と、断続平衡説とは、厳密に言えば異なる。
 断続進化は、大進化の理論だ。それはひとつの種について「急激な大進化」と「緩慢な小進化」を主張する。
 断続平衡説は、急激な大進化については同じだが、その後に数百万年もの「停滞」を主張する。これはちょっと言いすぎだ。「形態の変化が少なかっただけだ」というふうに結論するだけで足りる。
 以上の点からして、「断続進化説」と「断続平衡説」を区別した方がいい。最終的な結論はよく似ているとしても、結論に至る過程はかなり異なる。

 [ 補足 ]
 「現実には停滞はない」という点をとらえて、「断続平衡説は間違い」と批判する人もいる。(ダーウィン説の立場。)
 確かに、この点では、断続平衡説は間違いだろう。ただし、だからといって、「急激な大進化」と「緩慢な小進化」まで否定されると思ったら、大間違いだ。それは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という理屈。論理の飛躍。……たしかに「超長期の停滞」は成立しないが、「ひとつの種ごとの停滞」ならば成立するのだ。
 実は、「停滞」を唱えることは、まったくの間違いというわけではない。「完全な停滞」と見なせば間違いだが、「ほとんど停滞」または「緩慢な進化」または「小進化のみ」を唱えるならば、間違いではない。その点では、「常に進化」を唱える従来のダーウィン説の方が間違っている。
 詳しく説明しよう。一見、進化が「停滞」しているように見えるのは、実は、不思議ではない。分岐したあと、種がいまだ完成していない時期には、進化は急激に進む。しかし、いったん種が完成して、数も多くなれば、それ以上は進化のしようがなくなる(同じ種としては)。つまり、進化が頭打ちになる。だから、「停滞」のように見えるようになる。
 具体的に言うと、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人と分岐したのは、50万年前だ。ホモ・サピエンスの最初の化石が見つかったのは、約 20万年前のものだ。50万年前からの 10万年程度は、急速な進化があっただろうが、それは数が少ないので、化石としては残らない。そして、さらに 20万年ほどをかけて数を増やしたあと、20万年前になると、もはや種としてはほとんど完成した。だから、その後は、進化の量はきわめて少ない。つまり、いったん化石に残るほど増えると、そのあとでは進化の量はきわめて少ない。
 以上の意味では、断続平衡説はほぼ正しい。(ただし、上記のように、遺伝子的に説明する必要がある。現実には、そのような説明は、断続平衡説ではなされていない。本項で説明されているだけだ。)
   
 [ 蛇足 ]
 なお、Wikipedia にも「断続平衡説」の説明があるが、ダーウィン説の立場からの解説であり、公平性が保たれていない。特に、論理的にメチャクチャな点が多い。たとえば、大進化と種分岐の違いを理解できていない点など。この件は、前項の [ 注記 ] で説明している。他にも論旨がおかしい記述が多い。Wikipedia の進化論の記述は信用しない方がいい。
   


 [ 付記1 ]
 断続進化がなぜ起こるか、という原理は、これまでは説明されていなかった。「連続進化はダメだ」ということは示せても、「断続進化がなぜ起こるか」という疑問には、その回答となる原理を示せなかった。(特に、グールドはそうだった。化石的な事実を示すことはできても、理論的な原理を示せなかった。このことが彼の村点であり、非難のマトとなった。)
 そこで、その原理を示す必要がある。その原理は、私がすでに示してある。特に、前項で簡単に説明してある。そちらを参照。
   → 前項 (小進化と大進化
 
 [ 付記2 ]
 前項で示した「大進化の原理」の核心は、直感的には、次の図からわかる。

river1.gif

 川があり、橋があった。初めは上のように、全員( ● )が左岸にいた。
 その後、しばらくすると、全員が右岸に移っていた。

river2.gif

 さて。この全員はいったいどうやって、左岸から右岸へ移ったのか? 

 進化論学者は答えた。
 「全員が少しずつ移動したのだ。全員がそろって、一歩また一歩と移動すれば、いつかは左岸から右岸へ移動できるはずだ」
 しかし理論的には、それはありえない。全員がそろって、一歩また一歩と移動すれば、全員が川に溺れてしまうはずだ。

 そこで誰かが唱えた。
 「全員がいっぺんに橋を渡ったのだ」
 しかし橋は一度に一人しか通れない。何人も通ろうとすると、人々の重みで、橋の底が抜けてしまう。だから、これも無理だ。

 そこへヒゲもじゃの変人が登場して告げた。
 「一人ずつ橋を渡ったんですよ。それなら橋を渡れます。ただね、一人ずつだと、見えにくいでしょう? 遠くから見ているだけだと、よくわからないんですよ。でも、やっぱり、一人ずつ渡ったんですよ。理論的にそうとしか考えられないでしょう?」

 すると進化論学者たちは非難した。
 「一人ずつ渡ったというのなら、一人ずつ渡ったという証拠を見せろ。その化石を見せろ」
 ヒゲもじゃの変人は存をすくめた。
 「大勢でいっせいに移動すれば証拠は残るかもしれないが、一人ずつ移動したんじゃ証拠は残りませんよ。証拠はありません」
 すると進化論学者たちは大声で非難した。
 「証拠もないのに、そんなことを主張するのか! おまえはトンデモだ! トンデモだ!」

 こうして彼らは、「全員が左岸から右岸へ一歩ずつ移動した」という説を信奉した。その非科学性には気づかないまま。

 《 解説 》
 上の比喩では、次のような対応をもつ。
  ・ 左岸 …… 旧種
  ・ 右岸 …… 新種
  ・  橋  …… 前項で述べた大進化の原理(交配 or クラス交差)

 全員が左岸から右岸へ移動することが「進化」だ。それには、どうすればいいか? ……というのが、すぐ上の比喩。

( ※ ただし、もっと正確に言うならば、「男女一組だけが右岸に移動して、その一組が子供をたくさん産んだので、全員が右岸に移動したように見えた」となる。……実を言うと、よく見たら、一時的には左岸にも全員が残っていたのである。つまり、両方の岸に共存した。ただし左岸の全員は、ライオンに食われてしまったので、しばらくすると絶滅した。)

( ※ その後、左岸でも右岸でも、大量の遺骨が発見されたが、橋の上では、遺骨は発見されなかった。そこで歴史学者は「この橋の上を誰も通らなかった」と結論した。)

  


 【 関連項目 】

  → 進化は 変化か交替か

 これは、本項の前に読んでおいてほしい項目。
posted by 管理人 at 22:40| Comment(7) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あまり進化、断続平衡説に関しては良く分かっていないので変な書き込みかもしれません。その点ご了承ください。

あと、文章の表現がどうもかなり古いダーウィニストに対する批判をされていると思われます。間違いでしたら申し訳ありませんが、そうだとしたらその頃の研究の進行状況を加味して文章を書かれた方が良いかと思われます。

さて、化石記録について書かれていますが、ダーウィニストの言うとおり、それは出ていない化石があるを考えたほうが妥当ではないでしょうか。
現在中間種となる化石は続々と出てきていますし、そもそも化石になりやすい環境はかなり限られています。あくまで化石は出ればラッキーです。

やはり化石記録と共に現生生物の多様性を考える必要があると思います。現生生物の多様性をみると、大進化は小進化の積み重ねであるという考えは十分説得力があります→例えばフィンチ

また、発生学的に考えれば、ある形質の変化は何らかの形でその生物の別の形質に影響をもたらします。

例えば、キリンの首が断続的に進化するとしたら、首が伸びることによる重心の変化、血管バイパスの新設または調整、骨格の強度の変化、視野の変化などをそのたびに大きく変化させなければなりません。小進化の積み重ねは変化する形質の影響がそこまで大きくないので成立すると思われますが、段階的に起こると全体的なバランスがとれず生存競争に生き残れないと思われますが、このことに関してはどう思われますか?
Posted by ニョダ at 2010年07月27日 16:22
> それは出ていない化石があるを考えたほうが妥当ではないでしょうか。

 その発想では駄目だ、という点を、本項では論証しています。特に、青い斜線で。
 本項を読んだのですか? 読んでないとしか思えません。

 ともあれ、本項を読めば、回答はわかるはずです。それでもわからなければ、本項の前後の項目を読んでください。(カテゴリー ページから。)

 ──

 キリンの首については、「クラス進化論 キリン 血圧」で検索してください。上位三つのページに記述してあります。
 そのまた基本原理は、下記。
   http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_01.htm#19
Posted by 管理人 at 2010年07月27日 19:54
お返事ありがとうございます。

お言葉ですが、一応全て読ませていただきました。

それを踏まえて書いたつもりです。

補足します。

まず、化石の件ですが、これは前回も記載した通り、化石は現代に残りづらいというのが一番の理由です。

化石研究に関与されている方ならこの言葉だけでお分かりかと思います。

化石研究には以下の問題点があります。

@先の通り、標本数として残りづらい。

A現生生物の情報でないため、その化石が成体のものなのか、変態前なのか、個体差なのか判別が難しい。

B基本的には腕だけ、歯だけなど断片しか出ない。完全な状態はNature クラス。同定、再構築が訂正されることはザラ。

C系統関係を形態からしか推測できない。最近鳥類のDNA解析が行われ従来の分類の多くに問題があったことが示されたように、形態による分類には限界がある。形態学における同定では、系統関係がわかっていることが重要。化石はもちろんDNA解析できない→一部例外あり。

D一番重要であるが、形態計測学的に種と個体差を判別するにはある程度の差がないと判別できない。基本的に骨しか残らない化石においては、このことが顕著になる。しかも、種、形質によって個体差のでかたはかなり開きがある。


以上のことを考えると、本文中にあった「「種が存在しないこと」(連続的に進化すること)を示さなくてはならない。」ということを化石記録により示すことは不可能に近いことがわかります。


むしろ、標本数の少ない古生物学の分野で個体差とも知れないものを安易に「連続だ!」などと述べたらそんな奴は相手にされないのではないでしょうか。


ダーウィニストはこれらのことを考慮して、(中間種を見つけてもそれが中間種と判別できるかわからないが現状で考えうるなら)単に見つかっていないだけだ、いったのだ。


そもそも進化学は仮説演繹法に基づく学問であり、まだ完全に化石がほりつくされていない状況で、化石が発見されてないからといってダーウィニストが否定されたことにはならないでしょう。前回述べたように現生生物を調べた限り十分可能性があったわけですし。


それに付け加えて、前回も述べましたが現在中間種が続々と発見されてきています。現時点でダーウィニストの考えを否定する方のほうが少ないと思います。


続きまして、キリンの話。

指示されたサイトを拝見しました。

南堂久史氏のサイトでよかったでしょうか?

一応拝見しましたが、この方はどういったことを根拠にあのような着想に至ったのでしょうか?

若輩の私が言うのもなんですが、正直、先人の仕事をあまり理解されていなかったような気がするのですが・・・

せめてリファレンスをしっかり書いてあるところの情報を参考にされたほうが良いと思いますよ?

しかも、キリンについていえば、南堂久史氏は現在のダーウィニストはすでに認めている発生的拘束などの意味をきちんと理解されていないと思われます。

というより、種の起源を読んだのかも怪しい・・・

私の求める答えには全くなっておりませんでした。

筆者様にはブライアン・ホール氏の進化発生学や倉谷滋先生の動物形態進化学を読むことをお勧めします。

以上です。
Posted by ニョダ at 2010年07月28日 15:46
やはり話を全然理解していないと思いますよ。自己流に読んでいるだけで。

> 標本数の少ない古生物学の分野

誰もそんなことは言っていません。特に、ここ 20万年ぐらいならば、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスのDNAも得られています。DNAの結果からも、この二つの人類において「種」の概念は確立しており、「連続的変化」ということは事実としては完全に否定されます。

他にも、さまざまな動物種の化石が見られますが、いずれも、「種」という概念が確立しており、それを否定する化石的事実は見られません。

一方、ダーウィン説のモデルでは、「種」という概念は完全に否定されます。単に分岐があるだけで、変化は時間軸に対して連続的でなくてはなりません。そのようなモデルは、化石的事実に反する、ということは、明らかです。特定の一種類だけならば、その例証は不十分だとしても、何百という種の化石全体を見れば、「断続的変化」と「連続的変化」のどちらが事実であるか(種という概念が成立するか否か)は、明らかです。

あなたの見解は、上記のポイントをずらして、別の細かな点で弁明しているだけです。本項の趣旨を根本的に誤解して、ダーウィン説の欠点を見て見ぬフリをしていることになります。
「これこれの説明をすれば、難点を少し回避できる」
 というような弁解じみた解釈をするよりは、虚心坦懐に事実を見てください。そうすれば、「さまざまな化石を見ると、生物の進化においては、種という概念が成立する」とわかるはずです。それをあえて否定するようでは、「モデルに合わせて現実を見る」というふうに、歪んだ目をしていることになります。

発生的拘束は、種の問題を部分的に説明するだけの概念であり、種という概念を根源的に説明するには全然足りません。

なお、関連サイトの執筆はすべて私です。本項だけではわかりにくいのであれば、 関連項目 をすべて読んでください。特に、本サイトのカテゴリ内の項目。
http://openblog.meblog.biz/category/4025.html

どうも、あなたは基本的に本項目や本サイトの話を誤読しているとしか思えません。本項目は、単独で成立するのではなく、前後の項目と関連しているので、前後の項目を合わせて読んでください。

 ──

 特に重要な誤解として、本項目の見解と断続平衡説はどこが違うかを、はっきり認識しておいてください。ここを誤解している限り、話は根本的に狂ってしまいます。
 あなたの主張は、断続平衡説への批判であって、本項目への批判にはなっていません。また、下記サイトも同様です。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page23.html

 本項目の主張は、「種」という概念が成立することです。たとえば、ホモ・エレクトスと、ホモ・ハイデルベルゲンシスと、ネアンデルタール人と、クロマニョン人。これらの中間種が無限に存在するというような発想(種の概念を否定する発想)を、本項は否定しています。
 ここを理解できないようでは、すべては誤読となります。
Posted by 管理人 at 2010年07月28日 18:52
お返事ありがとうございます。

どこから書いていいかわかりませんが・・・

まず、私が最初から議論していることは、筆者様が断続平衡説の根拠である化石記録非連続性を上げてダーウィン説を否定していることです。

現状からして化石記録から中間種の連続性を示すことが不可能ですから、化石記録を根拠としてダーウィン説を否定できません。これはよろしいですか?

また、今出ている化石により種を定義することに意義を申し立てているわけでありません。そもそも前回に「種と個体差を判別するにはある程度の差がないと判別できない」と記載しているではないですか。しかも、ダーウィニストは連続性は訴えていますが、別に種を否定はしていませんよ。

付けたして言うなら、筆者様がおっしゃる「時間的に種としての同一性を保つ」というのは化石記録が基本的に骨しか残らないことを無視しています。個体差や他の形質が変化した可能性を考慮していません。

私は人類学は学んでいませんが、そちらで調べられたネアンデルタール人の論文において個体差に関する統計データの記載がありましたか?あったらその論文のリファレンスをペーストして下さい。

しかも、ネアンデルタール人に進化について述べられているところで「時間と場所が異なる」とおっしゃっていますが、時間と場所が異なっているなら生理機能に関わる形質は確実に変化していると思いますよ?生理機能のほうが骨格要素より進化しやすいといわれているのはご存知ですよね?

繰り返しますが、化石記録は基本骨しか残りません。現在でもDNA抽出に苦労する種があるというのに化石から抽出されたDNAで種を語るならかなりの標本数が必要です。化石では骨同定以外の方法で形質の違いが見つけられないから同一種とされているだけです。

現生種では骨格以外の形質、行動様式や皮膚の色だけで新種と定義される場合もあるのですから骨格だけで進化の連続性を否定はできないのです。


次に、キリンの件。

発生的拘束で種を部分的にしか説明できないのは当たり前でしょう。そもそも種レベルで使われる用語ではありません。

発生的拘束を書いたのはキリンの首に関して議論したところでしょう?仮に断続平衡説が正しいのなら断続性を成立させる進化メカニズムについて議論しているんです。


最後に、もう一度書きますが、私は化石に関して言えば断続平衡説の根拠が薄弱であることと、連続に進化していないのならどういうメカニズムなのか、進化の原動力をキリンの首を例にして説明してほしいと思っているんです。

以上です。
Posted by ニョダ at 2010年07月29日 13:55
(1) 化石でも、ここ数十万年の分は、ミトコンドリアDNAを抽出できます。核DNAは壊れやすいが、ミトコンドリアDNAは壊れにくいので。
 それに従えば、ホモ・サピエンスは、20万年位を経ても、DNA の違いはごく微小であり、種としての同一性をもっています。ダーウィン説に従えば、20万年も立てば、別の種になってしまってもいいはずですが、最初から最後まで、ほとんど変わっていません。違いは亜種レベルの微々たる違いだけです。(1塩基変異が大部分。遺伝子そのものがまったく変わった例はほとんどない。)

(2)
> 連続に進化していないのならどういうメカニズムなのか、進化の原動力をキリンの首を例にして説明してほしい

説明済み。

 ──
 (1)も(2)も、すでに別項で説明済みです。
 「カテゴリ」ページから他の項目を読んでください、とすでに2回も書きました。説明済みなのだから読めばわかる、と2回書いて、それでもわかりませんか?
 もう一度言います。他の項目や、先のリンク先に、すでに詳しく説明してあります。説明済みの文書を読んでください。これで3回目です。
 なお、「説明済み」という同じことを3回も言わせたペナルティとして、あなたのコメントは今回で禁止とします。4回も同じことを言いたくいないので。
Posted by 管理人 at 2010年07月29日 19:00
この記事の「完成」という部分を「適応」とすると、現在の進化論と一致する所も多いような気がします。

付記2の例え話について冗談をひとつ

老人は一人呟いた
「あの川は前に干上がったんじゃがなぁ…」
Posted by k at 2011年03月11日 09:18
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ